夢見の家 回想3
小等部からの持ち上がりが多い所為か教室内の視線は谷口への批判に満ちていた。
「へえ……同じ家柄の、何、だって?」
殆ど記憶の片隅にも残らない人間に一番触れられたくない部分に触れられ、威は声を一段と低くした。この時分になって己の発言の拙さに気付いた谷口は助けを求めるように周りに視線をさ迷わせた。
「谷口……だっけ?」
「な……なんだい?」
威は静かに立ち上がり谷口の胸元をぎりりっとつかみ上げると、最上級にどすの篭った声で宣言した。
「今度、俺に気安く話し掛けてみろ、この学校にいられないようにしてやるからな」
その言葉を終えると同時に彼は手を離した。
殆ど腰の抜けた状態の谷口はがたがたがたっと机をなぎ倒しながらへたり込むと、脅えた瞳で威を見上げる。そしてその怒りが真剣だと読み取ると保々《ほうほう》の体で教室から飛び出していった。
そんな谷口の姿を威は何の感情も篭ってない瞳で見送ると、徐に自分の机の中の荷物を鞄の中に詰め込み始めた。
ある程度必要なものだけ詰め込み終わると、彼は自分の隣にある窓枠に手をかけた。
「中川、悪いけど、俺、早退するから」
「え?あっ!おいっ!威っ」
中川が状況と言葉を理解しきる前に、威は窓の外へと身を躍らせると近くにあった木に飛び移った。そのまま上手に枝を手繰り地面へと着地する。階下にある下駄箱へと走りこみ、靴へと履き返ると威は抜け道を使ってエスケープした。
「だぁぁっ!山下にどうやって説明すりゃいいんだぁぁぁっ!」
学級委員長・中川の叫びを教室中の人間が生暖かい哀れみの視線で見守っていた。
「えっ?早退した?」
教室に帰ってきて威の存在が居ないことを訊ねてきた洸野に中川は渋々ながら状況を説明してやる。
「……と、いうわけ。ただでさえナーバスなあいつに止め刺してくれたお馬鹿さんが隣から来やがったんだよ」
中川はむっつりとした表情を隠そうとせずに、その場にいなかった洸野を責めるように視線を向けた。
「なんで、そんな奴が来たのに止めなかったんだ?」
「トイレから戻ったらすでに始まってたんだ、俺の責任か?」
洸野の陶然の問いに中川は更に視線を胡乱にした。
「そいつが逃げ出した後、あっと言う間に鞄もって窓から逃亡しやがったんだ。まさか、それを追いかけろとか言わないよな?」
温厚を売りとしている中川の『どうすりゃよかったんだよっ!』という視線に、洸野もこれ以上彼に文句を言うのをやめる。
とりあえず洸野は自分のすべきことを考え、自分の机まで戻ると威がしたのと同様に必要な物だけを鞄に詰め込んだ。
「とりあえず追いかけるから、後、よろしく!」
その言葉だけ残し威と同じ方法で地上に降りていく洸野の姿に、中川は諦めたように声をかけた。
「お前も、早退で良いんだなっ!」
「さんきゅ。ついでに生徒会長たちが来たら、この状況だけ伝えておいてくれ」
地上に降りた洸野は3階の窓を見上げてお願いすると、足早にその場から去っていった。
教室に取り残された中川は肩を落とすと、重く溜息をついた。
「絶対、やめてやる。来学期になったら学級長なんてやめてやる。こんなんじゃ、胃がもたない」
「すいませんねぇ、中川くん」
怨阻めいた呟きに答える声に、彼は思わず顔をあげた。
そこにはいつの間に着たのか、このクラスの教科担任である威の父親・麻樹良弘が申し訳なさそうに笑いながら佇んでいた。
「あの二人の早退願は私が出しておきますので、中川君は生徒会長たちへの伝言の事お願いしますね」
彼はそう告げると自分の持っていた出欠表に容赦なく欠席の文字を書き込んでいた。
「あ、号令!」
どうやら授業が始まる時間だったようだ。
中川は慌てて自分の机に戻ると手馴れた口調で号令を掛けた。
「それでは授業を始めますが、その前にこのクラスだけの試験の告知です。次の授業で試験を行います。赤点の者は容赦なく居残りで授業を受けてもらいます」
笑顔で告げられた容赦の無い言葉に、クラスからブーイングがあがる。
しかし、良弘はそれを余裕で受け流すと、笑みを深めてこう繋げた。
「範囲は今日、今から教える部分のみ。問題も答えも全部書きますので写し逃しのないようにして下さい」
その言葉に、教室全体が豆鉄砲を喰らったように静まり返り、その後噴出す音が響いた。
「もちろん、勝手に学校を早退する人間には範囲も試験のことも教えてはいけませんよ」
「はいっ」
にやりと笑った良弘にクラス全体が同様ににんまりと笑って返してみせた。
威・逃亡です。洸野も、逃亡です。何気に学級委員長と父親が怒ってます。
3話まで行っているのに物語が序盤から動きません。というか、次の話まで起承転結の『起』の部分になります。
ついでに捕捉。普通は自分の子供の教科担任に父親がつくことはないですけど、この学校は生徒の能力の順でクラスが分けられるように、先生達も試験を受けて上位者から上位学力のクラスの教科担任になるので、こんな変則的な状態になっています。