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桃太郎の隣人

 昔々あるところにお爺さんとお婆さんが二人で住んでいました。

 大きくない山の麓で、少し大きな川の縁で、村から離れてぽつんと一軒家に二人だけで住んでいました。

 そしてある時、その隣に、一人の男が引っ越してきました。

 年の頃はお爺さんやお婆さんの半分の半分くらいでしょうか。体つきは年相応にしっかりしているものの、いつもどこかぼんやりとした様子の男。

 彼は怠け者でした。怠け者だったからこそ、お爺さんとお婆さんの家の隣に越してきたのです。

 早くに家族を亡くし天涯孤独となった身の上もあり、同じ村の人間はいきなり一人となっては大変だろうと色々と面倒を見てきました。それは間違いなく良かれと思っての行動でしたが、結果として、男は何をするにもまず人の手を借りようとする怠け者になっていました。

 出来る事なら日が昇ってから日が沈むまで、終日ごろごろとばかりしていたい。そんな事ばかり考えるようになっていました。村の人間たちは、どうにかこうにかしっかりと一端の男として働いてほしいと、色々手を尽くしましたが、一度ついた怠け癖は早々抜けるものではありません。男の性格は一向に治りませんでした。

 そしてそしてある時ついに、あまりにも働かないものだからと生まれの村から追い出され、隣の隣のそのまた隣の村であるこの村に追いやられ。

 そして今の村でも、初めは働くのに都合のいい村の中心に近い辺りに住まわせてもらっていました。けれど、この村に来ても相も変わらず怠けてばかり。

 日が昇って、周りの人たちが畑仕事の精を出し始めたころに彼は家でごろりと寝転がって、日が落ちる頃、やあ今日も一日働いたと皆が返ってくる頃でも変わらずごろりと寝っ転がっている。

 ついには「隣に住むと怠け者がうつる」と若い者や働き盛りの者たちから嫌われて、村のはずれの老夫婦の住む家の隣に居を構えることとなったのです。

 男は邪魔者がなくぐうたらと暮らせれば、どこで暮らすことになろうと文句も意見もありませんでした。

 お隣になったおじいさんとおばあさんは老齢でしたが働き者でした。が、男にとってはあまり興味がありませんでした。年を取っているのに頑張っているなあと、感心といくらかの不思議があるばかりです。


 ある日のことです。常と同じようにごろごろとしていた男は、何となしに外を眺めていました。

 少し前に、山に向かうおじいさんと、川に向かったおばあさんを見かけました。

 山に向かったのはたきぎとなる柴を刈りに行ったのでしょう。もうすぐ冬が来ます。おじいさんの刈った柴をいくらかでも分けてもらえないだろうか。男は横着なことを考えていました。

 川に向かったのは洗濯のためでしょう。そのためのたらいと着物をもっていました。男は自分の着物をもう一月も二月も洗っていませんでした。そんな億劫なことなど絶対やるものかと無意味な意地を張ってもいました。

 そんな益体もない事を考えぼんやりと外を眺めて、いくらか経ったころのことです。

 家から続く遠く道の向こうに、何か明るい桃色の塊が見えました。

 はてさて何だろうか。男は好奇心に目を凝らしました。その塊は段々大きくなってきます。どうやら結構な大きさの塊が近づいてきている様子。

 塊はどんどん大きくなって、それは大きな大きな桃でした。或いは男の身の丈の半分ほどもあるのではないだろうかと思う位の、とてもとてもまず見たことのない様な大きな桃でした。

 男はなんと珍しいと驚きのため息をつきました。そして、どうしてそれが近づいてくるのだと更に目を凝らして――「ひっ」小さく悲鳴を上げ、男は後ずさりました。

 近づいてきたのは大きな桃ではありませんでした。大きな桃を背負った、小柄な老婆です。男も良く知る、川に洗濯に行ったはずのおばあさんが、身の丈より大きな桃軽々を背負って、喜色満面の表情で走ってきました。あれだけ大きければ、桃の重さはおばあさんよりはずっと重いに決まっています。だのに、おばあさんはそんなこと気にならないとばかりにその健脚で駆けてきます。

