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「自分を標的にしてるダークエルフの女殺し屋となんやかんやで恋仲になったら下の名前を呼び捨てにされたいよな?」「個人的には『貴様』呼び固定がいい」

作者: 刃羽器霧

 西の空に浮かぶ眉月がかすかに街を照らす逢魔が時。

 摩天楼の立ち並ぶ路地を1人の男が急ぎ足で歩いていた。

 トレンチコートを着こなした伊達男だが、こそこそとして落ち着かない。角を曲がる度に左右を伺うさまは出来損ないの探偵のようだ。

 だが彼はどちらかと言えば犯人の方だった。


「ウッ!」


 そして今、被害者となった。

 壁にずるりと寄りかかって倒れる。うつ伏せになったうなじから黒塗りのダガーを生やして。

 その横を悠々と通り過ぎる女がいた。

 フード付きの黒いノースリーブシャツという変わったトップスを身に着けているが、不思議と目立っていない。顕になっている腕も褐色で全体的にモノトーンであるせいもあるだろう。フードからわずかにこぼれる銀髪だけが淡く街灯を照り返している。

 彼女が区画を1つ分歩いたところで後ろから絹を裂くような声が響いた。男の死体が見つかったのだろう。

 ペースを変えずに歩き、2つ目の角を曲がる。そこに坊主頭の怪しい男が壁に寄り添って立っていた。

 ビジネス街には不釣り合いな神父服をまとったそいつは女を見るとパチパチと皮肉げに手を鳴らした。


「お見事」


 聖職者とは思えない下卑た笑みで形だけの賞賛を口にする。

 女は一瞬だけ意識を向けるとそのまま立ち去ろうとした。


「次の依頼だ」


 それを留めるようにそいつは写真を差し出す。

 女は内心でそっとため息をつくとその写真をひったくるように受け取った。

 写真を撮るくらいならば、その隙に殺せばよいのだ。

 そう思ったが、認識を改めた。

 写真のアングルは建物内の天井から下向きになっている。ちょうど監視カメラで写したような角度だ。つまり明らかに盗撮だというのに、写っている男は思いっきりカメラ目線でポーズまで取っている。

 なるほど難敵だ。

 どんな手段で撮ったのか知らないが、そしてどんな手段で知覚しているのか知らないが、やすやすと殺されてはくれないだろう。

 自分のところに回ってくるのもうなずける話だった。


「惚れたか?」


 早速対策を考えよう。

 女はわずかにペースを上げるとその場を離れた。


「……無視すんな」


 久しぶりに腕が鳴る仕事となりそうだ。


 *


 考え事をするときはシャワーに限る。

 脱衣室に入り、フードを下ろすとショートボブにまとめた銀髪がわずかに揺れるのが鏡越しに見えた。髪をかき分けてにゅるりと伸びる耳も。

 そのまま全裸になると1人の女ダークエルフが鏡に写った。

 モデルのごとき整った顔。しかしモデルをするにはあまりに豊満すぎる乳房。最近またサイズが増えて38Gだ。そろそろ着る服に困る。この街には38インチの女もGの女もわんさかいるが、そいつらよりもダークエルフは一回り、下手をすれば二回りは小さい。肌の色によらず妖精種エルフは華奢なのだ。

 ダークエルフであること自体は良いとも悪いとも思っていない。マイノリティゆえに多少目立つが、代わりにヒトにはない身体能力がある。一長一短だ。

 栓をひねるとシャワーからすぐさま湯が飛び出してきた。湯気であっさりと鏡は曇り、ダークエルフは見えなくなった。

 問題は、この体であの標的の男に近づけるのかどうか、だ。

 娼婦のフリでもすれば良いのだろうが、あいにくと騙し打ちは彼女の流儀ではない。流儀でない殺しはブランドに傷がつく。それは職業アサシンにとって死活問題だ。

 背後から黒塗りのダガーで延髄を一突き。

 これだけが彼女の仕事であった証明になる。それ以外は認められないし認めない。

 ならばまずは標的の男の知覚範囲を特定すること。

 無難な結論に落ち着くと彼女はシャワーから出た。

 早速準備に取り掛かろう。


 *


 昼の航空写真で見れば、巨大な公園が街を楕円に刳りぬいているのがよく分かっただろう。短径ですら1キロを超えるその公園は街の住人からは単にパークと呼ばれ、都会のオアシスとして親しまれている。

 しかし年間で100件を超す事件を生む闇の温床でもあった。

 西の空に掛かる上弦の月がそんなパークの雑木林のエリアを冴え冴えと照らしていた。街灯はなく、だから月光の届かないところには都会の人間にとって暗すぎる闇が蟠っている。

