Happy Halloween next morning!
吸血鬼(仮装)×シーツおばけ(仮装)
受け・口下手高身長ピアスにタトゥーバチバチ長髪青年
攻め・物腰柔らか穏やか力持ち着痩せマッチョ好青年
『年に一度しか会えない』と聞けば、みんな七夕を思い浮かべるだろう。
美しい天の川に引き裂かれた彦星と織姫。悲劇的な恋の星の伝説。きっとみんなそう思うはずだ。
けど、俺は違う。俺にとって、年に一度しか会えないものと言えば――そう、ハロウィンだ。
俺は来る明日のハロウィンイベントのために、毎年使っている真っ白なシーツを綺麗にアイロンがけした。
このシーツ、一見するとただのシーツだが、その中心には黒い三つの丸がある。ここには表から内側はよく見えないが、裏から外側はよく見えるメッシュ素材のようなものを縫い付けていて、ここに顔を合わせてそのまま頭からかぶれば……そう、可愛いハロウィンおばけの仮装のできあがりだ。
「……」
毎年使っているおばけシーツに汚れなどがないか確認するため、一度シーツを被り、店の姿見の前でくるりと回った。
……うん、穴も開いていないし、へんな汚れもない。あ、ここまだシワになってるから、あとでもう一回アイロンで綺麗に伸ばそう。
「……よし」
おばけの手の部分もシーツを縫い、すっぽり腕を覆うようになっていて肌の露出はゼロ。白いシーツから伸びた足は黒のスキニーを履いていて、靴もシンプルな真っ黒なスニーカーだ。
シンプルで地味な仮装だが、俺は身長が高いから中々迫力がある。これで去年、会場でイタズラをしていた子供を上から見つめ、そんなつもりはなかったのだが結果的に無言の圧をかけることになって退散させてしまったのは複雑な思い出だ。
「お、鳴海。またその仮装にすんのか」
「さすがに飽きが来ますね~」
「顔だしなよ。せっかく親からもらった良いモンついてんだからさぁ」
俺と同じく明日の準備のため、それぞれ仮装や飾りのチェックをしていた店長や同僚が、わらわらとバックヤードから出てくる。
「店長……それ、仮装?」
「仮装だろ。それにウチは、普段の格好のほうがハロウィンだしな」
頭に申し訳程度のハロウィン要素である、カボチャの飾りのついたカチューシャをした店長が、俺を含めた従業員三人を見ながら言った。
――そう、俺の勤めるこの『SALON DIG』は、このレトロでのどかなアーケード商店街から浮きまくった、超絶パンクなヘアセットサロンなのだ。
ここは基本、美容院として営業しているが、お客様のほとんどがヘアセットを目的に来ている。と言うのも、ここからバスや電車ですぐのところにロックやヴィジュアル界隈では有名なライブハウスがあるのだ。もともとバンドマンだった店長はそれに目を付け、ここにサロンを開業した。
そういう経緯でオープンした店だから、店長も店員も、全員が全員ロックというかヴィジュアルというか、ゴスでロリでパンクな、なかなかこの商店街では浮いた見た目をしているのだ。
「……あれ。竜華ちゃん、明日はゴスロリ着ないの?ボルドーの布地にコウモリの刺繍してあるやつ……」
同僚の一人である竜華ちゃんに聞く。彼女の腕には、真っ黒なゴスロリが抱えられていた。
「あ~アレね。本当はそれ着て可愛くしたいけど、明日は子供が主役だからね~。控えめに、真っ黒なコレ着るよ」
「それはそれで目立つんじゃ……?」
「去年来てくれた子と約束しちゃったんだよ~!来年は真っ黒な絶望プリンセスで参加するって~!」
「ぜ、絶望プリンセス?」
東京の澁谷ハロウィンがテレビで大々的に放送されるようになった少し前から、この商店街も町おこしの一環としてアーケード全体でハロウィンイベントを行うようになった。
それまでウチは商店街でも浮いた存在で、月に一度の商店街会議などに店長が出ても、彼の周りにだけ空間が空くという現象が発生していたのだが、ハロウィンイベントに参加してからはそれがどんどんと緩くなっていった。
やっぱり、何も知らない人から見たら、この見た目は人から怖がられるのだ。
店長は如何にもヤンチャな見た目をしているし、目尻の縫合跡(寝ぼけて転んだ怪我だ)が凶悪な顔をさらに恐ろしくしている。竜華ちゃんはシルバーとラベンダーに染めた髪をお団子にした通称ムラサキキャベツヘアに、崖から転落したのかと思うくらいダメージの入った服装だし、同じく同僚の環くんは真っピンクの坊主頭で、耳には親指が通りそうなくらい大きなホールが開いている。そして俺も、似たような見た目なのだ。
でも、話してみれば、と言うヤツである。店長は子煩悩な愛妻家だし、竜華ちゃんもさっぱりとした姉御肌で、環くんは高校生までサンタを信じていたピュアボーイだ。
商店街の年末年始などのイベントに積極的に参加したり、店長の会議での頑張りにより、見事にウチは商店街の皆様方と仲良くしてもらえるようになった。今ではサロンの向かいのホットヨガスタジオに通うマダムの何人かは、イベント事があったりするとウチでヘアセットをしていくほどだ。
「まあ、何はともあれ、だ。明日のハロウィンイベント――鳴海はイベント会場スタッフ、竜華は子供の引率、環は俺と店でお菓子配り――よろしく頼んだぞ」
店長の締めの言葉に、俺を含めた従業員三名が返事をする。
やっぱりこういう街のイベントはウチみたいな店が街に馴染むには必要不可欠だ。
だって、俺は身をもって実感したのだ。ウチの店がイベントに参加するようになってからは、店の前の道を掃除していたりすると、挨拶をされる率がグンと上がった。
――今だって、
「おはようございます」
「あ――お、おはようございます」
店前の掃き掃除のために外に出ていた俺に、誰かが声をかけてくれた。
