クラウドの家族 (4)
ミューリはジジーンと大きな音で鼻をかむと、静かに言った。
「ジョシュ。あなたの目はだれよりもきれいで優しかったの。だから、あたしパブで歌姫をやっていた頃には、荒くれ男の中にあなたの目を見つけて、それが光ってあたしのこと見つめていてくれていると、うまく歌おうって思って…。どんどん流れるように声が出たわ。けんかばかりしているような男の中で、あなたみたいな優しい人はいなかったから、それであたしはあなたとならきっとうまくやって行けると思って結婚を決めてしまったんだわ」
ミューリの目からはまた新しい涙がポロポロとこぼれていた。
「パブのサルクネリさんが言ったの。あんなヒョロヒョロの男と一緒になったって、どうしよもないぞって。目がきれいなんて、クソの役にも立ちゃしねえ。そんなものは食えねえからなって…。あの言葉は本当だったんだわ。あの時、あたしにはそれがわからなかった」
「そ、そんなこと言ったって」
「いいの。今わかったんだから、遅くはないわ」
「シャシュとチャヌはどうするんだい?」
「保育学校にあずけるわ。もちろん」
「いいよ。子どもはここにいても。ぼくが育てる」
「何言ってるの? あなたになんかあずけられないわ。いったいあなたが何をしてくれるの? 皿洗いだけ? スープもうまく作れないって言うし…。じゃあおいしいスープを作るようになってくれればいいのに、それはできないみたいだし…」
「ミューリ、よく考えよう。君は疲れているから、頭がどうかしちゃったんだよ」
「あたしは、ずっとずっと考えてきたのよ! あたしはママの所に帰る。あそこからだったら、ジャッカライの工場にも働きに行けるし、スーメルクに住み込みで行こうと思えば行ったていいし…。あたしが次に考えるのはそこのところよ。どこで働くかってこと」
「えええ? そんな…。ぼくはどうしたらいいの?」
「知らない!」
ミューリがこんなに怒ったり泣いたりしたところは、今まで見たこともなかった。だからジョシュはうろたえた。
「ミューリはボストンバッグに荷物をぎゅうぎゅうに詰めて、それを子供部屋に持っていくと、
「もう、あたしのことは忘れて!」
と言って、子ども部屋のとびらをバタンと締めてしまった。
でも、今までだってどうにかやって来たんだから、これからだってどうにかなるんじゃないか、とジョシュは思っていた。ミューリは疲れ果てすぎて、とにかく頭がおかしくなっているんだから。今日一日ゆっくり眠れば、朝にはきっと元のミューリに戻るに違いない。
次の日の朝、ジョシュが目覚めてみると、家の中はがらんどうだった。誰もどこにもいない。ジョシュはびっくりして、外を見た。外は吹雪だった。
いったい、ミューリはどうやって音も立てずに、あんな大きい荷物を持って、この大嵐のような吹雪の中を、子ども二人を連れて出て行ったのだろう。
ジョシュがキッチンに行くと、なんと、キャベツスープもないばかりか、鍋もない。昨日あった黒パンもない。
ジョシュの背中がぞぞぞ~っと寒くなった。とろとろ火を続けているはずの暖炉の火も消えていたのだ。
ジョシュはコートを出して来て着ると、さてどうしたものかと考えた。
まず、ミューリの実家に行かなければ。何も食べる物もなく、お腹がペコペコだったけれど、どうにかミューリに戻ってもらわないと。ミューリがなんでもかんでもやってくれていたから、一人じゃあなにもできやしない。
ミューリの実家へは、乗り合いソリを2台乗り換えて、東南の方に20キロほど行かなければならない。外の寒さは、お腹が空いていると、もう耐えきれないほど、痛いほどだった。風が強く、小さい氷のつぶがボロボロと音を立てて身体を叩いた。
やっとミューリの家にたどり着くと、ミューリの家には誰もいなかった。百回くらいドアを叩いて、
「ミューリ! ごめんよ! あけてくれ! 話し合おう!」
と言っていると、手袋の中のジョシュの手はもうカチコチに固くなってきていて、痛いし、泣きたくなって涙が出て来ても、涙が凍ってしまって、顔がひび割れるように痛くなってきていた。声も凍ってしまったのか、しまいに声さえ出なくなってしまった。ジョシュは途方にくれていた。
ミューリの実家トマト家の隣の家から、おばさんが顔をのぞかせた。
「もう! うるさいね! トマトの家のみんなは、ザッカライパン工場に働きに行ってるのよ! そんなこと、毎日のことでしょ! 知らないの?」
「え? じゃあ、シャシュとチャヌは?」
ジョシュはかすれた声を絞り出すように、それだけを言った。
「なに? それ? 知らない!」
隣の家のドアがバタンとしまった。
仕方なく、また乗合いソリを2台乗り継いで、ジョシュはこんどはザッカライパン工場に行ってみた。
工場の周りは、少しホカホカしていた。その工場の中で人がたくさん働いている、その熱気が外にもれ出しているのだ。ジョシュはその熱気で、少し元気が出て来て、工場の入り口に行った。