第2話 姉と並んで帰る
ご褒美、なんて言ってみたけれど、はるに任せる以上、そう深刻なものにはなるはずがない。
精々、頭を撫でるとか、ハグとか、そこらへん。帰り道にカフェオレでも買ってくれるとかもあり。
まあ、どれにせよ、きっと可愛いものだ。私が決めるよりは遥かに。
…………もし私が、はるに何でもいうことを聞いてもらえたら、何をお願いするだろうか。
キス―――でもいい気はするけれど、どうだろうね。
もっと過激なものにしてもいいのかもしれないけれど、それだときっと嫌われちゃうし。
しばらく考えて、軽く肩をすくめると、後ろのはるは不思議そうに首を傾げてた。
さて、無駄話もこれで終わり、さっさとお外用の私に切り替えましょう。
多目的室の前まで来た私たちは、扉の前で、少しだけ身なりと呼吸を整える。
息を短く吐いて、脳と身体の状態を軽く観察。
緊張、はしてるね、まあ今日の仕切り私だし。
まあ、でもこれくらいの緊張は慣れてる。さして困るものでもない。
隣のはるはどこか震えた手で、必死に自分の頬を打っていた。気合を入れているのかな、ぺしぺしと可愛い音が響いてるけど。
くすっと笑って、さっき込めた緊張を、意図的に軽く解く。
「じゃ、いこっか、はる」
「う、うん!」
そうして、軽く微笑みながら、自然体に二人で足を踏み出した。
「お待たせしました。じゃあ、今期の部会を始めましょうか」
※
うちの学校の部会は、各学期にごとに二回ある。
今回は、二学期後期の部会。議題は体育館とかの場所の割り当てと、主に来季の予算、他各種学校行事のこと。
集まってくるのは、この学校に数多ある部活動の部長および、その代理の人たち。
当然だけど、一年の私から見れば、全員上級生でハッキリ言って舐められてる。
まあ、どれだけ異例で副会長に抜擢されたって言っても、年下だしね。部会の仕切りもこれが初めて。みんな好き勝手言ってくるだろうなっていうのは、予想がついてる。
だから全員、掌の上で踊らせると、会議が始まる前に決めていた。
「はい、鮫島部長のおっしゃる通りです。その件が生徒会でも頭を悩ましてまして、協力して解決に当たっていければなと考えています」
といっても、強硬策になんて出たら反感も買う。円満な関係を築けるにこしたことはない。
「そうですか……バレー部は中々難しい状況ですね。コートの問題も、他の部活との兼ね合いも。そこで川端部長……ご提案なんですけど、規定時間外の利用という手段もありまして。はい、先生方にはもう許可は取ってあります」
結局、人間を動かすのは、信用と数だ。
「我々、生徒会は、全ての生徒のサポートをするために存在しています。部員数の多い部活が大きな部室や予算を使うのは、数が多いがゆえに、ただそれが必要だからというだけです。――――つまり多数派であるということが、無制限の権利を持つわけでないのは、徳田部長なら、よくご理解されていることかと思います」
褒めて、宥めて、すかして、言葉で相手を気持ちよくして躍らせる。
「はい、ごもっともです。そちらの意見を踏まえ上で、資料の後ろから三ページ目の予算案に目を通していただいてよろしいでしょうか。先ほどのご指摘に沿って、制作した代替案になります。はい、畑部長の先ほどの発言を踏まえれば、満足いただけるかと思います」
生憎と、そういうのは得意な性質だ。
「はい、では、こちらの第二予算の方で決定とさせていただきます。……文芸部の羊宮先輩は、きちんと必要経費の提出をお願いしますね♡」
別に何も変わらない。いつも通り、他愛なく。
「では、これで二学期後期部会の方を閉会とします。
―――お忙しいところ、ご参加いただきありがとうございました」
ふぅと軽く息を吐いて、多目的室の部長たちを見回した。
数十分前まで、私に対して向いていた好奇や侮りの色は、もうそこにはない。
畏怖、関心、信用、警戒。
もう、私をただの年下だと侮る人間はここにはいない。
だって、そうなるように仕向けたから。
人の心なんて簡単に解る、そして容易く利用できる。
生まれつき私は、ろくでもない父親譲りの、そういう人間だ。
そんな自分の性質が、時に疎ましく思うこともあるけれど…………。
ざわざわと会議が終わって空気が弛緩していく中、多目的室の隅っこでこっそりと私に向かって、ぶんぶんと手を振っているはるが目に映った。