商店街歩道のレンガ模様の道から顔を上げれば、道の角にある映画館の店員さんが立っていた。
スラックスとシャツにセーターという、俺とは正反対の真面目そうな青年だ。通勤途中だろうか、肩からは大きなボストンバッグを下げていた。
「いよいよですね、ハロウィンイベント!」
すれ違うといつも声をかけてくれる彼の、いつもよりもだいぶ高いテンションに押されてしまう。
「っ、あ、はい……そ、ですね」
「今年もサロンディグのみなさんは仮装されるんですか?」
「は、はい」
少し下に位置する、分厚い黒縁眼鏡の向こうで柔らかく細まる目を見て思う。
……本当、今まででは考えられなかった。こうやって誰かが声をかけてくれるなんて。
「うちの映画館でも、ハロウィンてことで傑作ハロウィンホラー作品をこの一週間上映するんですよ。ホラー、苦手ですか?」
「あ、その、幽霊系は、ちょっと……」
「大丈夫です!全部スプラッター系ですから!映画館も派手に飾り付けするって館長も張り切っているので、もし良かったらぜひ遊びに来てくださいね。ポップコーンにかけるバター、サービスしちゃいます!」
「は、はい」
あわあわと話していると、隣のおはぎ屋の店員さんがやって来た。彼女もウチでヘアセットをするようになった、お孫さんが五人もいる早苗さんという方だ。
「なぁにがスプラッターだから大丈夫、よ!あんな血ばっかでる趣味の悪い映画!」
「あ、おはようございます。――でも。そんなこと言って早苗さん、毎年見に来てくれるじゃないですか」
「あのオンボロ映画館が潰れないようにしてるの!」
「わあ、良いお客さん」
「まったく、商店街は助け合いなんだから、あんたもウチのおはぎ買って行きなさいよ」
「アッ、時間ダ、遅レチャウ」
彼は腕時計をしていない腕を見ると、俺に頭をペコリと下げてそのまま早足で行ってしまった。
遠ざかる彼の背中を見ながら、早苗さんが小声で「ごめんね」と謝る。
「困ってるように見えたから、つい出しゃばっちゃった」
「あ、いえ、全然、そんな……大丈夫、です」
「ほんと?瀧くん、大人しそうな顔して結構押しが強いから、鳴海ちゃんが困ってると思っちゃって放っておけなくてね。やだねぇ、お節介焼いちゃって!」
早苗さんは、早いうちからお得意さんになってくれた人の一人だ。人と接するのが得意でない俺が人見知りの末のお孫さんと重なるらしく、よく気にかけてもらっている。
初対面の時に「人見知りなの?バカね、人見知りが許されるのは未成年までよ」と背中にバシーン!と気合を入れてもらったのを、今でも覚えている。
「そうだ。明日のイベントの前……朝イチでもいいんだけど、孫のヘアセットの予約できる?もう遅いかしらね」
「あ、スマホで確認しますね。――午後イチなら大丈夫です。えっと、女の子三人分、ですよね?」
「そう!助かるわ~!ちょっと娘がうっかりしててね、予約入れ忘れちゃったらしいの」
店に戻り、パソコンに早苗さんのお孫さん三人の予約を入力する。外に戻れば、早苗さん以外のおはぎ屋の店員さんが出てきてお喋りをしていた。
「あら。おはよ、鳴海ちゃん」
「お、おはようございます」
「今年もおたくの竜華ちゃんはお姫様みたいなフリフリの格好するの?」
「らしい、です」
「環くんは?また特殊メイクとやらをするの?」
「た、たぶん……」
去年竜華ちゃんはボルドー色のゴスロリに包帯とゾンビメイクで、ゾンビプリンセスなる仮装をしていた。環くんは友達の特殊メイクアーティストの卵に怪我メイクをしてもらい、あまりにもリアルな見た目から子供よりも大人のほうが悲鳴を上げていた。
「ウチの孫、竜華ちゃんのフアンでねぇ。今年の冬休みの間だけ、竜華ちゃんと同じ髪型にしたいって言ってて娘が困ってんのよ」
「は、はは……小学生にムラサキキャベツは、困ります、よね」
「ねぇ。まあ、可愛いだろうから良いんだけど」
ひとしきり早苗さん達は笑い合うと「あ、そうだ」と真剣な顔つきになった。
「孫から聞いたんだけどね、ほらあの、同い年くらいの女の子の仮装壊したり、顔隠してる人の仮装を剝いだりした悪ガキ共」
「ああ、去年のハロウィンにいた……」
「そう!あの悪ガキ、孫と同じ小学校だったのよ!で、学校で今年もウチのハロウィンイベントに行くぞー!って話してたんだって。大丈夫だとは思うけど、鳴海ちゃん、今年も正体を隠して参加するんなら、気を付けなさいね」
「は、はい」
早苗さん達は「じゃ、孫のヘアセットよろしくね。イベントスタッフ頑張って」と言うと、そのまま隣のおはぎ屋へと帰っていってしまった。
「……」
俺以外、誰もいなくなった商店街。ここは商店街の中でも端の方だから、開店前のこの時間は人通りはほとんどない。
(正体、か)
そんな、広い広い、どこまでも続くようなアーケード屋根の下。俺は長袖で隠された腕を手で撫でた。
* * *
俺は頭からすっぽりとおばけ仮装のシーツを被ると、昨日と同じように姿見の前でくるりと一回転した。
(……よし。変なシワもないし汚れもない)
店の外ではハロウィンイベントに参加するために遠くからやって来たお客さん達が、にこにこと楽しそうにメイン会場である商店街広場に歩いて行くのが見える。
(そろそろ俺も行かなきゃ)
俺はシーツの前をめくって頭に引っ掛けて顔を出すと、バックヤードで準備にあたる店長に声をかけた。
「店長、環くん……あの、俺、これで会場に行きますね」
「おうよ」
「OKっす!いってらっしゃい!」
店長は昨日よりも少しだけハロウィンみのある服装になっていた。黒のカボチャ柄のシャツにサルエルパンツ、そして頭の上のカボチャのカチューシャだ。
そんなお手軽ハロウィン仮装の店長とは対照的に、環くんはまたお友達に特殊メイクをしてもらったらしく、ものすごくリアルなお岩さん(なぜ?)の仮装をしていた。
