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もう姉妹には戻れない  作者: キノハタ
第4章 姉と妹と親

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第36話 妹に触れる

 「身体―――触っていい?」


 口にするだけで、自分がとんでもないことを言っている自覚はあった。


 だって、今の私たちはただの姉妹じゃない。そういう眼で見てるって、くろえが口にしている以上、触れあうことはともすれば一線を越えることに繋がる。


 それがわかったうえで、でも指は、声は、止まらない。


 ちゃぽんと、音を立てながら、お湯の中の、君の手の甲にそっと指先で触れてみる。


 すると、君の手は微かに震えるけれど、それだけだ。まあ、お風呂場の中だから、逃げ場もないのだろうけど。


 そのまま、手の甲をなぞって、手首を通って腕へ、肘を伝って肩へと。


 指先で、優しく、でも確かに君の身体をなぞってく。


 今まで、こんな触り方をしたこと、あったっけ。


 褒める時に、優しく撫でるのとは違う。


 大好きっていう時に、ぎゅっと抱きしめるのとも違う。


 寂しい時に、手を繋ぎ合うのとも違う。


 君の身体の輪郭を、確かめるように―――そして、君が気持ちよく感じるように、そう意図して触れていく。


 ばくばくと心臓が胸の内で、音を立てて鳴っている。君に聞こえてしまうんじゃないかと思うくらい、大きく、騒がしく、忙しなく。


 そんな痛いほどの鼓動が、呼吸が、どうして不思議と心地いい。このまま二人一緒に、お湯の中に溶けだしてしまいそうな気さえする。


 どうして、こんな気持ちになるんだろう、わからない。


 小説やフィクションの中で、そういうシーンは山ほど見てきたわけだけど。


 実際にしたことのない私にとってそれは、ずっと、どこか遠い現実のことのようだった。テレビの中で見る、オーロラと変わらない。


 何かが、この胸を揺らすこと、それは知識で知っていた。


 何かが、この身体を急かすこと、それは物語で知っていた。


 でも、今日、初めて、私は、私の身体で、その意味を知る。


 どれだけ妄想を重ねても、どれだけ自分で慰めてみても思い至らなかった、この感覚を。


 私は、今、知っている。


 ふぅっと息が零れた。熱くて、湯気になって、零れていきそうな、そんな重い息。


 君は少したじろいだように、でも、顔を赤らめたまま、不安そうに私を見ていた。


 そんな君の顔を見ていたら、また、むくむくと私の胸の鼓動が、何かを求めて暴れ出す。


 君は大人の汚い部分を、私より知っていると言ってたね。


 その言葉の裏に、誰の影があるのか、なんとなく想像はできてしまう。少し前に出会ったばかりだし。くろえにとって、その人の存在がどこまで呪いになっているのか、ある程度は分かってるつもりだ。