……褒めてくれてるのかな、まだ生徒会の打ち合わせがあるから、今日は一緒に帰れないけど。軽く微笑んで、他の人には見えないように、こっそり手を振りかえす。
まあ、うちの姉に褒められるなら、こんな性質も悪くないかと。
そう思えるようになったのは、一体いつの頃からだったろうか。
※
部会の後、生徒会の面々との打ち合わせも終えたころ。生徒会長の白乃さんが、私をちらっと見てきた。何か言いたいとき、この人はこういう目配せをよくしてくる。
なので、帰りの準備をしている他の役員からそっと離れて、白乃さんの隣に歩み寄る。それから、少し首を傾げた。
「どうしました? 白乃さん。今日の部会、何か不備がありましたか?」
私の言葉に、白乃さんは軽く肩をすくめて、短めの髪を揺らした。
「んー、不備? 特にないよ。部長連中の主張先読みして、言わせるだけ言わせたと後に本命の予算案ぶつけるような奴に、改めてツッコむとこなんてあるわけないでしょ。
まあ、強いて言えば柿崎が『俺、会計なのにやることねえ!』って泣いてたくらいじゃない?」
そう言いながら、白乃さんは、ふぅと呆れてるのか感心してるのかわからない息を吐く。
「なるほど、盲点でした。柿崎さんには、またフォロー入れときます」
身内のフォローも大事かと、一つ認識を改める。まあ、今度少し大事な案件を任せれば、自信も回復してくれるかな。
「あとは、ちょっと完璧すぎて可愛げがないくらいかな。でも、まあ下が優秀だと上は楽だわ」
「へえ……。じゃあ、柿崎さんのフォロー、白乃さんにお願いしますね。余裕ありそうですし」
「ほんっと強かだな、お前は…………」
白乃さんはそう言うと、眼鏡の奥の目を細めて私をすっと見上げてくる。今度はさすがに呆れ多めかな。
そうして私があらぬ方向を見ていると、他の役員は帰りの準備を終えたようで、挨拶をして生徒会室を去っていった。柿崎さんがちょっと半泣きだったから、まあ、今度、真面目にフォローしといてもいいかもね。
そうして、ドアが閉まって、しんとした時間が一瞬流れる。
ま、ここからが、本題だろうか。
「で、『ご褒美』は何もらうんだ?」
「聞こえてたんですか……? プライバシーの侵害ですよ」
私がそう言うと、白乃さんはどこかしたり顔を浮かべてた。
「校舎内は、誰が聞いてるわからんから気をつけな。でもまあ、多分、私しか聞いてないよ。で、何貰うんだ? ていうか、どこまでいった?」
……はあ、なんで、こんな人にバレちゃったかな。したり顔の白乃さんから目を逸らしつつ、一つため息。
「別に、そんな大したことしてません。それに、ご褒美ははるが決めるんで、多分白乃さんが考えてるようなことにはならないですよ」
私は軽く息を吐きながら考える。頭を撫でる、ハグする、一杯褒める。あとは……なんだろ、よくておでこにチューかな。はるの羞恥心だと出来るの、それが限度だろうし。
「なんだ、つまんないな。押し倒したりとかしないのか?」
「やりません、そんなことしたら本当に終わりです」
なにせ、今の私たちの関係はいつ破綻してもおかしくない。はるが一度拒絶してしまえば、それでおしまいだ。
そんな実態をわかっていないのか、わかったうえで揶揄っているのか、白乃さんは残念そうに口を尖らせた。
「なんだ……期待してたのに。リアルで姉妹同士のあれやこれやんて、普通そうみれないんだぞ?」
「それはご期待に添えず、申し訳ありません。ただ、発言には気を付けた方がいいですよ、私いざという時のために、会話、録音してるんで」
「そんなもの公開したら、困るのお前だろう」
そう言って、白乃さんは軽く笑った。はあ、本来はできる人のはずなんだけどなあ。他人の恋路となるとだめだね。出るとこ出したら、セクハラで訴えられるぞ。
「じゃあ、このまま琥白にばらしますね」
そう言って、私はさっきまでつけていたスマホの録音を止めた。
「……それは後生だから、やめてくれ」
すると白乃さんは、座ったまま流れるような速度で頭を下げてきた。なんて綺麗な謝罪姿勢。これが学園のトップの姿か。
「はるのことで、下世話な妄想一杯してたって報告もしときます」
「すまん、まじでやめてくれ。ただでさえ、この前、しの姉と同じコップ使うの嫌とか言われたのに」
琥白にメッセージを送ろうとした指に、必死に縋りつく生徒会長の憐れな姿を見ながら、私はとりあえずスマホをしまう。まあ、揶揄いの仕返しはこれくらいでいいかな。
