この場所から Return to Dreamin' House 1
その人は静かに書類を見ていた。
先ほどから廻りの電話が引っ切り無しに鳴っては、誰かが出て視線が投げかけられている。しかしそれに応えるのも億劫なのか、左手の甲を向けながら手を振り自分につなぐことを拒否していた。
「プロフェッサー、大学の会計課からの電話は出てください」
優秀な秘書の悲痛な叫びに、仕方なしに受話器をとると指定された外線を取る。途端に早口の英語でキャンキャンとまくし立てられた。
『あまりそのような態度を取られると、研究費の削減をしますよ』
伝家の宝刀とばかりに突きつけられる電話口の声に、その人は鼻で笑ってみせた。
「研究なら個人的財産でどうにかなる。いざとなれば母国に帰ればスポンサーもいる。それよりも今の発言を理由に僕がこの大学を辞めた時に、自分の立場がどうなるのか考えて発言したほうがいいんじゃないか?」
小さい頃から神童と持て囃され、中学の途中で大学側からの要請に近い形で入学したその人にとって彼女の脅しは功を奏しはしなかった。
電話口からかすかに聞こえる歯軋りは、いつも彼女がこの一言で研究員を黙らせていたことの証明なのかもしれない。
「どちらにしろ、大学の中に僕の研究のデータを改竄し、更にそれを内部告発を装って学会側に連絡しようとした事実は消せはしない。僕は今、この研究室に残している人物以外はすべて疑っているんだ。もちろん、君達会計課の人間も除外されてはいない」
本来なら学者生命を危うくするその研究データは奇妙に思った科学雑誌の編集者から連絡が当事者に行った。どういうことなのかという問いかけに、その人はデータを送信して貰い、それが改竄されていることと、自分の所にある正しいデータと研究の結果を科学雑誌に返送した。
雑誌側は『その人』の研究のすばらしさと結果の信憑性に太鼓判を押し、誰かの陰謀があるのではと指摘してきた。
『私達は研究データを改竄することなど出来ません。そちらの方達のどなたかが行ったのではないのですか』
「そう思うなら、そういう証拠を僕の前に示せ。ただしでっち上げられた真実などでごまかそうとしても僕の目は誤魔化せない。タイムリミットは、2年。その間、僕はこの大学内のどこの研究所でも研究・開発を行わないことをここに宣言する」
そう高慢に言い放つと、その人はがちゃんっと大きな音を立てて電話を切った。すぐさま折り返しで鳴る電話にその人は電話線を抜くことで応えた。
その人はもう一度だけ音の鳴らなくなった電話に一瞥を加えてから、部屋の中の部下達へと視線を移した。
部下達は大方のやり取りを聞いていたのか、苦笑している。ただ、自分達を絶対に信じてくれている上司への信頼がその瞳には溢れていた。
「と、いうわけだから。今から二年、僕はこの研究所から離れる。いいかい?」
「「「決定事項でしょ、それ」」」
秘書と上位のチーフが同時に発した答えに、その人は「そうなるね」と軽く返す。
「日本にどうしても帰りたいと思った時に丁度、やってくれたからね。利用させて貰うさ」
普段のときなら長期で研究室を離れることなど許されない立場だった。自分の母国に帰ることですら眉を顰められることも多く、政府から帰国を阻止されることもしばしばあった。もちろんその場その場である程度の報復はしているし、短い帰国なら振り切って行うことは多かった。
それでも長期の連休を取らなかったのは単にこの国は自分の母国よりも突出した能力に寛容だったからだ。
それに何よりも、自分の大切な者たちが長期連休になる度にこちらへと来てくれていた。だからこそ態々帰ることをせずに留まっていた。
しかし今、自分の帰国を阻止しようとする者がいたら、どんな手を使ってでも排除する気構えはある。それだけの『理由』をその人は持っていた。
舞台はアメリカ、季節は初冬、主人公は理・威・洸野の幼馴染・月路恵吏と思い切り違う話の挿入です。
主人公が違いますが丁度この間に入る話なので多めに見てください。