第21話 限界
昨日リネットから聞いた多分学園祭みたいなものと思われるグローリア祭。
なんとなく気になって俺はレイラに先生からこのことを聞いたか尋ねると、すっごく冷たい目で見られた後『アンタが気持ちよさそうに寝てるときに言ってたわよ!』と言われた。
俺はレイラの言葉に相槌を打ちつつ、よく俺のことまで覚えてるもんだと密かに感心する。
驚くことにグローリア祭の開催まで残り一週間しかなかった。本当にナディアのことしか最近は考えてなかったからかこんな直前まで全く気付けなかった自分に呆れてしまう。
前にリネットから聞いたことだが、生徒会のメンバーはナディア以外に誰も所属していない。つまり生徒会長が一人で全てを熟さないといけないということになる。
攻略の隙があるとすればやっぱそこだよな。
俺は窓ガラス一枚を隔てた生徒会室にいるナディアを木の上から見る。
丁度その時、ナディアは手に持っていたペンを落としたところだった。
それから残すところグローリア祭開催まで残り三日となった頃だ。
「まあ、こうなるわな」
ナディアの抵抗――というよりは文字通り身を削る努力のおかげで書類の数が激的に溜まることはなかった。あくまで激的にだが。
相変わらずナディアの机には書類の山が形成されたままだ。
睡眠不足なのか、時々疲れた素振りを見せ、誰が見ても作業効率が落ちているのがまる分かりの中、さらに大きな書類の山を作らずに済んだのは、ナディアが帰る時間を遅くしたからに他ならならなかった。
普通に考えれば、もう仕事を終わらせて、当日の対応について考えておきたいところだろうが、何分俺たちが通っているこの場所は魔法学園。祭に気合を入れる生徒が多いせいか所々でハプニングが起きているとよく耳にする。最近ではよく爆発音とか聞こえるし。
そんなこんなで突然仕事は生徒会の方に運び込まれ、こんなタイミングでも大忙しというわけだ。
そして、その日俺はナディアが生徒会から引き上げる姿を見ることなく陽は既に沈みきっている中、寮の夕食が近づいていたため学園を後にした。
――『さようなら』
翌朝、最期に会った時のナディアの言葉を俺はベッドの上で思い出していた。
そろそろいいよな……。
その言葉が足枷になり、今までは気付かれないように状況を遠目でざっくりと知ることくらいしかできなかったが、学園祭まで残すは二日。正直動き出すには遅すぎたかもしれないが、このグローリア祭の存在を知ったのだって遅かったし、今更それをどうこう言っても始まらない。
最近ではすっかり日課となってしまっていたこのナディア観察。どんなものにだって等しく終わりは訪れるものだ。その終わりが今日だっただけのこと。
別に寂しくないし。その分バイトできるし!
俺は何となく感じた虚しさみたいなものを振り払うように頭を振ると、自分にそう言い聞かせた。
朝の講義前、本当に今更だと自分でも思うが、急に一つ気になり出したことがある。困った時の相談相手一号であり、攻略対象の一号でもあり、俺の初めてを色々と奪っていった後ろの席の赤髪にその疑問をぶつけたら。
「はぁあ? アンタ……それ本気で言ってるの?」
まあ、こんな反応が返って来るとは思ってたけどさ。こんなこと本気じゃねえと言えねえぞ?
「本気も本気。本気と書いてマジって読むくらい本気だ」
「ごめん、ちょっと何言ってるか分かんないんだけど」
「はいはい。それで結局うちのクラスは何すんだよ」
レイラはわざとらしいため息を吐いた後、こめかみを抑えながら全身で呆れを表現するかのようにして。
「魔法劇よ」
爆弾を投下してきた。
魔法劇――魔法ってのがついてはいるが、まあ、劇っていうからには劇なんだろうな。
名前から大体の想像はつく。多分日本でも行われているような劇に魔法が追加されたものなのだろう。
まあ、いきなりそんなことを言われたらクラスメイトの一人として当然文句もあるわけで。
「聞いてないんだが」
「でしょうね。その時アンタ寝てたし」
「いや、起こ――」
「起こそうと揺すったり、燃やしたりしてみたけど、『あと五分』とか言って起きなかったのはダイキだからね?」
「…………おい、燃やすってなんだ? 俺に何した」
レイラがあからさまに目を逸らした。そのことについて話す気はないらしい。俺も特に困ったことはないので追求するのは止めておく。
つまり、これはあれか。全部自分が招いた結果ってことか。
いや、でも日本人ならこのくらい日常茶飯事だろ? 心を鬼にしてでも起こしてくれよ。
俺は開けっ放しだった口を意識して閉じると、そのまま色々言いたいこともあるがそれら全ての言葉を飲み込んだ。
ナディアの件もあり、劇の練習なんてやる暇ないんだが。
「因みに俺は何をするんだ?」
「内緒よ。大丈夫、ダイキならちゃんと熟せるわ」
「は?」
最近久しく見ていなかったレイラの笑顔を見れたというのに、その表情とは裏腹に俺は不安しかなかった。
劇をやるってのにこんな残り僅かな期間で詳細を秘密とかあります?
