2.『片付け』の定義
ウァリデュス帝国最南端に位置するフィーニス地方は、12年前までフェルティリス王国という小国が統治していた場所だ。
フェルティリス王国はウァリデュス帝国の属国だったが、当時の国王夫妻が帝国を裏切ろうとしていたことが露見し、帝国騎士団によって制圧された。
国王夫妻の圧政に苦しんでいた国民は自国がウァリデュス帝国として組み込まれることにそれほど反発がなく、のどかな自然に囲まれたフィーニス地方は今では帝国の一部として存在している。
「いやー……本当にのどかなところですね」
「あぁ、そうだな」
馬車を先に降りたレオンの言葉にヴィニアスは小さく頷いた。
二人の前に広がるのはあちらこちらに新緑が映える街並みだった。
ヴィニアスが休暇を過ごすことになっているこの街はフェルティリス王国の元王都だったそうだが、あまり人口が多くないからか春の陽気も相まってゆったりとした空気が流れている。
ヴィニアスとレオンのこれからの住まいだという建物にも、壁にツタが這っていた。
「団長、荷解きしなきゃですから急ぎましょ」
「……」
レオンの言葉にヴィニアスは沈黙する。
黙り込んでしまったヴィニアスを心配するようにレオンがヴィニアスの顔を覗き込んだ。
「団長?」
「ヴィニアスと呼べ。目立つことは避けたい」
ぶっきらぼうにそれだけ言って自分のトランクを持ち、ヴィニアスは建物の扉を開けて中に入っていく。
それを見守っていたレオンはギュッと軽く唇を噛んだ後、パッと笑顔を輝かせてヴィニアスに続いた。
「団長、荷解き終わったら市場の方に行きましょう!」
「レオン……」
呼び方を改めようとしないレオンにヴィニアスは眉根を寄せるが、レオンはお構い無しに建物の中をキョロキョロと見渡している。
建物は小さな一軒家で事前にヴィニアスが聞いた話によると市場が近いらしい。
家の中を歩き回っているレオンがピタリと足を止め、ヴィニアスに背を向けたまま口を開いた。
「団長は団長ですから……呼び方は変えません」
「…………そうか」
いつもはヘラヘラしているレオンから出たとは思えない真面目な声音に、ヴィニアスは小さく呟く。
パッと振り返ったレオンの顔には既にいつも通りの笑顔が浮かんでいる。
「それにしても、二人で住むには大きいぐらいですね、この家」
「……そうか?」
「え? 十分大きいでしょ?」
「そういうものなのか」
神妙に頷いてまじまじと家の中を見渡すヴィニアスに思わずレオンは引いてしまう。
この家はどう考えてもそれなりに資産のある平民が家族で住む用の家だ。それに加えて市場に近いが家の周りの人通りは少ないという静かで落ち着いた素晴らしい立地である。外見も中身も綺麗だし、それなりの広さの庭だってついていた。
しかも家具だって既に洗練されたデザインの高級品が揃えてある。
「団長ってやっぱりお坊ちゃんですよね……」
「は?」
「いや、なんでもないです」
レオンの呟きに反応した少々柄の悪いお坊ちゃんを怒らせないよう、レオンはやんわりと話題を転換する。
「2階の部屋をそれぞれの自室にしましょう、荷解きは自室でしたほうが効率いいですし」
「そうだな」
自分のトランクとヴィニアスのトランクを浮かばせながら階段を上るレオンにヴィニアスは続き、二人は2階に上がった。
2階には扉が2つあり、それぞれの部屋を覗いてみたところ広めのベッドが一つずつ置いてある。
それぞれ部屋を覗いてみた二人は一度廊下に出た。
「ちょうどいいですね。3階にも部屋はあるみたいですけど、わざわざ3階まで毎度上がるのは面倒ですし……」
ちらりと階段の方を見ながらレオンは言う。
確かに一階に食卓やらキッチンやらがあるのに、自室が3階だと階段の上り下りが面倒だろう。
「そうだな、レオンはどっちの部屋がいい?」
