第1話 リライフ
『ありがとう。貴女のペットになれて本当に良かった。これからも私の事ずっと見ていてね』
「それは無理だ。悪いが一人の女にずっと構っていられるほど暇じゃない。これで四百人目。次の彼女を探すとしますか」
一人の女に固執するなど愚の骨頂。
目の前に置いてあるPCのディスプレイに映る向こう側の景色。海をバックに一人の少女がこっちに笑顔を向けていた。
カーテンで閉め切った暗い部屋の中でPCの画面から発せられる光だけが唯一の光源である。
俺は四百人目の彼女を落とした後、時刻を確認した。
――4月14日(木)14時35分。
こんな平日にどうして昼間から三十路を超えたオッサンが優雅にギャルゲーをしているのか。理由はとてもシンプルである。
親の脛美味しい!
とは言え齧りっぱなしというわけじゃない。
ちゃんとギャルゲーだけはコンビニでアルバイトをして稼いだ金で買っている。
そこだけは親に買ってもらうわけにはいかない。
だってギャルゲーを買うってことは女の子のデート代を持つって事だろ?
そこを親に出してもらうのはかっこ悪すぎだ。ギャルゲーにも失礼だしな。
「今日のバイトは……」
足元に置いてあるリュックからスケジュール帳を取り出し念のため今日のバイトの時間を確認する。
そのスケジュール帳には12時から17時までと書かれていた。
「あっ……」
どうやら二時間以上遅刻していたらしい。
ってことは……。
「やべぇ……」
携帯を確認すると、着信が三件もあった。
ゲームをやっている最中はマナーモードがデフォだ。誰にも邪魔されたくないからな。
ここまで来ると休む理由から考えたくなってしまうのが人間というもの。だがそれも一瞬のこと。すぐに休むなんて思考は吹き飛んだ。
ギャルゲーを買う! そのためならどんなに辛いことでも耐えられるから。
自宅からバイト先のコンビニまで掛かる所要時間は約5分。
鏡の前で髪と戦うこと10秒。いつも通り水で少し濡らし押さえるだけで終わらせ家をすぐに出た。
当然のことだが店長に怒られる。やる気がないなら辞めろとまで言われ土下座して謝ったが、通用しなかった。その結果、今日は駿河大輝最後のシフトということになる。
床に擦り付けた額が熱い。さっきトイレの鏡でチェックした時、額は真っ赤になっていた。
「はぁ……」
思わず大きな溜息がでてしまった。これからのデート代をどうするか真剣な悩みどころである。
車の免許もなく、三十路を超えていることもあり、近辺でそう簡単に雇ってもらえそうな仕事を見つけるのもままならないからだ。
「いらっしゃいませ~」
客が入って来てすぐに笑顔で対応したのは同じバイトの倉科琴音さんだ。
「…………」
倉科さんが先に反応したため、俺は無言でレジの小銭を確認するフリだけした。その数10分に2回。別に今日は客が多いとかそんなことはない。寧ろ暇である。
もし彼女が男だったなら俺だってちゃんと客に挨拶をしていた。別に倉科さんが悪いわけじゃない。
倉科さんというよりは異性の後ろから声を上げることに抵抗があった。
彼女とは1年以上一緒にここでバイトをしているがまともに会話したこと等ほとんどない。先輩として最初の頃にちょっとレクチャーしてあげたくらいだ。
話すことは最小限。極力目すら合わせないようにしている。別に現実の女の子に興味がないわけじゃない。てか興味だけなら人一倍あるつもりだ。
ただ、自分から女子に話しかけて不快な想いをさせたくないだけ。だから迷惑を掛けないようにひっそり生きていく。
気まずいな……。今日が最後だから今までありがとう――とか言えるわけもない。
うん、このまま静かに消えるのが一番だな。
「大輝さん。そちらのレジ点終わりました?」
「終わりましたよ」
「じゃあこっちも点検しちゃい――あ、いらっしゃいませー」
そそくさと職人と思われる作業着を着た俺と同じくらいの歳の男性が倉科さんの方のレジに買い物籠を置いた。
籠の中にはビールやつまみがたくさん入っている。
うっ……。
正直気は進まないが、見て見ぬ振りも流石に辛いタイミング。
はぁ、どうせ最後だしな……。ヘルプに入るか。
少し頭を下げ、黙って横に並ぶ。並ぶと言ってもギリギリ不自然さを感じさせない程度に間は空いているが。
倉科さんがバーコードを読み込ませ、それを俺が袋に詰めた。
「ありがとうございま~す」
倉科さんは律儀に頭を下げ、今の男性を見送り終えるとこっちに振り向く。
「ありがとうございました! じゃあこっちもレジ点しちゃいますね~」
「お願いします」
それ以降は特に会話もなく、店長以外誰も知らないまま俺の最後のバイトは終わった。
そのまま寄り道せずに家に帰ると、すぐにPCを開く。
銀行にあとどれくらい入ってたかな……。
不安からくる頭痛を気力で抑えこみ、とりあえずネットでおすすめのギャルゲーを調べる。