 くろえはずっと、私のことを、そう言う眼で見てるって公言してたけど。それでも、私にそういう欲を向けることを、どことなく嫌がっていた。


 その理由が、なんとなく想像は出来る。


 ただ、出来るからこそ、君が見せた余裕を、崩したくなった。


 後ろめたい君の虚勢と強がりを、暴いて晒して、愛でたくなった。


 私自身の好奇と興味が、そんな欲望を更に後押しして、今、君に指を伸ばさせる。


 「ね、くろえ」


 肩口をなぞって、折れてしまいそうな鎖骨をそっと撫でる。そして、余った指をその白くて柔らかな首に絡ませる。


 「詳しいんでしょ? 教えてよ」


 不安そうな君に向かって笑みを向ける、いつも通り、安心させるような姉としての笑みを。


 「どうやったら、気持ちいい? どうしたら、興奮するの?」


 胸の内から、血が零れて、どくどくと溢れ出していくような錯覚がする。そして、そんな悍ましいはずの感覚が、今はどうしてかたまらなく心地がいい。


 「くろえは、どこに触って欲しいの?」


 ああ、今、私は、本当はどんな顔してるんだろ。


 「ねえ―――()()()()()()()()()?」


 少なくとも、妹に笑いかける、姉の顔ではないんだろうな。






 ※






 その人のことを――――お義父さんだった人のことを、私はいまだに、よく理解できてない。


 優しい笑みを浮かべる人だったと思う。毎日、手の込んだ温かいご飯を作ってくれて、私が泣いてると真剣な顔をして話を聞いてくれた。


 でも、あの人がくろえに、ちゃんと笑いかけているのを、私はついぞ見たことがなかった。


 一緒に過ごした時間は、たった数か月。


 そのたった数か月の後、あの人は、ある日の朝、煙のように消え去った。


 そんな人は今まで存在なんてしてなくて。それをその日、たまたま思い出しただけんじゃないかってくらい。あっさりと、痕跡すら残さずに。


 わずかに残された証明は、机の上に乗っていた、半分埋められた離婚届と。


 ぽつんと独り、行くあてもなく残された、くろえだけ。


 くろえは、あの人のことを、あまり喋りたがらない。


 だから、私も深く聞くことはしてこなかった。


 でも、あの人の影が、くろえの人生にずっと薄い暗闇を落としているのは、なんとなく分かってた。


 今日に至るまで、うちの才色兼備で、頭脳明晰、性格良好な自慢の妹に―――くろえに告白した人の数は知れない。男の子も、女の子も、たくさんの人がくろえに好意を告げてきた。


