マガリの墓穴
怪談が多い職業って何だと思いますか。ああ霊媒師とかはナシですよ。そのまんまですから。ちなみにお医者さんでもないです。
――ちょっと思いつきませんか。
実はね……学者なんですよ。
えーって思うでしょ。でも本当なんです。私も地質学やって長いですけど、やっぱりね、どの国の、どの大学の学者さんに会っても皆さん一つは怖い話を持ってます。専門とかは関係ないです。むしろ理系の方が多いかな。おかしいですよね、普通に考えたら学者さんって、筋の通ることだけを追いかけてるイメージあるじゃないですか。でも実際は怖い話を知っている。しかも大概は実体験として、です。
これはですね、別に学者がみんな空想癖を持ってるってわけじゃないんです。話を多少盛ってる人はいても、一から十まで嘘で固めてる人はほとんどいません。じゃあ何でこういう現象が起きるかっていうと、まあこれは推測なんですけど、学者が『わからないことを考える職業』だからじゃないかと思います。
まだはっきり定義されてないことを突き詰めて突き詰めてモノにしていく。学者はそうしてご飯を食べてます。洞窟にランプを灯して行くようなものです。だから、明るくしようと思ったらまずは暗い道を歩かなきゃいけないんですね。その段階で何か得体の知れないものに遭遇してしまう。ちっともおかしなことじゃないでしょう?
さて、ここまで話せばわかりますよね。そうです。私も一個持ってるんです。不思議な話。って言ってもそんなに期待しないでくださいね。私のはそこまで大したことないです。だから適度に聞き流す感じで、はい、はい、よろしくです。
――今から二十五年前、私が本格的に大学で働き始めた頃のことでした。
職についたと言っても私はまだぺーぺーの駆け出しで、右も左もわからない状態でした。素晴らしい論文を書く才能も学会への発言力も当然持ち合わせてはいません。それでも、せっかく研究者の端くれになった以上は何か大きな功績を残したい。若い私にはエネルギーがありました。
とにかく必死でした。頑張って頑張って頑張り抜けば何か見えるものがあるかもしれない、その一心でがむしゃらに働いて、時には雑用仕事まで引き受けました。その努力が認められたのでしょうか、私はようやくそれらしい仕事を貰うことができました。研究員になってすでに一年が経過していました。
北陸地方の地質調査に参加せよ――それが仕事の主な内容でした。私を含めた五人の研究員は教授に連れられて一路、北陸に向かいます。どこの県だったかは覚えていません。新潟だったかな……すみません、この年になるといろいろとね。あはは、寄る年波には勝てませんね。
まあそれはともかく。
私たちの目的地は県の外れの外れの外れ。超ド田舎でした。電車とバスを乗り継いで、さらに徒歩で一時間半、って言ったらどのくらいの辺境かわかりますかね。
ほとんど店もないような村でした。舗装されてない道の合間にぽつぽつと民家があって、後はぜーんぶ田んぼです。見渡す限りの緑と空の青が印象的でした。どうやって暮らしてるんだろう、って思いましたけど、多分自給自足なんでしょうね。ただ景色が綺麗とのことで、紅葉シーズンになると全国から人が集まるんだそうです。村に一軒だけある民宿はそれで稼いでるんだとか。私たちはそこに泊まりました。
宿は古風な二階建ての家屋で、人のよさそうな老夫婦が二人で経営していました。山菜を中心とした夕食は絶品で、何と宿の裏手には温泉が湧いていました。時間はこんなにもゆっくりと流れるものなんだなあ、としみじみ思いました。
一日目は丸々移動で潰れてしまったので、後は寝るだけでした。同室になった女性研究員の戸部さんはいい人で、私の布団を敷いてくれたり、教授の愚痴を聞いてくれたりしました。そうこうしてる間に移動疲れが襲ってきて、私は戸部さんと一緒にぐーすか眠り込んでしまいました。確か夜の十時ぐらいだったと思います。今思えば、その迂闊さは明らかに危険でした。
調査は翌日の朝から始まりました。二つのグループにわかれて調べろとのことでした。教授を含めた六人を三人ずつにわけます。その過程で戸部さんと別れてしまったのが残念でしたが、文句を言ってもいられません。私たちは遊ぶためではなく、れっきとした仕事で来たのです。子供じみた考えは捨てようと決めて、私は同じグループの研究員と指定の調査場所に向かいました。