「え、僕ですか?」
ヴィニアスの質問に驚いたように目を見開いたレオンは、階段を上って右にある扉と左にある扉を見比べる。
しばしの間「んー」と唸っていたレオンは小さく息をついて口を開いた。
「どっちでも良いですよ、部屋の大きさも窓の方角も変わらなかったですし」
「そうか……じゃぁ俺は右にする」
「わかりました。じゃ、僕は左で」
レオンの「荷解きが終わったら今夜の食料調達のために、市場に行きましょう」という言葉に頷いたヴィニアスは自分のトランクを片手に部屋の中へと入る。
日当たりの良い南向きの部屋は春のポカポカとした日差しがたっぷりと注ぎ込んでいた。
トランクを部屋の中に置き、ヴィニアスはベッドの端に腰掛ける。
「……いい天気だな」
ぼそっと呟かれたヴィニアスの言葉は温かい空気の中に溶けていったのだった。
***
「ヴァレンさんからヤバいとは聞いてましたけど……マジですか団長」
「なにがだ?」
ヴィニアスとレオンが家に着いてから1時間後。
自分の荷解きが終わったレオンは目の前に広がる惨状と、惨状を惨状と認識していないヴィニアスを見て思わず絶望の呻きが溢れてしまう。
「顔色が悪いぞ、大丈夫か?」
きょとんとした顔で首を傾げてレオンを心配するヴィニアスの背後では、彼のトランクに入っていたであろう衣類やら本やら様々なものが床に散らばっていた。
しかしヴァレンにヴィニアスの世話を頼まれた以上、レオンがここでくじけるわけには行かない。
気を取り直したレオンは床に散らばる物からヴィニアスへと視線を変えて口を開く。
「とりあえず、トランクの中身は全部出せたっぽいですから片付けていきましょうか」
「……片付ける?」
レオンの言葉にヴィニアスは大層訝しげな表情をする。
その様子を見たレオンは背中に冷や汗が流れるのを感じた。
(いや、まさか。そんなはずは……侯爵家の生まれと言えど、魔法士団に入ってからは団長だってヴァレンさんと暮らしていたんだし!!)
己の頭をよぎる嫌な予感をレオンは心の中で全力で否定する。
しかしそんなレオンに気づくことなく、ヴィニアスは当たり前のように口を開いた。
「何言ってるんだ、レオン。もうこれで片付いているだろ?」
床に物が散乱するこの状況を当たり前のように「片付いている」と述べたヴィニアスに、レオンは開いた口が塞がらない。
そんなレオンをまるで『変な奴だな』というふうに見つめるヴィニアスに気づいた彼は、慌てて口を開いた。
「これ片付いてるって言いませんよ、団長!」
「? 片付いてるじゃないか」
「片付いてないですってば! この前団長とヴァレンさんの家にお邪魔したときは、ここまで酷くなかったですよね!?」
自分の『片付け』の何が可笑しいのか分からないヴィニアスは、レオンの質問に納得がいったように口を開いた。
「ヴァレンは綺麗好きだからな。俺が片付けた部屋に片付け以上のことをする」
「絶対そういうことじゃないです!」
あまりにも天然発言が過ぎるヴィニアスにレオンは絶叫しながら答える。
そんなレオンをヴィニアスは『どうしたんだ、コイツ』という目で見ているが、どうしたも何もレオンが聞きたいことである。
レオンとヴィニアスにおける『片付け』の定義の差に頭が大混乱を起こしていたレオンは唐突にヴァレンとの会話を思い出した。
__ヴィニアスの世話、頼んだ
自分の片付けの何が可笑しいのか分からないと言うふうに、きょとんと幼子のような純粋な千草色の瞳を向けるヴィニアスをちらりと見たレオンはその後ろに広がる惨状からサッと目を逸らした。
そして_____
(ヴァレンさーーーーーーーん!!!)
心の中で頼れるもう一人の団長補佐の名前を叫んだのだった。
お読みいただき、ありがとうございました。




