第9話 姉を誤解する
朝、鏡の前で貰ったネックレスをぼんやり眺めた。
小さく、控えめな、とてもはるらしいプレゼント。
先端には、これまた小さなリングが、ちらりと揺れている。
『繋がり』とか『ずっとあるもの』と、はるは言った。
ネックレスを送るということに、意味は幾つかあるけれど、はるはこの贈りものにそういう意味込めたんだ。
私が抱いた気持ちを、それが許されないものだと知って尚。
「………………」
本当に困った人だね。こっちとしては、高校を出たら、家を出て、二度と顔を見せないくらいの覚悟はしてたんだけど。
あの人はまだ、私のことを手放してはくれないらしい。
「…………なら、仕方ないか」
軽く漏れた息は、諦めに近い色をしていた。
だって、はるがそう決めたなら、私なんかじゃ覆せない。
はるが手放さないと決めたなら、私がどれだけ逃げおおせても、必ず最後には捕まってしまう。多分、何年と何十年とかかっても、諦めてはくれない気がする。
なら、いっそ開き直って、そばに居させてもらおうか。
あの人が、私のことを諦める、その時までは。
ブラウスの下に、隠すように、そっとネックレスを忍び込ませる。
胸元に、冷たく、微かに金属が触れる感触がする。
はるは意識してないだろうけど、ネックレスを送ることには、『独占』や『束縛』の意味もある。
お前は私のものだから、と首輪をつける行為に近い。
それを踏まえたうえで、そのネックレスをもう一度見て、思わずほくそ笑んでしまう。
さて、こんなものを私に着けたんだから、相応の責任は取ってもらおう。
あの人が、私のことを手放すその時までは。
たとえそれが、ほんの僅かな時間でも。
「くろえ」
部屋の外から名前を呼ばれて、声に誘われるまま腰を上げる。
立ち上がると同時に首元で、ちゃりっとチェーンが微かに音を鳴らした。
こうやって、繋がれるのも悪くないと想えてしまうあたり、いよいよ私の倫理観も壊れ始めている気がするけど。
ま、今更か。
そう想いながら、扉を開けた。あなたはいつもと変わらぬ調子で、私にそっと笑顔を向けた。
その微笑みから、結局、私は逃げ出せないままでいる。
※
ここ数日の学校は期末試験も終わって、冬休みを待つだけの期間に入ってる。そのせいか、どこか空気が弛緩して、心なしか欠伸がよく目に入る。
テスト前より随分早めに切りあがった授業の終わり、私は軽く伸びをしながら、この後の予定を考えた。
冬休みの明けの行事や、卒業式、入学式。諸々の準備は正直、大体あてをつけているから、無理に今日生徒会でやるべきことはない。
それに、この前、白乃さんに全部独りでやりすぎだと注意を受けたばかりだし、あんまり先走るのもよくないかな。
結局悩んだ末に、生徒会ラインにメッセージだけ送って、文芸部に顔を出すことにした。
相変わらず曇りばかりの冬空を端目に眺めながら、文芸部の小さな部室の扉を開ける。
「はるー、今日、いつごろまで活動してる?」
扉を開けがてら、そんな風に声をかけて、ちらっと視線を部屋の中に向けてみた。
押し倒されていた。
はるが。
琥白に。
…………………………は?
「え、あ、あ、くろえ?! え、えと、違う、違うの!」
はるの顔は真っ赤だ。琥白に押さえつけられたまま、必死に弁明してる。
「そ、そう、違うから! 違うからね、くろえ! 誤解だから!」
琥白もほぼおんなじ文言を繰り返しながら、机の上ではるの身体を押し付けたまま離れやがらない。
二人の頰は火照ってる。部屋の暖房も妙に暑い。腕を押さえつけて、迫っているその様子はどう見ても情事の前段階だった。
頭の中でぷちんと何かが、千切れ飛ぶ。軽快に、空の向こうまで。
「おっけ、わかった。大丈夫、心配しないで」
言いながら、スマホを取り出して、とりあえずシャッターを切る。
「「なんて撮ったの?!」」
ふうと息を吐きながら、口からもれる息にどうしても熱がこもるのが、抑えられない。仕方ないから、気持ちを落ち着けるために、質問を一つする。
「とりあえず琥白、あんた海と山、どっちが好き?」
私の問いに、琥白は顔を赤らめたまま、はてと首を傾げた。
「え、どっちかっていうと海……?」
その問いに私はゆっくり頷いて、琥白の首根っこを掴んでから、はるからべりっと引っぺがす。
「そう、沈める方ね、オッケー」
海まで運ぶのが、少し手間だけど。まあ、教師を何人か脅せばできなくないか。
「え?! 私、始末されんの?!」
琥白は涙目になりながら、必死に叫んで暴れているが、残念ながら私よりちっこいので大した抵抗になってない。
「大丈夫、全身詰めると、重すぎて運べないから、実際は足を少し詰めるだけだよ」
そんな私の言葉に、はるはどことなく涙目のまま、あわあわ仲裁をしようとしてるが、今はあえてスルーする。
「現実的な沈め方は聞いてないって!! っていうか、なんでそんな詳しいの!? あんの?! 誰か沈めたことあんの?!」
なんてわちゃわちゃすること、およそ数分。
本当は実行したいのはやまやまだけれど、結局、はるが半泣きになって止めてきたので、沈めない方向で話はまとまった。……ちっ。
「え? 今、灰琉先輩の説得無かったら、私本当に口封じされてたの?」
隣で琥白は困惑したままだったけど、あえて今は置いておく。
「で、何があったの、はる?」
「え、えーっとね……」
どこか気まずそうに視線を逸らすはるを見ながら、私ははあとため息をつく。
人に首輪なんてつけてる癖に、全くこの人は。
はるもそれが分かっているのか、少し申し訳なさそうに視線を伏せているけどさ。
「ねえ、なんで二人とも返事してくれないの? ねえ、なんで?」
それから、言い訳するはるを見ながら、私は空をぼんやりと眺めてた。
服の中で所在なさげに揺れるネックレスを、そっと撫でながら。
あーあ、『ずっとある繋がり』のはずなんだけどなあ。
そんな意味を込めて、軽く視線を向けると、はるは困ったように苦笑いを浮かべてた。
「ねえ、返事してよ!? 怖いよ!? 黒江?! 灰琉先輩!?」
そんな琥白の半泣き気味の声を背景に、冬の空は、相変わらず今日もどんよりしていた。




