表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
掌編集1 奇想カタログ  作者: 石屋 秀晴
3/21

U楽町線・逆森駅

 その駅に降り立った直後、水の音を聞いた。

 ばしゃん。

 大きな音だった。

 振り返ると、閉まったばかりのドアがあった。

 動きはじめようとしている、地下鉄の車両があった。

 ややあって、ああこれかと、僕は合点がいった。

 さっきまで乗っていた車両の中が、いつの間にか大量の水で溢れているのだ。

 透明だが少しブルーがかったその水は、ちょうどつり革の下あたりまでを占めて、鷹揚に揺れている。

 まるで走る水槽だ。僕は感嘆した。


 大儀そうに、電車が動きだす。

 その中をすかし見てみると、まばらな数の乗客たちは、僕がさっき見ていた通りに座ったままだ。

 ある者は本を読み、ある者は眠り、そして多くは携帯の画面に見入っている。その髪や服の裾がゆらゆらと水中に浮き上がり漂うままに任せて、何食わぬ顔で揺られてゆく。

 僕は彼らを見送りながら、この駅で降りておいて正解だったと声に出さずに呟いた。


 手近なところに駅員が見えたので、つい好奇心から、これはどういうことなのかと尋ねてみた。

「『とのきり』は、川の底ですから」

 駅員は、さも当たり前のことのように答える。やけに青い顔をした若い男で、僕はさっき見た水のことを連想した。

「『とのきり』というのは、次の駅のこと?」

 重ねて訊くと、駅員は覇気のない声で「そうですが」と答える。

 しかし、妙だ。『とのきり』などという地名は聞いたことがない。

「どんなところ?」

 僕がさらに訊くと、

「川の底です」

 つまらなそうに駅員はそう言い、そのまますたすたと離れていってしまった。

 埒もない話だが、残された僕はなんだか妙な気恥ずかしさを感じた。


 とりあえず、『とのきり』の綴りを知るために、手近な路線図を確認してみる。

『殿切』と書くらしい。

 やはり聞いたことがない。

 他の駅もそうだ。

矢悪やのあく』、『針道はりみち』、『処刑場前』…

 どれも、覚えのない名前ばかりだ。

 一つ前の駅は『瘡蓋寺そうがいじ』で、この駅は『逆森さかもり』というらしいが、これにもピンと来るものがない。


 ……まあいい。

 僕は自分の記憶に早々に見切りを付けて、とにかく外へと出てみることにした。

 ここがどこで何のために来たのかも分からないが、ずっと駅の中にいてもしょうがない。

 改札を抜け、階段で地上へ出た。

 そして天を見上げ、僕はなるほどと呟き少し笑った。

 そこに見えたのは空ではなく、頭上数十メートルの高さに広がる、逆さまの深い木立だったからだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