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4 「椿の簪」



「さて、さて。今日は食材のみでなく、日用品も買い足しておかねば。せっかくお前がいるのですから、ねぇ?」

「任せろ。この無双の戦鬼、荷物持ちも全身全霊でこなしてみせる」

「クス、もう♪」


 俺なりの冗談を受け、姉上はおかしそうにクスリと笑う。

 そうして店内の涼しい風を浴びながら、彼女は手慣れた手つきで買い物カゴ二つをカートに設置した。ブルームフィールド邸もいつの間にか大所帯となったため、一度の買い物で大量の物資を持ち帰らねばならない。そうした時にはやはり男手が必要となり、つまり無双の戦鬼の出番というわけだ。『立っているものは親でも使え』などというが、姉上は無能を重用などしない。


「くっ……!」

「なぜ感慨深げに目頭を押さえているのですか……」


 姉上が弟を頼ってくれる……たとえ荷物持ちという傍目から見れば小さな仕事であろうと、俺にとってそれはたまらなく嬉しいことなのである。姉上の幸せに寄与できているとなると、俺の自己肯定感も上がっていく。弟は嬉しい。泣くほど嬉しい。俺は今、幸せなのだ──!!


「幸せだ……」

「お前がそれほどスーパーが好きだとは知りませんでしたね」


 自動ドア付近で感涙する弟を、姉上は華麗にスルーしてカートをコロコロと押していってしまう。いかんいかん、俺にできる仕事をしなくては。

 姉上に追い付き、カートの持ち手をさりげなく取って代わる。こうした買い物の際には俺が荷物持ちをし、姉上が物品の選定に注力するのがいつもの流れだ。

 ……加えて今日は、もう一つ個人的な使命を帯びている。荷物持ちを率先して請け負ったこともこれに起因する。


「より新鮮な方は……ふむ、こちらですね」


 目利きにより青々とした野菜を取り分けていく姉上。その後ろ姿……特にその髪型に注目してほしい。

 常より和服を着こなし、黒の長髪を靡かせる大和撫子たる我が姉上であるが、今日はその趣が少々異なっていた。

 黒の着物はいつも通りなのだが……足元まで伸びる黒髪が、今日は妹と似たポニーテールとなっているのだ。

 これには理由がある。もちろん、まだまだ夏の盛りであるこの八月に、髪を下ろしたままでは暑いというのも一つであるが……。


「ん? どうかしましたか?」

「いや……」


 小首を傾げる仕草と共に揺れる艶やかなポニーテール。

 そしてその結わえる部分を貫く、一本のかんざし。造りは椿を模しており、その血のような紅は和服美人である姉上によく似合っている。


「──」


 ……俺が贈ったものだ。姉上の、誕生日の贈り物として。

 知っての通り、姉上の誕生日は七月二十六日。当日には盛大に祝いたかったのだが、異世界旅行への準備や本人が『現世に帰ってきた時に祝っていただきましたので』と遠慮をし、各人で贈り物をするという流れとなっていた。

 そうして俺は姉上の美しい髪に見合う髪飾りを探し回り、この椿を模した簪を贈った……まではいいのだが。


(これはいかん……!)


 ただでさえその容姿や着物で注目を集めるというのに、その色っぽいうなじさえ露にしてしまうとなるとこれはいかんぞ! 贈ってからこっち、たびたび愛用してくれているのは嬉しいが、少々露出が激しいのではないか我が姉上よ!

 ゆえに──俺が来た。俗物共の穢らわしい視線から、姉上の白く色っぽいうなじを守護するべくな! ひいては、この街に住む子ども達の性癖を守護するためにも。若い時分に姉上のうなじなど直視すれば、その子は最早うなじでしか興奮できぬ身体となってしまうに違いない。あまりに憐れだ……このうなじは悪鬼だけのものだというのに。決して手に入らぬ宝の輝きで、清い青少年の性癖を壊すのはあまりに憐れだ……!


「おや、ボク? 落とし物ですよ」

「あ、ありがとう、ございま……あ、あ──?」


 思っているそばから……!


