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濡れ狐と狸  作者: 畑々 端子
7/7

追伸 秘めたる想ひに



 水平線が輝いて見えるのは、きっとその向こうに黒髪の乙女が隠れているからである。 沢山の日が懐かしいのもやはりその中に黒髪の乙女がいるからなのである。


 勝は、桜が旅だってからしばらくは感傷の情に堪えないと足下を見る日々が続いていたが、桜の言った通り、〝さよなら〟の痛みは幾分ましであった。きっとどうしようもないと諦めがついたからだろう。


 今では希望を持ち、国道沿いから水平線を見を眺めながら登下校するのが慣習となっている。


 もちろん、あの日。学校に帰ってから一騒動も二騒動もあり、初めて校長室へも呼ばれて景と二人して放課後まで延々と説教をされた。とりあえずは勝が全ての根源であると白状したお陰で景の部活動禁止は回避され、二人してもらった拳骨とて後、数ヶ月も経てば良い思い出となろう。


 その証拠に景は泣くどころか、たんこぶをさすりながら「お揃いだね」と悪戯に微笑んでいた。


 賑わいに欠ける家の中とて景が以前にもまして顔を出すようになり、随分と賑やかになった。勝にとっても咲恵にとっても笑顔を携えてやってくる景はどこか寂しさを払拭する妙薬なのかもしれない。


 幼なじみとは良いものだ。


 


     ○





 桜が転校してから半月ほど経ったある日、いつも通り夕暮れを前に勝が家に帰って来ると、咲恵が満面の笑みを浮かべて板間に立って「おかえりさない」と言った。顔舐めのごとく笑顔と後ろ手に回した手が怪しい。


 勝はよもや、時限爆弾よろしく納戸に隠した通知簿が発見されてしまったのではと多少身構えて「ただいま」と言ったのだが……


「勝君。桜ちゃんから御手紙が来たわよ」 


 と咲恵が嬉しそうに後ろ手にやっていた手を前に持って来た。なるほど、茶封筒がつままれてあるではないか。


「ほんとか!」


 勝は靴も脱ぐのを忘れ、板間に駆け上がり、母の手から封筒を取ると急いで封を切ろうとしたが、「勝君たら、おっちょこちょいね。まず靴を脱ぎなさい」と咲恵に制され、犬が後ろ足で砂を掻くように乱暴に靴を土間に脱ぎ捨てた。


 結局、封筒はちゃぶ台の上で封切られることとなった。


 表面には『筒串 咲恵 様』『勝 様』と宛名が端正な文字で書かれており、裏面には『石切坂 桜』と書かれてあった。勝は封筒を手に取ると愛らしく撫で、頬ずりをしてなおその感慨の余韻に浸ろうとしていた。


「早くしなさいな」


 しかし、咲恵に邪魔され、興奮冷めやらぬ間に仕方なく封を切る。慎重に慎重を重ね、がさつな勝もわざわざハサミを用いて封を切った。


 封筒の中には『勝ちゃんへ』『おばさまへ』『景ちゃんへ』とさらに小分けにされた封筒が封入されてあり、勝が三枚の封筒を取り出すと、それに引っ掛かって出て来た二枚の写真がちゃぶ台の上を滑るようにして着地した。その写真は言わずもがな、三人一緒に折笠写真館で撮影した写真であり、目を閉じていたり、間抜けに口を開けていたり、息をついていたりと三者三様にとても愉快な様が写真の中に収められてあった。


 当然と母が笑うだろうと思いきや、母は桜からの手紙に視線を落としているではないか。


 勝も遅れをとったと、逸る気持ちを押し殺しつつゆっくりと『勝ちゃんへ』と書かれた封筒の口を破った。






「前略


 

 勝ちゃんはお元気ですか。私は元気に毎日を過ごしています。


 お別れしてからまだ一ヶ月も経っていないのに、もう一年くらいが経ったように思えてとても摩訶不思議です。


 私は今、長崎にいます。もちろん学校にも通っていますが、多分友達はつくらないと思います。こちらの学校へ来てまだ間もないですがきっと勝ちゃんや景ちゃんのような友達はできないだろうなと改めて思いました。


