その3
二車線しかない幹線道路を、まだ危なっかしいハンドルさばきで走りぬける。
二人の会話は相変わらずなかった。
高山は相変わらず運転に集中するので、児玉はすることもなく、ただ窓の外を見つめていた。
全開にした車の窓から見えるのは、ただただ人のいない町並み、家、家、車―
そして、正午ちょっと前の事。
そろそろ昼食にするか、と高山がつぶやいた。
それに反応して児玉が前を向いた。
そして、
ん?
陽炎でぼやけている直線の道路の向こう、何か黒い点が見えたような気がした。
高山は気づいていないようだ。
でもその点は、みるみるうちに大きくなり、
「ん?人か?」
と高山も気づいたその時、
―黒い影が消えた―
「ねぇっ、今の人だよね!あの人、倒れたみたいだよ!」
「分かってる、急ごう!」
そう言って高山はいつもより強くアクセルを踏み込んだ。
踏みこんでしまった、という方が正しいだろうか。
*
久方ぶりに感じた人工的な涼しさの中、私は目を覚ました。
全身がだるく、そのままぼーっと上を見ていた。
天井の様子からして、私は車の中にいるのだろう。
「…たくもう、ホント危なっかしいんだから!高山君の運転は!」
女の人の声が聞こえた。
「はい、すみません。最後の方だけ反省してます。」
おそらく、高山という名前なのであろう男の人の声も聞こえた。
「なによ、最後の方だけって。全部よ全部!スピード上げた途端ふらふらし始めて、挙句の果てにこの子轢きそうになってたじゃない。私ものすっごく怖かったんだから。」
「俺だって怖かったさ。あんなスピード、今まで生きてきた中で一度も出したこと無いよ。」
なおも言い合いが続き、聞いている間に少し体が痛くなってきた。
体勢を変えようとそっと身をよじる。
自分が目を覚ましたことに二人は気づいていないようだ。
…なんか埃っぽいな、鼻がムズムズして――
「くしゅんっ。」
くしゃみが出た。それに気付いて二人が振り返る。
「あっ、目覚めた?よかったー。」
と、女の人が安心したように言った。
「まあ、なによりだ。」
と男の人も言った。
体を起こすと、軽く眩暈がして体がふらついた。大丈夫?と女の人が声をかけてくれたが、大丈夫です、と返して、座席に座った。
「お互い名前を知らないままなのもなんだから、とりあえず自己紹介を軽くな。俺は高山和義、十七だ。」
「私は児玉優香。高山と同じく十七。それ以外は特になしっ。」
え、同い年?二、三歳年上だと思った。
「ん、どうした?」
「いや、同い年だったんだな…って。あ、自己紹介まだでしたね。私は黒田咲、十七です。助けてくださってありがとうございます。」
「いやいや、助けたなんてそんな大したことしてないって。でも、元気になってよかったな。」
と高山が言った。
そういえば、なんで自分は倒れていたんだろう。先ほどまでこのあたりを歩いていたのだろうが、記憶があいまいで思い出せなかった。
*
「そういえば、私はなんで倒れていたんですか?」
良く思い出せない、と言いたげな顔で黒田が聞いてくる。
「熱中症だね。」
「へ?」
「医学の知識はほとんどないから断言はできないが、たぶんそうだろうな。それでも夏の暑さはなめちゃダメだよ。何か水分補給できるものを持ってないと一気にバタンキューだぞ。」
「はぁ…。」
「でも、なんで一人で歩いてたの?」
と児玉が訊いてきた。
「まあ…、それは…ですね。」
黒田は、少し考えるような間をおいてから話し出した。
「私、隣の町に両親と三人で住んでいるんです。でも、あの日、学校にいる間に人が消えちゃって、なんだかとても怖くなって、家に帰る途中なんです。でも、道に迷ってしまったみたいで…」
「そうか…。」
なんとなく気まずい雰囲気が続いたが、
「そうだ!」
と、何か思いついたような児玉の声に途切れた。
「私たちが送ってってあげようか!」
児玉の鶴の一声で、突如進路変更と相成った。
というか、なってしまった。
どうやら俺や黒田に決定権はないようだ。もちろん反対などはなかったが。
―そーいえば、家どこらへんなの?
―そうですね。大体学校から列車で四十分の徒歩で二十分のところです。
―で、ここは学校からどのくらい?
