第18話 姉との無防備攻防戦—①
帰り道は、我ながら少しぼーっとしていた。
はるとお互い、目を合わせることすらおぼつかなくて。隣を並んで歩いているのに、少し不自然な距離があって。
いまいち、現実をちゃんと認識できてない。
こんなこと許されていいのかなって、感じがする。
想いを告げれば、拒絶されると思っていた。あんな真正面で受け止められるとは思ってなかった。
それくらい、はるにとって受け入れがたいことを言ったはずだ。『姉妹』と枠組みを、誰よりも大事にしていたのがはるなのだから。
だというのに。
すっかり陽も落ちた冬の暗がりの中。下校路を歩いている最中に、指が微かに触れあった。
冷たくて仕方のない風の中、同じように冷たい指の感触が、いやに鮮明で。
ちらっと隣を見ると、同じようにこっちを見ていたはると目があった。
何かを探るような……何かを期待しているかのような。
少し朱に染まった頬を見て、なんとなく、試しにその指を絡ませてみる。
人差し指と人差し指を、まるで指切りでもするように。
そしたら、抵抗なく指はすんなりと絡み合わせられて、そのまますっと握り返される。
次は中指を。親指を。薬指を。小指を。
最後に手のひら重ね合わせて。
すっかり冷えたその手の平を、まるで存在を確かめるみたいに握りあう。
そこに拒絶はなく、まるでそうするのを待っていたかのように、すんなりと指は絡み合っていく。
お互いに何も言わない。だって、寒いし早く帰らないといけないから。
ただ、いつもと違う感覚があるとするのなら。
どうしてか、胸を苛むような罪悪感が、少し和らいでいたくらいだろうか。
あなたが、答えを出す、その時までは。
私はまだ、あなたに甘えていられるから。
その想いを、あなたが知ってくれているから。
違いは、きっとそれだけで。
それだけで、今は満たされていた。
触れ合う指に、少しずつ熱が灯ってく。
その熱を逃がさぬように、握る手にそっと力を籠めた。
あなたがこの手を離す、その時までは―――。
そんなことを想いながら。
指先を、きゅっと握り返してくる、あなたのほのかに温かい手の温もりを感じてた。
※
その日の夜、リビングで琥白にメッセージを打ち終えたころ。
ブーンという音がスマホから、そっと響く。ちらりと通知を覗いたら、見えるのは『白乃さん』の文字。
………………なんか、嫌な予感するなぁ。
文面はほとんど見てないけれど、どうしてか、あんまり読む気になれない。なんでだろう、タイミングのせいかな。はるとごたごたがあった、その夜に突然飛んでくるメッセージ。ないとは思うけど、琥白の反応から推理して察するなんてことも、あの人ならやりかねない。
しばらくスマホをにらめっこしてから、そっと画面を机に伏せた。後で見よう、なんとなくだけど。
そう思っていると、丁度、ガチャっと扉が開く音が、背後からした。
「くろえー、お風呂空いたよー」
「うんー…………」
ちらりと振り返ったら、はるが湯気を纏いながら、ほわほわとした表情で扉から顔を出していた。いつもそうだけど、お風呂に入った後のはるは、色々とゆるゆるになってる気がする。
そんなはるは、そのままとことこと歩いてくると、私の背後から顔を覗かせて、そっと小首を傾げてきた。
「どうしたの? なんか難しい顔してる」
そういう姉からは、どことなく甘いシャンプーの匂いが漂ってくる。私と同じものを使ってるはずだけど、どうしてかこの匂いを嗅ぐと胸の奥がふわふわする。
「んー、白乃さんから、連絡あったんだけど。なんか嫌な予感して……」
ぼんやりと、そんな根拠のない懸念を口にする。本当に根拠はないんだけれど、こういう時の勘はそれなりに当たってしまう。かといって、未読スルーするわけにもいかないし……。
「へー、会長ってそんな無茶振りしてくる人だっけ?」
「別にそうじゃないけど。なんていうかな、そこ普通気付く? ってことを、こっちが一番ドキッとするタイミングで言ってくる人だから……」
はるの件がバレたのもの、もちろん予定外だった。口外してないからいいけど、面白がってはいるからなあ、あの人。
そう微妙な顔をする私の言葉を、はるはふーんとどこか他人事で聞いている。
「おー……くろえは、いっつも大変だね」
「そうだよ、これでも結構頑張ってる」
「よしよし、くろえはえらいよ」
適当に伸びをしてそうぼやくと、ふわふわな表情のはるが、そのまま私の頭をもしゃもしゃ撫でてくる。こういう時のはるはなんだか楽しそうで、小さい頃は気恥ずかしかったけど、私もすっかり慣れてしまった。
人間ってのは不思議なもので、頭を撫でられるとなんでか強制的に、安心してしまうものらしい。頭の奥の緊張は静かに、ゆっくりと解けていく。
