第3話 魔法
レイラの探し物が見つかったのは良いことだ。
だが、俺にとって一番重要なのはそんなところじゃない。
最も重要なのはこの後のレイラの行動である。
俺は何となく、今日分のご飯くらいはどうにかしてもらえるんじゃないかとか、そんな考えから目の前の少女――レイラの探し物を手伝ったわけだが、明日からの、いや今日の寝る場所から全くのノープラン。
文無しは辛いぜ……。
現時点で唯一の救いになるかもしれない少女を見る。
「何? わたしの顔になんか付いてる?」
ああ~これはダメそうだな~。
当然と言えば、当然だ。俺が彼女の立場だったらこんなオッサンなんかとは礼だけ言って絶対直ぐに別れる。
そう考えれば良くレイラという少女は俺なんかとここまで一緒にいたものだと褒めてもいいくらいだ。
これ以上、望めそうにないというなら、陽が沈みきらないうちに別れるべきか。
「いや、何も。そうじゃなくて、そろそろ暗くなってきたし、早く帰った方がいいんじゃな――」
そう言いかけた時、レイラの背後に小さな黒い影が動いた。
「危ないっ!」
「――えっ? きゃっ」
ヒュン。
風を切るかような音と共に弓がこっちに飛んでくる。
急いでレイラの手を引くと、庇うようにレイラを抱きしめ、横に倒れた。
「――――ッ!」
肩に僅かな痛みを感じた。
だが、今はそれを気にしている暇なんてない。
「あれは、ゴブリン……」
レイラがそんなことをぼそりと呟いた。背は低く、顔は、うん、まあ鬼って感じだったな。あれがゴブリンか。
こっちが気付いたからか、弓を放ったゴブリンはすぐに引き返していく。
行ったか……。
正直こっちに来られると危なかったが。
そんなことより今はレイラだ。
「大丈夫か! 怪我とかしてないよな?」
「うん、怪我はないけど――って、ちょっと、そこ! 肩! アンタが怪我しちゃってるじゃないの!」
「ああ、これか。そんなに大怪我してるわけじゃないし、気にしないでくれ」
僅かに出血はあるものの、掠っただけだ。そこまで酷いものというわけでもない。
「気にしないわけにもいかないでしょ! わたしを庇ってこうなったんだから……」
「本当に大丈夫だって。それよりこの場を離れた方がいい。もしかしたら、仲間を引き連れてまた来るかもしれないしな」
心配を掛けないようにできるだけ明るい声で言った。
俺の言葉に納得したレイラに道案内を任せ、この場を後にした。
レイラを先頭に暫くの間は、お互い無言で歩いていたが、その間もレイラはちらちらとこっちを見てくる。
多分、肩のこれ気にしてんだろうな……。
これ以上変に触れるのも、逆に心配を掛けそうだから触れないようにしてきたのだが。
「本当にそれ平気?」
やっぱり、触れてきちゃったよ。もう、この子は!
「平気だから、そんなに心配しないでくれ」
「でも……」
そんな暗い顔されていたら、守った意味がない。
こんな時に掛けるべき言葉ってなんだっけな……。
何を言えばいいのか、記憶を辿る。今、必要とされているのは俺の言葉なんかじゃないはずだ。
幾つものギャルゲーのシチュエーションとその時の主人公の台詞が脳内で次々と再生されていく。
そこに現状に合うようにアレンジも加えた。
これだな。
「こんな時は『平気?』じゃなくて『ありがとう』だろ? 俺は心配な顔してるより、レイラには笑っていて欲しいな」
「…………」
レイラから何の反応もない。
これ、やらかした感すごいからホント無言はやめて! 俺、顔赤くなってたりしないよな。
必死過ぎて何を言ったか正直覚えていないが、とてもレイラの顔を見れるほどの心理状態ではなかった。普段からほとんど顔なんて見れないけど。
「ふふっ、わたしが間違ってた。確かにそうかも。ダイキ――ありがとね! はい、じゃあ、これでこの話はお終いっと」
「はは、調子が戻ったな」
「おかげさまで。それで、ダイキはこれからどうするの?」
吹っ切れて清々しい笑顔をこっちに向けながら、レイラはそんなことを聞いてきた。その顔を見て、ほっとする。