 日付も変わろうかという深更にこんなところへ足を踏み入れる人間は2種類しかいない。

 質の悪い連中と馬鹿な酔っぱらいだ。そして今日はその両方が揃っていた。

 まずダークエルフの女アサシンが雑木林の暗がりに潜み、暗視スコープで標的を観察していた。黒の帽子で銀髪を隠し、黒の迷彩服をまとえば、自前の褐色肌と相まってほとんど闇に同化する。それこそ暗視スコープでもない限り、プロのアサシンであっても正確に見つけるのは困難だろう。

 100メートル先には女アサシンの標的――エーカ・スロウという筆名で活動するライターの男。彼は、東洋人の血を引いているという情報のとおりに細身で、そして酒に弱かった。今も千鳥足でホテルを目指している。

 そのエーカの後ろ10メートルほどのところに、のそりと男が現れた。普通のヒトの2倍はあるのではないかと思うほどの巨体の男だ。

 この巨人は女アサシンが傭った別のアサシンだ。元アメフト選手という肩書を持つ、とにかく暴れる理由を探しているような、クズみたいな男だが、破壊力という点では間違いなく彼女の上を行くアサシンである。

 そんな人の形をした猛牛のような男がやおら走り始めた。始めは音を立てない暗殺者特有の走り方だったが、エーカとの距離が5メートルを切った頃にはアメフト選手そのもののチャージに変わっていた。

 巨人もそして離れて見ていた女アサシンも「やった」と思った。男は喜悦、女は少々の失望とともに。

 しかしエーカはまるで綿毛が風に舞うようにひらりと突っ込んできた男の頭を押さえて、そして体操選手のようにきれいに倒立を決めた。

 人間ひとり分を首の筋肉だけで支えるのはさすが元アメフト選手だ。そう女アサシンが思った刹那、エーカは男の首を捻りつつ着地した。男も力を失って倒れこむ。

 おそらく男は即死、良くて全身麻痺だろう。

 見事と言うより外にない絶技だった。ダークエルフの女アサシンは一瞬だけ見惚れた。

 その一瞬を狙いすましたように、エーカは彼女を見て笑った。

 女アサシンがそれに気づいた時には、それまでと同じ千鳥足でエーカは去っていくところだった。


「………………」


 確実に見ていた。まるでイタズラを仕掛ける子供を見守るような穏やかな目で。

 女アサシンは気を引き締めると、その場を後にした。

 暗闇が意味を成さないのは分かった。

 次は――。


 *


 その日はやや日差しが強いものの風の気持ち良い穏やかな天気で、外で仕事をするにはうってつけの日だった。

 標的ことエーカ・スロウもカフェテラスの一角、庇の下の2人掛けのテーブルでノートパソコンに向き合っていた。先日襲われたとはとても思えないほどリラックスしている。

 そこから500メートル地点のビルで狙撃手が彼を狙っていた。

 その様子をさらに500メートル――エーカからは1キロも離れたビルの部屋から双眼鏡とパソコンを使って、女アサシンが確認していた。双眼鏡でエーカを目視し、パソコンには狙撃手が映っている。