 また夏の終わりには転校することになると思うので、それはもう諦めています。


 そうだ、長崎にはとても美味しいものが沢山あるんだよ。中華料理のお店がいっぱい建ち並んでいて、そこを通るといつも香ばしい香りでお腹が空きます。勝ちゃんだったら、匂いだけでお代わりできるかもしれません。


 カステラと言う綿のようにふわふわで砂糖よりも甘くてとっても美味しいお菓子もあります。私のお小遣いでは買えないので、贈ることができないのがとても残念です。匂いだけでもとお父さんに相談すると、桜は面白いことを言うね。と笑われてしまいました。長崎からだと、この手紙が勝ちゃんの手元に届くまで一週間ほどかかるそうで、その間に匂いは消えてしまうんだそうです。


 公演の差し入れとしてよくカステラをもらうので、頬張るたびに勝ちゃんに食べさせてあげたいなと思ってなりません。


 本当に美味しいんです。


 写真ありがとう。本当はもう諦めてたの。まさか勝ちゃんが海に飛び込んでまで渡してくれるとは思いもよりませんでした。だから、封筒は今も大切にとってあります。なんの変哲もない封筒だけど、この封筒を見る度に嬉しくて涙が出て止まりません。本当にありがとう。もっともっと勝ちゃんに感謝の気持ちを伝えたいのだけれど、手紙だとうまく書き表せません。これも残念です。いつの日か、勝ちゃんの家に帰った時に、ちゃんと感謝の気持ちを伝えたいと思います。


 そうそう、てっきり写真は私の分だけが入ってるのかと思っていました。でも、封を開けて吃驚、全部入ってるのですもの。丁度、封筒に勝ちゃんの家の住所が書いてあったので、御手紙と同封することにしました。


 まだまだ、書きたいことはたくさんあるのですが、また御手紙にしたためて送ることにします。


                          





 追伸


  景ちゃんへの御手紙読んじゃだめだからね。


  それから、口では恥ずかしくて言えないので、御手紙に書きます。私のことを忘れてほしくないので、もう一枚写真を同封しました。


 本当に恥ずかしいから、おばさまや景ちゃんには絶対に見せないでね。誰にも見られないように隠れてその写真の裏を見て下さい。


                           


                        石切坂 桜  より」







  勝は手紙を読み上げると、横目に母を気にしてから封筒の中を覗いて指を突っ込んだ。手紙に書いてある通り、勝に宛てられた封筒には三人で撮った写真の他にもう一枚写真が封入されてあったのである。


 今一度、咲恵を気にしてみる勝。咲恵は感慨に触れて、目を閉じ深い息を吐きながら手紙を優しく胸に押し当てて、文面を噛み締めている様子であった。


 それでも、勝は念には念をと少しばかり、母に背を向けその写真を出して見たのだった。


「桜だ……」


 思わず溜息のように声が出てしまった。


 その写真の中の桜は、ブラウスにスカート、リボンで髪の毛をまとめ、白黒ながら濃淡で光沢が見てとれるエナメルのハンドバッグを膝の前で両手で持って佇んでいる。微かにはにかんだ表情と気持ち程度すぼめた口元がたまらなく愛らしいではないか。


 三人で撮り終えた後に、桜と景、各々がモデルとなって撮った一枚に相異なかろう。あの時、勝は恥ずかしい文言を言わされた挙げ句にカメラに隠れて乙女の姿を拝むことができなかなったのだ。色の付いた桜を見たかったと激しい衝動にかられたものの、写真の中の桜とて十二分に愛らしいのである。


