3.市場にて
「やっと市場に出てこれた……」
日が傾きだして空が少し薄暗くなり始めた時間帯になって、ようやく片付けが終わったレオンとヴィニアスは市場に訪れていた。
かたや普段と変わらない表情で市場を見渡しているヴィニアスと対照的に、レオンはげっそりとしながらため息をついている。
ヴィニアスとの『片付け』の定義の差にレオンは大苦戦を強いられたわけだが、実を言うとヴィニアスの家事に対する天然さはまだまだ序の口である。
これからの生活で多大なる苦闘が待っているとはつゆ知らず、レオンは気を取り直してキョロキョロと市場を回り始めた。
「今日の夕食、どうしましょうか?」
「なんでもいい」
「なんでもいいと言われましても……てか団長、料理できるんですか?」
ぶっきらぼうに質問に返すヴィニアスに苦笑しながら、レオンは再び尋ねる。
「できないな」
「……」
あっけからんと言いのけたヴィニアスに沈黙するしかないレオンは疲れ切った表情に戻ってしまう。
しかしヴィニアスが料理ができないということはレオンも薄々感づいていた。
もとより彼はイテリーアズ侯爵家という帝国の名門貴族の三男坊だ。料理人がいる生活が生まれてこのかた当たり前だったのだろう。
それに加えて魔法士団に入団してから生活をヴィニアスと共にしているというヴァレンは、ヴァレン自身も伯爵家の出身でありながら、なかなか凝り性な性格で彼の作る料理は貴族に仕える料理人級である。
少々潔癖のきらいがあるヴァレンと魔法以外には全く関心がないヴィニアスが、よく生活を共にする事ができたな……と思うレオンだったが、二人が生活を共にし続ける事ができたのは、ヴィニアスは魔法以外に関心がなさすぎて、ヴァレンが勝手にヴィニアスの部屋を片付けようとも気にすることがなかったからである。
「やっぱり団長の休暇についてくるの、ヴァレンさんのほうが良かったんじゃないですか?」
「? 急にどうした?」
レオンの口からこぼれ出た言葉に、レオンの前を歩いていたヴィニアスは軽く振り返ってきょとんと首を傾げる。
「いや、だって団長のこと一番知ってるし……幼馴染なんでしょう?」
レオンの言葉に何か考え込むように黙り込んだヴィニアスはゆっくりと前を向き、レオンから彼の表情は見えなくなった。
市場の露店の先に並ぶ商品をぼんやりと眺めながらヴィニアスは口を開く。
「ヴァレンが残るって言ったからな。レオンも戻りたいのであれば、戻っていい」
「団長……」
レオンの方を向くことなく言ったヴィニアスに、レオンは少し眉尻を下げて呟いた。
ザァーっと少し強い風が市場に吹き込み、ヴィニアスのサラリとした黒髪が揺れる。
しばらく沈黙が続いた両者の空気を破ったのはレオンの一言だった。
「一人で暮らしていけるんですか?」
レオンの鋭い指摘にヴィニアスは、ふむ……と考える素振りをする。
長い睫毛で縁取られた切れ長の目を伏せながら思案していた彼は一通り考えがまとまったのか、おもむろに顔を上げた。
「おそらく無理だな」
魔法に全てを捧げるあまり生活スキルが皆無のヴィニアスを、どうにか彼が一人で暮らせるようにしていくことが必要なのかもしれない。
***
「このチーズを6切れください」
「はいよ、ちょっと待ってね」
とりあえずは夕食を調達することが最優先だと判断したレオンは、「なんでもいい」というヴィニアスの言葉を信じて、今日の夕食は手軽に作れそうな料理で済ませることにした。
食の好き嫌いはあるものの、一貫して食事はただの栄養補給だと捉えているヴィニアスであれば文句は言わないだろう。
「あんたたち、新しく越してきたのかい? 帝国から?」
チーズを売っている露店の男性がチーズを切り分けるのを待っている間、ぼーっとしていたレオンとヴィニアスに隣の露店で暇そうにしている老婆が話しかけてくる。
「はい、今日来たばかりなんですよ」
にこやかに老婆へ返したレオンの隣で、ヴィニアスはぼーっと市場の向こうを眺めている。
老婆はヴィニアスの態度を気にすることなく、レオンの返事にくしゃりと笑顔を浮かべた。
「そうかい、そうかい。ここは帝国の都市とかに比べちゃ田舎だろうけど、それなりに良いところだからね……まぁどんなところも住めば都さ」
「自然が豊かで癒やされますよね」