―わ、分かりません…。
―マジか…。
*
黒田には申し訳ないが、不確定要素が多すぎて日が暮れるまでにたどり着くことができそうになかった。というか、気づいたら辺りは真っ暗だ。
「仕方ない、このくらいで切り上げて、夕食にするか。」
「そーだね。」
「そうですね。」
近くにあった屋根つきのバス停に車を横付けし、トランクから食材を取り出し、バス停のベンチを使って夕食作りにとりかかった。
黒田にご飯を炊いてもらっている間に、児玉は缶詰を鍋にあけ、温めている。
ご飯に鯖の味噌煮の缶詰、ご飯に野菜ふりかけと、やや栄養が偏り気味だが、まあいいか。
「「いただきます。」」「いただきますっ!」
今日までほとんど食べ物にありつけていなかったのか、黒田の食いっぷりはすごいものだった。
あっというまに平らげ、おかわり、と言われ、無い、と答えると、今度は児玉におねだりに行き、トランクからカ○リーメイトを出してもらっていた。しかも四本入りである。
非常用兼ご飯作りがめんどくさい時用なのに。
こーいうときにサ○ウのご飯とかあれば便利だな、とちょっぴり思った。
*
夕食の片付けも終わり、九時を回ったころ。
児玉が寝る場所決めで駄々をこねた結果、俺と児玉は今までと同じところ、黒田は助手席に寝てもらうことになった。
「ライト消すぞー、おやすみ。」
「おやすみぃ、ふぁぁ…。」
「おやすみ。」
声をかけると、児玉からは欠伸混じりの返事、黒田からは出会った時のような敬語はなく、普通の同年代同士の返事があった。
パチン、とランタンのスイッチを切り、眠りにつく。
車内が闇に包まれる。
*
中々眠気は訪れてくれなかった。
なんとなく、右手を持ち上げ、腕時計で時間を見ようとするが、わずかに帯状に白くなった右手首にはなにもついていなかった。
(そうだ、寝るときに外したんだった。)
月明かりでうっすらと明るいダッシュボードに手を伸ばし、腕時計を手に取ると、バックライトをつけ、時間を確認した。
女子である私にはあまり似つかわしくない。そのごつい、Gショックにも似たその腕時計を、私はとても気に入っていた。
周りは皆、私の腕時計より一回りも二回りも小さい、銀色に輝き、文字盤もお洒落な、かわいい腕時計をしていたりしていたが、不思議なことに、私はそれらにまったくひかれなかった。
クラスメイトから、咲ってごっつい腕時計してるよねー、と何度言われたことか。
だが、中学の入学祝いで買ってもらって以来、今でも日常のあらゆる衝撃にまったく動じることなく、正確な時を私に知らせている。
一.五秒しかつかないバックライトが消える前に、すばやく文字盤に目を滑らせる。
すでに夜中の一時を回っていた。
もうそんな時間になっていたのか、と思う。
このままいても眠気は訪れそうになかったので、気分転換を、と思い、少し外に出ることにした。
二人を起こさないようにそっとドアを開け、外に出る。
特にすることもなく、バス停のベンチに腰掛け、ぼうっ、と夜空を見上げる。
と、後ろでそっとドアを開閉する音がして振り返ると、高山が車を降りてこちらに歩いてきていた。
「ごめん、起こしちゃった?」
心配して尋ねると、
「いや、元々深く眠れない体質でね、よく夜中に目が覚めるんだよ。特に暑くて寝苦しい今日みたいな夏の日はね。そっちは?」
「私は…」
「もしかして座席のせいか?まーそうだよな。車のシートで寝ろ、なんて慣れてなきゃそう簡単に寝れるわけ――」
「そうじゃないの。」
「…え?」
高山の話を遮って私は話し続けた。
「まあ高山君の言ってることもあるけど、それだけじゃないの。本当は…、すっごく不安なの、私。」
雰囲気が変わったことを察したのか、高山は一言も口をはさまなくなった。
「もし、二人のおかげで家に帰れたとしても、もう家族はいないんじゃないかって。みんな、消えちゃったんじゃないかって。私は、もうひとりぼっちになっちゃったんじゃないかって。そう思うと、なんか、不安っていうか怖くなって…私…」
こみ上げてきた思いを抑えるように、ぎゅっとスカートの裾を握りしめた。
その時肩に、ぽんっ、と高山の手が置かれた。
はっとして高山のほうを見ると、
「まだ諦めるには早いさ。俺や児玉の両親は町中探しまわっても見つからなかった。それに比べたら、まだ可能性があるじゃないか。もし、もしもだ、黒田の両親が消えていなくなっていたとしても、黒田は絶対一人ぼっちにはならないよ」
「え…」
「忘れてないか?俺たち二人がいる。世界がこんなんになっても消えなかった俺たちがいるじゃないか。これからも一緒に旅を続けよう。だから、安心して今日はもう寝な。明日もたなくなるぞ。」
高山の言葉を聞いて、不思議と不安や恐怖が心から去って行ったような気がした。
ぎゅっと握っていたスカートの裾をそっと離す。
「…うん、ありがと。」
肩から手の重みが無くなり、早く寝ろよ、と一言残して高山は車に戻って行った。
ふと、さっきまでまったく感じていなかった眠気が、今では私を深い睡眠に引きずり込もうとしている。
「もう寝よっかな。」
特大のあくびをかみ殺し、先ほどのように、車の扉をゆっくり開けて座席に戻った。
意識が眠気に途切れるまで、そう長くかからなかったと思う。