 勝は桜を初めて見たとき同様に、鼓動を高鳴らせ、一様に心中を高揚とさせるのであった。


 と言うことは、景に宛てられた封筒の中に景のモデル写真が入っているのかと、少し楽しみになったところで、


「なぁになぁに、にやにやしちゃってぇ」


 と忘れた頃になんとやら、咲恵が蛇のように腕を勝に絡ませた。勝は慌てて写真を懐に入れると「これだよ」とちゃぶ台の上に広がった写真を指さした。


「あらあら、なあにこれぇ」


 咲恵は三人の写った写真を見るなり、くくくっと手を口もとへやって笑いを堪えていた。


笑うと思った、と勝が言い、


「俺たちだって不意打ちだったんだぜ」


 と鼻を鳴らしてみせた。


しかし、意外なことに咲恵は暫し笑いを堪えた後、急に笑い顔とは別に口もとを


徐に綻ばせて、


「面白い写真だけれど、でも、どこか温もりがあって良いお写真ね。三人とも今にも動き出しそうだもの」


 写真の中の三人を指でなぞりながら慈しんでそう言うのであった。


「この写真は飾っておきましょうね」


「おう」


「たいへんだわ。可愛らしい写真立てを新調しないといけないわ」


わざと驚いてみせた咲恵はやはり嬉しそうであった。


 そうそう、と気が付いたように咲恵が言い、


「勝ちゃんの御手紙見せて」


 と母は核心の笑みで手の平を出したのである。「母さんの見せてくれたらな」と即座に言い返す勝。


 なにせこの手紙には桜と勝との秘密が記されているのである、したがって母であろうが景であろうが何人にも見せることはできないのである。


「勝君はケチねぇ。じゃあお母さん。勝君が懐に隠している写真を見せてくれるだけでいいわ」


 そうきたかと、悪戯な笑みを浮かべる母と距離をとる。咲恵はすでに臨戦態勢と指先を波打たせ、勝に飛び掛かるまで秒読み段階である。


 彼方、手紙、もとい写真を死守するため、じりじりと後退する勝。此方、その勝を手中にと距離を詰める咲恵。


 二人の緊張が最高潮に至った瞬間。柱時計が定時を知らせるベルを鳴らした、その刹那、咲恵が大きな一歩を踏み出し、勝は時を同じくして、振り返らず土間に飛び降りると裸足のまま外へ駆けたのである。


 だてに幾度も顔舐めの被害に遭遇してきたわけではない。家の中を逃げ回ったとて、いつかはその舌に捕まってしまうのは必至。短絡的にも直感的にも一番安全かつ確実なのは外に逃げることなのである。


「外に逃げるなんてずるいわねぇ。まあいいわ。夕餉の後にでも捕まえましょう」


 手を腰にやって一度は「もう」と不満を露わにした咲恵であったが、その面持ちは至極明るかった。


「さぁて、御夕飯の準備しなくちゃ」


 とお気に入りの鼻歌を奏でながら台所へ歩いてゆくのであった。




      ○




 母の思惑を知らず、束の間の安息を奪い取った勝は、選果場の前まで走り、足場に気をつかいながら、浜辺へと降り立った。


 ここまでくれば母とて追いかけて来るまい。勝は桜との思い出が強く残る浜辺で懐の写真を取り出すと、手紙に書かれてあった通り、誰にも見られる心配のない場所にて、裏向けることにした。


 唾をしこたま喉に流し込み、緊張の面持ちで目を閉じゆっくりと裏向ける。


 瞼の裏で不意に桜の笑顔が映った。勝は驚いて意を決さないままに目を開けてしまったのである。


 勝はその言葉を瞳に焼き付けるや、たちまち逆上せ上がるように全身に熱を宿し、鼓動はまして激しく脈打った。意味不明ながら、今なら何でも出来る。海の上を走ってやろうと根拠のない確信を得るくらい、舞い上がったのである。もう少しで海に駆け込むところであった。一つまみほど残っていた理性が『写真と手紙が濡れてしまうぞ』と警鐘をならしたがために波打ち際で思いとどまることができた。


 勝は大海原から続く水平線を見据え、そして、小さく息をつくと写真の中で微笑む桜を今一度見た。


 愛らしい微笑みを浮かべる黒髪の乙女。勝は胸一杯に息を吸い込み、写真を裏返して、





「俺もだああぁぁっ!」





 遠地へ旅だった意中の乙女の耳に届くよう、息が続くかぎり声の続くかぎり叫んだのであった。








                       濡れ狐と狸  おわり



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