やっぱりギャルゲーは最高だ。気を遣わず少女たちと触れ合うことが出来る。それに比べてリアルで異性と話すのは疲れる。
学生の頃からずっと貫いてきた。女性を不快にさせないように必要最低限の会話だけで終わらせ相手にほとんど干渉しないでひっそりと生きるこのスタイル。
俺はこれからもずっとこうやって生きていくんだろうな。ああーハゲねえかな……。
少し心配になり頭の上に手を置いてみる。
手にはそれなりの感触が伝わり、胸を撫で下ろした。
「んー、この辺は一通りクリアしたからっと……ん? さっきまでこんなのあったか?」
戻って再び検索結果一覧を見ると一番上に『リライフゲーム』と書かれた聞いたことのないゲーム名が表示されていた。
とりあえずカーソルを合わせてクリックしてみる。
最初に目に入った文はなんとも言い難い胡散臭さを感じるものだった。
人生をやり直したい人にお勧めのゲームとだけ書かれている。
「おっ、イラスト良いな。これ無料配信かよ。ちょっとやってみるか」
迷わずダウンロードを押してみる。
すぐにピコーンという高い音が流れダウンロード完了の合図を告げた。
「早っ! てかこれ容量書いてねえし」
まあいいや。取りあえず文句はやってみてからだな。
ダウンロードしたゲームのファイルを実行する。すると妙な文章が出てきた。
文章の内容はたった一言。
『この世界に未練はありませんか?』
画面に表示された『はい』か『いいえ』かの二択。
なんだ、これ? もしかしてもうここからゲームは始まってるのか? いや流石にそんなわけないよな。
「未練か……」
俺に未練なんて……あっ、ギャルゲーはまだやっていたいかな。
いや、また人生やり直せるんなら次は現実の女の子ともっとうまく立ち回って付き合ってみたい気もする。
どうせ、職を失ったんだ……。これ以上失うものなんて何もない。
気付けば躊躇することなくカーソルを『はい』に合わせてクリックしていた。
「ん?」
思わず画面に顔を近づけた。
急に見たこともないおかしな模様がディスプレイに映し出される。
あれ……? なんだ、これ……?
迫りくる眠気に抗おうとするが抗いきれない。
視線を画面から逸らすこともいつの間にか出来なくなっていた。
どんどん瞼が重くなっていく。
これ、やばくないか?
PCの電源を落とそうと手を伸ばした時にはもう身体は言う事を聞いてくれない状態だった。
「まだやりたいゲーム……あったんだけど……な……」
眠気に対抗する手段も他になく、そのまま眠りに落ちる。最後に『はい』を押してしまったことに不思議と後悔は感じなかった。
「ん、んん~」
何だこれ。クセになりそうなくらい触り心地もよく、ふにふにしていて気持ちいい。
「ひゃあ!」
っ!?
聞こえてきた女の子と思われる声に反応し、目を開ける。
「……え?」
最初に目に入ったのは赤い髪の少女だった。
てか、これ……ひ、膝枕じゃねーか!
自分の状況に気付いて跳ね起きる。
周りを見渡すと全然見知らぬ草原が広がっていた。
ここどこだよ……。てかこの少女誰だ?
「あっ、ごめん! 変なとこ触るからつい……」
「…………」
「なにボーっとしてんのよ」
目の前の知らない少女がこっちを見てくる。
ん? 変な所って位置的に言って俺もしかして今この赤髪の子の太もも触ってたのか……。
自分が今やっていたことを考えるとそれが例え無意識であっても背筋が凍るような感覚に襲われた。
学生の頃ですらそんなラッキーイベントは皆無だった。それが30代フリーターの今になって起きるとは……ってもうただの無職だったな。そんなことより、とりあえず今は……。
「すまん! 警察は勘弁してくれ!」
全力で謝る。これが今の俺にできる唯一の事だ。
「ケイサツ? よく分からないけどそんなに謝らなくていいわ。地面が固そうだったからこうしただけなの。そんなことより、どうしてここで寝ていたの?」
あれ? どうして俺ここにいるんだっけな……。
頑張って記憶を辿ろうとすると、PCの画面に出てきた変な模様を思い出した。
あれってなんだったんだ……?
「ああ、それは……」
こうなった状況をどう説明したらいいのか迷っていると、目の前の少女が急に声を上げた。
「あっ、ごめん。そういえば自己紹介もせずに失礼だったわね。わたしの名前はレイラ・ローウェルよ。貴方は?」
「駿河大輝だ」
「変わった名前ね。じゃあダイキって呼んでいい?」
レイラと名乗った赤い髪の少女がグッとこっちに身を寄せてきた。
その反動で目を合わせないように下を向いていたのだがその目が合ってしまう。
その時、初めて少女の髪型がツインテールだったことに気付く。
いきなり名前呼び!? 目を覚まして数分と経っていないというのに今までで最高のイベント量だぞ。一体どうなってんだよ。
「ああ。呼び方は好きにしてくれ」
額に浮かび上がる汗を拭こうとした時、冷たい何かが額に当たる。
腕を確認して見るとそこには見覚えのない銀色のバンクルが嵌められていた。