「そりゃそうさ、自然はフェルティリスの一番良いところだ。今はウァリデュス帝国のフィーニス地方だけどね」
レオンの言葉に自慢げに返す老婆に視線を向けたヴィニアスは、彼女をじーっと見つめる。
「……どうしたんだい? なにか気になることでも?」
あまりにもヴィニアスが無言で見つめ続けるものだから、老婆は少しうろたえながらヴィニアスに尋ねる。
するとヴィニアスは市場の先を指し示しながら口を開いた。
「市場の先に見えているあの建物はなんだ?」
ヴィニアスの言葉を聞いてレオンは彼が指し示す方向を見る。
ヴィニアスの言う通り、市場が途切れた街並みのもっと向こうにポツンと一つの建物が建っている。おそらくその建物は近くで見れば大きいのだろう。かなり距離があるにも関わらず、そこに存在しているのが目視で確認することができる。
「あー、あれか。あれはフェルティリス王国の元王城だよ。街から少し離れた丘にあるから、わざわざ取り壊す必要性もなくて残されてるらしいよ」
老婆の言葉にレオンは納得する。
元王城だったのであれば、距離がある市場からも目視できる建物の大きさにも頷くことができた。
ヴィニアスも老婆の話に納得したのか、まじまじと元王城を見つめている。
「すいません」
二人して市場の先の元王城を見つめていたヴィニアスとレオンの背後で、透き通るような凛とした声が響く。
二人が少し驚きながらも振り向くと、そこには青みがかった銀髪を風に靡かせる少女が立っていた。
「このチーズをいつもと同じ量お願いします」
「おや、リオラベルじゃないか。他に買うのはあるかい?」
「こっちのも3切れぐらい……あと__」
リオラベルと呼ばれた銀髪の少女はチーズ屋の男性と知り合いのようで、慣れたように次々と注文をしていた。
少女の年齢は18歳ほどに見え、華奢な身体つきと珍しい銀髪と真っ白な肌が重なってどこか浮き世離れした印象を受ける。
彼女はシンプルなワンピースを身に纏っているが、それは質の良さそうな布で仕立てられているし、所作もどこかお嬢様じみていた。しかしチーズを注文する様子はしっかりしていて、なんというかヴィニアスの対極に存在するような少女である。
「はい、お兄さん方。ご注文のチーズだよ」
「ありがとうございます」
男性にチーズの入った袋を手渡されたレオンは、その袋をヴィニアスに持たせて会計をする。
「魔法キーって使えますか?」
レオンがそう尋ねながら首からさげたチェーンを引っ張り出すと、金色の金属板のようなものが襟ぐりから出てくる。
魔法キーと呼ばれるそれは、魔法を用いて銀行の自分の口座からお金を引き落として買い物を行うものだ。ここ数年になって普及し始めたものである。
「お兄さん方、帝国の出身かい? 悪いねぇ、ここらへんじゃ魔法キーは使えないよ。魔法キー用の魔道具が壊れたときに直せる魔法士がいないからね」
申し訳なさそうに言う男性にレオンは笑いかけながら「じゃあ、現金で」と言って、財布から銅貨を何枚か出した。
「はい、丁度ね。毎度あり」
銅貨の枚数を数えた男性はニカッと笑って言う。
夕食の買い出しは済んだらしく、家に帰ろうとするレオンの後に続いてヴィニアスはチーズ屋の前を通り過ぎようとする。
「……?」
その時、ヴィニアスは視線を感じて少女の方へ目を向けた。
するとそこにはまるでラピスラズリのような瞳に真面目な色をのせ、ヴィニアスをじーっと見つめる少女がいる。
あまりにも少女の視線が強いので、ヴィニアスは思わず足を止めてしまう。
キラキラと夕日を反射する真っ青な瞳に、まるで金縛りにあっているかのようにヴィニアスの足は動かなかったが、そんなヴィニアスに前を歩くレオンから声がかかった。
「団長、早く家に帰ってご飯にしましょう。帝都からここまでの道のりがかなり長かったですから、もうクタクタです」
後ろを振り向かずにヴィニアスに声をかけたレオンは、ヴィニアスの千草色の瞳と少女のラピスラズリのような瞳が見つめ合っていることなんて知る由もない。
先に視線を外したのは少女の方だった。
少女の瞳がふいっと逸らされた瞬間、金縛りが解けたように足が動くようになったヴィニアスはそのことを不思議に思いながらも、先を歩くレオンの後を追うのだった。
お読みいただき、ありがとうございました。




