Over true 「日常」が崩壊する少し前のこと
「いってきまーす」
リビングに居る両親に声をかけつつ、廊下を小走りに走る。
玄関でくたびれてきたローファーを履き、店舗横の小さい玄関から外に出る。
学校までは自転車。お隣さんとの僅かな隙間に止めてあるのを引っ張りだすと、ワイヤー錠をはずし、またがる。
愛車のクロスバイクは、ここらの自転車屋ではあまり売っていない。自慢の愛車、もとい愛自転車だった。
ま、どっちでもいいか。
後ろの荷台はつけてあるが持ち物が鞄だけなので、肩掛けの鞄をリュックサックのように背負い、ペダルを踏んだ。
昨日乗った時にギアを軽くしてあったのを忘れていた。あまりの踏み込みの軽さに少しバランスを崩すが、これも慣れた事である。すぐに体勢を戻し、更にペダルを踏み込む。
今学期最後の登校であるが、朝とはいえ、真夏の太陽が容赦なく肌を照らす。
早くもじわっと湿り始めた肌を気にしながらも、スピードを上げる。
家の前の小道を走り、駅前の大通りに出る。
大通りといっても、二車線分の幅があるか怪しいくらいの道路だ。
木造茅葺屋根の駅舎を横目に走り、踏切を渡る。
そして、南北に延びる国道に出た。
ここは福島県。
その中でも特に山奥の町に俺―高山和義―は住んでいる。
どれくらい山奥かというと、高台に上っても平地はまったく見えず山ばかり。鉄道はあるが長くても三両編成しかなく、しかも非電化。
来る本数も少ないので車がないとほとんど移動ができないような、そんな町である。
町の中で唯一といえる二車線の国道を、時たま追い抜かして行く車を横目に高山は自転車を走らせる。
学校まで十分。他の生徒と比ると、平均よりだいぶ早いほうである。
遠い場合で、一時間以上電車に乗って登校する人もいるくらいだ。
電車乗り過ごしたら遅刻確定だな。
家が学校の近くでホントよかった。
通ってもう二年目なのに未だにそんな事を思う。自分が不思議だった。
そんなことを考えている間に学校に到着。
駐輪場に自転車を止め、校舎に向かう。
途中、クラスメイトや他クラスの知り合いに軽く声をかけつつ、靴を履き替え、教室に入る。
今日は終業式なだけあって、クラスはいつもより浮ついた空気に満ちていた。
夏休みなにするー?とか、
今度どこどこのショッピングモールまで遠出しない?とか、
今度おまえんち泊まりに行くから―。え、ちょ、待ってよその日は…とか。
つまり、学期末特有の会話に溢れていた。
そんな会話にもれなく高山も巻き込まれ、しばらく話しているうちに担任が教室に入ってきた。
波が引くように教室が静かになり、全員が着席する。
大量の配布物であるプリントと、人によって歓迎とも遠慮ともとれるであろう通知簿を抱え入ってきた担任は、どっかと教卓にそれらを置き、連絡事項を読み上げ始めた。
一つ、最近自転車の事故が多発しているので、自転車通学の生徒は特に気をつけるように。
一つ、川辺にいる時は、ダム放水のサイレンに注意すること、などであった。
「じゃあ、今日の日直。児玉、佐藤。」
教卓に席が近い児玉が日直日誌を受け取りに行く。
児玉優香、小学校からずっと一緒の学校に通っているいわゆる幼馴染―学校の絶対数が少ないこのあたりではさして珍しい事でもないが―であった。
朝礼が終わり、始業式を行う体育館へと向かうべく、各々が支度を始める。
高山もその中に混じり、体育館履きを持って、体育館へと向かう。
体育館へ向かう渡り廊下が男子のYシャツのちょっと黄ばんだ白や、女子のブラウスの白で満たされる。
どれこれも、学期末の、景色かな
…なんちって。
*
終業式が終わり、教室に戻る。
少し時間をおいてから、担任が教室に入ってくる。
流れ作業で、プリントが配布される。
一通り説明が終わってから、通知簿の返却が始まった。
受け取ってからすぐ見て、成績のよさに歓喜する者。
多少は自信があったものの、芳しくない成績に落ち込む者。
自席に戻ってから、あまりの成績の悪さに開き直って騒ぎ立てる者。
高山はどれにも当てはまらず、平均点を行ったり来たりのまずまずの成績であった。
長期休暇だからといって浮かれないように、と担任が一言注意をする。
だが、それが耳に入っているものは少ないだろう。
今学期最後の登校日はこれでお開きになり、各々が帰路につく。
高山も自転車にまたがり、颯爽と校門を出る。
そして、激しい照り返しの中、国道を自転車で走る。
いつも通りの平和な一日であった。
だが、
今ここにいる人たち、そして、顔も知らぬ人々も、
「日常」の崩壊が迫っているなんて、
誰が考えただろう。