 この狙撃手も先日の巨人同様に彼女が傭った。風のせいか1時間近く動きがなかったが、ここ数分でようやく狙撃態勢に入った。

 そして遂に引き金が引かれた。

 外れた。


「チッ」


 思わず舌打ちがこぼれたのもつかの間、双眼鏡にカフェテラスの異変が飛び込んできた。

 どうやら誰かが爆竹を鳴らしたらしい。

 ハッとして女アサシンはパソコンに映る狙撃手のほうへ目を向けた。――そして血を流してグッタリと横たわる狙撃手を見た。

 再度カフェテラスへ目を戻す。狙いすましたようにこちらへ笑顔を向ける標的が悠々と店を出るところだった。


「………………」


 ダークエルフの美貌がわずかに歪む。

 プロの狙撃手が1時間かけた距離を手持ちの拳銃で撃ち返したのだ。それもプロが外したものを命中させた上で。

 前回の技と合わせて考えれば、明らかにエーカという男はプロだ。それも超一流の。

 だからと言って女アサシンも退くわけにはいかない。

 なぜなら――彼女もまたプロフェッショナルだからだ。


 *


 西の空に浮かぶ眉月がかすかに街を照らす逢魔が時。

 この時間、摩天楼の密集するこの街は帰途につくビジネスパーソンで溢れている。赤信号のスクランブル交差点ともなれば1000人以上が居合わせるほどだ。

 その雑踏に紛れてダークエルフの女アサシンは標的に向けて自然に接近しようとしていた。

 信号が青に変わる。横断歩道の向こう側からエーカが歩いてくる。人だかりを縫って、女アサシンはごく自然に標的とすれ違い、そして必殺の一撃を延髄に叩き込んだ。


 はずだった。


 気がついた時には星のきらめく夜空を見上げていた。いつの間にか足裏ではなく背中に地面が着いている。


「は?」


 夜空に男の顔が割り込んだ。エーカだった。


「筋はええな。腕上げたらまたおいで」


 それだけ言うと去っていく。

 女アサシンはほとんど分かっていた結末に、けれど感情が追いつくことなく、そのまま呆然と夜空を見上げていた。


 *


 もしこの時に彼女が仕事を諦めていれば彼女の人生は別のものになったかもしれない。

 けれど、そうはならなかった。


 *


 女アサシンはエーカの言葉をそのまま受け取った。

 とは言え、負け癖が付いては勝てるものも勝てなくなる。生活のためにも他の依頼を受けつつ、定期的にエーカへと挑戦した。

 ヤクザを殺し、議員を殺し、聖職者を殺し、一般人を殺し――その合間にエーカへ挑む。

 まず最初の半年で反撃するエーカの姿をなんとか捉えることに成功した。

 その時のエーカの笑顔はまるで逆上がりに成功した子供を見るようだった。


「ご褒美に名前上げるわ。せやな、上品やからキミは今日からグレイスや」


 それからと言うもの、エーカは季節やイベント毎にプレゼントをグレイスに渡していった。

 使わないことを分かっているくせに指環やネックレスを寄越し。

 食べないことを分かっているくせにケーキやターキーを贈り。

 だから時おり送られてくる暗殺のコツが書かれたハガキ(暗号)と誕生日の設定(エーカの暗殺を請け負った日)だけがあとに残った。


 *


 そしてちょうど3年目の誕生日。

 依頼を請けた時と同じく、夕暮れのうらぶれた路地で、グレイスは初めて刃先をエーカに掠らせた。


「よし」


 思い切り投げ飛ばされながら思わず声を上げたグレイスの前で、エーカは銃を抜いて倒れた。

 グレイスは2度ギョッとした。

 1度目はエーカが明確に反撃姿勢を見せたことに。

 2度目はそんな当たり前のはずのことでギョッとした自分自身に。

 そして遅れて3度ギョッとした。エーカが血を流している。同時に100メートル先で何かが落下した音が聞こえた。

 エーカは3年前のように狙撃されたのだ。そして3年前と同じく反撃した。

 3年前と違うのは躱せなかったことだ。

 なぜならエーカは自ら当たりに行ったからだ。グレイスを狙った銃弾を。


「エーカ!」


 グレイスは暗殺稼業を始めて初めて普通の音量の声を出して駆け寄った。


「ごめんや……」

「エーカ!」


 いろいろな感情が頭を巡ってそれ以上言葉にならなかった。


「教団絡みの仕事は気ぃつけんと……」

「エーカ!」


 抱えたエーカの身体がどんどんと軽くなる錯覚に陥る。


「ちゃんと殺されてあげれんくて……ごめ……ん」


 それっきりエーカは永遠に沈黙した。


「エーカ……」


 その日、グレイスは初めて声を上げて泣いた。



























 * True *


 原稿から顔を上げてメガネを外すとグレイスは小首を傾げた。三つ編みに束ねた銀髪ポニーテールがそっと揺れる。


「死んだぞ?」

「せやね」


 対面でエーカも同意した。

 本当にエーカを殺すつもりならABC兵器のどれかが必要だ


「それにグレイスの感情がかなりウェットだ」

「せやね」


 再び同意した。

 彼女の感情は未だにそれほど動かない。


「ニュージョークシティが舞台だな?」

「せやね」

「“逢魔が時”とか“摩天楼”とか東洋の表現はどうかと思うが。しかも冒頭に」

「グハッ!」

「それに暗殺の手引書ではないのだから暗殺シーンではなくグレイスの心情変化をもっと描くべきでは?」

「グハッ! グハッ!」

「最後のスナイパーが教団絡みだと言いたいのだろうが、だったらそのシーンを用意すべきでは?」

「グハハッ!」


 いつものこととはいえグレイスのツッコミは的確かつ鋭角だ。エーカはテーブルに突っ伏した。


「あと……」


 めずらしく躊躇うグレイスにエーカは顔を上げた。エーカにだけ分かるくらいにうっすらと照れている。


「創作のこととはいえ、私が貴様を殺すのは不愉快だ」







グレイス:ニュージョークシティで名うてのアサシン。劇中作同様黒塗りのダガーで延髄を一突きして殺す。基本定額5万ドル(前金1万ドル)という安さと確かな腕前で上流階級に人気のアサシン。最近39Hに育って困っている。


エーカ:グレイスのひも。単位時間当たりのダメージ量が一定値を超えない限り死亡しない呪いにかかっているためグレイスに殺され損ねた。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  もうデレてるじゃないですか、グレイスさん。 [一言]  エーカの創作が、どこまで本当か気になるところです。
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