山のふもとの、クマザサがたくさん生えた土地でした。私たちはあらかじめ決めてあった順序に従って調査を始めます。いろいろルールとかやっちゃいけないことはあるんですけど、結構複雑なのでここでは割愛しますね。そんなに大事なことじゃないので。
午前中いっぱいを調査に費やして、そろそろお昼にしようということになりました。言い出しっぺは私です。恥ずかしながら、研究室の食い気担当は私でした。班員からも特に異論は出ませんでした。
調査場所を荒らすわけにはいきませんから、食事はほかの場所で摂らなければなりません。私たちは民宿の奥さんに作ってもらったお弁当を抱えて、食事に適当な場所を探すことにしました。ところが肝心の場所がなかなか見つかりません。どこもかしこも岩がゴツゴツしていたり邪魔な草が生えていたりで、結局私たちは現場から五十メートルも離れたところまで移動しなければなりませんでした。するとそこに何やらおかしな囲いがあるのを見つけました。
「何だこれ」
真っ先に声をあげたのは西垣さんでした。研究員らしからぬ肉体派で、好奇心が旺盛な人です。
「近寄らない方がいいんじゃないかなあ」
と私は言いましたが西垣さんは聞く耳を持ちません。「面白そうな囲いだなー」と言って周りをうろうろしています。面白そうな囲いって何なんでしょう。
囲いと言っても簡素なもので、円形に打ちつけた杭の間にロープを渡してあるだけです。直径は大体三メートルくらいでした。円の中心には子どもの背丈ぐらいの丸い石が置いてありました。いくつか文字のようなものが刻まれていましたが、風化していて読むことはできませんでした。
「ちょっと調べてみようぜ、これ」
見ると、持ち前の好奇心に負けた西垣さんが囲いを越えようとするところでした。ロープは低い位置に渡されていたので、彼の長身の前では少しの役にも立ちません。私は「やめなよ」と言いましたが、自分に都合の悪いことは聞こえないようで、こちらに戻る気配はありません。
「もう放っといたら?」
そう言ったのは、私のもう一人の班員、水島さんでした。眼鏡が似合うポニーテールの美人さんですが、少々きつい性格なのが難点です。
「どうせ言っても聞かないでしょう。好きにさせればいいのよ」
とは言うもののさすがに罰当たりです。囲いが張ってあるということはそこに入ってはいけないということなのですから、放っておいたら何が起こるかわかりません。一応は科学者のくせに信心深い私は西垣さんが心配でした。
「西垣さん、」
彼の名前を呼んだその時でした。
「お前らそこで何やってんだぁ!」
低い男の声でした。西垣さんのものではありません。私たちが揃って声の方向を見ると、薄暗いクマザサの林から一人の男性が姿を現すところでした。
「お前らどこのもんだぁ! 一体ここで何してたぁ!」
男は物凄い剣幕で私たちのもとに走って来ました。白髪混じりの中年男性で、手には大きな鎌を持っています。格好を見るに草か何かを刈っていたようでした。背は私よりも少し大きいくらいですが、その怒りの強さに押されて見かけ以上に大きく見えました。
「うわ、やばい」
西垣さんは囲いの中に踏み出していた足を慌てて引っ込めましたが、男の怒りは収まりません。肩をいからせ、しきりに素姓を尋ねてきます。仕方なく水島さんが、私たちは地質学の研究員であり、調査のためにここまで足を伸ばしたのだということを順序立てて説明しました。男はいくらか落ち着きましたが、今度は真っ青な顔で震え始めました。突然西垣さんの肩を掴んでがくがくと揺さぶり、「大丈夫か、気分悪くないか、どこか痛くないか」という意味のことを口走り、西垣さんの返事を待つより早く「いや駄目だ。マガリ様が、マガリ様が。あ、あ、お前ら、早くここから立ち去った方がいい」と言い残してどこかに消えてしまいました。
残された私たちはしばらく呆然と立っていました。とても不気味な出来事でしたし、何やらよくないことを予言されたらしい西垣さんは不憫でしたが、しかしここで調査を切り上げるわけにもいきません。私は気持ちを切り替えるよう他の班員に言って、囲いからなるべく離れた位置にビニールシートを広げ、お弁当の包みをほどきました。しかし結局食事を摂ったのは私だけでした。「こんな時まで食い気かよ」という西垣さんの言葉に傷つきました。私だって食べたかったわけではないのです。でも私にはこうして場の空気を和ますよりほかにどうしようもありませんでした。
