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18.きっといない

「リオラベルっ!!」



 階段を駆け下りてみると、いつもは施錠されている鍵がかけられていなくてより一層不安を煽られたヴィニアスは慌てて屋敷の扉を開ける。

 リオラベルの名前を叫びながら屋敷の中へ一歩踏み出すと、入口から真っすぐのびる廊下を歩いていたリオラベルが振り返って目を見開いた。



「ヴィニアス……? どうしたの?」



 手にシチューの入った容器を持ちながら、驚いたようにぽかんと口を開いているリオラベルは少し元気がなさそうに見えるが、倒れてはいない。その事実にヴィニアスがほっと息をついた瞬間、美味しそうなシチューの香りがヴィニアスの鼻先をくすぐった。


 ぐぅぅぅー


 静かな廊下にヴィニアスの腹の音が響く。こんなにも自身の腹の音をはっきりと聞くことが珍しかったヴィニアスは目を丸くしながらサッと腹に手を添える。彼の腹の音はしっかりとリオラベルにも届いたようで、ちらりと自身が持っているシチューに目を向けたリオラベルはおずおずと口を開く。



「シチュー余ってるけど、食べる?」

「あ、いや__」


 ぐぅぅぅぅぅー



 流石に断ろうとしたヴィニアスの言葉を遮るようにまたしても腹の音が__こころなしか先ほどよりも大きな音で__鳴った。

 1回目は驚きが勝ったようだったが2回目ともなると恥ずかしさが表に出てきたのか、ヴィニアスの耳に赤みがさしていることにリオラベルは気づく。


 二人の間にしばしの沈黙が流れたあと、堪えきれないというふうにリオラベルが吹き出す。漏れ出た笑いは次第に大きくなった。



「ふっ……あはははは!」

「……」



 声を上げて笑うリオラベルは耳を赤くしながら自身をじとーっと見つめるヴィニアスに気づき、涙が浮かんだ目尻を拭いながら息を整えた。



「ふぅ……ごめんごめん。準備してくるわね」

「……すまない」



 リオラベルは軽やかに調理場へ戻っていき、ヴィニアスは少し目を彷徨わせたあとその後ろ姿についていった。


***


「ごちそうさま。美味しかった」

「ほんとう? よかったわ」



 黙々とシチューを食べ続け、全て食べ終わってからヴィニアスがようやく口を開く。彼と向き合うようにして座っているリオラベルはどこかほっとしたように笑うが、その後には再び二人の間に沈黙が流れ込んだ。



「……」

「……」



 とうとう沈黙に堪えきれなくなったリオラベルが口を開けて息を吸い込んだ瞬間、低く静かな声が空気に落ちた。





「すまなかった」





 口を開いたまま目を見開いたリオラベルは言葉になりきらない音を漏らす。そんなリオラベルをまっすぐと見つめるヴィニアスの千草色の瞳は、凪いでいた。



「この前、君に酷いことを言った……努力ができる君に嫉妬して」

「嫉妬……?」



 自身もヴィニアスにこの前のことを謝ろうと思っていたリオラベルだったが、ヴィニアスが発した言葉が彼女の頭の中を塗りつぶした。

 リオラベルはただただ、純粋に意味がわからなかった。何も持たない自分のどこに嫉妬する要素があるのか。


 首を傾げたリオラベルを見て、眉尻を下げながらヴィニアスはかすかに哀笑する。テーブルの上で手を組み合わせた彼は目を伏せて、一言一言選び取るように言葉を紡いだ。



「俺は、努力ができないから……だから諦めない君が眩しくて、自分が惨めだった。言葉を並べ立てて、自分を守っていたに過ぎない」

「ヴィニアス……」



 息を吐くようにリオラベルが彼の名を小さく呼ぶと、彼は伏せていた瞳を上げてリオラベルを見つめる。新緑のような千草色の瞳に困惑しているような彼女の姿が映った。



「自分を守るために、君を傷つけた……ほんとうにすまなかった」



 不器用に笑みを浮かべる彼がどうしてか亡き兄に重なって、リオラベルは小さく息を呑む。自分より遥かに強い存在のはずなのに、風が吹けばふわりと舞って去っていってしまいそうな気がして、気づけばリオラベルは椅子から立ち上がり、テーブルの上で組まれた彼の手に自分の右手を添えていた。


 突然のリオラベルの行動にヴィニアスは彼女を見上げながらぽかんと口を開ける。添えられた小さな手が小さく震えていることに気づいた彼は心配そうに彼女を見つめた。



「リオラベル?」

「……なんで? どうしてそんなこと言うの?」

「え?」

「努力ができないって」



 あぁ、と納得したように頷いたヴィニアスが話しだす前に、リオラベルは遮るように言葉を続ける。



「そんなわけないでしょっ!?」



 身体を振り絞って出してるような大きな声でリオラベルが叫んだ言葉に、ヴィニアスは息を呑む。



「努力なしに団長になんかなれるわけないじゃない!! なんで、自分のこと大事にしないの!?」



 最後の言葉がヴィニアスだけに向けられたものではないことが、なんとなくヴィニアスに感じられた。ゆらゆらと揺れるリオラベルの瞳がヴィニアスに向けられながらも、その先を見ているような気がした。

 どうにか彼女を安心させたくて、ヴィニアスは自身の手に添えられた白い手を握る。



「リオラベル……」



 ハッと我に返ったリオラベルは「……ごめんなさい」と呟いて椅子に座り直した。深く息を吸って静かに吐いたリオラベルの様子が落ち着いたのを見て、ヴィニアスはそっと手を離す。ちらりと離れていくヴィニアスの手を見たリオラベルは、軽く頬杖をついて横を向きながら静かに口を開いた。



「努力していない人なんていないわ。自覚があろうと、無自覚であろうと、人に知られてようと、知られてなかろうと……生きていくうえでなんの努力もしてない人なんて、きっといない」

「……」



 思わずぽかんと口を開いたままヴィニアスはリオラベルの横顔を見る。反応がない彼に落ち着かなくなったのか顔の向きをヴィニアスの方へ戻したリオラベルは、眉尻を下げた。



「世間知らずな綺麗事だと思う?」

「……いや、思わない」



 ヴィニアスの言葉にほっとしたように頬を緩ませたリオラベルはふわりと笑う。その笑顔にはまだ少しだけ少女のような表情が残っているのに、考えていることは自分より遥かに大人びている、とヴィニアスは思う。



(努力していない人なんていない、か)



 上機嫌で笑っているリオラベルを見つめながらヴィニアスは心のなかで呟く。少しだけ呼吸が楽になったような、そんな気がした。

お読みいただき、ありがとうございました。

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