見て分かるほど答える気がないレイラにこれ以上聞くのは諦めて教室を出ると。
「あー、あー。あーあーあーあーあー」
とりあえず、発声練習だけでもしておくことにした。
裏方かもしんないけどね。
朝から急に劇のことを聞いたせいであたふたと取り乱してしまったものの、どうせ詳しいことは何一つ教えてもらっていないのだ。なら、そんなことよりも初志貫徹。今はナディアのことだけを優先するべきだ。
俺は午後の講義が終わると追い返されるの覚悟でナディアのもと――生徒会室へ向かう。
いざ扉の前まで来てみると、やっぱりまだ割り切れず勢い任せにそのまま中へというわけにはいかなかった。
ここでうじうじ悩んでても仕方ねえぞ、行け!
俺は金縛りにあったかのように動かなかった足に気合を入れるべく、手に握りこぶしを作ると自らの膝を叩いた。全力で。
「――くっ! いってぇー」
まあ、本気でやったおかげで気持ち的には動けそうだ。肉体的にはきつくなったけど。
親しき中にも礼儀あり。流石に勝手に入るわけにもいかず俺はドアをノックしたのだが……。
……。
扉の向こうから返事はない。もう一度ノックしてみるが。
…………。
声を聞き漏らすことがないように戸に耳を当てたが、やっぱり返事はなかった。
「どっか行ってんのか」
大抵のトラブルなら騎士団の方が対処するだろうが、もしかしたら手が回らずナディアも駆り出されているのかもしれない。
まあ、一応確認っと。
俺は生徒会室のドアを押してみると――開いた。
「おいおい。戸締りくらいはしっかりしろよ……な……って」
そのまま戸を押し中を覗くと中には人がいた。もちろんナディアだ。
いるなら返事くらいしろよ。生徒会長が居留守とかしやがって。……流石に俺が来たことが分かったから返事しなかったとかじゃないよね。声を出したわけでもないし。
黙々と書類に目を通しているこの部屋の主様はこっちを一瞥もしない。
まるで俺がこの部屋に来たことにすら気付いていないかのように。
あの『さようなら』ってこれ以降は徹底的に無視するって意味だったのかよ。だが生憎こちとら別れの言葉を口にした覚えもないんでね。そのくらいで手を引くと思うなよ。
「なあ、他に役員いないんだよな? この量じゃどう見ても一人で終わりそうにないし、俺にも何か手伝えることないか?」
カキ…………カキ…………ペラ。カキ…………カキ…………ペラ。
ナディアは何も言わずただ機械の如く、ペンで少し書いては紙を捲り、また少し書いては捲るという行動を繰り返していた。だが、その速さはお世辞にも早いとはいえない。というより誰が見てもスローペースだ。
何で頭もいいのだろうに変なところで容量悪いのかね。この子は。
「おい」
俺は見ていられなくなって、ナディアの肩を揺すと。
「あっ、気付かずに……すみません、でした。ご用件……は――」
ふらっ。ほとんど力を入れていないというのにナディアが横に傾いた。
そのまま俺の胸にぽすんとナディアの頭が埋まる。
こんなになるまで無理しやがって。
「少し横になっとけ」
「…………」
既にナディアの意識はここになかった。
話しかけたことがトリガーになったのか集中で張りつめていた糸がぷつりと切れ今は眠っている。顔色もあまりよくはない。
回復魔法でどうにかなるわけでもなく、このままここで寝かせるのも良くないと思い、ナディアを背負って学園の医務室まで運ぶと、後は専門家に任せることにした。
ここに至るまでに数多くの生徒を敵に回したような気がするが、緊急事態なんだからしょうがない。
俺はさっきまで背中に当たっていた大きな双丘の温かさを惜しみながら改めて生徒会室に戻った。
机の上にある書類の山に向き合う。椅子に腰を下ろすと、ずっと座っていたのかまだ少し生暖かさが残っていた。
変に緊張してしまったが今はそれどころではない。予想していなかったナディアの脱落。ここからは完全に俺一人だ。
「長い夜になりそうだぜ……」
俺は一人きりの部屋で呟く。
こうでも言ってないととてもやりきれそうになかった。