 そして、そのどれもが、あっけなく断られている。


 一度、どうして? って聞いたことがある。恋人とか、作ったりしないのって。


 今にして思えば、なんとも、心無い発言のような気がするけれど、当時の私は、何も知らぬまま聞いてしまっていたね。


 そして、そんな私の問いに、くろえはどこか寂しそうに笑いながら、首を横に振って呟いていた。


 きっと、私と付き合った人は、不幸になるからさ―――。


 私、そういう血が―――流れてるから。


 その言葉の意味を、私は、あの時上手く理解してあげることはできなかったけど。


 今なら少しだけ、解かる気がする。


 この子の中に残る、薄暗い影を。それを落とした、誰かの足跡を。


 もちろん、これはただの想像だ。ともすれば、妄想の域を出ないかもしれない。


 でも、そうやって、自分の心から湧き出る想いを否定する、妹を。


 自分の根本的なあり方を、抑え込もうとする、あなたのことを。


 私は、見過ごしたくはなかった。


 それを、あなたが必死に隠そうとしていることを、理解しながら。


 私の我欲(エゴ)と、独り善がりの欲望が。


 それを暴き出したくなった。


 ごめんね、くろえ。




 ※




 両の手で君の顔を、慈しむように包み込む。


 顎の硬さに触れながら、頬の柔らかさに触れながら、瞼の震えに触れながら。


 溶けるような熱に浮かされながら。


 身体をゆっくりと、押し倒すように君に向かって、近づける。


 「ねえ、くろえ」


 私の脚と、あなたの脚が、重なるように触れあっていく。段々と、触れる肌の感触が大きくなっていく。


 「くろえの気持ち、分かってきたかも」


 瞳を覗き込むように、顔を寄せていく。


 その心の奥を、見透かすように、困惑に染まる君の表情をじっと見る。


 「触りたいね、抱き着きたいね、もっと見たいよ、くろえのこと」


 顔に当てていた手を、ゆっくりと、首筋から下に向けていく。


 君の命の境を通って、段々と、鎖骨のあたりまで。手のひらを馴染ませるように、そっと滑らせていく。


 「くろえは―――どうされたい?」


 君の膨らみの、その始まる場所で、ゆっくりと手を止めた。


 いつか君が、私にそうしていたように。


 その境を委ねるように。


 だって、ここから先は、君の大事な場所。


 そこに触れればきっと、もう戻れない。


 私達は、もうきっと、この欲を見なかったことにはできなくなる。


 「いいよ? くろえのしたいようにして」


 「くろえのして欲しいこと―――してあげるから」


 とんとんと、あやすように君の鎖骨を撫でていく。


 熱と、熱と、熱で、侵された感覚が私の脳を満たしていく。


 でも、くろえからの答えはない。


 君を息を呑むように、何かに魅入られたみたいに、じっと私のことを見つめてる。


 まるで、演劇の役者が、次の台詞を忘れてしまったみたいだ。


 もう少しつついたら、その薄い仮面の奥を、晒してあげられるのだろうか。



 あと――――少し。



 だから。



 私は。



 そっと。



 指を。



 その、下に―――――――。
























 「なーんてね」









 そう言いながら、私は、くろえから身体を離す。


 それから、じゃぽんと背中を浴槽に、勢いよく預けた。


 「………………え」


 呆けたくろえが、じっと私のことを見つめてくる。顔はいつのまにやら、お湯のせいか酷く赤くなっていて、すっかりのぼせていそうだった。


 「ふふふ、お姉ちゃんだって、大人の側面があるということがわかった? これに懲りたら、勝手に子ども扱いしないことー」


 言いながら、お湯の中に口を逃がして、ぶくぶくと泡を吹く。我に返ると、私も人のことなんて言えないくらいには顔が熱い。心臓はずっとバクバクいってるし、耳まで脈打っているような気がする。


 「は、はる……今の」


 くろえはまだ動揺しているのか、呆然とした子供のように狼狽えてる。ただ私はあえて、なんでもないように、ひらひらと水中に手を泳がせる。


 「ていうか、同意も取らずに無理矢理するわけないでしょ。くろえだって、最後まではしなかったし。お姉ちゃんは、良識派なので。そこんとこは、きちんと弁えてるのだよ。ぬんぬん」


 途中まで散々触れといて、この言いぐさは如何なものかと思うけど、今は勢いが肝要だ。言うだけ言った後、私は口を水中に再び逃がすと、そっとくろえから視線を逸らす。


 「…………そ、そう。私、本当にするかと、勘違い……しちゃった」


 そういったくろえの声は、普段の凛とした声と同じとは思えないほど、小さくすぼんで儚げな響きをしていた。


 「…………まあ、えと…………ぬん」


 私は思わず、余計に紅くなりそうな顔を、水中に深めに隠して、胸の中から零れる息をぶくぶくと吐き出し続ける。


 そうして、少しだけ気まずい沈黙が、浴槽の中に流れてく。


 ……………………。


 根拠も確証もない、ただ勘なのだけど。


 多分、さっきの瞬間、大事なところに触れても、くろえは拒絶しなかったような気がする。


 そして、そうすることで、この子が抱える暗い仮面を無理矢理に剥がしてしまうこともできたのだろう。


 別にそうしたってよかった。そうすることを、くろえも望んでいたのかもしれない。


 でも、指が、そこに触れかけた瞬間に。


 ふと。


 このまま触れてしまったら。


 くろえの心に、取り返しのつかない傷をつけてしまうような、そんな気がした。


 君の気持ちを、歪めて、壊して、消えない疵を残してしまうような。


 無理に秘密を暴くことで、くろえが、自分から大事なことに踏み出す機会を、一生、奪ってしまうような。そんな気がしてしまった。


 だからかな、最後の一線は、上手く越えられなかった。


 …………わからない、結局、私のただの思い込みかもしれない。


 でも、今、ふと見上げた妹の顔に。


 少しだけ、安堵の色が見えたような気がしたから。


 今は、これでいいのだと、そう想う。


 身体の奥で、相変わらず、急かすような何かが喚いているような気がするけど。


 きっと、今はこれでいいのだと。


 私は自分に言い聞かせながら、そっと独りお湯の中で、ただ頷いていた。


 …………ちょっとだけ、惜しいことをしたような……そんな後悔からは眼を逸らしながら。


 そんな私を、くろえは出会ったばかりの頃のような、少し曖昧な視線でぼんやりと見つめていた。



 「…………で、えっちな眼では見れたの? はる」


 「……………………うん、まあ、はい。……くろえはえっちだったよ」


 「…………ばか」



 そうやって、私たちの年は暮れていく。


 取り返しのつかない変化と、いつも通りの日常を、ない交ぜにして。


 さなぎの中で、幼虫の身体が溶け合って、変わりゆくように。


 まだ、誰に知られることすら、ないままに。






 
















 「さて、うちの娘たちは、ちゃんと元気にしてるかなー」

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