 あのおばあさんはいったい何者なのでしょうか。あからさまに人間の所業ではありません。

 普段と変わらぬようなにこにことしたその表情も、男の背筋に冷たい物を走らせるばかり。

 男はばれないようにそっと自分の家の奥に身をひそめました。幸いにして、おばあさんは男には目もくれずまっすぐに自分の家へと帰っていったようです。

 とりあえず今すぐに命の危機はないようで。男はほっと一息つきました。

 けれどその日、男は初めて味わった得体のしれないという恐怖をぬぐい去る事が出来ず、なかなか寝付くことができませんでした。


――おぎゃあ。

 どこかで赤ん坊の泣き声が聞こえます。

 今、自分は夢を見ているのか、現なのか……。寝つきが遅かったせいか酷くぼんやりします。

――おぎゃあ。おぎゃあ。

 赤ん坊の泣き声なんて、現実的でない物を聞いているせいもあります。

 いつぶりでしょうか。生まれの村にいた頃、隣に住んでいた若夫婦に赤ん坊がいた事を思い出しました。

 怠けついでに、その赤ん坊を何度かあやしていたこともありました。懐かしい記憶です。

 今聞こえている声も、そんな記憶の中の泣き声にそっくりな声で。或いはまた誰かとなりの家に赤ん坊が――

「おぎゃあ。おぎゃあ。おぎゃあ」

 はっと目が覚めました。赤ん坊の声は現実です。でも、隣の家には老夫婦しか居ないはずです。

 使い古した布団からむくりと身体を起こしても、やはり赤ん坊の声は聞こえてきます。どうやらやはりどうしてか、隣の家の中からの様子。

 男は自らの嫌な予感に耐えながら辺りをうかがって、そうして、隣家の中の様子を、こそりと伺ってしまいました。

「おーよしよし可愛いねえ」

「おぎゃあ。おぎゃあ」

 おばあさんが、見たことのない赤子をあやしていました。

 おじいさんとおばあさんは、身寄りのない夫婦のはずです。

 それ以前に、昨日、大きな桃を持ち帰るおばあさんを見て以来、日が落ちるまでおびえながら隣家を監視していましたが、人の出歩く気配はまるでありませんでした。

 ならばあの赤子は何者でしょうか。どこから現れたのでしょうか。答えなどそうあるわけではありません。

 拐かし――また昨日の様に、いいえ、昨日よりも一層強く背筋に冷たいものが走りました。

 人気のないところに密かに棲み。身の丈より大きなものを軽々持ち。いつの間にかさらりと赤子を拐かしてくる。そんな老婆の名を、なんと呼ぶのかを男は知っていました。

 山姥。

 男は、物音を立てないようにゆっくりゆっくりと、自分の家に引き返しました。

 窓と戸をすべて閉じきって部屋の中を真っ暗にし、部屋の隅で膝を抱えてがたがたと震えました。

 山姥は人をさらう化け物です。山姥は人を食らう化け物です。

 なんでそんなものが自分のそばにいるのでしょうか。なんでそんなもののそばに自分はいるのでしょうか。

 心当たりはありました。自分が怠け者だったからです。

 自分は怠け者で怠け者で、周りの全ての人たちから要らないと思われてしまったのです。

 だから。


 その晩。男はそろそろと静かに、何かから隠れる様に荷造りをしていました。

 山姥の隣に住まわされていると知ってしまった以上、一日だってこんな所にはいられません。

 どうやら、その日一日は、あの赤ん坊が食べられるような事は無かったようでした。でも、明日はどうなるか分かりません。

 そして、赤ん坊の次は男の番でないとも分からないのです。

 或いは。日持ちの効く保存食の様に、餌を得られなかった時の保険の為に自分の事を遊ばせているのではないか。そんな空恐ろしい想像まですんなりと生まれてしまいます。

 あまり持ってない衣服と、幾つか抱えられるだけの道具を抱えて、男はぬき足差し足で今の住処の外に出ました。

 隣家をちろりと見やります。

 もしも。あの老婆が眠っていたら――。あの赤子は助けられるかもしれません。そっと入って連れだせば、赤子がおきさえしなければ。気がつかれる前に、遠くへ逃げることもひょっとしたら出来るかも。

