その1
特に話し合うようなことはしなかったが、お互いすることは暗黙のうちになんとなく分かっていた。
旅の準備を終えるまではあっという間だったと思う。
一旦各自家に戻り、これから始まる旅に必要であろう着替え、保存食、懐中電灯、毛布、その他必要な生活用品を、ボストンバックやキャリーバッグに詰められるだけ詰めた。
毛布は流石にかさばり過ぎて、バッグに入れる事はできなかったので、パンパンのボストンバックとは別に毛布を抱えて運んで行くと、それを見つけた高山があわてた様子で児玉を制止して、高山が自宅で発見した小型のキャリーカートに、毛布などのかさばる荷物をまとめておいた。
ほどなくして、準備は完了。二人は駅のホームに移動した。
もちろん、ホームでいくら待っても電車は来ない。
高山が本来乗る予定だった電車は、今頃からっぽになって、トンネルの中にでも止まっているだろうか。
「どこに行く?」
と高山が尋ねると、児玉はこちらを見ずに
「あっち」
と、線路の南の方向を指差した。
「南?」
と訊き返すと、児玉は大きく頷いて、
「私、東京に行った事ないの。家族旅行は大抵関西地方かそれより西だったし。それに、」
「それに?」
と訊き返すと、児玉はこちらを向いて、
「この鉄道って、東京にある駅まで繋がってるんでしょ。行ってみたいな、東京」
「東京についたら?次にどこ行く?」
児玉はちょっと考えてから、
「わかんない。でも、別にいいじゃない。不変の目的地が必要なわけじゃないんだし。そもそも、」
児玉は再び前を向き、
「目的地なんてなくたっていいじゃない」
「そんなもんか?」
「そんなもんでいいんじゃない?」
「そうだな」
「じゃあ、行こうか」
「行きましょう」
*
二人は駅舎を出て、近くの幹線道路に出る。
「ところで、移動手段はどうするの?このままずっと大荷物抱えて徒歩なんて私嫌よ」
高山は、ちょっと考えてから、
「どこかで、ドアロックがかかってなくて、なおかつ動かせそうな軽自動車でも失敬しようか。AT車なら運転できそうかな。」
「無免許だけど?」
「この状況じゃ、六法全書も憲法も意味ないよ」
「そうだね」
近くのコンビニの駐車場に荷物をまとめておいてから、運転出来そうな車を探すために、路上に大量に放置されている車をしらみつぶしに見てまわった。
エンジンキーがささりっぱなしの車はたくさんあるのだが、大抵の人はドアロックをかけて走行しているので、車内に入ることは出来ない。
なかなか見つけるのには時間がかかりそうだった。
途中からは二人で手分けして、車探しを続行した。
そして、とっぷり日が暮れ、懐中電灯を使い始めた頃、
「あったよ!」
と、遠くで児玉の声が聞こえた。
そちらの方に行ってみると、周りよりひと際小さい軽自動車のボンネットに児玉が自慢げに座っていた。
車内を覗くと、確かに鍵がささりっぱなしで、ドアロックもかかっていない。ただ、
「古くね?」
「仕方ないでしょ。贅沢言わないの」
とても全高の低い、内装も座席も簡素な軽自動車だった。
ちょっと古いというより、一昔前にバカ売れしたような、そんなレトロな雰囲気が漂っていた。
「こいつを当分の間、旅の共にするか」
めでたく移動手段が決定したので、担いできた荷物を後部座席と荷物スペースに積み込む。
これはこれで大変であった。
なにせ、普通の旅行の荷物とは量が大違いなのである。
持って歩くのも大変なバカでかい荷物を、この軽自動車のトランクスペースに詰め込むのは簡単なことではなかった。
それでも、児玉が懐中電灯持ち兼アドバイス役、高山が荷物の配置役といった役割分担で試行錯誤した結果、なんとか詰め込むことに成功した。
もう九時を回っていたので、これ以上の移動は諦めて、夕食にする。
近くにコンビニがあったので、手持ちの保存食は使わず、予備の分も含めてそちらで補給することにした。
電気が止まっているので、開かないかと思われた自動ドアも案外簡単に開き、二人は店内に入った。
おにぎりやサンドイッチなどをそれなりの量失敬して、コンビニ前の駐車場で夕食にした。
「そういえば、外真っ暗だね」
「職員が消えて、発電所が止まったんだろう。」
それ以上の会話もなく。二人は黙々と食べ続けた。
食べ終わってからは、もう寝るしかなくなった。
当然のごとく水道もとまっていたから。お風呂も入れない。
これから工夫する必要がありそうだ。
寝る場所は、高山は運転席、児玉は後部座席の荷物を整理して確保した。
初日、心の中は期待と不安でないまぜになった気持ちで一杯だった。
すぐに寝付かれないと思ったが、思いのほかすぐ寝ることが出来た。
自分でも気付かないうちに、大分疲れていたのかもしれない。
さあ、明日から旅の始まりである。
*
二日目、二人は猛烈な暑さで目が覚めた。