おっ、これは来たんじゃないか。
「それはまだ、決めてないけど。当ても全然ねえしな」
「そう。じゃあさ――」
「頂こう!」
「いや、何の話よ!」
「え? 今晩の飯をご馳走してくれるって話だろ?」
これから先、どうなるか全く想像もできない。食える時にカロリーを摂取しておきたかった。どうも俺の早とちりだったようだが。
「違うわよ……」
レイラは大きくため息をついた。
今の流れから飯じゃないと知り、絶望が質量を持って肩に重くのしかかる錯覚に襲われる。
ん? 待てよ? 食べ物じゃないとしたら何だろうか……。
俺は縋るような目でレイラの首あたりをじっと見つめた。
もしかしたら、今の俺はチワワより円らな瞳をしているんじゃなかろうか。
「全く、貴方の為をと思って提案しようと思ったのに、やっぱりこのまま帰ってもいい気がしてきたわね」
「ごめんなさい!」
俺は日本で採用されている最上級の反省――DO・GE・ZAを見せた。
「何やってんのよ……可憐な少女の足の前に顔を近づけるなんて、変態なの?」
どうやらこの世界ではDO・GE・ZAは採用されていないらしい。
てか、この女、さりげなく自分の事可憐な少女とかアピールしてきやがったぞ。
「違う、違う! 誤解だ! これは俺の故郷で最上級の謝罪を表すポージングなんだ」
「もしかしてダイキの故郷って変態しかいないんじゃ……」
「そんなことは……ない」
すぐに否定できないくらいには、世の中変態で溢れている為、少しだけ返答に躊躇してしまった。
「今の間でなんかすっごく不安にさせられたんだけど。まあ、いいわ。そんなことより話を戻すけど、ダイキ。貴方って魔法は使えるの?」
まさか生きているうちにゲーム以外でこんな言葉を掛けられる日が来るなんて、誰が想像出来ただろうか。
だが、俺と同じ世界に住んでた奴はおそらく全員こう答えるはずだ。
「無理だな」
「う~ん、そっか。わたしが今在学している学園なら寮があるからそこに編入すれば、住む場所と朝・晩の食べ物くらいはどうにかなるんだけど……」
なにそれ。今の俺にはこれ以上ないほどおいしい話じゃないか。
まあ、レイラの話し方から察すると、諦めざるを得ないだろうけど。
「いい話だが、金も全くねえからなー。どの道、俺に編入は無理だろ」
「お金はいらないわ。学園に通う条件は一つ、魔法の素質がある事。そこさえ満たせれば学園に通えるんだけど……」
少しずつ声が弱くなっていき、思わずレイラの顔を覗き見る。
すると、レイラの頬が何故か赤くなっていくような気がした。これが夕陽の所為とも思えない。
肩にもキュッと縮こまるように力が籠っていて、腕も少し震えていた。
俺は変に緊張を与えまいと、彼女が口を開くのを待つ。
「えっと、その、魔法を使えるようになる方法はね、あるのよ」
「俺も魔法使えるようになるのか!?」
魔法が使えると聞いて思わず声を上げてしまった。
レイラは驚いたのかこっちに背中を向ける。
でも魔法だよ? 大人だって魔法が使えると聞けばはしゃいだりすることもある。
「その、方法はあるけど……いや、だからって……でも、手伝ってもらったし……。あー、もう!」
何か吹っ切れたといった感じで、レイラは急に両手を勢いよく上げた。
「うちに来て!」
そして、爆弾を投下してきた。
「は? え……エッ?」
「もう、どんだけ驚いてんのよ!」
「いや、だって……」
女の子に家に来てと言われたの何年ぶりだと思ってやがる!
ゲームで言われ慣れたはずのその言葉。だが、実際に聞いたのは31年ぶりである。まあ、簡単に言っちゃえばこれが初めてです。
右手で落ち着かない胸を押さえる。
心臓が飛び出るんじゃないかと錯覚するほど激しく脈打っていた。
「来るの! 来ないの! 早く決めなさい!」
流石にこの歳で少女の部屋にお邪魔するのは抵抗がある。環境が変わったからってそこまで生き方を変える勇気は……。
「行きます」
思っていることと違うことを言っちゃう時ってあるよね?
