第32話 妹とキスをする
キスをした。
初めて、くろえに、自分から
恥ずかしいと思ってた、そんなことできるわけないって思ってた。
でも、想いとは裏腹に、体は自然に君の方へと向かってく。
まるで、それが当たり前だとでも、言うみたい。
胸の奥に抱えた何かが、ふと芽生えていく様な温かさが、私の体を満たしてく。
それがきっと、何よりも雄弁な、心の答え。
「ねえ、くろえ」
「もしもの、話してもいい?」
ふと考えた。
触れ合うまつげを、かかる吐息を、重なる唇の感触を味わいながら。
初めて、自分からキスをした、その瞬間に震えた身体の意味を知りながら。
もしも。
もしも、あなたと違う出会い方をしていたら。
私達は、こんな想いを、抱いていられたのかな。
もし、あなたと姉妹じゃなかったら。
家族じゃなくて、友達じゃなくて。
なんでもない、他人同士だったら。
私達はこうやって唇を重ねられたのかな。
身体がじんわりと、淡い震えで満ちていく。
正直、自信ない。姉妹という繋がりが無かったら、私はあなたにとって、有象無象の誰かにすらなれない気がするから。
きっと、あなたは相変わらず『特別』で。
誰からも愛されて。誰からも尊敬されて。
白乃さんや、琥白ちゃんや、生徒会のみんなにちょっとずつ絆されながら。
きっと私が顔も知らないような誰かと、恋をしていたのかな。
唇をゆっくり離す。
柔らかくて吸い付くような感触が、少しずつ消えていく。
漏れた息が、熱に侵されているようで。
だけど、凍えるような夜風が、火照る吐息から、少しずつ温もりを奪ってく。
「もし、もしもね」
「私たちが、姉妹として出会わなかったら、どうなってたかな」
「こんなふうに、隣に居られたのかな」
そんな問いに、君は少し息を詰まらせた。
「私は……ちょっと自信ないかも」
わかってる、話すことも、触れあうことも、きっと出会うことすらないことも。
それくらい、あなたと私は、住む世界が違っているから。
同じ学校にいるはずなのに、私とあなたは、あまりに違う場所で生きている。
それが、とても辛かった。ずっとずっと、苦しかった。
私はあなたに、相応しくない。あなたは私なんかに、相応しくない。
『特別』なあなたと、『普通』にもなれない私。
だから、あなたを愛すことはあっても、愛されるなんて、まして愛し合うなんてあってはいけない。
ずっと、そう――――想ってた。
だから、くろえの恋は勘違いだと思うことにした。そうしないと理屈が合わなかったから。
あなたが私なんかに恋をするはずがない、そんなこと期待していい訳がない。
あなたの想いに気付いた時ですら、私は心のどこかで、その事実受け止めきれられなかった。
でも、あなたはそれでも、私に想いを告げてくれたね。
あの時、咄嗟に答えは出せなかったけど。
この関係を、姉妹という繋がりを、壊してしまうことが、何よりも怖かったけど。
それでも隠せないものが、あれから、私の胸の奥でずっと息づいていた。
これはくろえのためだから―――なんて嘘。
くろえの想いは勘違いだから――――これも嘘。
私にそんな価値なんてない――――違うでしょ、本当に言いたいことは。
ふぅ、と漏れる息が震える。君は少し滲んだ瞳で、私のことをじっと見つめてた。
吹きすさぶ夜風に、漏れる白い息が、あっという間に流されていく。
ごうごうと吹いている風の音が、喉の奥が脈打つ音と混ざって、上手く聞こえない。
ずっと、取り繕っていたこと。姉という仮面に、押し込めて、隠していたこと。
白乃さんに、その立場を揺さぶられて。
皆の前で、あなたを傅かせて。
そうして、今、あなたに自分からキスをして。
あなたが皆に受け入れられるのは、とても嬉しい。でも、だからこそ鮮明に感じてしまう想い。
この胸が早鐘を打つ意味を、その理由を、ようやく理解できてしまった。
それは独り善がりで、わがままで、子どもっぽい、そんな感情。
息が震える、逸る脈拍が、身体を急かす。
いつかの夜、貪るように私を求めていた、あなたの情動を、今、ようやく理解する。
ああ。
「そしたら、私たちは、ただすれ違うだけの関係でね」
「きっと仲良くもなれなくて、くろえは私の顔も名前も知らなくて」
ああ。
何かが私の背を押している。
違う。
私が、私の心が、身体が、想いが、衝動が。
私の手を引いている。
伝えなきゃ、言葉にしなきゃと。
あなたへの、この想いが、私の手を引いている。
「こうやって、キスすることもなかったのかな」
熱い何かが、喉の痛みと一緒に、零れてく。
ぽたとぽたと、雫になって、形になれなかった想いが、ただ。
冬の夜風の中、零れてく。
「……やだね」
「そんなのやだよ」
「だって、私は、くろえと一緒に居たいの」
「手を繋いで歩いてたいの」
「寒かったら身体を寄せ合って」
「一緒に作ったご飯を食べて」
「寝るときも一緒がいいの、離れてなんていたくないの」
「子どもっぽくても、おかしくても、誰に嗤われたとしても」
「そんな風に一緒に居たいの」
「誰にだって、とられたくないの」
「私は、くろえの隣に居たいの」
「ねえ、くろえ」
「ごめんね、こんな情けない私で」
「でもね、それでもね」
「本当に、ずっと、ずっと」
「くろえのことが」
「世界で一番」
「――――大好きなの」
※
それはきっと、独り善がりの欲望でした。
あなたを私だけのものにしたい。
誰にも渡したくはない、誰にも触れさせたくもない。
妹の頑張りを応援するお姉ちゃんが、決して持ち合わせてはいけない感情。
行き過ぎた愛、独占と束縛、好意という名の依存の鎖。
だから、そんなものは自分の心の中にありはしないと、姉という仮面で見えないように蓋をしていました。
でも、どれだけ蓋をしたとしても、想いは何処にも消えてなくなってはくれません。
姉のような振る舞いをする、白乃さんに嫉妬して。
みんなの前で、あなたを傅かせて。
今、こうやって、自分からキスをして。
身体はゆっくりと、でも確かに、私に語りかけてきます。
誰が、誰を、求めているの?
あなたは、本当は、どうしたかったの?
許されることではありません。くろえの足かせになってしまうかもしれません。
でも、今日皆の中で過ごしてみて、もし笑って受け止めてくれる誰かがいるのなら―――私は、どうしたかったんだろうと考えてしまいました。
その想いは、きっとずっと前から決まってて。
そんな解りきった答えを合わせを、私は今日、やっとできたのかもしれません。
たとえ、この想いが、誰に許されるものでなかったとして。
たとえ、この想いが、私の独り善がりにすぎないものだとしても。
湧き上がる想いに、きっといつまでも嘘はつけないのでしょう。
だって、くろえとキスをしていると、とても心地がいいから。
あなたとこうやって触れあっていると、どうしても安心してしまうから。
寒空の下、他に何の温もりもないこの場所で。
あなたに触れる、ほのかな熱を感じるだけで。
私の身体は、想いは、どうしようもなくあなたを求めてしまうから。
この胸の高鳴りが、ずっと私にその想いの名前を、告げていたから。
そう、きっと、ずっと―――。
私は妹に、恋をしていました。
あなたと、恋に落ちました。




