第16話 姉に言葉を告げる
「好きだよ―――はる」
きっと、もっとうまい伝え方は幾らでもあったけど。
「世界の他の誰よりも」
はるが断れない言い方も、はるの罪悪感を刺激する言葉も。
「一人の『女の人』として大好きなの」
考えることはできた、その気になればきっと、私の想いに縛り付けることだって出来たはず。
「私は、はるに―――ずっと恋をしていたの」
なのに、口から出た声は、バカみたいに愚直で、駆け引きや比喩の一つもなくて。
私の心の中から拾い上げて、そのまま持ってきただけみたいな。
何の加工もされてない、ただそれだけの言葉。
胸の奥で熱を持った心臓が、微かに震えてる。
吐く息は冷たいのに、身体は焼けるように熱い気がする。
ああ、それにしても変な話だね。
生徒会の副会長として、それ以前から、人前に立つことは別に苦じゃなかったはずなのに。
部会で沢山の部長たちを前にする時よりも、全校集会で何百人の前に立つ時よりも。
はるの―――今、この人の前に立つことのほうが、何よりも私の胸を動揺させる。
はるはじっと、どこか潤んだ瞳で、真剣に私の言葉を聞いている。
この人はいつもそう、普段は逃げて怯えてばかりの癖に、大事なところではちゃんと向き合ってくれる。
私の心を、ちゃんと見てくれる。
それだけでよかった。
それだけで幸せだった。
そっか、私は、あなたが私の心をちゃんと見てくれているのなら。
それで、よかったんだ。
この気持ちを、あなたが知ってくれているのなら。
私は、それで満足だったんだ。
※
言葉を告げて、どれくらいの時間が経ったのだろう。
何も言えない、何も聞こえない時間の中で、視線だけを交わして私たちはただ向き合っていた。
現実的な進展は、何もない。
そもそも、こんな想い、あなたはなんとなく察していたはずだ。そうなるように、私自ら仕向けていたはずだ。
でも、それでも、こうやってあなたに言葉を伝えられたことが、今は何より嬉しかった。
胸の奥がじんわりと温かくなる。ずっと蓋をし続けていた大切なものを、ようやくあなたに見せられた。
私は、それだけで満足だった。
「くろえ…………」
「……あ、返事を強要するつもりはないから。ていうか、すぐに答えなんて出せないでしょ?」
はるはいつも、気持ちがはっきりするのに時間がかかるから。
お義母さんに、寂しいっていうだけで、どれだけ時間がかかったかわからないくらいだ。
案の定、はるの目線は少し下がって、申し訳なさそうにそっと頷いた。そんなに落ち込まなくていいのにね。
「代わりじゃないけど、一杯、悩んで? 私も一杯悩んだから。そのうえではるが出した答えなら、私はそれで納得するよ」
そんな言葉を、まだ瞳が動揺で揺れてるあなたに、あえて笑って口にする。
そう、結局、現実は簡単にはいかない。
私達は10年間姉妹として過ごしてきて、周りもそう扱ってきた。
今更、恋人になんてなれるだろうか。関係の変化にはるの気持ちが、追いついてくれる保証すらどこにもない。
そうでなくても、友達に、お義母さんに、社会に、どう説明すればいい。
どう言っても、きっと後ろ指を刺されることに変わりはないのだろうし。
どんな決断をしても、きっと誰かを傷つける。そして、そこにはもちろんはるの心も含まれている。
何が正しい、なんて答えはきっと、どれだけ探しても見つからない。
だから、すぐに答えは出ない。それはいい、わかってる。
それでも、言葉にすれば、想いは進むんだ。どこに向かうかはわからないけど。
そして今、私にできるのは、信じて進むことだけかな。我ながら、らしくない答えだけれど。
どうかせめて、私たちの行きつく先が、最良でなくとも納得を経たものであるようにと、ただ祈る。
「…………難しいこと言うね、くろえは」
はるは、どことなく涙目で、そうぽつりと呟いた。
「うん、ごめん。いっつも困らせてばっかりで」
軽く笑ってそう言うと、はるはふーっとため息をついて、ふんっと軽く胸を張る。
「まあ、任せなさい。いつになるかは……わからないけど。私も頑張ってくろえに答えを返すから。だって―――」
その言葉の続きを、私はそっと微笑んで待つ。
「……………………」
ただ、少し待っても、いつもの常套句は飛んでこない。軽く視線で疑問を投げると、はるは困ったように口をもごもごさせていた。
「………………はる?」
「えと…………もしかして、『お姉ちゃん』っていうの嫌?」
そう言いながら、心配そうに上目遣いの視線が飛んでくる。うーん…………。
「どうだろ? おねえちゃんぶってるはるは、可愛くて好きだけど?」
「うぐ……」
そう言うと、はるは顔を赤らめながらたじろいだ。ただまあ、はるの言わんとすることも分からなくはない。
一度、『お姉ちゃん』って言葉に噛みついてるもんね、改めて想いを告げたら、気になるのは、まあ自然かな。
うーん、でもなあ……。
「さっきとは、矛盾したこと言うけどね、はるのことは『おねえちゃん』としてもちゃんと好きなの。『家族』としても、『友達』としても、ちゃんと好き。ただ、そうじゃない好きの気持ちにも、気付いて欲しい……って感じかな」
どうにか言葉を探しながら、そう告げる。我ながらしちめんどくさいことを言っている気がするけれど、これが一番今の気持ちに素直な気がする。
私ははるが好き、本当にいろんな意味で。
「うう…………な、難解なことをいいよる……」
ただ、ややこしいから、案の定難しい顔をされてしまった。
「ま、そういうとこも含めて、段々わかっていって?」
何せ十年かけた想いだもの、そう簡単にわかったり、割り切ったり出来ないものでしょう?