そんな状態でしたから、午後の調査はほとんどはかどりませんでした。成果のない割に疲れた足を引きずって私たちは民宿に戻り、悶々としたものを抱えながら布団にもぐり込みました。戸部さんはその辺りを敏感に察して声をかけてくれましたが、いくら仲がいいとは言ってもそこまでは話せませんでした。話しても余計な心配をかけるだけですから。
しかし、秘密はいつまでも秘密のままにしておけませんでした。
異変は翌日の朝に起こりました。
西垣さんが高熱を出して倒れたのです。
ひどい病状でした。敷かれた布団から起き上がることもできず、解熱剤を飲むまでは「水が欲しい、水をくれ」とそればかり連呼していました。私は背筋が寒くなりました。
ただの偶然とは思えませんでした。西垣さんはとても身体が丈夫な人で、小中高の皆勤賞を自慢していましたし、研究漬けの徹夜明けでも平気の平左を通していました。だから、そんな西垣さんが高熱を出すなんて考えられないことでした。それに昨日の今日ということもあります。思い当たる節がないと言えば嘘でした。
ですが、西垣さん以外にあの場に居合わせていた人物、私と水島さんの間では例の話はタブーでした。水島さんは普段から無口なのでたまたま喋らないだけなのかもしれませんが、私はそうではありません。かたくなに口をつぐんでいました。それでも調査は続けなければいけませんから、西垣さんという班員を欠いた私たち二人は、はなはだ気が進まないながらもフィールドワークに繰り出さなければなりませんでした。無論結果なんて出るはずがありません。互いにうわの空のまま、ろくに言葉も交わさずに調査を続ける様は、まるで悲しい砂遊びのようでした。せっかく回ってきたまともな仕事もこれじゃ台なしだなあと、その時の私は利己的なことを考え始めていました。
結局その日も調査を進められないまま私たちは帰って来ました。ひどく憔悴した様子の私たちにさすがの教授も気づいたようで、あれこれと声をかけて来ましたが本当のことなんて言えるはずがありません。それに『本当のこと』なんて言っても、西垣さんの高熱に直接結びつくような事件が起きたわけではないのです。たとえ私と水島さんがあの日の状況をこと細かに説明したとしても笑い飛ばされるのがオチでしょう。言いたいのに言えない。そのジレンマを抱えて私は眠りにつきました。明日になれば西垣さんも治っているだろうという淡い希望も、そこにはありました。
果たしてその希望は打ち砕かれました。西垣さんは、翌日どころかその次の日、四日目になっても一向に快復しませんでした。調査期間は一週間でしたから、すでに予定の半分を消化したことになります。次第に解熱剤も効かなくなり、熱は三十九度台を維持したまま下がらず、私と水島さんは日を追うごとに針のむしろに座る心地でした。ここでは満足な治療が受けられないという理由で西垣さんを先に帰そうという話も持ち上がりましたが、この村にはほとんど自動車がなく、たった一台の軽トラックもエンジンが故障していて動かせないとのことでした。最寄りのバス停への徒歩一時間半を西垣さんに負担させるわけにはいきません。車が直るか西垣さんが治るかしなければ私たちは身動きが取れないのです。仕方なく私たちは最大限西垣さんを安静にさせて、調査を続けることに決めました。
しかしここでひとつの大きな動きがありました。水島さんが教授に例の件を打ち明けたのです。
彼女は相当参っていたようでした。普段の冷静な振る舞いとは裏腹に実はその心持ちは繊細で、西垣さんを止められなかったことを内心かなり気に病んでいたのです。直接その場に居合わせていたわけではないのでわかりませんが、涙も流していたようです。私はそれを聞いてショックを受けました。だって水島さんが傷つく理由はどこにもないんですから。
しかし事実だけを述べるならば、彼女の涙には堅物の教授をも動かす力があったらしく、その日は予定を変更して例の囲いを調査しようということになりました。そこに自生する菌類が西垣さんの病気の理由なら手も足も出ませんが、地質学的な方面からだって何かしらのアプローチはできるはずです。それに、仲間が苦しんでいる中で能天気に普通の調査なんかしていられません。加えて、私たちには秘密兵器がありました。