「……」
「な、なんだよその目は……昨日よりもハロウィンしてるだろうが」
「あ、いえ……じゃ、じゃあ、行ってきま――」
「ちょっと待ったーー!」
行こうとした俺のシーツを、どこからともなく現れた竜華ちゃんがグンッと掴んで止めた。
シーツが引っ張られ、ピアスの尖った部分が一瞬だけ引っ掛かって、小さな痛みが走る。
「いたっ」
「え、ごめん!あ、ピアスがシーツに引っ掛かっちゃったのか!」
「う、ううん、大丈夫」
漆黒のゴスロリに身を包み、絶望プリンセスになった竜華ちゃんは紫色の眉を寄せながら、「本当にごめん~」と俺の耳を確認している。
「ピアス取れてないかな。全部ある?ええと……4、5、6――あ、見たことないピアスだ。おにゅー?」
「うん、おにゅー」
「しかもこれコウモリモチーフじゃん!しかもしかも、片方だけ!可愛い~!」
「へ、へへ……」
「『吸血鬼さん』とお揃いだね」
「いやっ、これは、その……っ!」
声を抑えて言った彼女の言葉に、俺はそろそろとシーツを被った。……確認しなくても分かる。竜華ちゃんは今、ものすごくニヤニヤしているし、俺は店長と環くんが二度見するくらい赤くなっているだろう。
俺はまたシーツを剥ぎ取られないように端をしっかりと握りしめ、誤魔化すように「っ、で、で、要件は、なに?」と聞いた。
「なにって、最終服装チェックだよ。鳴海くんはウチの代表としてイベントスタッフになったんだから、完璧な状態で行ってもらわないと。ほら、ちょっとクルッて一回転して」
まだまだ恥ずかしさが残るものの、第三者から確認して欲しい気持ちはあったので、素直に竜華ちゃんの前で一回転した。
「うん、いいね。シーツの下は長袖じゃなくていいの?寒くない?」
「これ被ってると、熱がこもって熱くなるから……」
「そういや、鳴海一昨年のハロウィンで季節外れの脱水で体調崩したもんなぁ」
「ああ、確かに!なら半袖でいっか。水分補給はこまめにね!あと、ピアスはそのままで大丈夫?」
「うん。突然シーツ引っ張ってくるような人は、もういないだろうし……」
「だからゴメンて~~」
最後の仕上げとばかりに竜華ちゃんはおばけの顔部分と俺の顔が合うようにシーツを微調整すると、耳元で小さく呟いた。
「今年も『吸血鬼さん』に会えるといいね」
「……」
「もう五年?もモダモダこじらせてるんだからさ。今年逃したら次は来年だよ?名前くらい聞いてきな!」
竜華ちゃんは、知っているのだ。俺の、気持ちを。
たぶん環くんも気が付いているし、店長だって知っていると思う。
――俺は、年にたったの一度しか会わない吸血鬼さんに、恋をしている。
五年前のハロウィンで初めて会い、その外見に目を奪われた。そして四年前のハロウィンでは、心を。
そういうアンテナに敏感な竜華ちゃんにはすぐにバレたけど、毎回こうやって背中を押してくれる。
「う、うんっ!」
絶望プリンセスにはあまり似合わない逞しいガッツポーズを決めた彼女に、びっ!とこちらもガッツポーズを決めた。
「よっしゃ!店長―!鳴海、出まーす!」
店先に出て振り返ると、店長と心強い同僚二人が並んで俺にエールを送る。
「じゃあ、行ってきます」
「よし。今夜お前は、口下手でコミュ障な鳴海じゃなくて、愉快で可愛くて明るいゴーストちゃんだからな」
店長の言葉に、俺は声を出さず、オーバーリアクション気味に元気よく手を上げた。
そう。今宵の俺は、可愛い可愛いおばけなのだ。
店に背を向けて歩き出した俺の耳元で、コウモリのピアスが軽やかに揺れた。
* * *
ハロウィン一色に装飾されたアーケードの下を、おばけ姿の俺はルンルンと軽やかな足取りで歩いていく。
レトロなデザインの街灯にはハロウィンの垂れ幕がかかり、各店舗が店頭をにぎやかに飾り立て、設置されたスピーカーからは少しダークだけど愉快なテンポの曲が流れている。
「トリックオアトリート!」とアーケードの下を行く人々は、仮装をしている人もそうでない人も楽しそうで、俺までもシーツの下で口が綻んでしまう。
(あっ、早苗さん達だ)
おはぎ屋の早苗さん達は、古馴染みのお米屋さんの店の前で楽しそうにおしゃべりをしていた。
早苗さん達もお米屋さんもハロウィンらしい仮装はしていなかったが、みんながみんなシックな色合いの着物に紫紺や黄赤の鮮やかなハロウィンカラーの帯を締めた、なんとも洒落た格好をしている。
「あら、なるみ――じゃなくて、おばけちゃん」
「いまから広場行くの?頑張ってね~」
「いつ見ても背の高いおばけちゃんねぇ」
手を振るマダム達にシーツに隠れた両手で小さく手を振り、少しの羞恥心が出てきた俺は足早に広場へと向かった。
このアーケード商店街全体で開催されるハロウィンイベントのメイン会場は、商店街中央に位置する広場に設置されている。ハロウィンイベントは仮装した小学生未満の子供達が商店街内を練り歩き、各店舗訪ねてお菓子を貰うというものだが、中学生以上の子供や大人も楽しめるよう、スタンプラリーも行われている。スタンプラリーですべてのスタンプを集めてメイン会場である広場に持って行くと、ガラガラポンでクジを引けるというわけだ。
「あー!でっかいおばけ!」
広場に向かう俺を見て、スタンプラリー中の子供がオレンジのインクで汚れた指をさす。
カボチャの帽子をかぶった可愛らしい子供に大きな体の動きで手を振り返せば、その子も満面の笑みで応えてくれた。
(普段ならこんなこと、絶対にできないな……)
子供に手を振りながら、そう思う。
なぜだか分からないが、俺はおばけの格好になると、気持ちが大きくなるのだ。
