第12話 姉に嫌われたい
『羊宮さんって、何というか、大人びてるよね』
そんなことを、よく言われる。
『副会長は、理性的っていうか、合理的っていうか。偶に本当に年下? ってなるよ』
そういう風に演じてるからね、実態の私とは程遠いけど。
『お前は割と大事なとこで、お子ちゃまだよなー』
そんな白乃さんの評価が、まあ一番妥当かな。
だって、本当に大人だったら、はるに対して無理に迫ったりしないでしょ。
それに、本当にはるのことを想うなら、さっさと身を引いて、はるにとっての幸せを願うだけの役回りに徹するべきだ。
だって、私の隣じゃあ未来がない。沢山の人から批判と好奇の目で見られてしまう。まかりまちがっても、私の腕の中ではるは幸せになんてならない。
そんなことはわかってる。
わかってるから、もしはるに好きな人ができたら、その人に任せていいか、なんてことも考えた。
…………その時は、ふりでもいいから、笑って応援するつもりだったんだけど。
――――ダメだった。
琥白が、はるに迫ってる時、図らずも自覚する。
ああ、自分のものにならなくても、その人が幸せならそれでいい―――なんて願える程、私は健気な人間じゃなかったみたいだ。
別にわかってる、多分、琥白に特別な意図なんてない。
琥白ははるのことが大好きだけど、それはあくまで、先輩として、優しい姉のような存在としてだ。私みたいな、淫らな欲ではるのことを見ていない。
それでも―――許せなかった。
私のはるに触れていることが、私のはるに迫っていることが。
そして、はるが―――もちろん困惑の方が勝ってはいるけれど―――誰かの腕の中で頬を染めていることが。
許せなかった。
たとえそれが形だけの物であっても。
どけ、そこは私の場所だ。
誰にだって、渡すものか。
そんな壊れそうな感情をどうにか抑えていたっていうのに。
解かりやすすぎるほどに、何かを隠したはるの表情を見ていたら。
もう耐えられなかった。
だから、そのまま押し倒した。
はるは腕の中で頬を赤らめて、耳に息を吹きかけるたび、喘ぎ声を必死に抑えている。そんな情景見ながら、あえて、琥白に見せつける。
私のは胸の中で紅くて、黒くて、どろどろとした何かが沸き立ち続けるのを、ただ感じる。
心臓が痛いくらいに脈打っている。血が脳の中を駆け巡る感触まで感じられる。
はるの頬が上気する。その高く震えた声が、鼓膜を揺らす。少し切なそうに身体を擦り合わせてる。
それだけで、どろどろとした何かが、胸から溢れていきそうになる。
いけないことをしている。許されないことをしている。
そんな無意識の痛みを、興奮した心臓の早鐘が、ぐちゃぐちゃに塗りつぶしていく。
ちらりと窺った琥白は、困惑で頬を赤らめたまま顔を手で抑えてるけど、視線はじっとこっちに向けられている。
どうかな、期待してる? この先を、もっといけないことを。
その要望に応えてもいいけれど。
………………ただ、まあ。
目の前で、頬が触れあいそうなほどに近くで見るはるの瞳が。
揺れて、滲んで、真っ赤で泣き出しそうなところを見ると…………。
「と、トイレ行ってくる!!」
ま、そろそろ限界かな。
はるは口を抑えたまま、顔を真っ赤にして立ち上がる。そのまま部室を抜け出して、逃げるように走り去っていった。
まあ、さすがに、外でキスさせたりはしてくれないか。
軽く息を吐いて、ふぅっと肩を回した。
文芸部の部室は、さっきまで喧騒が嘘みたいにしんとしてる。
「………………」
そんな中で、琥白はじっと私のことを、どこか恨めし気に見つめてた。
※
「こら」
数分の沈黙の後、そう言いながら琥白の足が、私の脛にこつんと当たった。
「何?」
私はあえて、とぼけた風に応えてみる。
