15.努力は
リオラベルが治癒魔法に挑戦し始めてから2週間が経った。
しかしその間リオラベルは一度も治癒魔法を使うことが出来ていない。
治癒魔法習得のために使用している花は、茎に傷をつけているためすぐに傷んでしまう。そのためリオラベルが魔法を練習している屋敷の部屋の机の上には、色のあせた花が重ねられていた。
ヴィニアスはそれらの花に視線を落とした後、ゆっくりとリオラベルに視線を移すが、リオラベルはその視線に気づくことなく、手元にある花だけに意識を向けている。
そんなリオラベルの目元には隈がはっきりと主張しており、顔色も良くない。ヴィニアスは小さく息をついてから口を開いた。
「……リオラベル」
「………………なに?」
ヴィニアスの呼びかけにしばらくしてから顔を上げたリオラベルだったが、その瞳は焦点がはっきりしていない。
もっと早く止めるべきだった、とヴィニアスは思う。
「……治癒魔法は、諦めよう」
ヴィニアスの静かな声が室内に響いて溶けていく。ぼんやりとしていた青い瞳にはっきりとした光が戻ってきて、それと同時にその瞳に絶望の色が浮かんだ。
「…………え?」
小さく震えるリオラベルの薄い唇から言葉にならない音がこぼれ落ちる。
その声にぎゅっと心臓を握られたかのような心地になりながら、ヴィニアスはそっと目を伏せた。
「前にも言ったが治癒魔法は習得することが簡単でもあり、難しくもある。個人によって難易度が左右される」
「…………」
俯いたリオラベルの表情はヴィニアスにはわからない。黙り込んだリオラベルから千草色の瞳をそらして、ヴィニアスは言葉を続けた。
「治癒魔法が使えなくても、魔法士にはなれる。だから__」
__治癒魔法ではなく、他の魔法の練習に時間をあてたほうがいい。
そう続けられるはずだったヴィニアスの声が発されることはなかった。
「嫌よ」
固い声音がヴィニアスの耳を打つ。彼が視線を戻してみると、そこには薄い唇をぎゅっと引き締め、血の気のない表情でヴィニアスを見つめるリオラベルがいた。
今までヴィニアスに異を唱えることがなかったリオラベルから向けられる鋭い視線に、ヴィニアスは小さく息を呑む。
「……リオラベル」
「嫌だってば」
ヴィニアスの呼びかけを振り払うようにリオラベルは言う。
「できるまでやる。絶対に譲らないわ」
千草色の瞳を見開くヴィニアスから目を逸らして、リオラベルはぎゅっと右手を握りしめた。自分から教えを請うたヴィニアスの指針に異議を唱えることは、亡き兄からの言いつけを破ることに等しい。
それでも、どうしても。
リオラベルは治癒魔法を諦められなかった。
だって______
(あの夜、治癒魔法が使えてたら……お兄様やメアリー、殺された他の使用人だって助けられていたかもしれない)
どうしようもないことだ。過去はもう変えようがない。それを理解していてなお、諦めることはできなかった。
それにヴィニアスだって、黙っているけれどわかっているはずだ。治癒魔法は存在する魔法の中で最も人命を救う役割を担うものだということを。帝国魔法士団の頂点の座にいた彼が、一番それをよく知っているだろう。
「私は、諦めたくない」
力強いリオラベルの言葉を聞いたヴィニアスは、まるで眩しいものを見るかのようにスッと目を細める。
そして、いつもより低い声で言葉を吐き捨てた。
「望んだからといって、なんでもできるわけじゃない」
「え?」
「努力を重ねたら、強く望めば、なんでもできると思っているのか?」
今までの不器用な性格からくるぶっきらぼうな物言いではなく、頭から冷水を浴びさせられるようなヴィニアスの冷えた声音に、リオラベルはぽかんと口を開けて固まってしまう。
対するヴィニアスはリオラベルの方を見ることなく、苦々しげに床に視線を落としていた。
「そうだとしてもっ!」
どこか焦りを含みながらリオラベルが声を上げる。床に向けられたまま合わさることのない彼の瞳をどうにか自身へと向けたいのに、彼は頑なにリオラベルから目を逸らしていた。
「……努力すればできることばかりじゃないのはわかってる! でも、それだけじゃ諦めきれないこともあるでしょう?」
ギュッと拳を握りしめながら、肺から絞り出すようにリオラベルは言葉を紡いだけれど、千草色の瞳がリオラベルの青い瞳を見つめることはなかった。
「……俺は、そう思わない」
まるで二人がいる部屋だけが外の世界とは別の世界にあるかと思えるような静まり返った部屋の中に、呟くように吐かれたヴィニアスの言葉が溶けていく。
ラピスラズリのような瞳を大きく見開いたリオラベルは俯きながらギュッと唇を噛み締めた。
そして__
「……もう、いいわ」
「もう魔法を教えなくていいってことか?」
リオラベルの言葉に間髪入れず無愛想な声音で返したヴィニアスの言葉に、リオラベルはひゅっと息を呑む。
けれど、彼女の唇から言葉が出ることはなく、ヴィニアスは小さく息をついて踵を返して部屋のドアノブに手をかけた。
「……!」
顔を上げたリオラベルが右手をヴィニアスの方へピクリと動かすが、彼は気づくことなくドアを開けて廊下へと出て行ってしまう。
静かな足音が遠ざかっていく音を聞きながら、力弱く右手を下ろしたリオラベルは一人残された部屋の中で、ふらっと揺れてからしゃがみ込む。
「……私の馬鹿」
しゃがみ込んだリオラベルの隣に、側の机の上からくすんだ白い花びらがはらりと舞い落ちるのだった。
お読みいただき、ありがとうございました。