いつもなら声をかけられると目線を反らしてオドオドしてしまうのに、この格好だと大きく手を振って返せるし、コミカルなアクションで相手を笑わせることだってできる。普段できないことができて、誰かを笑わせることができる。
このおばけのシーツを被ると、自分ではない自分になれた気がして、楽しい。
けれどやっぱり、中身を見られたくはない。絶対にだ。
だってそんなの……めちゃくちゃに恥ずかしいからに決まってる。陽気で可愛いおばけの中身が、いつも人と目を合わせずにオドオドボソボソと話している奴だったなんて知られたら、恥ずかしさで死ねる。というかもう、恐怖に近い。
万が一、何かのはずみでシーツが剥がれてしまったら。シーツが燃えて、脱がなければいけない状況になったら。そうならないように、シーツは毎年改良を重ねて簡単には剥がれないようにはしたし、そもそも商店街内には火の元なんかない。
けど、やっぱり怖い。でもそれと同じくらい――
(楽しいな)
また「おばけだー!」とこちらに駆け寄ってくる子供とハイタッチをする。お母さんの腕の中で俺に恐る恐る手を伸ばす小さな子供に、驚かさないようにゆっくりと握手する。俺を見てきゃあきゃあと声を上げる子供に、コミカルな動きで応えて笑わせる。
――普段できないことができる楽しさが、恐怖よりも勝るのだ。
そんなことをあちらこちらで繰り返しながら広場に向かえば、そこはまだお客さんよりもイベントスタッフのほうが多い状態だった。
「おっ、来たな~!」
ペコリと頭を下げて広場に入った俺に、老舗蕎麦屋会長兼、商店街役員会長兼、ハロウィンイベント役員会長がこっちを見てニヤリと笑った。
正確な年齢は分からないが、なかなかな年齢のはずなのに胡麻塩頭は豊かで、背筋なんかは俺よりかもスッと真っ直ぐに通っている。墨色の羽織を商店街のロゴマークが印刷されたシャツの上から羽織った会長は、渋く迫力のある顔と相まって、ヤのつく自由業かと一瞬思ってしまうくらいだ。
「今年もよろしくな、なるみ――っと、おばけちゃんよ。な?」
慌てて言い直した会長は、おばけの中身を、シーツの中身が、俺だと知っている。
この商店街のハロウィンイベントは、会長の遊び心から仮装している十数人のイベント会場スタッフの正体を伏せている。責任者である会長と、仮装していないスタッフだけが把握していて、みんな仮装の名前で呼び合っているのだ。もし正体が分かっても、暗黙の了解で黙っている。
もしなにかトラブルが起きた時など、いざという時は事前に用意されているスタッフカードを携帯しているので安心だ。
「今年もシンプルながら、タッパがあって迫力のある良いおばけだな~!」
だからこその、さっきのあの、ニヤリとした笑みなのだ。
俺も他の人だったら、こんなコミカルで気さくなおばけの中身が俺と知られてしまっていたら、恥ずかしくて委縮してしまうだろう。が、会長は別格だ。会長は俺の中で、サロンディグのみんなと同じ枠組みの中にいるのだ。
「今年はクジ引きのベル係だったな。忙しくなるのは後半からだと思うから、前半は写真撮影頼んだぞ」
会長の言葉にフンッとガッツポーズで返せば、会長はガハハと豪快に笑いながら俺の頭を撫でた。ずいぶんと下から伸ばされた腕は力強く、シーツ越しに俺の髪をグッシャグッシャとかき混ぜた。
会長はそのままイベントの正式開始挨拶のスピーチがあるらしく、「頑張れよ!」とだけ言うと、形の崩れたへよへよおばけと成り果てた俺を置いて颯爽と消えてしまった。
(か、髪がぐしゃぐしゃだ……)
シーツと擦れてグチャグチャになってしまうことを危惧し、結構しっかりめに結んだ長い髪は、長年蕎麦を打ってきた会長の腕によって見事に崩されていた。
乱れた髪で視界が悪い中、フラフラと自分の持ち場である写真撮影コーナーへと向かう。
(ん……これ、一回結び直したほうがいいかな)
しっかりと結ぶためにシリコンヘアゴムを使ったのが裏目に出て、シーツの中だと大変結び直し辛い。
シーツの中でもだもだと髪をいじっていると、ふと、頭から被るシーツの重さが消えた
え?と思う間もなく俺の後ろから聞こえてきたのは――
「こんばんは、おばけさん」
振り向いた先。おばけの目のメッシュ素材から見える、スラリとした体格の男性――『吸血鬼さん』が、そこに立っていた。
「あっ、きゅ――」
きゅっ、きゅきゅきゅ、吸血鬼さんだーーー!!
年に一度、この商店街のハロウィンイベントでしか会えない吸血鬼さんが、俺の真後ろに立っている!俺が今日という日を誰よりも楽しみにしている目当ての彼……俺が心を奪われてしまった、彼が……!
思わず人間の手で鷲掴みにされたネズミのような声を漏らした俺は、そのまま固まってしまった
「髪、直されるんですよね?シーツを中が見えない程度に持ち上げておきますから、その間に直してください」
後ろから俺のシーツをつまんで引き上げてくれている彼は、ぎらりと目立つ犬歯を見せながら笑って言った。
(ほ、わ……)
思わず間抜けな感嘆の声が心の奥底から滲み出る。
だって、しょうがないだろう。だって――だって……!
(うわぁああ……!かっこいい……っ!)
黒髪を後ろに撫でつけ、前を少し崩した色気溢れるオールバック。大きく迫力のある目は赤過ぎない、黒に近いワインレッドのカラコンで色付けられ、少しぽってりとした唇は暗い色のリップで血色の悪さを表している。
テロテロヒラヒラな安っぽい布地ではなく、しっかりとした布地で作られている漆黒のマントとボルドーの衣装。しっかりとした厚みのある、クラシカルかつゴシックな紅の吸血鬼衣装だ。
そしてそれで包まれた、俺よりも背の高い、分厚い胸板という恵まれた体躯。
そしてそして、なんといっても外見だけではない、洗練され人当たりの良い、まさに紳士なその中身!
(こ、今年も会えたーー!!)