「…………見せつけたでしょ、わざと」
じっと恨みがましくも、滲んだ視線に、私は軽く息を漏らした。
「なんだ、気付いてたんだ」
相変わらず、単純だけど察しは良いね。さすが白乃さんの妹……って言ったら琥白は怒るけど。
「百歩譲って、私はいいけど……。ああいうことしたら、はる先輩、傷つくよ」
もうとっくに傷つけてるよ、といったところで、余計怒られる気がした。
「……わかってるよ、そんなの」
だから、視線を向けないまま答えを返す。今日も窓の外は、相変わらずどんよりとした曇り空だ。
「……? じゃあ、なんでそんなことやってんの、らしくないじゃん」
紅い顔のまま、私をじっと睨む琥白を横目に、私はふぅとため息を吐く。
「わかんない……自分でも」
結局、私ははるとどうなりたいんだろう。どうなったところで、未来がないのだけはわかっているけど。
「何それ……?」
案の定、琥白からは怪訝な表情が飛んでくる。八木原姉妹には、比較的素を見せている方だけど、ここまでだらしないとやっぱり呆れられるか。まあ、私だって逆の立場だったら呆れてるだろうね。
さて、今度は何て言って謝ろうかな、この前仲直りしたばっかりだけど。
こんな調子じゃ、そのうち、本当に愛想がつかされてもおかしくない。
「…………いっそ、嫌ってくれたら……楽なのにね」
そうやって漏れた声が、細くて途切れ途切れで、自分でも笑いそうになる。
そんな私を琥白はじっと、涙目のまま見つめてた。ただ、いい加減、紅くなっていた顔は戻ってきてる。
「…………正直、私は、まだ、あんたと灰琉先輩の関係、ちゃんと分かってないけどさ」
視線は揺るがない、真っすぐと私をそのまま射貫こうとしているみたい。
この子の、こういうとこが、たまに少し羨ましい。
私もこういう真っすぐな心を持っていたら、はるとの関係も少しは変わっていただろうか。
こんな無駄に猜疑と、不安と、歪んだ情愛ばかり抱えた心じゃなければ。
『普通』の妹だったら、もっといい方法があったのかな。
「あんた―――どう見ても、嫌われたいなんて顔、してないけど?」
ああ、痛い。
どうしようもなく、逃げ場すらありはしないのに。
真実は時に、残酷なまでに痛々しい。
軽く視線を伏せて、制服の中のネックレスをそっとなぞった。
そんな私を琥白はじっと、何かを探るように見つめてた。
※
同じクラスの、羊宮 黒江は、まあ、それなりにいけ好かない奴だ。
別に嫌な所があるとか、人として冷たいとかそういうわけじゃないけど。
むしろ優しいと思うし、勉強も偶に見てくれる。私がボーっとして先生に当てられたら、そっと教科書を指さしてくれる程度の仲ではあるし。
みんなにも慕われてる。とびっきり優秀。しの姉に一目置かれてるのも、まあ納得な感じなのだけど。
でも、なんていうんだろうか。
時々、賢過ぎて怖くなるし、不意にとても冷たい目をしてる時がある。
直感でしかないけれど……まるで他人をゲームの駒みたいに見ているような、そんな瞬間が偶にある。
そして、そういう裏の部分を、きっとほとんど他人に見せてない。
笑顔でみんなの中心にいるのに、その心の内を誰にも晒さずに過ごしてる。
そういうところが、ちょっといけ好かない。あんなに優しい灰琉先輩の妹ってところも、余計だけどさ。
だから、今、目の前で少し俯きがちに、視線を落としているこいつが意外だった。
そんな顔できるんだね、そういうとこ、もっとちゃんと見せてたら可愛げがあるっていうのに。
はあ……と軽く息を吐きながら、黙るくろえを尻目に、今日起こったことを想い返す。
えーと、灰琉先輩の小説がロマンス寄りになって、それで恋してるのって私が聞いて、灰琉先輩切なそうな顔をして、なんかぐわってなって迫ったら、くろえが来て、そしたらくろえが嫉妬して、灰琉先輩にまた迫って……。
