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14.あの夜のこと

 それまでリオラベルは何度かフェルティリスの王太子である兄と一緒に屋敷の外に出たことがあった。

 けれど小さな身体を叱咤して、通路の階段を上り隠し扉を開けてみると、目の前に広がったのは見たこともない光景だった。

 王太子の性格を示すように綺麗に整理されていた書斎は見る影もなく、書類や本が床に散らばり、窓の近くに置かれた椅子や机はおびただしい数の刃物による疵が出来ている。


 机の中や棚の中は引き出しが全て開けられ、中に入っていただろうものがあちこちにばらまかれている。



「リリア、どこ? お兄様……」



 全く知らない世界に突然放り込まれたかのような心地になったリオラベルはか細い声を出す。

 リオラベルが暮らしている屋敷とは違い、王太子宮には大量の使用人が常に存在するはずなのに辺りはシーンと静まり返っていた。

 そこでようやく異様なのが屋敷だけではないのだと気付いたリオラベルは、きょろきょろと周りを見回しながら王太子の書斎から廊下へ出る。


 等間隔で設けられている大きめな窓を大雨が叩く音に足音を紛れ込ませて、リオラベルは真っ暗な廊下を進んでいく。

 キラリと視界の端で何かが光った気がしてリオラベルが身をかがめてみると、床の隅に銀色に光る指輪があった。



「これ……お兄様の!」



 兄が左手の薬指にいつもつけている指輪だと気づいたリオラベルはその指輪を拾って、先ほどよりも少しだけ弾んだ足取りで歩き出す。

 廊下の角を曲がると、扉が開いた部屋から鉄の匂いのようで、どこか鉄とは違う匂いがぐんと強まった。


 首を傾げながらトテトテとその部屋まで歩いたリオラベルは、部屋の中で倒れている二人のうち倒れる一人の金髪を見てパァっと顔を輝かせた。



「お兄様!!」



 勢いよく兄に駆け寄ったリオラベルはズルっと床に広がった”なにか”に足を取られて、べシャッと両手と膝が床につく。

 べたりと手のひらについたものに首を傾げたリオラベルが、手のひらを自分の方へ返したとき。


 ピカッと稲妻が窓の外を走り、リオラベルはこぼれんばかりに目を見開く。

 白い彼女の手にべったりとついたものは、赤黒い血だった。



「ひっ!! な、なに、これ……」



 それが血だということはわかっているのに、わからない。

 ギィーっと動きの鈍いからくり人形のような動きで兄へと視線を動かしたリオラベルは、ようやく床に広がるのが血で、それを流しているのが大好きな兄であることを理解した。



「い、や……いや、いや! お兄様!! 起きて、お兄様!!!」



 目を開けてほしかった。

 綺麗な、リオラベルと同じラピスラズリのような瞳にいたずらな色を乗せて、いつもみたいに「おはよう、リオラベル」と声をかけてほしかった。


 細い腕でゆさゆさと力いっぱいに兄の肩を揺らしても、ぐったりとした身体は大して揺れず、血が通っているとは思えない顔色の兄がまぶたを上げることはなかった。


 どうすればいいのか。どうしたら、兄は起きてくれるのか。

 何もわからず周りを見渡したリオラベルは、部屋の中で倒れるもう一人の顔を見てハッハッと小さく息を荒げる。


 血溜まりが彼女の長い髪を真っ赤に染め上げていたから、リオラベルは気づかなかった。兄の近くで倒れる女性が、大好きなリリアだったことに。



「リ、リア……いや、いや……目を覚まして……お兄様が、起きないの。どうしたらいいの? リリア! 起きてよ、リリア!!」



 部屋に充満する血の匂いがリオラベルを蝕んでいく。

 どうしたら、大好きな二人が起きてくれるのか。


 どうにかしたら起きてくれるはずだ。だってさっき屋敷でリオラベルを抱きしめてくれたのは他でもないリリアなんだから。

 ついさっきまで、いつもどおりリオラベルと話していた。リオラベルの頭にキスをしてくれた。


 だから、起きないはずがない。

 二人ともきっと疲れて、寝ているだけだ。だって最近二人は思い詰めたように、夜遅くに話し込んでいた。だからきっとちゃんと寝ていなかったんだ。


 そう、信じたいのに。


 リオラベルには、二人が起きることが二度とないのだとわかってしまった。


 息がどんどん浅くなる。静かな部屋の中にリオラベルの息の音がいやに響き、余計に呼吸が速くなっていく。

 遠くで誰かが争う音が聞こえるが、リオラベルはそこから動けなかった。


 上手く瞬きが出来ない。大きく見開いた目が本当にこぼれおちそうな気がした。

 

 後ろで足音がして、ようやくリオラベルはぎこちなく後ろを振り向いた。

 稲妻が走り、部屋の入口で固まる人間を青白い光が照らす。真紅の騎士服にべったりと赤黒い血をつけて、肩で息をする小柄な青年。


 またしても空が光り、リオラベルの引き攣った喉から言葉になりきれない音がこぼれ落ちる。

 騎士服の青年がリオラベルの方へ一歩踏み出したその瞬間。



「_____________!!」



 信じられないほど大きな声で発されたリオラベルの言葉に、青年が千草色の瞳を見開いた。


***


「……ッ!」



 リオラベルはバッと飛び起きて、瞬時に周囲を見渡す。

 いつもと同じ、王太子宮の奥の屋敷の、リオラベルの部屋。汗が染み込んで、彼女が着ているネグリジェがずっしりと重くなっていた。 


 夢の内容が頭に蘇ってきて息が浅くなりつつあるリオラベルは、荒々しく首にかけている銀色のチェーンを手繰りだし、それに通された指輪をギューっと力いっぱい握りしめる。



「またこの夢……」



 意識的に深呼吸を繰り返してようやく落ち着いたリオラベルは深く息をついて、小さな声で呟く。元フェルティリス王城制圧の夜の出来事。

 まるで忘れるなとでも言わんばかりに、リオラベルは今でもその夜を夢に見ている。

 ここ4ヶ月は見ていなかったのに、前の夢との間隔が空けば空くほど夢は鮮明になる。


 ちらりと時計に目を動かすとまだ朝の4時だったが、リオラベルはもう一度横になることはせず、ベッドから出て時計の隣においていた花を手に取る。

 昨日、ヴィニアスがつけた茎の傷は相変わらず残っている。小さく息を吐いたリオラベルは目を伏せて花を持つ手に意識を集中させる。


 そして、ヴィニアスがしてくれた説明を頭で反芻しながら魔力を放出し始めるのだった。


お読みいただき、ありがとうございました。

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