第54話 妹がいない朝
君ともしもの話を繰り返す。
もし私達が出会い直せたら、こんな出会い方をするだろう。こんなふうに心を交わすだろう。
あるはずのない、もしもの話。
だからこそ、好き勝手に言えてしまう、そんな作り話。
君は言う、私がきっと君の心を救うって。
私はそんな話を、眼を滲ませて聞きながら、そうだったらいいのになって願ってた。
『そんなわけ―――ないでしょう?』
誰かの声がする。低く冷たい、誰かの声。
『もしあなたが、くろえと出会ってなかったら』
それは、まるで私の全てを知っているかのように。
『もしあなたが『お姉ちゃん』じゃなかったら』
私の全てを言い当ててくる。
『あなたはこの子に、手を伸ばすこともできない』
そんな頭の裏から響く声に、私は何も言えない。
『だって、あなたは『お姉ちゃん』っていう言い訳が無かったら』
だから、笑顔を浮かべるふりをして、そっと眼を閉じる。
『自分のことが―――×××××なんだから』
ああ。
既に眠りに落ちかけている君の髪を撫でながら、ため息を吐く。
愛していると大好きと、むつみ合えば合うほど、胸の中の冷たさはより浮き彫りになっていく。
こんな、暗くて冷たい想いは。
明日になったら、全て忘れてしまえばいい。
縋るように君の手を握りながら、零れた涙をそっと布団の中に隠しながら。
静かに独り、眼を閉じて。
微睡みの中、その冷たい夜に私は夢をみた。
それはどうしてか、独りぼっちの頃の夢だった。
まだ君と姉妹になんて、なれていない頃の。
独り布団の中で涙を零す、ちっぽけな子どもの夢だった。
※
『お姉ちゃん』のやり方なんてわからなかった。
だから、私が真似をしたのは、その時読んでいた本の中の『お姉ちゃん』。
それは蒼い背表紙の児童書で、二人の仲良し姉妹が、あんな事件もこんな事件も、姉妹の絆を盾に何でも解決しちゃう、そんなお話。
そのお話の中のお姉ちゃんは、かっこよくて、頼りがいがあって、可愛くて。
そして何より、妹を誰よりも愛してた。
『お姉ちゃんが、妹を愛することに理由なんて要らないの』
それが彼女の決め台詞。
私は結局、そんな物語の彼女の真似を、ずっとしていただけ。
拙くて、みっともなくて、どんくさくても。
心の中で、その『お姉ちゃん』になったフリをしていた。
そうしていれば、こんな弱い私でも何かが出来る気がしたから。
本当の、くろえの『お姉ちゃん』になれるような気がしたから。
そんなだから、きっとずっと、見逃していたのだと思う。
だって、所詮これはただの真似事。
何処まで行っても、本物には、『普通』には、私はなれない。
結局、私は偽物の『お姉ちゃん』でしかなかったのにね。
そんなことにずっと、気が付いていなかった。
※
ぼやっとした視界を、そっとあげる。
眼元をこすると、少しかゆくて、泣き跡が滲んでいるのが分かってしまう。
朝の冷たい空気の中、布団をずらしながら、視界を回すと、すぐに異変に気が付いた。
「…………くろえ?」
いない……トイレかな。ただ、それにしては隣の布団は、もう随分と冷たくなっている。体温の名残もない。
ふらふらと覚束ない足取りのまま、バスルームに向かうけど、君の姿はない。
部屋の隅々まで探すけど、影も形も見当たらない。キャリーケースは置いたままだけど、手持ち鞄だけなくなっている。
そして、靴箱からは君の靴が忽然と消えていた。
段々と息が荒くなる、心臓がばくばくと変な音を立て始める。
まって、携帯。
そう想って、スマホを触ると、通知欄にくろえの文字があってホッとした。
よかった、何か連絡来てる。
お風呂でも行ってたのかな、それか売店に……。
そう想って、アプリを起動するけれど。
『ちょっと、行くところがあるから。はるは旅館で待ってて』
『夜までには戻るから』
残されていたのは、そんなメッセージ。
ぽつんと、何かがなくなってしまったような感覚が、胸の中を通り過ぎていく。
そっか、出かける用事があったんだね。
この旅には、残り半分目的があるって言ってたし、それのことかな。
何が起こるか分からないけど、きっとそれはくろえが、独りで向き合わないといけないことなのだろう。
じゃあ、待ってようか。今はただ、ここで、独りで。
一つずつ、一つずつ。
そうやって、自分に言い聞かせる。
大丈夫、大丈夫。
心配は要らないはずだから。
くろえなら、きっと大丈夫。
そう言い聞かせて、一息ついて。
ふっと振り返った先に、鏡があった。
部屋に備え付けの小さな鏡。冬の朝日の中、ぼんやりと光を反射する、その光景の真ん中に私の顔が映ってる。
色の落ちた―――抜け殻のような、そんな顔が。
指が段々と震えだす。
息が段々と小刻みになる。
不安で不安でたまらない。そんな鼓動に急かされるように、急いで着替えて、そのまま部屋を飛び出した。
あれ、どうして、私はこんなに焦っているのだろう。
廊下を走って、女将さんに少し心配そうに声を掛けられた。
事情を話すと、女将さんは笑って、手を振っていた。
お連れさん、しっかりした方でしたし、大丈夫だと思いますよ? 今日の夜まで泊りのご予約頂いてますし、そう心配なさらなくても、よろしいのでは?
そうだけど、そうなんだけど。あれ、じゃあ、何でこんなに?
こんなに、不安が消えてなくならないんだろう?
まだ落ち着かない私を見て、女将さんは少し心配そうに首を傾げる。
私はそれに慌ててお礼を言うけれど、まるで別の誰かが喋ってるみたいな、違和感が消えて失くならない。
なんで、どうして。
そんな、言葉が繰り返すまま。
私はそのまま旅館を飛び出した。
知らない街、知らない人、くろえの目的地すらわからない。
わからないけど、それでも私は。
君を探して、街を走った。
涙が零れる、息が荒れる、手はかじかんで震えてる。
でも、それでも、君を探して。
どうして、そんなことをしているのかすら、わからぬまんま。
雪が積もる街を、ただ独り駆けていた。
凍える風が吹きすさぶ中、君の名前を呼びながら。
※
本当は、愛し方なんて知らないの。
本当は、守り方も知らないの。
だって、愛されてる自信なんて、なかったし。
誰かに守られたことなんて、一体幾つあったっけ。
私にそんな××はないから。
だから、私の心はずっと、きっと、最初から。
欠けて、壊れたまんまだった。
そんな、当たり前でどうしようもない事実に。
私はまた独りになって、ようやく気が付いたんだ。
私は、結局、初めから―――。




