三
「ただいま」
なんて言うこともなく、ぼくは玄関の戸を静かに開ける。放課、どこへと寄り道することもなくまっすぐと帰路へついたので日の傾く目前の、少し明るい時間帯である。家はまさに空の世界だった。
両親は共働きでこの時間帯には存在しえない。たといその空間に肉塊を感じようとも、ただの他人である。他人で、他者で、自分ではない。思考は読めない。これが、日常。僕にとっては、ひどく当たり前すぎて違和感を与える隙を生じさせない。家族だからと、特別な情を呼び起こす由縁はどこにあるのだろう。永久に闇のなかだ。むしろ、別の家族がどうしてそんなにも語り合うことがあるのだろうか、不思議なくらいだ。
この家族には、一つの決まりがある。毎日19:30ぴったり、ほんの数秒も時差を許すこともなく彼らは1階のダイニングルームに集まる。毎日、彼らは儀式に参加することが義務付けられている。家族を形作るための儀式。一同は、黙々と、熱心に、食べる。黙々と。黙々と。黙々。食べる。テレビをつけることは許可されているため、ダイニングルームにはニュースキャスターの機械的な音が響き渡る。
さて、儀式も無事終えたことだし今日の事件を振り返ることにしよう。とんだ大事件だった。六.〇五事件とも名付けよう。事件の首謀者の名前は未だに明らかになってはいない、が、事件後の調査(盗み聞きだが罪の意識はない。意識しなくても勝手に聞こえてきてしまうのだからしょうがない)によると、どうやらやつはバスケッドボール部に所属しているらしい。バスケマンとでも名付けよう。ん、いや、バスケウーマンが正しいのか?こっちだと長ったらしいし、気にすることでもないか。
こんなふうに、名前で覚えるよりあだ名で覚えてやったほうがよっぽどわかりやすい。名前なんてただの文字列な訳だし、例えば、「潤」なんて記号を見ただけじゃそいつの姿形性格年齢これっぽっちもわかりゃしない。その点あだ名なんていうものは、大抵特徴をかなり正確にとらえたものなのであるから、これより優れたものなどは存在しないだろう。例を出すなら、「ハゲ」。めっちゃわかりやすい。
とりあえず、バスケマンの特徴を書き出していこう。なにか事件解決の糸口が見つかるかもしれない。普段にやつは、複数のグループと関わっているらしい。流石はクラスの人気者だ。明るく、あどけなく、最近の言葉で言うなら、リア充ってやつだな。顔立ちもなかなか悪くない。あと、ボーイッシュ。当然運動神経も抜群だ。まさに、非の打ち所がないって感じだな。こんなキャラにありがちな、勉強ができない...馬鹿みたいな設定もなく、成績優秀者だと聞く。
ともかく、あのバスケマンの目的はなんだったのだ。愉快犯とか無差別殺人というわけでもなかろう。——巧みな話術で、男を惑わせ言われるがままに怪しげなお店に誘導させ、高価な壺か絵画でも売らせるうつもりでは...?
いや、アホか。散々脳内で議論をした挙句こんな結果しか出てこない僕のアホっぷりがいやになった。結局、なんの進展もないままもう日付をまたぎそうな時刻になっていた。もう寝よ。明日も学校だ。
——まあ、案外目的なんてないのかもしれない。ただ、「クラスメイトだった」だけかもしれない。そういうやつだ。それだったら極めて簡単だ。数日もすれば、二度と話しかけてくることなどないだろう。