「クス、まだ小さいのにお使いですか? 良い子ですね。えらいえらい♡」

「あ、あ──」


 いけない!

 買い物メモを落としたであろう男子児童が、早くも姉上の餌食となっている!

 子どものことはそう嫌いではないのか、わざわざ膝を折り、目線を合わせて微笑む姉上。一方でそんな美しい少女を前にし、譫言しか紡ぐことのできぬ少年。

 そんな呆けた様子の少年……その手を包み込むように優しく取り、姉上は買い物メモを握らせた。


「かわいい……♡ それでは♪」

「──」


 立ち上がると同時に、胸元に垂れたポニーテールを後ろへとかき上げる動作を見せつけつつ……姉上はそう言って少年に別れを告げる。熱っぽい視線で姉上を見上げることしかできなくなった少年を置いて。


「くっ……!」


 守護れなかった……あの少年はもう、尋常な異性では満足できぬ身体に作り替えられてしまったことだろう。人妻が如き色気と、"じぇいかっぷ"の乳房をもつ黒髪和服大和撫子にしか興奮できぬ身体に……!

 姉上に追い付きながら、俺は静かに涙を流した。


「なんと惨いことを……」

「な、なんでですかっ。落とし物を拾ってあげただけだといいますのにっ」


 沈鬱げに言う弟の言葉に、姉上は小さく頬を膨らませて不満を表す。やめるのだ! この上、年相応に可愛げもあるお姉ちゃんの顔を見せるんじゃあない! 少年の性癖が捻れ狂う! 死んでしまうぞ!!

 俺はこの街に住む者の性癖を守護すべく、美しい姉上に陳情する。


「姉上。その簪を気に入ってくれているのは大変に嬉しいが……」

「む、なんですか。お姉ちゃんが、弟の贈ってくれた髪飾りを身に付けてはいけないのですか?」


 深淵を宿す瞳が、じめっとした湿り気を帯びる。く、そんな表情もまた可愛らしい……!


「好いた女が、己の贈った装飾品を身に付けること。殿方は好きなのではありませんか?」

「好きだ。だが俺は心配なのだ……不埒者の視線が。視線のみならず、不埒者が声をかけてくることもあろうからな」

「簪の有無のみで、その頻度はそう変わりませんよ。かけてくる者は変わらずかけてきますし」

「しかし、そう、肌を出しすぎではないかと……」

「暑いのですから仕方ありますまい? お姉ちゃんはとても気に入っていますよ、この簪。造りや趣味もよく、普段使いにピッタリで」

「ぬ、ぬぅ……」

「……クス、それに……ねぇ?」

「む?」


 含み笑いをする姉上は、すすっとこちらに近寄り、とっておきの秘密を分かち合うかの如き声色で耳打ちした。


「これを付けて外に出ようとすれば──お前が必ず、慌ててついてくるのですもの。恋の多き悪ぅい鬼を独り占めするのに、これほど便利な道具はありませんわ……♪」

「……っ!」


 つまり姉上は、俺と二人きりになるためわざと簪を……。

 目を見開く弟の間抜け面に満足したのか、麗しの姉上は身を引き、ゾッとするほどの流し目をこちらに送る。


「分かりましたか?……それとも私の弟は、お姉ちゃんとする買い物デートはお嫌いなのでしょうか」

「っ、っ」

「そんなに懸命に首を振って。クス、良い子……では行きましょう。デートはまだ、始まったばかりですよ? ふふ、まったく……おかしい……♪」


 馬鹿のように首を振る俺に対してか、それとも色恋に耽る己に対してか。照れ臭そうに姉上ははにかんで『おかしい』などと言い、歩みを進める。こちらに簪とポニーテール、そしてうなじを見せつけながら。


「──」


 己の性癖すら守護できぬ者に、他人の性癖など守護できるものか──……。

 ゾッとするほどに美しく。

 年相応に可愛いらしく。

 そして狂おしいほどにいじらしい。

 そんな恋する乙女なお姉ちゃんの後を追いながら、俺は己の無力さを痛感するのだった……。

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