一人目――二銭銅貨(参)
扉を開けたとたん、カランコロン、とドアベルが鳴った。
それすらもレトロな感じで、僕は一瞬どきりとする。店の中を見渡してみれば、やたら大きな柱時計が目に入った。カウンターに数脚、それにテーブル席が三つほどのこぢんまりとした店内で、その中で柱時計はずいぶんと存在感が大きい。
客席に人はいない。よく磨かれて艶光りするビロード張りの椅子はどこかかわいらしい。また、おそらくそれと同じ素材でできた机には清潔そうなテーブルクロスが掛けられていて、そんな調度のどれもが高価そうになアンティークのように思えた。店内のBGMはかすかに聞こえる程度のクラシック。耳に心地よいせいだろうか、どこかくすぐったくも聞こえる。
……なんとなく場違いなところに来てしまった、というのが僕が最初に思ったことだった。
こういうところはもっと老成した、ロマンスグレーの老紳士にこそ似合う場所なのではないか。僕はそう思って、扉に振り返って戻ろうとした。しかし、店の中から漂う香りはいかんともしがたいくらいに僕の鼻を、そして心をくすぐってくる。
どうしよう。
僕は途方に暮れたまま、呆然と扉のそばに立ち尽くしているだけだった。
そんな僕に、かけられる声があった。
「いらっしゃいませ! ……あら、今日はずいぶんとかわいいお客様ですね」
明るい声が突然して、僕は慌てて声の主に顔を向ける。
若い女性の声。見れば二十歳過ぎくらいの女性が、にっこりと僕に微笑みかけていた。
「『観月館』へようこそ。今日はどういったご用向きですか?」
かんげつかん、と読むらしい看板にあったそれが、この店の名前らしい。僕はまだ驚きを隠しきれないまま、こくこくとうなずくことしかできなかった。
女性は胸元に、『桂』と刻まれたネームプレートをつけている。おそらくそれが彼女の苗字、あるいは名前なのだろう。
「ええと、」
気まぐれにこの店に入ったとは何となく言いづらくて、僕は思わず口ごもる。
「今日のお客様にお会いできる、それだけで光栄ですよ。かわいいお客様」
だけど、桂さん(でいいのだろう)は長い黒髪を翻らせながら、楽しそうに言葉を紡ぐ。その言葉に僕はどこか引っかかりをおぼえた。どこがどうとは説明しづらいけれど、小さな違和感が存在している。しばらく考えて、その理由に思い至った。
「今日のお客様、って?」
すると桂さんはきょとんとした顔で。
「文字通りの意味ですよ。このお店は一日お一人様限定なんです。もっとも、この店に入れるかどうかというのは運が多分に関わってきますけれどね」
その言葉に僕は呆然とする。
一日に一人しか入れない店に、僕はなぜだか入ってしまったのだ。この店はいかにもレトロ――というか重厚感のある感じで、僕みたいな学生がふらりと立ち入るようなたぐいのお店にはどう見ても見えない。それなのに、僕がいるということは――
今度こそ、僕は慌てて店の外に出ようとした。背中に冷や汗がどっと吹き出す。
「ま、間違えたんですっ! この店に来たのも、なんていうかものの弾みみたいなもので――」
けれど、桂さんはどこか楽しそうに、そんな僕の慌てぶりを見ているだけ。僕はドアノブに手をかけて開けようとしたけれど、今度はうんともすんとも動かなくて、僕はいっそう焦ってしまう。
場違いな場所どころか、とんでもないところに来てしまったのではないか――僕は改めてそう感じた。