 でも。もしも老婆が起きていたら。あの赤子を抱えた時に泣きだしたら。どういう存在か想像もできない老爺のほうが見張っていたら。自分は、赤子よりも先に、明日の朝食になってしまうに違いないのです。

 男は、音を立てずに深呼吸して。ごくりと一度生唾を飲みました。

 そして、擦れて薄っぺらくなった草履を履いた右足を、そうっと、そうっと――……隣家とは反対の方へ、踏みだして……。

「ぁっ、ぁ――おぎゃあ!」

 その瞬間、頃合いを図ったように響いた泣き声が聞こえました。男は弾かれたように駆けだします。

 迷うことなんてありません。振り返ることなんてできません。

 赤ん坊の泣き声で起きだす老婆が、あるいは一緒に暮らしている家来のような老爺に、逃げ出した男のことについて気がつかないとも限らないのです。

 泣き声がどんどん小さく遠ざかります。

 けれどもその声は、どんなに小さくなってもいつまでも男の耳に残るようでした。

 まるで、置いて行った男を怨むように。もしくは、ただひたすら恐怖に泣き叫ぶように。


 男はとにかく走りました。野を越え山を越え、無我夢中で走り続けました。日が昇る頃まで休みなく走って、その場でぱたりと倒れてしまいました。

 山姥から逃げ切れられたのかどうかもわかりません。疲れ果てた男には、もう一度立ち上がって周りを見回す体力すら残っていません。そのまま、男は静かに寝息を立てて眠ってしまいました。


「おや、おや、どうしたんだい――」

 男を眠りから起こしたのは、聞き覚えのある女の声でした。

 はて、誰の声だったかとぼんやりとした眼を擦りながら跳ね起きようとして、

「おぎゃあ、おぎゃあ!」

 続いて聞こえてきた赤子の鳴き声に驚いて飛び起きました。

 ……あの赤子ではありません。この女が抱いているのは、実の子供であるのでしょう。

「ああ、よしよし、お泣きでないよ。もうちょっとで家につくからねえ」

 反射のように赤子をあやすその声の主の女は、その男の様子には気が付かなかったようでした。

 そうして、その様子を見て思い出しました。

 そうだ、この女は、昔隣に住んでいた夫婦の女だ。ということは、つまりここは。

 赤子を落ち着かせた女のほうも、男のことに気が付いたようでした。

「あら、あんた。たしか隣の隣の、ずっと向こうの村にいったんじゃあなかったかい?」

 女が怪訝な顔で聞いてきます。それも当然でしょう。働かないからと追い出したはずの人間がここにいてはどうしたことかというものです。

 男自身にもそれはよくわかっています。

 ですが……。

 偶然でも、逃げてきた先がこの村であったのはそういう意味なのだ、と男は思いました。

 そのまま地面に膝をつき手をつき、男はお願いしました。

 これからは、一所懸命まじめに働くから、どうか、どうか、この村にまた住まわせてください、と。


 それからどれくらいかの年月が過ぎました。

 いつか怠け者だった男は、日が照る空のもと、畑で真面目に鍬をふるっていました。

 今では、村でも一番の働き者だと評判です。

 お昼になって男が土手に座って握り飯を食べてると、隣の家に住む子供がやってきて、けらけらと笑いながら木の枝を振り回していました。

「日本一の桃太郎! 日本一の桃太郎!」

 はて、桃太郎とは誰のことだろう。心当たりのない男は、その子供に尋ねました。

「知らないの? 隣の隣の、ずっと向こうの村からな、桃太郎っていう人が鬼ヶ島に行って鬼をやっつけたんだって」

 そんな話を聞いて、世の中には強い人もいるものだなあ、と男は感心しました。

 そして、ふっと、いつかの村と、山姥と、赤子のことを思い出し、そんなに強い人が世の中にいるのならば、きっとあの赤子のような子供を助けてくれるのだろうな、助けてほしいな、とぼんやりと思いました。

 子供は、再び枝を振り回して「日本一の桃太郎!」と声をあげながら遊びに行きました。

 さて、自分もそろそろまた働かねばなりません。食べかけの握り飯をごくりと飲み込んで、男は再び立ち上がりました。

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