黒猫(魔王)の愛のサポートなしでは動けない
「誠に、誠に申し訳ありませんでしたああ!!」
流れるような動作で、聖女候補サラは深く頭を下げた。
スライディングの勢いのまま、見事な土下座である。
修道院での生活の中で、サラは少しずつ学んでいた。
自分がかつてどれほど未熟で、学園で周囲に迷惑をかけていたのかを。
今日は、慰問に訪れた皇太子妃に時間をもらい、応接室で謝罪の場が設けられていた。
「もう終わったことですわ。お顔をあげてください」
穏やかな声でそう言ったのは、皇太子妃ヘンリエッタである。
「ほ、本当に申し訳ありません……! こんな私を保護していただいて……!」
「“恵まれている”と感じてくれるのね。少し安心したわ。恨まれているかもしれないと、思っていたの」
サラは勢いよく顔を上げた。
「そんなことありません! 皆様とても優しくて……ちゃんと向き合って教えてくださいます!」
言葉を整えながらも、その想いはまっすぐだった。
「そう。それなら良かったわ。困ったことはない?」
「このサラは、一生、貴女様のご多幸を祈り続けます!」
「まあ、ありがとう」
ヘンリエッタは、柔らかく微笑んだ。
その様子を、黒猫のクロが静かに見ていた。
(背後には教会と王家の影……この謝罪もまた、立場を固める一手か)
クロはそう分析しつつも、否定はしなかった。
この国の社交界で生きるには、それくらいの強さが必要なのだ。
そして何より――
サラは、確かに守られている。
そのことに安堵していた。
(あの時は、この国を滅ぼして彼女を連れて行こうかとも思ったが……)
サラがこの国を大切に思っている限り。
その想いごと、守ってやるのも悪くない。
クロはそう思い直したのだ。
黒猫クロの正体は、魔王である。
かつて傷を負った自分を、サラが癒した。
その時に気づいたのだ。
彼女の魂は――かつて共に世界を創った、己と対になる存在、この国で崇められている女神であることに。
クロが部屋に戻ると、サラは安心しきった様子でくつろいでいた。
「ねえクロ。愛って、なんなのかなあ」
「難しいことを考えなくていい。君はそのままでいい」
「でも、分からないだ……。いつか分かるようになると良いな」
「大丈夫。君はちゃんとできている」
サラは、少し照れたように笑った。
「クロがいると、何でもできる気がするだ」
「それは君が頑張っているからだよ」
「えへへ」
クロはその笑顔を見ていると、胸の奥が静かに温かくなった。
(……同じベッドで寝たがるのは、少し困るが)
一方その頃……。
「抜かりはないな?」
「ええ、お父様」
ヘンリエッタは、父の公爵とチェスを打っていた。
「短期と長期、どちらの利益も見て動いております」
「見事だ」
「今日は、“最大の長期投資”を見に行きましたの。有意義な時間でしたわ」
コトン、とクイーンが盤上に置かれた。
「あっ、待った!」
「待ったは無しです」
ヘンリエッタは微笑みながら席を立った。
(サラは私の手の内に入りました。長く愛でさせていただきますわ)
修道院では、サラが楽しそうに洗濯をしていた。
「クロは何でも知っててすごいなあ!」
「石鹸は溶かして使うといい」
「なるほどー!」
単純な作業も、今の彼女にとっては大切な時間だった。
その時、サラのもとを一人の女性が訪れた。
「サラ様ですか。私はリリアナといいます。……ウィリアムの母です」
ウィリアムは、サラのかつての同級生だ。すぐに学校に来なくなったので心配していたのだ。
「はじめまして! ウィリアム君はお元気ですか!?」
サラは心から嬉しそうに尋ねた。
その無邪気さに、リリアナは一瞬言葉を失う。
「ええ。あの子も今は元気にやっているわ。……今、幸せなのね?」
「はい!」
迷いのない答えだった。
「……そう」
彼女は周囲を一瞬見渡す。
(いるのね、近くに)
見えなくとも分かる。
黒猫の姿をした、魔王が。
(この子が幸せでいる限り、世界は保たれるはず)
「今日はありがとう」
「こちらこそです! 私いっぱい勉強して、リリアナ様やウィリアム君達がずっと幸せに過ごせるようにします!」
サラは、最後まで笑顔だった。
リリアナは、彼女の笑顔を確認すると安心した。
張り詰めた表情が自然な笑顔になった。
そんな彼女を見た御者も、明るい気持ちになって帰りの馬車を走らせたのだった。
それぞれが、それぞれのやり方で。守り、計り、支え、見守っている。
優しさの形は一つではない。
けれど確かに――
この世界は、誰かの想いで繋がっている。
黒猫魔王は、今日も静かにサラを、人々を見守っている。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
本作は「攻略キャラの母に転生しました」「聖女は魔王にさらわれて」と続いてきたシリーズの一区切りとなります。
優しさとは何か、守るとはどういうことか。
そんなことを考えながら書いてきました。
サラのようにまっすぐな存在も、
クロのように見守る存在も、
ヘンリエッタのように現実を支える存在も、
どれもこの世界には必要なのだと思っています。
この物語が、少しでも誰かの心に残っていたら嬉しいです。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。