メッシュ素材のおばけの目越しではあるが、超至近距離にいる彼に、俺は心臓が暴れまわるのを感じていた。
「え、えっと、おばけさん?」
吸血鬼さんが困ったように俺に笑いかける。
しまった……思わず彼を見つめたまま呆けてしまっていた。
俺はハッとすぐに我に返ると、慌てて吸血鬼さんが作ってくれたシーツの中の空間で髪を結び直した。
その間、吸血鬼さんは俺を急かす言葉も、空気も出さずに、まるで繊細な編み目のレースベールを持つかのような優しい手つきでシーツを持ち上げてくれていた。
髪をしっかりと結び終えた俺は、シーツ越しに「大丈夫」とハンドジェスチャーをすると、彼はシーツをゆっくりと下ろし、頭頂部から肩にかけての流れも整えてくれた。
「――うん、これでよし。今年も素敵なおばけさんですね」
「っ……!」
その言葉と、色気駄々漏れな微笑みに、俺はシーツの中で「素敵」という言葉を噛みしめてしびびびび……と小さく震えた。
(きゅ、吸血鬼さんこそ、今年も変わらずかっこいいい……!それで紳士で、優しくて……!)
俺は首を大きく振り、身振り手振りで「あなたのほうが、素敵でかっこいい」という事を全力で伝えた。もちろん、そんな細かい感情が身振り手振りだけで伝わるわけもないのだが――
「え、僕の方が素敵って?うふふ、ありがとうございます」
つ、伝わってたーーー!!
うわあ、嬉しい。ていうかなんだか恥ずかしい……!またシーツの中でしびしびしてしまう。俺は誤魔化すようにクジ引きの景品であるお菓子の入ったバスケットを持って、それをいじいじと弄った。
そんな、穏やかな会場の雰囲気を、会長の大音声が貫いた。
「みなさん!!今年も商店街ハロウィンイベントへご参加いただき、ありがとうございます!!」
アーケード内に設置されたスピーカーから、会長の滑らかで端的なスピーチが続く。
会長の声は張りがあって聞き取りやすい。が、こうも大音量だと話は別だ。俺は少し聴覚過敏なところがあるのだ。だからBGMの大きな店には長時間いられないし、音楽フェスは好きだけど、耳栓をしながらの参加だ。
「あんたその見た目で聴覚過敏なの!?」
「意外~、鳴海さんってロックフェスでガンガン頭振ってそうなのに」
とは、竜華ちゃんと環くんの言葉だ。
(うう……)
いつもは聞き取りやすい会長の声が頭の中で反響して脳を揺らす。
う、気持ち悪くなりそう。よりにもよって俺が今いる場所はスピーカーの近くだ。会長には悪いが、バスケットを置いて耳を塞いでしまおう。そう思っていた時だった。
「ちょっと失礼」
耳が、じんわりと暖かくなるのを感じた。それと一緒に、音が少しだけ遠くなるのも。
(あ、これ――)
すぐに気が付いた。吸血鬼さんが、俺の耳を塞いでくれていることに。
「ん、もう少し上か。すみません」
シーツを被っているから、吸血鬼さんの手は俺の耳から少しずれたところに当たっていた。が、すぐにシーツ越しに俺の耳の形を見つけて優しく塞いでくれた。
鈍く、遠くなった音と、じんわりと温められた耳の心地良さにホッと息をついた――のはつかの間のことで。
(ひ、ひぎゃーーー!!)
きゅ、きゅきゅ吸血鬼さんの綺麗なててて手が!俺とは違う綺麗な白い手が!俺のみみみみ、耳を!ふさ、塞いで!さらには指で軽くうなじを押してくれてて……ぇええ……?
(うわ、わ……や、ば……)
俺をスピーカーの爆音から守って、リラックスさせようとしてくれているのは分かる。分かる、が……おばけシーツ越しに俺の熱が伝わってしまいそうだ。
少し動いただけで俺の中で何かが崩れて行きそうな気がして、俺はその場で小さく肩を丸めながら、ぴるぴるとバスケットを抱きしめてこの時間を耐えるしかなかった。
「――ということで、今年もハロウィンイベント開催です!」
会長の締めの言葉が遠くで聞こえる。それと同時に、俺から外される温かい手。
「大丈夫ですか?すみません、勝手に触ってしまって」
「っ、っ!」
首を、手を、ぶんぶんと振り、そんなことは無いと伝える。
「それなら良かったです。おばけさん、音の大きいところが苦手な感じがしたので……去年も、少し調子悪そうにしていましたよね?」
「……!」
お、覚えていてくれたのか。
吸血鬼さんの言う通り、去年は新調した商店街のスピーカーの性能が良すぎて、イベント開始早々、俺は具合が悪くなり端っこで座って休んでいた。その後、会長へ他の人からも音に対する苦情があってボリュームが下げられたのですぐに復帰して参加できたが、彼はあの短い間に起ったことを覚えていてくれたのだ。
「だから今年は大丈夫かなって、思ったんですけど……調子はどうです?」
吸血鬼さんが俺の顔を見て言う。おばけ仮装の目部分はメッシュ素材で見え辛いとはいえ、よ~く見ようとすれば透けてしまう。俺はそれが恥ずかしくて、持っていたバスケットで顔を隠しながら頷いた。
「ふふ、良かったです。今はスピーチの為に音量を上げていましたけど、広場はそんなにBGMも大きくないから大丈夫だと思いますよ。けど、体調が悪くなったらすぐに教えて下さいね」
うんうんと頷けば、吸血鬼さんは鋭い犬歯をのぞかせながら「よろしい」と笑った。
(――はああ……)
ほんと、かっこいい……。
俺はバレないようにシーツの中で大きく深呼吸をした。
これなのだ。俺が吸血鬼さんに心を打ちぬかれてしまった理由は。
最初は、こんな商店街イベントには場違いなクオリティの仮装と整った顔立ちに目を奪われていたが、少し話しただけで(といっても、俺はハンドジェスチャーのみだ)彼の人となりに惹かれた。
自惚れでなければ、彼も彼で他のスタッフと比べると俺に話しかけてくれるのが多い気がして、今回のこともあって、なんだか勝手に彼の特別扱いを受けている気になってしまうのだ。
「写真撮影ですね?かしこまりました!お~い、吸血鬼伯爵~!」
