第3話 妹にご褒美をあげる―①
くろえは小さい頃から、本当に何でも出来た。
テストはいつも丸ばっかり、運動会では誰より真っ先にゴールして、クラスではたくさんの友達に囲まれて。
教室の隅っこで、独り本を読んでばかりの、私とは酷く対照的。
だから、お姉ちゃん、なんて半分強がりみたいな言葉だった。私がくろえを褒める権利なんて、ホントはどこにもない。
それでも、くろえがテストでいい点を取ったら一杯褒めた。撫でて、喜んで、抱きしめて。今にして思えばちょっと過剰なくらいだったかも。
多分、小さい頃に読んだ絵本に出てきたお姉ちゃんがそういう人だったから、姉はそういうものだと思い込んでいたのかも。
小さい頃のくろえは、そんな私をよくわからない生き物を見るみたいに、不思議そうに眺めてたっけ。
でもそんなくろえも、小学校の高学年辺りから、段々と褒めをねだるようになってきた。
はる、体育のドッチボール三人当てて勝ったよ。たくさん褒めた。
うーん、……今回は合唱のコンクール三位だった。滅茶苦茶に褒めた。
結果が上手くいっても、いかなくても、妹の頑張りを誰より褒めるのがお姉ちゃんだとそう思い込んでいた。
でもさすがに、高校生になって、大手を振って褒めることも少なくなった。
だから、改めて、ご褒美なんて言われても、何をしてあげたらいいかわからない。
くろえは、今日も沢山頑張っている。沢山の上級生に、猜疑と奇異の眼で見られながら、それでも堂々と自分の意見を口にしている。
そんな姿を見ていると、いつも隣に居るはずの妹が、なんだか遠いの存在のようにも思えてしまう。
それが少し寂しくて、それが少しだけ不思議だった。
こんな私に、どうしてくろえは―――。
そんな思考の狭間で不意に、くろえの唇が視界の端でちらついた。
あの場所の柔らかさを、感触を、立てる音を。
きっとこの場所で、私だけが……知っている。
会議の途中なのに、胸の奥が弱く、ドクンと脈打った。
あ、…………まずいなあ。
ふぅと息を吐きながら、少し火照りかけた頬を手で覆って隠す。
『―――ご褒美、期待してるね?』
何を―――?
くろえは、私に何をして欲しいんだろう。
熱と動悸が、思考をぐらぐら揺らす。
頭の中ではキスの感触が、際限なくリフレインし続けて、思わず頭ぶんぶん揺らす。
そしたら、一瞬だけ、くろえの視線と私の視線が噛み合った。
本当に、わずかな時間、でもくろえの首は、無言のまま心配そうに傾げられる。
『大丈夫?』
そう尋ねるように。
……ああ、しっかりしないと。
私は大慌てで首をぶんぶんと横に振ると、居住まいを正して、視線で『気にしないで』とくろえに返した。
くろえはじっと私を見つめた後、小さく頷くといつも通りの調子で会議に戻っていつまた。
……私は、どこまで応えてあげられるんだろう。
何をしたら、くろえは喜んでくれるかな。
横の席の科学部の部長が、少し不思議そうに首を傾げる隣で。
私は朗々としゃべり続けるくろえの口元を眺めながら、そんなことばかり考えていた。
※
結局、その後、思考はぐるぐる煮詰まり続けて、もうわかんないとなった果てに、くろえに全て委任することにした。
くろえの欲しいものだもの、くろえが決めるほうがいいよね、そりゃ。
そうやって、何度も言い聞かせてみるけれど、頭の中からは、ここ数日のキスの映像が消えて無くならない。
…………もしかしなくても、私とんでもない間違いを犯したのでは。
でもでも、くろえがそんな私が本当に嫌がるようなこと、したことないし。大丈夫なはず。
それに本当にまずい一線は、私の意思で拒めばいいんだ。
くろえが、大事な人する時のために、とっておいてと、優しく言えばいい。