「「あぢ~!」」
寝起きとは思えない素早い動作で、手動ハンドル式の窓をすべて開けた。
窓が全開になり、外気が入ってくると、途端に涼しくなった。
話は昨晩にまでさかのぼる。
虫と暑さ、どちらの対策を優先するか悩んだ結果、睡眠中の蚊の羽音はサイアク!との児玉の意見で、こういう事態になることは承知の上で窓を閉め切って寝たのだが、まさかこんなに暑いとは!と高山は心の中で悲鳴を上げた。
手で扇ぎ、暑さを少しでも和らげにかかる。
やはり夏でもここは福島。手の平が起こしたわずかな風でもすぐに涼しくなった。
車の外に折りたたみ式の小型イスを並べて朝食をとる。
旅を始めるのは不安になるものである。
おかげで食欲がちっともわかなかった。
*
まず最初にすることは、軽自動車の運転の練習だった。
運転席で、エンジンキーをひねる音の後に、スターターの音とエンジンの動作音。
「よし、とりあえずエンジンはかかった」
「運転っていっても、アクセルとブレーキとハンドルくらいしか分からないわよ」
「大丈夫、俺もそのレベルだから」
よし、と彼は気合を入れてから、アクセルに足をかける。
直後、ものすごいGを感じて、私は後部座席に押しつけられた。
「ちょいまてぇぇぇぇ!」
アクセルの加減を間違え車が急発進し、彼が運転席で猛烈にあわてている。
「早く、ブレーキ!ブレーキ踏みなさいよっっっ!」
私は真面目に命の危機を感じ、金切り声に近い叫び声で彼に指示する。
車は、彼の滅茶苦茶なハンドル操作で数百メートル走った後、プロ顔負けの強烈なドリフトを決めて、空っぽの月極め駐車場に急停止した。
「ふー、危なかった」
「……」
((危うく死ぬところだった。))
「…とりあえず一つ言っていい?」
「ナ、ナンデスカ?」
「アクセルはもっとゆっくり踏んでよっ!」
それからは幾分かマシにはなったが、やはり親が運転する時より加速が強く、発進するたびにひやひやせずにはいられなかった。
結局、私を乗せてなんとか一般道を走れるようになるくらい運転が安定するまで、たっぷり一日かかってしまった。
この日移動出来たのはほんの一、二キロ。
でもこんな山間の土地では、生まれ育った町が見えなくなるのには十分な距離だった。
戻ってくると分かっていて離れる距離と、もう戻ることもないだろう、と思って離れる距離は、思ったよりも何倍も違う。
一メートル離れても、心はその何乗分も離れていく。
「もう、見えなくなったな。町」
という彼に、うん、とだけうなずく。
「でも、後悔はしてないよ。絶対」
決意を込めてそう言った。
「そう、か」
彼が含みありげな返事をしたので気になったが、気にしないことにした。
時計を見ると夜の八時を回っていた。
「ごはんにしよっか」
と言うと、彼は、
「そうだな」
と言った。
こんな短い会話しかしないが、不思議と嫌な感じはしなかった。
短時間の夕食を済ませ、早々に眠りについた。
今日は、昨晩の反省を生かして、四つある窓を少しずつ開けて寝た。
…………。
あと、高山君の事を心の中で「彼」って呼んでるのは、一々名前を呼ぶのがめんどくさいから!
絶対、絶対の絶対、好きだとかはないからっ!
めんどくさいだけだからっ!
*
三日目、本格的に旅がスタートした。
手早く朝食を済ます。今のところ、まだ近くにコンビニがあったので、おにぎりとサンドイッチである。
荷物は大して広げておらず、すぐの出発と相成った。
まだ運転に不慣れなので、車の出すスピードは時速三十㎞。少し早い自転車レベルだ。
とりあえず、道案内の青い標識を頼りに車を走らせる。
これといった最終目的地がある旅ではない。
あまり地図とにらめっこしても意味はない。
でも、今は東京という目標地点があるので、とりあえず南に進んでいる。
高山は運転に精一杯で、二人の会話はあまりない。
時々、高山の急ハンドルや急ブレーキに体をふられた児玉が、ひゃ、と小さく声を上げる程度である。
やがて、日が暮れてきた。
この辺りでは珍しい大手スーパーの店舗があったので、そこの駐車場で一晩を明かすことにした。
今日も食料調達ができそうだ。
スーパーの自動ドアをこじ開け、店舗に入る。
「ねえ」
「ん?」
「材料があるのはいいけど、どうやって調理するのよ」
「あ……、忘れてたぁぁぁー!」
高山の叫びは大きな店内中に響き渡った。
「はぁ、まったく。チャッカマンはあるのに、火だけで何する気なのよあんたは」
「い、いやぁ、面目ない」
「私は調理器具を集めてくるから、高山君は食料集め、引き続きお願いね。こんだけ大きなスーパーだからどっかにあるでしょ」
そう言って、児玉は店内のブース案内を頼りに歩き去って行った。
仕方なく高山は、児玉に課せられたノルマを達成すべく、そのまま作業を続行した。