それだけの時間を、まるで雪が降り積もっていくように、長い年月をかけて、私たちは積み重ねてきたんだから。
軽く笑ってそう言うと、はるは少し諦めたように、肩をすくめてそっと頷いた。
「はあい……精進します」
そんな様子に、くすくすと笑みを浮かべる。
そしたら、はるも少し気が抜けたのか、あははとどこか力なく笑ってた。
まるで、いつもの私達だ。ずっと、こうやって毎日を繰り返してきた。
喧嘩して、仲直りして。
寄り添って、離れて。
行ったり、来たり。
ステップを踏むように、手を繋ぎながら、二人で踊るみたいに。
「ごめんね、困らせて。でも、ありがと、はる」
「いいよ。私も、ちゃんとくろえのこと見れてなかったし。あと、ありがと、ちゃんと伝えてくれて」
そうやって二人で、くすくすと笑い合う。
胸の中の強張りは、気付けば緩んでしまってて。
いつもの安心感と、緊張が抜けた熱が、ぼうっと思考を揺らしてく。
答えはまだない。でも、それでいい。
あなたが答えを探してくれてる。今の私は、それでいい。
そんな幸せを、じっと少しの間、噛みしめる。
そうしていると、はるは少し不思議そうに首を傾げた。
「くろえ?」
そう言って軽く小首が傾げられた瞬間に、思わず視線がはるの唇にそっと向く。
「………………」
少しだけ、身体が熱い。緊張した後に、安心したから。
あと、なんとなくむずがゆい。まるで何かを急かすみたいに。
ああ……、うん……これは。
「ねえ、はる」
「…………なに?」
ちょっと、あれ……だね。
「私、ちょっと今、……キスしたいかも」
今の今で、ちょっとバツが悪いけど、正直に口を開いてみる。
はるは少しあんぐりと口を開けていたけど、段々と理解が追いついてきたのか、顔がみるみる紅くなっていく。
「…………そ、それは、そのせ、性的な意味で?」
なんだ、その問いは。乙女になんてこと言わせるつもりだ、この人は。
そう想って藪にらみしかけたけど、どう考えても、色気づいてるのは私の方か。
仕方ないので、諦めて、口を開いた。
「そう、はい。そうです。今、はるに触りたい、キスしたい。…………性的な意味で」
言って思わず、頬が焼けそうなほどに熱くなるのを感じる。
ああ……恥ずかし。いや、ずっとやってきたことだけど、改めて言語化すると恥ずかしい。
ふぅっと息を吐きながら、ちらりとはるを窺うと、どこか気まずそうに…………違うな、恥ずかしそうに目線を逸らしてた。顔は耳まで真っ赤かだ。
「えと、その、ここ学校だよ?」
「そうだね」
「か、帰るまで、我慢できない?」
「我慢できない、今すぐがいい」
いや、ほんとは我慢できるけど。今はこうやって押す方が、私は好みだ。
ゆっくりと身体を寄せて、はるの手をそっと握った。お互い冬なのに手の先まで熱くて、どっちの熱だかわからない。
はるは真っ赤な顔のまま、あわあわとあちこち見ていたけれど、やがて逃げられないことを悟ったらしい。ぐっと目線が伏せられる。
そうして、手を握ったまま、そっと身体を近づけていく。
ちいさく一歩、腕が触れあう。
ちいさくもう一歩、胸が微かにこすれ合う。
もう一歩、頬が触れそうな距離まで来る。
大好きな人の、柔らかくて、紅くて、綺麗な肌が、今の目の前にある。
「はわ……はわわ」
はるは動揺したままだけど、それ以上逃げる様子もない。軽くじゃれるみたいに、首元にそっと顔をうずめると、少し身体がビクンと跳ねた。
いつもより、だいぶ高い体温に触れながら、微かに甘いはるの身体の匂いを感じる。
