夢見の家 回想9
(何を、やってるんだろ)
良弘は実の第一秘書をしている村野忠明となにやら深刻そうに話をしていた。と、いってもその顔には何やら温かい表情も見て取れる。
「おや、早いじゃないか。馬鹿息子」
階段を下りてくる気配を読んだのか、実は階段の途中に居る威を見上げてにぃっと笑って見せた。別に学生が帰ってくるのに早すぎる時間じゃない。きっと勝手に早退したことを、良弘に聞いたのだろう。だがそのことを責めるような言葉を彼女は発しなかった。
「早いのは母さんの方だろ。何かあったの?」
そんな母親の愛情を再認識しながら、威はぎこちなく微笑みを作りながら問い掛けた。
「……『何かあった?』はこっちの台詞だ。目が赤くなってる。また泣いてたのか?」
階段のすぐ下で待ち構えていた母親に痛いところを衝かれ、威はなんとか笑って誤魔化そうとした。
「今日は理の部屋で泣いていたそうですね。先程、美智子さんから報告を受けましたよ」
いつのまにか実の横にまで移動していた良弘にまで見上げられれば、威には逃げ場など無かった。
彼は大きく息を吐くと
「一度、気持ちの整理をしてたんだ」
と適当な返答をしながら階段の一番下まで降りた。
ここまで来たら、威よりも20センチは身長が高い良弘には顔を覗き込まれないだろうと踏んでのことだったが、彼は腰をかがめるとその大きな手で威の顔に残る涙のあとを拭ってみせた。
「気持ちの整理はきちんとついたのですか?」
良弘の言葉に威は少しだけ視線を落とした。確かに自分のすべきことの再確認はできたが、整理というまでには達していないように思える。
「焦りと短絡的な結論は禁物ですよ。余計に遠回りをしたり、すべきことができなくなったりしますから」
視線の動きだけで威の心を読んだのか、良弘はそれだけ言うと視線を息子の顔から外した。
「それよりも、今日はお前に話しておきたいことがあるんだ」
良弘が威から離れるのを見計って、実は改まって息子に話し掛けた。
威は突然の切り返しに、事情がつかめず、少し呆けながら両親を見つめた。
「あのな、大学病院の産婦人科で診察を受けてきた………」
母親からの突然の台詞に威は少し考えた挙句、ぽんっと手を叩いてみせた。
「更年期しょ………」
「まだそんな年齢じゃないっ!」
げいんっ!
息子の暴言に実は容赦なく頭を殴った。突然の攻撃に避けきれなかった威は、涙目になりながら「それなら何だよ?」と視線で母親に尋ねた。
「子供ができたんだっ!それぐらい察しろ!馬鹿息子!」
「はぁ………?」
突然の宣言に威はその言葉の意味を飲めずに呆然と母親の顔を見た。そして少しの逡巡の後、今度は目を見開き、彼女の腹を指差した。
「はぁぁ?えっ?どういう事?それって高齢出産?」
息子からの度重なる不遜な言葉に実は再び鉄拳制裁を下した。
「よぅく覚えておけ、息子。マル高っていうのは35歳を過ぎた初産の女性を区別するための言葉だ。それぐらいで初産だといろいろとリスクを伴う可能性が高いから、と国が決めたらしい。
つまり私にはその言葉は当てはまらないという事だ」
年齢的には実もすでに35歳だ、該当はしている。だが16年前と10年前に子供を一人づつ産んでいるわけだからこの条件には該当しない。
「あ、確かに俺や由宇香を産んでるから」
「そういうことだ」
納得している威に実は胸を張りながら答えてみせる。しかしその横で良弘と村野が大きな溜息をついていた。
「そうはいってもリスクは少ないとはいえないんです。由宇香の時も体調を崩しましたし、威の時なんかは妊娠中毒症で入院まで余儀なくされたんですから気をつけてください」
良弘がそういうと追随するように村野も言葉を継いだ。
「良弘様のいうとおりです。これからスケジュールを調整しますので、絶対に無茶しないでくださいませ」
大人二人の心配に、威は改めて視線を母親に向けた。それだけのリスクを伴ってまで、母が子供を作る理由がわからなかった。
確かに後とりである理は行方不明だが絶対に自分が理を取り戻すし、それにいざとなったら一時的に威自身が当主になる覚悟ももっていた。
実はそんな威の考えなど見透かしているかのようににんまりと笑ってみせる。
母・実の爆弾発言投下です。威に十六歳ほど年齢の離れた弟・妹ができてます。
このシリーズは’93年ぐらいに打った文章をリライトしていますが、ここの部分は当初打った文章が殆ど使えないために滅茶苦茶変更をかけました。(第一、マル高の基準も当時とは違ってるので)