北陸の地質調査をするに当たって、教授は事前に某大学の研究室から大きなスコープを借り受けていました。それは当時日本に十五台しかなかった最先端のスコープで、調べたい地面に置くだけで地下数メートルの状況を詳しくモニタリングできるというスグレものでした。つまり、穴を掘らなくても地面の下に何が埋まっているのかわかるのです。当初は滅多なことがなければ使わないつもりでしたが、今は状況が状況です。男性研究員たちは教授の指揮の元、バラして持って来ていたそれを大急ぎで組み立て、例の囲いまで運びました。西垣さん以外の研究員が一堂に会していました。
辺りは背の高い木や草、群生するクマザサに囲まれており、遠くから見つかる心配はほぼゼロでしたが、どこかで誰かが見張っていないとも限りません。調査を早く済ませるに越したことはありませんでした。
「現地の人はマガリ様が、マガリ様がと言っていました。多分、キツネの骨か何かが埋まっているんじゃないでしょうか」
私が言うと、教授は神妙な面持ちで頷き、スコープのスイッチを入れました。低い音がしたと思ううちに画面が点灯し、解析が始まります。私たち研究員は固唾を飲んでその様子を見守りました。五分ほどして解析結果が表示され、地下の様子が映像化されると同時に私たちは凍りつきました。
地下に埋まっていたのはキツネの骨などではありませんでした。
そこには人間のミイラが埋葬されていたのです。
私と戸部さんは叫び声をあげ、水島さんは思わず目をそむけました。さすがに男性陣は声を出すのをこらえていましたが、顔はやはり土気色になっていました。
ミイラはそれぞれ大きな箱に安置されていました。箱は三つ、計三体が地面に対して垂直に埋葬されており、うち一体は上下が逆さまでした。しかし何にも増して不気味だったのは、どのミイラにも下あごと、右腕の肘から先がないことでした。死の寸前に大きな苦しみを負ったようにも見えました。
とっさに浮かんだのは西垣さんの顔でした。彼はこの囲いに踏み入った次の日に熱を出しました。「水が欲しい」というあの台詞は、一体誰のものだったのでしょうか。
「これが、マガリ様……?」
私の疑問に答える人は誰もいませんでした。それからしばらくは沈黙だけが流れ、不意に教授が、
「ここから逃げよう」
とつぶやきました。なぜ教授が『逃げる』という言葉を使ったのかはわかりません。しかしその一言は私たちの心にすんなりと落ちて来ました。私たちはもうここにいてはいけなかったのです。
囲いからの帰り道で、私はあの中年男性を見たような気がしました。しかし今となってはあれが現実だったのか、疲れきった心に現れた幻覚だったのかはわかりません。しかし私たちが民宿に帰り着いた時、温厚だったはずの主人の態度が変わっていました。あの男が村に何か触れ回ったのかもしれません。食堂で冷たいご飯を食べながら、私たちはこそこそと電話をするおばあさんの姿を視界の端に確かめていました。
その夜、私が部屋の窓から感じた視線はおそらく気のせいではなかったと思います。
翌朝早くに私たちは荷物をまとめ、村から逃げる支度を整えました。まだ日も登らないうちにです。私たちは一刻も早くこの場を後にしたかった。もはや村の人も信用はできません。ぐったりした西垣さんを同僚が背負い、なるべく足音を立てないように廊下を歩いて靴を履いて外に出ようとしたところで、
「今朝はどちらへおいでですか」
心臓が止まるかと思いました。
私たちが振り返った廊下の奥には、店の主人とその妻が並んで立ち、深い闇の向こうからこちらを見て笑っていました。人の笑顔がこんなに怖いと思ったのは後にも先にもこの一度だけでした。
「逃げろ!」
誰がともなくそう叫び、私たちは荷物を抱えて走り出しました。
明け方の村には道を照らすものが何一つなく、私たちはいつ転ぶともしれない恐怖と戦いながら遥かかなたのバス停を目指して走りました。すると私たちの後ろから声が飛んで来ます。思わず全員で振り返ると、そこには何十何百という火が闇の中、横一列に揺らめいていました。
「マガリ様の恨み」