なんてこと考えながら、上の空で夕ご飯を作ってた。おかげで、今日のハヤシライスは、少し焦げた味がした。
くろえは「いつも通り美味しいよ?」っていって食べてくれたけど、お姉ちゃん的にはとても反省。
そして、今日は何もないのかな、とちょっと油断していた、お風呂上がりのこと。
「はる」
ドライヤーで髪を乾かしていたら、不意に背後から、そう声を掛けられた。
「どうしたの?」
ドライヤーを止めて振りかえると、いつも通りのくろえの顔がそこにはあった。
くろえはいつもお外では、優しくて人当たりのいい表情を浮かべてるけど、家では少し無表情なことが多い。気が抜けてるみたいで、私はくろえのこの顔がちょっと好きだったりする。
「ご褒美決まった」
そんなパジャマ姿のくろえの言葉に、胸がぐっと思いっきり詰まる。
ええ、ええ、覚悟はしていましたとも。ただ思ったよりは、早かったね……。
「そっか、な、何がいい……?」
くろえは静かな瞳を、じっとこちらに向けている。私はなんとなく、気まずくなって視線を窓の外に逸らした。
キス、って言われたらどうしよう。さすがにダメな気もするんだけれど、まあ、ご褒美なら仕方ないのかなという気持ちもある。どうせ、もう数回しているわけなのだし……。いや、でも、うーん……。
なんて私の思考をよそに、くろえは私を見ながらゆっくりと口を開いた。
「今日は、一緒に寝よ」
停止した。
思考が。
手の中でドライヤーがずりっと落ちる。
「へ?」
と言葉が漏れたけど、数瞬、自分の声だとわからなかった。
寝る? 一緒に?
それって、あの、つまり、その。
ベッドに、インするということ?
頭の中で一線が、凄い勢いで飛び越えられる。運動会のゴールテープみたいに、あっさりと彼方に飛んでいく。
「や、へ、え、えと……えと、あ」
な、な、な何を言えば、なんて返せば。あ、姉として。
「…………言っとくけど、はるが考えてるような変な意味じゃないからね」
そうやって慌てていたら、くろえは少し呆れたように目を細めて、私をじっと見ていた。
え、や、そ、そうだよね。そう、私が考えているような意味なわけがない。まさか、まさか。
「だ、だよね……うん、い、いいよ。一緒に、ね、寝よっか」
どうにか声の震えを抑えながら、毅然としたお姉ちゃんの外面をキープする。暴風に煽られた、ビニールシートくらいペラペラな外面な気がするけど、深く考えてはいけない。
そんな私をくろえは半眼で眺めてから、少しおかしそうにくすっと笑った。
うう…………翻弄されとる。イニシアチブが全くない。
なんえ、ちょっと涙ぐみそうな私から、くろえは軽く手を振って、そっと離れた。
「じゃ、はるの部屋で待ってるから」
「う、うん。私も髪乾かしたらいくよ……」
そんなやり取りを終えて、くろえがリビングを去ってから、ようやくふうと一息ついた。
…………ちょっと落ち着こう。いい加減、動揺で心臓がどうかしそうだし。
ただ、そうやってしばらく息を整えながら、髪を乾かし終えたころにふと気づく。
「…………いや、一緒に寝るというだけでマズいのでは?」
そこに変な意味があろうが、なかろうが。
ちゃんと大人の身体をした二人が、同衾するということ、そのものが。
くろえは特にスタイルいいから、あれやこれやも触れ合ってしまうかもしれない。そしたら、私はどうなっちゃうんだ?
なんて答えを得たころには、もう全てが手遅れで。
ふっと見た窓の外では、ごうごうと冬の夜風が吹いている。
頭の中の一線は、もうどこか彼方へと飛ばされて、影も形もありはしなかった。
私、今日、妹と一緒に寝ます。
変な意味ではないはず。……多分。
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