「吸血鬼伯爵って……」
魔法使いの仮装をしたイベントスタッフに呼ばれ、吸血鬼さんが苦笑いをしながら「行ってきます」と写真撮影コーナーへと行ってしまった。
写真撮影コーナーは広場に三か所あって、もともと広場にあるベンチを利用して作られたものだ。背景にはハロウィンらしい飾りがこれでもかとされていて、いわゆる映えるスポットというやつである。
吸血鬼さんが向かった写真撮影コーナーには、すでに高校生くらいの女の子が複数名待機していて、みんなクオリティの高い吸血鬼さんに黄色い悲鳴を上げた。
「え、待ってめちゃくちゃイケメン!」
「お兄さんこの商店街の人ですか!?」
「どこの店舗の人ですか!」
「通います!」
お揃いのカチューシャをつけた彼女達の熱い視線をかわしながら、吸血鬼さんが丁寧に断る。
「ごめんね。イベントの方針で、そういうのは全部秘密なんだ。だから、この商店街に通って、ぜひ僕を見つけて下さいね」
なんてうまく言って綺麗に笑うものだから、女の子達はきゃあきゃあと笑いながら「そうするー!」と返した。
……すごいな、女の子って。俺ならあの笑顔をあんな近くで見せられたら、きっとまたしびしびして動けなくなっちゃうのに。
「おばけさん、お写真お願いしま~す」
今度はイベントスタッフに俺が呼ばれ、俺ももうひとつの写真撮影コーナーへと向かった。
そこには仮装をした小さな子供がいて、単純なおばけの仮装ながら身長のある俺を見て、少し怖がっているようだ。だから俺は、るんるんと足取りを軽くし、腕を小さくパタパタと動かしながら移動した。普段なら絶対に恥ずかしくて出来ない動きだ。俺は背が高いので大きく動くとそれだけで少し怖いが、こういう小さく細かい動きにすれば、子供のなかで怖さよりも滑稽さが勝って笑ってくれた。
「おばけさん、ありがと~」
小さな妖精と魔法使いの仮装の女の子が、花が綻ぶように笑って手を振る。それに俺はまたすこしコミカルに返せば、向こう側に立つ吸血鬼さんがこちらを見ているのに気が付いた。
吸血鬼さんはまた他の女性陣に囲まれていたが、こちらを見ながらニコニコと笑って口パクで「かわいいね」と言っていた気がする。
(『か、わ、い、い、ね』……っ、か、可愛いねって……!)
もちろん、「可愛いね」の対象は小さな子供達というのは分かっている。
けど、吸血鬼さんがこっちを向いて言うものだから、まるで自分に言われたように感じてしまって恥ずかしくてしょうがなかった。
「おばけさ~ん!次、良いですか?」
スタッフさんの声に助けられ、俺は彼にぺこっと頭を下げるとそこから逃げ出すように別の撮影スペースへと移った。
* * *
「ふう……」
イベント開始直後の写真撮影ラッシュが落ち着き、俺は広場の端に作られた本部テントの中でシーツを脱いで水分補給をしていた。
きつく結び過ぎていた髪のゴムを緩め、俺はもう一度大きく息を吐いた。
(疲れた……けど、やっぱり楽しいな)
普段の自分と違う誰かを演じるのは、なんだか別人になったようで楽しい。俺の正体を知っている人が来たら少し恥ずかしい気持ちが生まれてしまうが、それでも楽しい。
普段なら、うまく話しすらできないから。
(……思えば――)
思えば、俺のこの口下手は、物心ついた時から始まっていた。
俺は三人兄弟の末っ子で、親戚の同年代の子供を含めても一番年下だった。だから、俺が何かを話そうとするたびに、口達者な上の兄弟や従兄弟達に馬鹿にされて、恥ずかしくなって話すのが苦手に感じるようになってしまった気がする。
小学校に上がってからは子供特有のちょっとしたイジメにもあったりもした。女の子達からは「男の子なのに可愛いね」と反応に困ることを言われ、男の子達からは「本当に男かよ」と服を脱がされたりもした。
それらも数ある原因の一つだったのだろうけど、俺の人付き合いに対する苦手意識はどんどんと加速していった。
「……」
シーツの中で、自分の腕を撫でる。腕を撫で、耳の輪郭を撫で、一つに結って背中に垂れた髪に触れる。
――小学校高学年の時、親戚のお姉さんに連れられて髪を切ったのが、今の俺になったきっかけだと思う。
お姉さんの通う美容院は、当時の俺からしたらとんでもなく奇抜で変わっていて、今思えばウチのような尖ったサロンだったのだろう。
俺はその美容院で、母の方針で長かった髪を、今まで見た事がないくらい短く切った。
その時、俺は、自分が自分じゃないように思えた。
口下手で、人と関わるのが苦手で、暗い自分ではなく、全然違う人間になれた気がしたのだ。強く、なれた気がした。
この仮装は、その時の気持ちによく似ている。
「――すみません」
ハッと、顔を上げる。テントの外から声をかけられたのに、考え事をしていて全然気が付かなかった。
「スタッフの安達です。誰かいますか?」
声の主はスタッフさんだ。俺は慌てて「はい」と返事をし、シーツを被ってテントから出た。
「あ、なる――おばけさん。すみませんね、休憩中」
申し訳なさそうにするスタッフさんは、泣きじゃくる吸血鬼の仮装をした小さな男の子を連れている。
「この子、迷子なんです。これから私の方で迷子アナウンス出しますので、それまでテントでこの子見ていてもらっていいですか?」
俺はコクリと頷いた。
吸血鬼の格好をした男の子は、ここに来るまでにいっぱい泣いていたのだろう。目が真っ赤に腫れていて、とても疲れているように見えた。
俺は男の子の手を引いてテントに入ると、そのままコミカルな動きで紙コップにジュースを汲んで彼に渡した。スタッフさんがいなくなって、大柄なおばけの仮装の人間と二人きりの状況に男の子は少し怖がっているようだ。
「のんでいいの?」
安心させるように、できるだけ優しい声で言う。
「いいよ」
「しゃべれるんだ」