そして、多分、何より。
この二人が、『普通』の姉妹関係ではないと気づいてしまった。
「…………うぐぐ」
情報量が、情報量が多いよ……。
一つ一つでも、結構引きずりそうなのに、いっぺんに見せられたから余計に訳わからなくなってる。誰かに吐き出したいけれど、こんな大事な秘密、そう簡単に人には言えないし……。
しばらく感情が身体の中で、じたばたするのを堪えて、ぐぬっと黒江の方を見上げる。相変わらず黒江は、叱られた子どもみたいに、しゅんとしていた。いつもの完璧なこいつの見る影もない。
「ねえ、黒江…………」
そんなだから、思わず、声をかけてしまった。
「…………なに?」
返事もどことなく、覚束ない。はあ、ったくしゃーないなー。
「別に答えたくなかったら、それでいいけど。あんた灰琉先輩のことが……その好きなの? …………なんていうか、特別な意味で」
その問いは、私がしの姉のことで聞かれたら、笑い飛ばすようなもの。
だけど、黒江は―――。
「うん―――そうだよ」
静かに、でも確かに、答えてくれた。
もちろん、今更否定する意味がないだけかもしれないけれど。
でも、くろえは誤魔化さなかった。
「ぐぬぬ…………」
あー、頭の中がぐるぐるする。
禁断、背徳、姉妹なのに、世間の眼、誰かにバレたら―――。
色々考える。考える。考えて、考えて……。
考えた果てに、ぐぬっと私は顔を上げた。
あーもう、考えるのめんどくさい!
友達が悩んでたら、普通、味方になるでしょ!
大好きな先輩が笑顔になれないなら、普通、なんとかするでしょ!
そんくらいで、私はいいの!
私の気持ちがまだ落ち着かないけど、今はそんな場合じゃないし!
「なら、しっかりしろバカ!」
そして、私は短い足を延ばして黒江の尻を、げしっと蹴り飛ばす。
大半の衝撃が椅子の方に吸われて、むしろ私の足の方が痛いけど気にしない。
黒江は少し驚いたように目を見開いてる。そんな表情も珍しいなと、ふと思う。
「好きな人に嫌なことしたならすぐ謝る! 好きなら好きってちゃんと言う! しゃんとしろ! あんたはいつも完璧な、羊宮 黒江でしょうが!」
がっと立って、バッと扉を開ける。それから、困惑したままの黒江にびしっと指を差す。
「私が、今から灰琉先輩連れ戻してくるから! ちゃんと謝んなさいよ! いい!?」
そうやって啖呵を切ると、黒江はしばらくどこか呆けたように固まっていたけれど。やがて、小さくそっと頷いた。
私はそれに頷き返してから、扉をバンッと閉めて、廊下に歩き出す。
ああ、もう、あのバカ! これ以上、灰琉先輩、泣かしたら承知しないんだから。
早足で、逸る胸と、しっちゃかめっちゃかな頭を抱えながら、廊下を走る。
「……………………」
ただ、少しして、でも、と思う。
脳裏によぎるのは、さっきまでの灰琉先輩の顔。
どこか寂しそうで、どこか切なそうで。
なのにどこか頬を赤らめて、いじらしくて。
まるで大切な誰かを想うような、そんな表情をしてた。
あんな顔をしている人が、迫られて、あんな……声出して、本当にただ嫌われてるだけなんてことがあるのだろうか。
あれはむしろ灰琉先輩も……いや、でも。
わからない。私、バカだから何もわかんないけど。
それでも、あーーーー! 悩んでも仕方ないじゃん!
なんでもかんでも、結局やってみないと、伝えてみないとわかんないんだから!
大好きな先輩のためで、腐れ縁の友達のためだから!
仕方がないったら、仕方がないの!
そうして、何故か滲む瞳を抱えたまま、私は全力で廊下を走り続けた。
もう! こうなったら!
絶対、仲直りさせてやるんだから!!