こうしてると、はるに包まれているみたいで、心地いい。10年分の、安心の記憶がここにある。今は少し、期待の動悸のほうが勝ってる気がするけれど。
指をそっと恋人のように絡め合う。そして、ゆっくりとじりじりと、そのまま身体で、はるを背後の壁に押し付けていく。
後ずさりしながら、はるの身体が、とんと壁に触れた。もう逃げ場はない。
「く、くろえ…………えと、その…………」
はるは口では若干抵抗している風に聞こえるけど、腕はもうすっかり、強張りも解けて抵抗を諦めてる。その気になれば、簡単に抜け出せるはずだし。ここ数週間、身体に教え込んだ甲斐はあるかな。
はるの手汗で湿って指が濡れる感触すら楽しみながら、耳元に顔を寄せて、あえて耳に息が触れるように言葉を囁く。
「していい? ―――キス」
それだけではるの身体はビクンと揺れる。耳も感じやすいから、ここもゆっくり開発していきたいね。時間をかければ、もっと感じるようになってくれるかな。
「え、え、えと…………」
はるはしどろもどろになりながら、言葉をどうにか探してる。
今までキスに許可なんてとったことないし、それをはるが許容したこともない。
だからまあ、これは半分お遊びみたいなものだ。
いい感じの所で、我慢が出来なくなったとでも言って、唇を奪えばいい、いつも通りに。
本当は、部室でこんなことをしてるという、背徳感も味わっていたいのだけれど、今はどうにもキスをしたい気持ちの方が勝ってしまう。
ああ、はやくしたいな。でも、もう少し焦らした方がいいかな。
はるが、もう一度、答えを言い淀むまで―――。
「い、いいよ―――――?」
――――――。
初めて奪った時は、気持ちよさよりも胸の痛みの方が強かった。
二回目からは少し快感を感じる余裕はあったけど、それでも罪悪感は消えてなくならかった。
許されないことをしている、無理矢理にあなたを犯してる。
そんな気持ちが、頭の片隅にずっと残り続けてた。
でも、もし。
もし、この行為が許されたなら?
あなたが、私を受容れてくれたなら?
そのときのキスは、どれだけ気持ちがいいんだろう?
なんて、妄想自体は何度もしていたけれど。
ああ。
唇を食む。
濡れた、その場所を、そっと重ねる。
ああ。
舌であなたの中を舐る。身体の内側、粘膜のその上を。
これは、まずいな。
身体が浅く震えてる。でも腕の中のあなたはもっと熱く震えてる。
あたまが、おかしくなる。
ぴちゃっという音が、口の中でする。ぷちゅっという音が、あなたの中でする。
あなたに行為が受け入れられる。ただそれだけで。
快感で頭が弾けそうになる。幸福を司る神経が、そのまま唇と舌に移ってしまったみたいだ。
あなたの頬が火照るのがよくわかる、指先も悶えるように暴れてる。それを無理矢理、握りしめて、抑えつける。私から一時だって離れぬように。
愛を受け止めてもらえてるという、それだけのことが、どうしようもなく気持ちいい。
快感に震えながら、それ以上に快感に震えているあなたを、唇で、腕で必死に抱き留める。
このまま、このまま、あなたを快楽で染めてしまえたら。
あなたの感覚と感情を、私だけに染め上げてしまえたら。
一体、どれほど、気持ちがいいのだろう。
唇が濡れるたび、舌があなたの中をなぞるたび、あなたは微かに身体を震わせ続ける。
そんなともすれば、暴力的な快楽の波の中。
私はあなたに、必死に縋りついていた。
今、この瞬間だけは、あなたは私のものだと刻むため。
冬の放課後の、他に誰もいない部室の中。
そうやって、あなたにキスをしていた。
呼吸すら忘れたまま。