マジで送ったら、本格的にあっちの姉妹関係がまずいことになりそうだし、やめとこう。
「冗談ですよ。……まあ、なんにせよ、白乃さんの、ご期待通りにはならないですよ」
なにせ今の私とはるの関係は、薄氷の上を並んで歩いているようなものだ。
破綻するぎりぎりを、足元の膜のように薄い氷が、どうにかひび割れないようにゆっくりと歩いてる。
でも、どこかで必ず限界が来る、どこかで必ず拒絶される。
足元の氷の膜は、いずれ音を立てて崩れる。必ず、絶対に。そしたら、全ては極寒の湖の底だ。
軽く息を吐いて、鞄を背負った。下らない話はこのあたりにしておこう。確かはるが、今日の夜ご飯、ハヤシライスって言ってたし。
「じゃあ、お疲れ様です」
「ん、お疲れ。気を付けて帰りな。でもさ―――」
そうして軽いやり取りの後、私は生徒会室を後にした。
すっかり人もいなくなって、暗くなった廊下を小走りで駆けていく。
ああ、寒い。コートは着てきてるけど、冬休みも近い校舎の中は、それでも身体が凍りそうなくらいに冷える。
いつもの黒のマフラーに顔をうずめて、私はそそくさと逸る足を動かしていく。
早く帰ろう、でないと凍えてしまいそうだ。
そう想いながら、昇降口の前をすっと曲がった時だった。
下校時刻はとっくに過ぎて、もう誰もいないはずの下駄箱に。
日も落ちて、真っ暗で寒くて仕方がない、その場所に。
なんでか、見慣れた影がいるような……。
先に帰っといて、メッセージ送っといたはずなんだけどな。
私は小走りにしていた足を尚のこと速めて、その人影に駆け寄った。
寒くて、暗くて、寂しいはずの冬の夕暮れの中。その姿を見るとどうしてだか、寒さが消えていくような、そんな気がしてしまう。
気のせいのはずなのに、首に巻いた黒のマフラーは確かに暖かくなっているように感じる。
気のせいかな、気のせいだね。
だから、本当に身体が冷えてしまわないうちに。
今日も早く、二人で、家に帰って暖まろう。
そう想いながら、私を待っていた姉にそっと走り寄る。
「はる、待ってたの? ……ごめん、寒かったでしょ」
「ううん、そんなに待ってないよ。……なんとなく、今日は一緒に帰りたくなっただけだから」
言いながら、はるの手をそっと握ってみる。
どこがそんなになのやら、すっかり白くて陶器のように冷たくなった手を、そっと包むように握っておく。
「嘘吐き、こんなに冷えてさ。風邪引いちゃうよ。早く帰ろ」
「うん、そうだね。ああ、それとね―――くろえ」
そう言ってはるはそっと耳打ちするように、私に顔を寄せてきた。
どこかいたずらっ子のような、なのに不思議と優しい表情で、冷たさで赤くなった顔を私に向ける。
そんな時、不意にどうしてか蘇ってきたのは、さっきの白乃さんの言葉だった。
『あの灰琉が、本当に、お前の考えてる通りに動くのか?』
「部会の前に言ってたご褒美なんだけどね」
「私から、くろえにあげるご褒美」
「それね、えっとね」
「やっぱり、くろえが決めていいよ」
「くろえが欲しい物だから、やっぱり、くろえに決めてもらった方がいいかなって」
「あ、で、でも変なのはなしね」
「ちょ、ちょっとくらいなら、頑張るけど…………」
「それでいい? くろえ。……くろえ?」
ビシッと、足元で何か大きなひびが走るような錯覚がする。
耳元で、どこか恥ずかしそうに言葉を紡ぐはるの姿を、横目で見やる。
寒さで紅くなった頬を。少し冷えて色が変わった唇を。少し不安そうに潤んだ目元を。
懸命に自分の考えを話すあなたを、私はじっと見つめる。
………私の自由に……ね。
こっちの気も知らないで、なんてことを言ってくれるんだか。
心配そうに私の反応をみるはるを見返しながら、私は喉の奥から漏れかけた言葉をそっと抑えた。
私達の足元の薄氷は、簡単に割れてしまうほどに、脆く儚い。
はるが何の気なしに、私の方に一歩足を踏み出す、それだけで致命的なひびが入るほどに。
私としては、この関係を、もっとゆっくり惜しんでいたいんだけれどね、仕方ないなこの姉は。
私の思い通りに、ちっともならないはるを横目に、冬の暗がりに棚引く雲をそっと見上げた。暗く重く、夜中に雨でも降り出しそうな雲だ。
いっそ押し倒すか……、なんて出来るはずもないことを考えながら。
私達はいつも通り、二人並んで帰った。
足元で、薄い氷が音を立てている。
ピシピシと、静かに、でも確かに。
あなたはまるで、なにも気付いていないみたいに笑ってた。