恐らく、環境が変わって大胆になってたんだと思う。普段の俺なら絶対こんなこと言わないし。
気が付けば返事をしていた俺は、レイラの目を見た。
だが、嫌そうな顔をしていないのを見て安心する。
「そ。じゃあ、行くわよ」
魔法がどうとかいう話からどうしてこうなったのか分からない。
でも、行く当てもない、頼る相手もいない俺にとって、今の少女の背中はなんだか少し頼もしくも見えた。
「「はぁ~」」
レイラの部屋に入ると、二人揃って大きなため息を吐く。
ここに来るまでに予想以上の体力と精神力を使ったからだ。
それにしてもレイラのやつ、結構走ったんだな。
散歩の途中、ゴブリンの群れに追いかけられたと言っていたが、ここまで来るのに意外と距離があった。
色々あったが、ゴブリンのおかげでレイラと出会えたと思い、感謝する。
その後、他の生徒にバレないように、こっそりここまで来るのも大変だった。
在学生じゃないからというのもあるが、ここが女子寮と聞き、より一層神経を張り巡らせていたからだ。
なんとか誰にもバレず、ここに来たわけだが。
「その辺、適当に座って」
部屋の電気を点けたレイラがベッドに腰かける。
おい、この世界って電気まであんのかよ。魔法と電気のコラボってやけにハイブリッドな世界に来たな、俺。
俺もベッドの近くに置いてあるソファーに座ろうとして、テーブルの上に置いてある鏡が目に入った。
中に映った人の姿を見て思わず目を剝いてしまう。
誰だ?
見覚えのある懐かしい顔。誰かなどは言うまでもないのだが、つい口にしてしまった。
そこに映ったのは誰でもない俺――駿河大輝の顔だ。
俺は、鏡を確認しながら自分の顔を触った。鏡に映る俺も当然の如く同じ動きをするのだが、その顔は俺が知っている俺の顔より少し幼く、いや、若返っているようだった。
原因はこれか。
会った時から今まで、レイラにあまりにも警戒されていなかった理由がようやく分かった。
同い年くらいに見えていたからか。
「鏡見て何してんの……」
レイラの冷たい視線が突き刺さる。
「いや別に、何も!」
「そう」
入ってからすぐに思ったことだが、なんか部屋中から甘い匂いがするな。
これが女子の部屋というものなのだろうか。
「じゃあ、その、手伝ってもらったことだし、やるわね?」
そう言って深呼吸した後、レイラは電気を消す。
「その、恥かしいから明かりは消すわね」
「え、はい……」
これはどういう状況だ。全く理解が出来ない。確か魔法を使えるようになる方法があると聞いて、何故か部屋にお呼ばれして。
これは遂に大人の階段を上る時が来たのかもしれない。
これと似た状況は何度も経験してきたじゃないか。
大丈夫だ! いつも通りヒロインを褒めてやればいいんだろ? あーでもホントにこのままいいのかな……。
「こっちに来て」
「あ、ああ」
カーテンを開けている為、月明かりの元で薄っすらと見えるレイラの顔は心なしか少し大人びて見える。
俺は呼ばれるまま、レイラの隣に座った。
この後の流れは嫌というほどやってきた。ゲームでだけど。
レイラがポケットに手を突っ込み何かを取り出そうとする。
レイラだって年頃の女の子だ。こういう時の為に色々と準備はしているのだろう。
ああ、その中身がナイフだってことは大体予想がついてた……ぜ?
エッ?
エッ? ナイフ!? エッ!?
もしかして、俺やられちゃうの?
レイラはそれを自分の指先に当てると、軽くずらした。
って、おい! 何でだよ!
「うっ」
血が少しずつ外に溢れてくる。
零れないようにナイフを持った手は下に重ね、そのまま俺の方にその手を寄せてくると。
「飲んで」
「……へ?」
「早く、して。これで魔法が使えるようになる、はずだから」
待て待て、落ち着け! 本当にこのまま飲んでいいのか? あーもう、どうしてこうなっ――ってだから血が垂れるって!
もう自棄だと、出されたレイラの指を咥えた。
もうどうにでもなれだ!
「ひゃん! ……ん……はぁ」
レイラの荒い吐息を聞いているうちに脳が段々と麻痺していくような感覚に襲われる。
本当にこれでいいんだよな? 無心だ。無心に吸い続けろ。考えるな、感じるな。全部魔法の為だ。
痛っ!
身体の内側からくる痛みに咥えていたレイラの指を放してしまう。
「どう? 何か変化ある?」
「ああ、少し身体が熱くなってきたな」
「そう。あまり気にしなくていいわ。体温の上昇はすぐに戻るはずだから少し我慢して。今のでわたしの魔法を使うための魔力コアを少し分けたから、魔力は得たはずよ」
身体の内側から熱くなっていくような感覚は、時間が経つにつれ段々と治まっていき、変わりに体内に今まで味わったことのない妙な感覚が残った。
「これで、俺も魔法が使えるってことか……」
「そういうことね」
当たり前かもしれないが、まさかこの歳になって自分が魔法を使えるようになるなんて思いもしなかった。
俺は胸のあたりを押さえる。
そこには身体の内側を何かが巡っている確かな感覚が今までの自分とは違うと語りかけているような気がした。