「じゃあ、ご褒美くれてもいいんだよ?」
言いながらちらっとはるの方を窺うと、え? とちょっと戸惑って紅くなった顔がそこにあった。
「えと……えと」
「じょーだん。もう充分もらってるから」
なんたってこちらとら、10年で飼いならされてるからね。具体的な餌が無くても、褒めるだけでやる気が出るようになってしまってる。まあ、揶揄いとしては上出来かな。
というわけで、私はよっこらしょっと腰を上げる。さあ、お風呂にでも入ろうか。
そう想いながら、ふっとはるの方を振り返った時だった。
そう言えば、さっきから顔は見てたけど、はるがどういう恰好をしているかまでは注視していなかった…………。
だから、振り返った先にあった光景に、思わず少し閉口する。
視界に映ったのは、真っ白なキャミソールとショーツだけの、無防備なはるの姿。
当然、大事なとこ以外ほとんど見えていて、紅くなった肌はどことなく煽情的だ。ていうか、上の下着緩んでるから、胸の膨らみが半分見えてるし。
はるは体温は高めだから、その恰好で平気なのかもしれないけど。私としては、少しため息をつかざる終えない。
「前から、言うに言えなかったんだけどさ……」
「…………うん?」
微妙な笑みを浮かべながらそう切り出すと、はるは不思議そうに首を傾げた。
「私ははるのこと好きなわけじゃん、性的な意味で」
「…………う、うん」
自分で言ってて、顔が火照りそうだけど、あえて無視してさも当然のことのように言ってやる。はるは案の定、顔をぼんと真っ赤にして、羞恥でしおしおとしぼんでるけど。
「そんな私の前で、そういう恰好するの、ちょっと無防備が過ぎるよ?」
なんて言ってみるけれど、話としては、落ち度があるのはどう考えても私だ。ずっと家族として暮らしてきた相手に、発情する方がどうかしている。
どうかしてるわけだけど、それを認知したうえで、無防備でいる方にも多少なり問題はあると思うわけですよ。
「………………にゃ、にゃるほど」
言いながら、はるはしばらく自分の恰好をそっと眺めて、尚のこと顔を真っ赤にしだした。
「ご理解いただけた?」
まあ、家でくらい気を抜きたい、っていう気持ちははわかるけど。私の心の平穏の問題的に、申し訳ないけど自重して欲しい。好いてる相手が、常に無防備で家の中をうろつきまわっているのは、色々と我慢しなくちゃいけないんだよ。
「で、でも、私の裸なんて見慣れてない? だって、小学校の頃は一緒にお風呂入ってたし…………」
ただ、はるも納得いってないのか、ちょっとばかり抵抗してくる。上目遣いで、顔を赤らめて。そういう表情すら、いじらしいっていう自覚あるのかな。
「そうだね、あの頃からちょっとえっちな眼で見てたよ」
そう口にすると、はるはそのままさらに顔を紅くしだした。そろそろ、湯気でも出てきそう。
「にゃ……にゃ…………」
「好きな人の裸が目の前にあるんだもの、見るでしょそりゃ。さすがに悪いと思ったから、小4の頃には一緒に入るの辞めようとしたのに。はるが無理矢理一緒に入ってきたでしょ。こっちは見ないようにするの大変だったんだから」
お陰様で想い人の胸が少しずつ膨らんで、女性らしい丸みを覚えていく過程を、間近で観察してしまってる。
我ながらキモいから、墓場まで持っていくつもりだったけれど。もう気持ちを明かしてしまったから、今更隠す意味もないんだよね……。
「そ、そそんな…………」
「…………ま、そういうわけだから、ちょっと隠してくれるとありがたいかな。私も見ないようにはするけどさ」
口にしてから、胸の奥がちょっとだけずきっと痛む。ここまで言っといて、いざ距離を取られたら、多分それなりに傷つく私もいる。自分で言うのもなんだけど、めんどくさいな、私。
言いながら、ふぅとため息をついて軽く目を閉じる。そうしている間に、隠してくださいという意味合いも込めて。
ただしばらく眼を閉じていても、あまり動く気配がないので、そっと瞼を開けてみる。
視界の真ん中にいたはるは相変わらず、肌を曝した格好のまま、じっと自分の身体を見つめてた。まるで何かを確かめるかのように。
「…………はる?」
声をかけても、しばらく返事はなかった。でも、やがておずおずと顔があがると、不可解そうにそっと首が傾げられる。
その無邪気さ加減が、私の胸の奥の暗い劣情を煽るとも知らずに。
「…………でも、私の身体にそんな見るところある?」
………………一回、本気で押し倒さないとわからないのかな、この姉は。
そうやって深々と息を吐く私を、はるはどこか不思議そうに見つめてた。
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