序章「鮮烈なご挨拶」
皆さん、初めまして。
十時 隠と申します。
今回の作品は、私色一切ない
即席小説となっております。
例えるなら「欠番作品」です。
詳しい前書きは、自信を持った処女作にて
書き留めたいと思う所存で御座います。
商業ビルが所狭しと並ぶ日本の首都、東京。
国の頭脳とも言える都心では、今日も老若男女と不特定多数の人間が、各々の目的を抱えて闊歩或いは私用車・公共の乗り物を伝い、移動する。
話はがらりと変わるが、時に「温故知新」という言葉を耳にすることはないだろうか。
辞書によると「古きをたずねて新しきを知る」なんていう小洒落た説明がしてあるが、ここ東京はといえば温故知新の「新」しかない。オンコチは置いてけぼり、お留守番なわけだ。
世界進出を視野に捉えた日本は、都心を中心に幅広いグローバル化を遂げる。
古きものなんて知ったことか…、流石に大口を叩いてそんなこと言えやしないし聞いたこともないが、さながらそれを裏付ける様な「モノ」の進化っぷりに、アナログ人間は口を開けっ放しだ。
細々したグローバル化の説明は割愛して、そのグローバル化の背景にはいわゆる古いジャンルにまとめられて衰廃したモノがいくつかある。
そのいくつかの説明も例によって割愛。特に衰廃したモノの中でも廃棄したり撤去するのに手間がかかるのが建築物であるという事のみを知って頂きたい。
ここまでの話の中で、要約して覚えて頂きたいのは、ただそれだけである。
某区内のとある建物。
この建物は以前、都立高校の校舎として使用されていたが、今現在は廃校舎だ。
めくるめく早さで時代は進む。勿論東京の時代の波は物凄い早さで目まぐるしい。
進化する度に様々なニーズも変化する。
それに応えられないものは「温故知新」の「故」に該当する。
先述した通り、東京には「新」しかない。
従って、多々ある理由の最中で時代に取り残され、「故」となってしまった某区内の校舎は廃校となり、取り壊される間もないまま延々と不変の状態で、いつ訪れるのかも解らない倒壊作業を迎える。
それまで、ひっそりと佇む人生…いや、建生を過ごしていくのだ。
そんな寂しい物語を披露したのも束の間、ここ最近になって今まで廃校になって取り壊す工事をする気配もなかった所に、ちょくちょく足を運ぶ人影が目撃されている。
何目的なのか、はたまたこの廃校が時を跨いで時代の波をキャッチし、廃校百選なんていうオカルトチックな特集に載り、観光名所として第二の建生を歩み始めたのか。
その真相を、24時間全方位をばっちり撮影する「温故知新の新」こと、ヘリコプターカメラで、人間観察を交えながら紐解くことにしよう。