第20話 笑顔の裏の素顔
「え?」
今まで表情を崩すことはなかった少女が俺の手の中にあるぐしゃぐしゃの紙を見て聞いたことのない素っ頓狂な声を漏らしていた。
その新鮮な反応が俺に優越感を与えてくれる。
緩みそうになる口元を必死で我慢すると、俺は気持ちと弛緩しつつあった表情筋を引き締めた。
「なあ」
大事なところは決めないとな。
俺は正面から彼女の目をはっきり見る。すると琥珀色の瞳が僅かに揺れた。
「別に隠す必要なんてないんじゃねえか?」
「隠すってわたくしが何を隠しているというのですか? 仰っている意味がよく分からないのですが」
このままとぼけてやり過ごすつもりか。させるかよっ。
「そうかぁ? 自分が一番よくわかってるはずだと思うんだけどな、ほらこれ」
俺は握りしめていた紙を広げると、それをもう一度ナディアに手渡しで渡そうと試みた。
だが、予想通り。ナディアの手がその紙に伸びることはない。
「どうした? 受け取らないのか?」
「…………」
苦虫を嚙み潰したような顔をするナディアに俺は畳みかける。
「やっぱり無理だよな。生徒会長、アンタは嫌いなんだろ? 男子が。嫌いじゃないとしても苦手意識くらいは間違いなく持ってるはずだ」
「…………」
だんまりかよ。それならこっちも構わず話し続けるだけのことだ。
「アンタに何があったとかそういうのはわかんねえけどさ、わざわざ無理して男嫌いを隠す必要もないんじゃないか?」
「……それを言うのでしたらわざわざ他人に波風を立てるような真似をさせる必要もないんじゃないかと思うのですが」
今一瞬変わった。何が変わったか詳しく言えないが多分彼女を取り巻いていた雰囲気みたいなものが。
「では、貴方に一つ問わせて頂きますが、わたくしの言動が貴方に何か迷惑をお掛けしましたか?」
迷惑……迷惑か……。
特に迷惑なんてこともないけど。
「ああ。迷惑というより気になってしょうがないんだよ。男子苦手なのは見てて明らかだしな。それに気になり過ぎて俺の睡眠が妨げられている」
見てて明らかなんてハッタリだ。バンクル無しじゃまず気付けないほどナディアの演技は完璧だった。
「はあ……」
ナディアらしくないため息を吐くと、蔑むような目をこっちに向けてきた。
「人のこと追いかけまわしているだけのことはありますね。本当に見事な観察眼と言えます」
うわっ、俺のストーキングばれてたのかよ。
部屋全体の温度が一気に上がったような錯覚を覚えた。俺は誤魔化すように視線を横にずらし窓の外の景色に目をやる。
ああ、実に綺麗な夕陽だ。
「貴方の睡眠事情うんぬんは知りませんが、わたくしのことはお話します。だからこれ以上は関わらないで下さい」
そう言ってナディアは生徒会室の窓を開け夕陽の眩しさに目を細めながら口を開いた。
「初めに言っておきますが、わたくしが男性を苦手な理由はそんな大袈裟なものではありません」
俺は相槌も打たず、ナディアの次の言葉を待つ。
「昔、虐められていたんです。この髪が悪目立ちしてしまったのでしょうね。わたくしはその時、気も弱くて何も言い返せませんでした」
それってただ気になる女の子にちょっかい出して構ってもらいたいっていう男の子特有の悪戯では?
「だから一生懸命魔法の勉強もして強くなりました。そしたら直接手を出してくる人はいなくなりましたが、その代わり次に待っていたのは遠くから悪意に満ちた視線の数々」
それは単に見惚れてただけじゃないのか? お世辞抜きで今のナディアはスタイル抜群だ。当時もそれなりに男の目を引いたとしても何もおかしくない。
「そんなことが積み重なってこんなのしかいないんだと考えていたら男性のことをいつの間にか苦手になっていました」
ナディアは一息吐くと、こっちを見て。
「これが理由です。分かって頂けたならこういうのもう止めてもらえます? これ以上男性を嫌いになってしまったら笑顔まで作れなくなってしまいそうなので」
そう言った彼女の顔は笑っていた。まるで笑っていられるうちは許してやるとでも言うように。
結局ナディアは男という生き物に失望してしまったのだろう。それがあの低い親密度の正体だ。
俺は部屋を出る前に一応仕事を果たしておく。
「今日の巡回の件ですが、異常はありませんでした」
「そうですか。それは平和で何よりですね。それでは――さようなら」
ナディアの別れと同時に俺は扉を閉めた。
「さようなら、ね」
俺はぼそりとドアに寄りかかりつつ呟いた。
不思議なことにバンクルの数値は昨日とあまり変わっていない。この辺が限度なのだろうか。まあ、もっと何かデカいことやらかせば別かもしれないが。
何はともあれこれでまた一歩ナディアに近づくことができた。
ナディアには関わるなと言われたが、俺はそれに了承も何もしていない。
さて、ここからは――。
やることは大方決まっていた。原因とそれによる結果は出てしまっているこの状況。なら次にやるべきことは対処しかない。
ストーキン――じゃなくて観察を始めようか!
次の日から放課後は騎士団の方に顔を出した後、終わったら俺は一本の木の上に座っていた。
そこからは生徒会室の中の様子を窺うことができる。
何故俺がこんなことをやっているのかというと、もちろんちゃんとした理由があった。
ナディアは昔の出来事が原因で男というものに苦手意識を持ってしまっている。なら話は至って単純だ。駿河大輝という男はそこらの男とは違うと思わせてやればいい。
その為にナディアの手助けになれることはないかとこうして見守っているわけだが。
「ふぁぁ~~」
思わず欠伸が漏れ出てしまう。
木の上で見てるだけというのはとにかく暇なのだ。
だが、このくらいで音を上げるわけにもいかず、俺のナディアを見張る日々はしばらく続いた。
いつからだろうか。ナディアの机には少しずつだが書類の山ができつつあった。
「なあ、最近何かあったのか? 所々走り回ってる生徒をよく見かけるようになったんだが」
俺はナディアの仕事量もそうだが、観察中によく忙しそうに生徒会室の出入りをしている生徒が増えた為、騎士団の方で手伝いをしつつ、さりげなくリネットに聞いてみた。
本当は講義前にレイラに聞こうとも思ったんだが、変な詮索までされそうな気がしてリネットに聞くことにしたのだ。ほらそれに、そういう情報はリネットの方が詳しそうだし!
「はあ~お前というやつは……」
リネットになんか呆れた顔をされてしまった。
「何かあったじゃなくて、これからあるんだよ。もうすぐだというのになんでお前はそんなことも知らないんだ? 学園で教員から連絡を受けているはずなんだが」
そのままこめかみを押さえ首を左右に振ったリネットがため息を吐く。
学園で教員から……? 記憶にねえぞ?
「で? 結局何があるんだよ!」
「グローリア祭だ」
「グローリア祭?」
祭とつくからには大体の予想はできるが、やっぱり聞き覚えねえぞ?
「ああ、だから最近は皆そのことで大忙しというわけだ」
じゃあ、ナディアの日に日に量を増していくような書類の山も全部このグローリア祭が原因というわけか。グッジョブ!
「スルガ……? どうかしたのか?」
急に口元を隠した俺を見てリネットは心配したのだろう。
俺はニヤけそうになる顔を隠しただけなのだが。
これを利用しない手はない。
「いや、何もねえよ」
この日やっと、俺のストーキン――観察する日々の終わりに目処が付いた。