「ふふ、うん。リンゴジュースなんだけど、飲めるかな?」
「うん。おれリンゴ好き」
男の子は行儀よく簡易ベンチに腰かけると、喉を鳴らしてジュースを飲んだ。やっぱり、疲れていたのだろう。
俺は男の子の隣に座ると、「今日は誰と来たの?」と聞いた。
「お母さんとお父さんと、兄ちゃん」
「そうなんだ。きっとみんな探してるから、アナウンス聞いたらすぐに来てくれるよ」
「っ、うん……っ!」
心細さを思い出してしまったのだろう。男の子は顔をクシャッとさせると、赤くなった目からまたポロポロと涙を流し始めた。
俺は慌てて男の子の背中をさすってやった。男の子は恥ずかしいのか、俯きながらしゃくり上げている。……が、その手は俺のシーツを掴んでいた。
寂しいのだ。俺は一言声をかけると、彼を持ち上げてそのままだっこした。
「大丈夫だよ」
「ぅん……」
「みんなすぐに来てくれるからね」
「うんっ」
「寒くない?」
「だぃ、じょうぶ……!」
じんわりと涙で胸元が温かくなっていくのが分かる。俺はゆらゆらと揺れながら、彼を控えめに抱きしめて背中をさすり続け、遠くのアナウンスの声を聞いていた。
「――失礼します」
外から、また声が聞こえた。さっきのスタッフさんの声ではない、男性の声だ。男の子のご両親だろうか。
そう思って男の子の頭にぴったりと額をくっつけていた顔を上げると、テントの入り口に吸血鬼さんが立っていた。
彼は俺の腕の中の男の子を見ると小さく笑い、「お父さんとお母さん、来たよ」と男の子に声をかけた。
「えっ!」
弾かれるように顔を上げ、俺の膝の上から飛び降りた男の子は、そのまま外に飛び出すのかと思いきや、吸血鬼さんを見て「かっけえ!」と叫んだ。
吸血鬼さんは一瞬だけ驚いた顔をしたけれど、すぐにワインレッドの目を細め、鋭い犬歯を見せて男の子に「仲間だな」と笑いかけた。
「すげぇ!本物みたい!」
「ほんと?嬉しいな。お母さんとお父さん見つかったから、一緒に写真撮る?」
「とる!」
男の子は自分が迷子だったという事を忘れたように吸血鬼さんの手を取ると、そのまま引っ張るようにしてテントを出て行った。その足取りは軽く、声にも張りがある。
(良かった、元気になって)
ほっと胸を撫でおろす。
あの子が笑顔になれて、本当に良かった。
あのくらいの年の子は、親とはぐれてどんなに心細くても、上手に助けを呼べない子が多い。だから、あの子の吸血鬼さんを見た顔や、親が見つかったと聞いた時の顔を思い出して、俺はもう一度胸を撫でおろした。
「――あ、いた」
テントから出れば、写真撮影スペースではまだ目の赤い男の子が両親とお兄さんと一緒に吸血鬼さんと写真を撮っている。
(ふふ、楽しそう。あ、鼻水でてる)
楽しそうに撮影をする家族を見てほっこりとしていると、撮影が終わった男の子が帰っていった。今度は、しっかりとご両親の手を繋いでいる。
そんな小さな吸血鬼の背中を影から見送っていると、撮影が終わった大きな吸血鬼が声をかけてきた。
「あ、あの、すみませんでした……」
「?」
どうして吸血鬼さんが謝るんだろう?
首を傾げて訊ねれば、彼は少し言い辛そうに口を動かした。
「その……あの子のこと、おばけさんがずっと面倒を見てくれていたのに、俺がいいところを持って行ってしまった気がして……」
ああ、なんだ。そんなことか。あの子が笑顔になれたんだから、そんなこと、気にしなくていいのに。
体の前で手を振り、そんなことは無いと伝える――伝えようとした、その時。
「おばけーー!」
遠くから元気な声がして、そちらを向く。
声の方向にはこちらにブンブンと元気よく手を振る小さな吸血鬼がいて、「ありがとなー!」と叫んでいた。
まだ鼻水の残る笑顔に俺は両手を大きく振り返し、ついでにぴょんこぴょんこと跳ねて応えれば、彼は子供らしく可愛い声で笑った。
「ふふ。元気になってよかった」
――だから、気にしないでください。
そうハンドジェスチャーで伝えようとして、隣の彼を見る。
吸血鬼さんはなぜか、驚いたように目を見開き、こちらを凝視していた。
「?……っ!」
俺は慌てて口を押えた。いや、もう手遅れなのは分かっていたが、抑えられずにはいられない。
俺はうっかり、心の声が漏れてしまっていたのだ。
(しま、った……)
俺の声は低い。低いし、さらには太い。外見からは想像のつく声だろうが、今の俺はコミカルなおばけなのだ。
(こ、んな……こんな低い声の奴が、今まであんな動きをしてたなんて分かったら……っ)
気持ち悪がられる。
そう思うと、首の後ろにチリチリと棘が刺さる感覚に襲われた。嫌な汗が滲み、心臓が変なリズムで動いて、喉がきゅううっと締まって息がし辛くて――
「大丈夫」
耳元で心臓の音が爆音する中、彼の声がゆったりと響いた。
手を口に強く押し付けたまま、恐る恐る彼を見上げれば――なぜか吸血鬼さんは、自分の耳に手を当てて、目をぎゅうっと閉じていた。
「ねっ、大丈夫ですよ!ほら、ほらほら。この通り、偶然にも俺は耳を塞いでいましたので」
「ぇ……」
「だからちょっとよく聞こえなかった、カモ?アレ、おばけさんなにか言いました?イヤァ、あの子、元気になって本当に良かったですねぇ、ウンウン」
――誰が見ても、見惚れる吸血鬼。
なのに、耳を両手で塞ぎ、なぜか目をシワが寄るくらい強く閉じて、わざとらしい口調でウンウンと頷く彼に、思わず俺は。吹き出してしまった。
また慌てて口を塞ぐ俺に、彼は「大丈夫ですからね」と、また犬歯をのぞかせた。
……きっと彼は、分かっているのだ。
声も出さず、表情も読めない俺の言いたいことが伝わる彼だ。きっと、俺が中身を見られたくない、知られたくないということは、きっともう、筒抜けなのだ。
(……それはそれで、恥ずかしい、けど)
いつから気が付かれていたんだろう。さっきかな。もしかして去年とか?