「村に厄を為す者」
村人が追って来たのだと即座に思い当たりました。なぜ追って来るのかはわかりません。西垣さんの行動がまずかったのかもしれません。ですがそんなことを考える暇はありませんでした。ともすれば命さえ危ういかもしれないのです。私たちは必死に走りました。しかし病人を抱えている以上そこまでスピードは出せません。徐々に追っ手との距離が詰められていきます。村人が諦めてくれない限り、このままではジリ貧でした。
と、ここで私たちの前に最後のチャンスが訪れました。トラックです。軽トラックがあったのです。直っているかどうかは五分五分、鍵が刺さっているかどうかも五分五分でした。しかしこのままバス停まで走るのはどのみち不可能でした。いちかばちか、私たちはトラックの荷台に乗り込み、教授が運転席に座り、エンジンをかけました。運よく鍵は刺さっていました。しかしこのエンジンがなかなかかかりません。そうこうしている間に村人はもうすぐそこでした。
「罪を報いよ」
「命をもって償え」
手に持った火を振りかざし、村人は口々につぶやきます。私たちが一体何の罪を犯したというのでしょう。
男性研究員たちは私と水島さん、それに戸部さんをかばいながら、必死に村人を追い払っていました。村人の振り回す長い棒状の凶器をリュックサックで防いでいました。この時ほど彼らが頼もしいと思えたことはありません。
間一髪、村人の手が私たちを捕らえる寸前でエンジンがかかり、私たちはどうにかことなきを得ました。村人もそれ以上追っては来ず、松明の火が一つ、また一つと去って行くのが見えました。
バス停にトラックを乗り捨て、私たちはその日一番のバスに乗ってその村を後にしました。
それにしてもあの時の村人の顔は忘れられません。
赤々と燃える火に顔の上半分を照らされた彼らの顔は、下あごのないあのミイラの顔にそっくりだったのです。
以上が私のお話です。いかがでしたか? ……そうですか。それはそれは。
あの後私は例のマガリ様について調べました。一番手っ取り早いのは現地に赴くことなのでしょうが、今度も無事に帰れるという保証はありません。結局、本に頼るしか方法はありませんでした。現代に残されたつたない書物を当たり、真相の周囲をぐるぐる回るかのような数週間を経て浮かび上がったのは、極めて局所的な民間信仰の形でした。
マガリ様は元々祟り神だったそうで、その昔は村に凶作や洪水を引き起こし人々を苦しめていたんだとか。マガリには『禍』という漢字を当てます。『禍様』ですね。困り果てた当時の人々はマガリ様を村の守護神として祀りました。祟り神は正しく祀れば強力な味方になります。それ以降、村に大きな災いが起こることはありませんでした。おそらくその名残があの囲いなのでしょう。規模は小さくなってしまいましたが信仰まではなくなりません。村人たちのある種病的な団結力を見ればそれは明らかです。
と、ここまでは古文書から読み取れたのですが、不可解な謎が一つだけ残りました。あのミイラに関する記述が少しも見受けられなかったのです。村人はあの奇妙な遺体の存在を知っていたのでしょうか。今となってはわかりませんが、似たような例は各地にいくつもあるそうです。中にはちゃんと祀られていないものもあるらしく、偶然に掘り当てて大騒ぎになったという話を聞きます。
……西垣さんですか? 助かりましたよ。あの後病院に行くまでもなく、トラックの荷台の上で正気を取り戻しました。どういう理屈によるものかはわかりませんが、治った以上はそれでよしということで、彼には詳しい話をしていません。スコープの件も村人の件もすべて伏せてあります。知らない方がいいことも、世の中にはあるんですね。まさか学問の道に進んでそれを知ることになるとは思いませんでした。
あの時のメンバーとは今でも親交があります。教授は私が若いうちに亡くなられましたが、水島さんが先頭に立ってその研究を引き継ぎ、今も頑張っているとか。喜ばしいことです。
あ、そうそう。西垣さんなんですが、最近体調がよろしくないということで連絡をもらいました。ほとんど病気をしたことがないぶんいざとなると弱いみたいで。ここ数日夢見が悪いらしいです。
なんでも……真っ暗な場所で身体が干からびていく夢ばかり見るんだそうですよ。