第10話 下準備
結局、俺はデートに備えてすぐ寝ようとベッドに潜ったのだが緊張で眠ることができなかった。
生まれて初めてのデートだから眠れないとか遠足を楽しみにしてる幼稚園児かよ。
部屋に掛けられている時計で時刻を確認すると、約束の時間までまだ二時間以上もあった。
レイラと同じ部屋で寝た時もそうだったが、俺ってもしかしてかなり女に弱いんじゃなかろうか。
自分の情けなさに落ち込み、これ以上ベッドの上で横になっていても眠れそうにないと思うと、顔を洗うことにする。
「う~冷てぇ~」
顔を洗ってとりあえず眠気を完全に吹っ飛ばす。
さて、どうしよう。
パソコンもないこの部屋では待ち合わせの時間まで何もやることがない。
ああ、ギャルゲーが恋しい!
ゲームで暇を潰す生き方しかしてこなかった俺は既に退屈のしのぎ方が分からなくなってしまっていた。
「こうなったら……」
ああ、ヒロインを待たせる主人公ほど最悪なものはないからな。
それに二時間前集合だってこの世界じゃ常識かもしれないし!
俺は昨日レイラから借りたお金をポケットに捻じ込み、換気を兼ねて窓を開けた後、待ち合わせ場所へと向かった。
二時間前にも関わらず、何故か少しだけもう来てるんじゃないかと淡い期待を抱きながら学園の入門ゲートの前に行ったが、そこにリネットの姿はない。
いや、まあ、やっぱりこの時間はどう考えても早すぎたな。
俺は門に寄り掛かるように座り、天を仰ぐと、そっと目を閉じる。
緊張が解けてきたのか、今になって睡魔が押し寄せてきた。
デートプランは頭に入れたし。五分だけ……五分だけ仮眠をしよう。
そのまま俺は眠気に身を任せた。
「ん~」
「起きたか。一体お前はいつからここにいたんだ? まさかここで一夜を過ごしていたわけでもないだろ?」
「――――へ?」
いきなり聞こえてくるリネットの声に上手く思考が回らない。
あれ? なんでリネットが俺の部屋に……あっ!
周りを見渡し寮ではないことに気付く。それと同時に今の自分の状況も把握した。
嘘だろ……。まさか、あの後仮眠を取るつもりが熟睡しちまったのか。最悪だ。これだから現実の人間の身体ってのは面倒なんだよ。
この失態は今から挽回するしかない。
「えっと、ああ、おはよう! 俺は今(起)きたところだよ」
「ジー――――」
リネットが問い詰めるように睨んでくる。
流石にこの状況で誤魔化せそうにはなかった。
「約束の一時間前には寮を出たよ」
流石に二時間とは言い難く嘘を吐いてしまう。
だが、リネットは視線による圧力を解き、口元に軽い笑みを浮かばせた。
「そうか。それは待たせてしまって悪かったな」
「まあ、早く来すぎた俺の責任だし、こういうのは待つのが楽しいんだよ。だから気にしないでくれ」
「そうか。それで今日はどこに行くんだ?」
いきなり予定が狂ってしまったが、ここからは気を取り直して当初の予定通りデートといこうじゃないか。
「そうだな。じゃあ、先ずは俺の部屋に来てくれ」
「ああ、わか――――はっ?」
その反応、覚えがあるぜ。俺も初めてレイラと会って部屋に呼ばれた時、そんな感じだったからな。
「スルガ。お前は確か男子寮じゃなかったか?」
「ああ、そうだが」
「なら駄目だ。騎士団のリーダーが自ら秩序を乱していては皆に示しがつかない」
「ああーまだ腹の調子悪いな~」
わざとらしく昨日傷を負ったお腹を擦る。
「くっ……」
「ほら、見つかったら生徒会の仕事で寮内の点検とか言えばいいだろ? だから頼む!」
俺が自分からこんな強引に異性を部屋に呼ぶとか、普通なら先ずないことだろう。だが、今回だけは来てもらわなければ困る。
この鈍感な騎士様に先ずこの状況を理解してもらわないと話にならないからな。
目を背けたくなる気持ちを我慢して、俺はリネットと向き合う。
「ジー…………」
「はあ、もう分かったから、そんなにこっちを見るな」
「よし! じゃあ行こう!」
俺は内心でガッツポーズを決め、早速自分の部屋へと案内する。
男子寮に入ってからのリネットの行動は何というか怪しい不審者といった感じだ。
周りを必要以上にキョロキョロと見て、人が居ないことに一息ついたかと思うと、今度は他の寮生の部屋の奥から聞こえてくる微かな音にも怯える始末である。
おかげでこっちも攻略の為とはいえ、誘ってしまった事に少し罪悪感を感じ始めていた。まあ、それよりも普段ではなかなか見ることのできないリネットの反応が新鮮で面白がる割合の方が圧倒的に高いのだが。
リネットの真面目な性格が裏目に出てしまい、部屋の前に着いた時には、すっかり疲弊しきった様子だった。
「お疲れさん。さあ、入ってくれ」
「……ああ」
リネットはホッとした顔で俺の指示に従い部屋に入る。
男の部屋に入るというのにこの落ち着きようを見て、ため息を吐きたい気持ちになるが、ここはグッと抑えた。
女の子を部屋に呼ぶなんて初めての経験だが、見られちゃいけないフィギュアやタペストリーどころかベッド以外に何もない殺風景な部屋だ。その為、女の子を先行させても問題ないのは正直助かった。
よーし、今日のデートの第一段階はこれからだ。
俺もリネットの後に続いて部屋に入る。
「――ウィンド」
リネットが背を向けている間に、開いてる窓から隙間風が入るのを意識して、気付かれないよう小声で呪文を唱えた。
バサッ――。
俺が起こした悪戯な風がリネットのスカートを捲り上げるように吹いた。
「――――ッ!」
普段の巡回で培われた持ち前の反射神経でリネットはすぐにスカートを抑える。
水色……。
ギロリという擬音語が似合いそうな勢いでリネットがこっちに振り向く。その眼は言葉で語らずともなんて言ってるのか充分に理解させられるものだった。
俺はあまりの怖さに目を合わせられなくなり、首だけ横に振って否定の意思を示した。
見られてないと分かったリネットは胸に手を当て安堵する。
「空気の入れ替えも大切だが、外出する時くらい窓を閉めたらどうだ」
「そうだな。今度から気を付けるよ。今ちょっと肌寒いし窓閉めてもらっていいか?」
「ああ」
そう言って、リネットが後ろにある窓を閉めに行くと、俺もあまり音を立てないようにしてリネットの背後を歩く。
そして窓の鍵をリネットが閉めてこっちを向いた時。
ドンッ。
リネットの顔の真横を通るように俺は右手を突き出した。
身動きのとれないリネットが横に顔を背ける。
俺がわざわざ何もない自分の部屋なんかにリネットを連れてきたのは先ずは俺を一人の男として意識してもらう為だ。
かなり無理のあるやり方だが、今日一日を有意義なものにするためにはこのプロセスが必要不可欠。これがあるとないとでは、この後に生じる心の変化も全然変わってくるからな。
これ思った以上に顔が近い――ん?
よく見ると、リネットのポニーテールの髪を纏めているヘアゴムが痛んで切れそうになっていた。
「ちょ、これはなんの真似だ!」
「あっ、すまん! これは俺の故郷で頼みごとをする時によく使われてたんだが、つい……」
俺はすぐに手を退けた。
これは苦しいか。
リネットの顔は赤くなっているのだが、これが男として意識したからなのか、それともただ怒っているだけなのか判断が難しいところだった。
今の俺には前者であることを祈ることくらいしかできない。
「そう言えば、お前はここに来たばかりだったな。故郷って何処なんだ?」
声色から察するに納得はしてくれたっぽいぞ?
「ここからはかなり遠いが日本ってとこだ」
「日本……聞いたことのない土地だな」
そりゃ、そうだろうよ。魔法なんてものとは無縁のギャルゲーくらいしかない異世界の話だからな。
「それで先程言っていた頼みごとってのは何だ?」
「ああ、その為に部屋に来てもらったんだ。見てくれ」
俺はベッド以外に何もないこの部屋を手で見渡すように促した。
「見ての通り全然家具とかないだろ? だから、今日買うわけじゃないけどリネットに良さそうな物をいくつか選んでほしいんだ。俺そういうの選ぶセンスが絶望的だからさ」
ここで頬を掻きながら、恥ずかしがりつつ、ニッコリ笑顔も忘れてはいけない。
一つ一つのこういう細かな積み重ねが攻略への最短ルートだ。
「そうだったか。最初は嫌がらせで男子寮に連れて行き、嫌がる私の反応を見て楽しんでいるんじゃないかと思っていたが、そんなことはなかったんだな。疑ってすまない」
「…………ああ、そんな悪趣味じゃないさ」
「なあ。今、少し間がなかったか?」
「気のせいだ」
最初は純粋に意識させる為に部屋に呼んだのだが、ここに来る最中のリネットの反応が予想外に面白かったせいで途中から楽しんでしまっていたのは事実だ。そのせいで返答に少し間が空いてしまった。
「とりあえず時間が勿体ないし、さっそく見に行こうぜ! 道案内は任せていいか?」
都合の悪い話は変えるに限る。
「それはいいんだが、本当にわざわざここまで来る必要はあったのか?」
まあ、ぶっちゃけないのだが。
「あるさ。直接部屋の中に入ってみないとどういう色が部屋に合うとか分かんないだろ」
「女子寮も男子寮と建物は同じなんだから私がここまで足を運ばなくても良かったんじゃないか?」
「あっ……」
「あ!?」
このタイミングでそんなことを言ってきた。もっともではあるが、ここまで来た後にそんなイフの話をされても困る。ここに来ないのも困る。
「そ、そんな瑣末な話は後にしよう! それより早く家具見に行こうぜ! 良いのが逃げちまう」
デートに向けての下準備はとりあえず終わったが、言うまでもなくやはり寮を出るときもリネットは苦戦を強いられた。
色々手間取ってしまったが、デートの本番はまだまだここから。