うわあ、それだとだいぶ恥ずかしいぞ……!
「――おばけさん?」
頭を抱え、うねうねと悩む俺に吸血鬼さんが心配そうにこちらを覗き込んだ。
(はっ!)
俺は姿勢をピッと正し、彼になでもないよと身振り手振りで伝えた。
「ふは、なら良かった。そろそろスタンプラリーが終わって、クジ引きが忙しくなりそうです。我々もそろそろ行きますか」
クジ引きで三等以上が当たったらハンドベルを鳴らして盛大に祝うのだが、俺はそのハンドベル係りなのだ。
「もしベルの音がうるさかったら、また耳を塞いであげますからね」
ちょんちょんっと自分の耳を触って言う吸血鬼さんに、俺はポポポッと体温が上がるのを感じた。
* * *
「おお!三等!おめでとうございま~す!」
ハンドベルを鳴らす俺の隣で、会長が大きな声と一緒に景品を手渡した。
目の前のガラガラと回すタイプのクジ引きから出てきたのは、赤い玉だ。赤い玉を出した小学生くらいのミイラ男は、両手で抱えるのがやっとな駄菓子セットを貰っていた。
「良かったね」
ミイラ男に吸血鬼さんがハイタッチをしながら祝福する。
彼が心配してくれていたハンドベルの音についてだが、ベルは毎回鳴らすものではないし、自分でも上手く音量を調整できるので、気分が悪くなることはなかった。
(……あ!)
ちょうどスタンプラリーが終わったタイミングなのか、広場には今日一番と言っていいくらい人がいて、ワイワイガヤガヤと賑やかだ。
みんな思い思いの仮装をしていて、広場中がオレンジと紫を中心としたカラフルな色合いで、見ているだけで楽しい。
そんなカラフルな集団の中に、逆に浮いた人を発見した。竜華ちゃんだ。
「お、会長サマ~お疲れ様です~」
漆黒のゴスロリに身を包んだ絶望プリンセスこと竜華ちゃんは、彼女に憧れていてよく店を窓から覗き見ている女の子達や早苗さんのお孫さん達と一緒にいた。
「よぉ、竜華ちゃん!今日は可愛らしいお姫様達と一緒かい」
「そっ。みんな可愛いでしょ~!」
「おうおう。なんつーかこう、ブラックで?おどろおどろしくて?いいな!」
子供達はウチでヘアメイクを受けた子達だ。ハロウィン限定で、簡単だが仮装セットもレンタルしているので、みんな頭からお揃いの漆黒の花嫁ベールをつけていた。
髪型も綺麗に巻かれたりお団子にしたり、とても可愛らしい。彼女達も自分の姿に自信を持っているのか、なんだか胸を張っていて自信に満ち溢れていた。
(可愛いなあ……ん?)
――そんな、彼女達の後ろ。
遠くの広場入口のポールに隠れるように、コソコソと身を隠すような動きをする小さな影を見つけた。
仮装はしていない。彼女達と同い年くらいの四人組の男の子だ。彼らはイベントの開始時に配られるお菓子を入れるためのバスケットにこれでもかとお菓子を詰め込み、なぜか仮装はしていないのに腰からおもちゃの剣や、マジックハンド、それにあれは……水鉄砲か?をぶら下げている。
(あの子達は、去年もいた……)
その奇妙な姿には、見覚えがあった。
去年、お菓子を子供達に配る各店舗に、「お菓子は自由にとれる状態ではなく『一人何個』というような状態にしてください」という通告がなされた原因となった子達だ。
まあ、いわゆる悪ガキ、といった子供だ。
ここら辺には住んでいないらしく、こういうイベント事にだけ来ていて、それはそれで構わないのだが、まあ好き勝手し放題なのだ。
和菓子屋のお菓子には「ダサい!」「ケーキとかねえの?」などと無茶を言い、アメの手掴みをしていた店舗では、片手で挑戦するところを両手で掴み、止める声を聞かずに穴部分を壊してアメを強奪した。さらには腰から下げた水鉄砲で、可愛らしく仮装した同い年くらいの子供に水をかけるという悪質なイタズラをしているのだ。
去年、人の多い広場でそんな事をやったので、俺は彼らの前に立ちはだかり、大柄で無言の顔の見えないおばけというキャラクターを活かし、圧迫感全開で迎え撃った。
その後は他のスタッフが彼らを叱っていたが、そんなイタズラ小僧達がまた来たのだ。
「てか聞いてよ会長~」
他の子のクジ引きを待つ間に、竜華ちゃんがコソコソと会長に言う。
「去年のクソガキ、じゃなくて、悪ガキんちょ共、また今年もいたよ~」
「まあ来ちゃダメだっていうのはできねぇからなぁ。まだ子供だし」
「分かってるけどさぁ~。さっきだってこの子達の事、ブスだのバカだのひどいこと言ってさぁ」
子供達に気を遣って小声で話をしているが、女の子達は吸血鬼さんに夢中だ。
「それにね、顔を隠してる仮装の子達のお面とか取って、わざわざ覗き込んでブサイク!とか言って逃げるんだよ~?最悪じゃない?」
「そりゃあダメだ」
それは……悪質だと思う。
それがトラウマになって、顔を上げるのが怖くなるような子だっているだろう。
(俺、みたいに……)
しょもしょもと気持ちも顔も下を向いていく。
子供の無邪気で、軽はずみな言葉や行動が、その子の後の人生を決めてしまう事だってあるんだ。
(その子、傷付いていないといいけど……)
そんな時だった。
「あのぉ」
男の子の声がした。
顔を上げると、例の悪ガキ四人衆のうちの一人が、キョロキョロと辺りを見回してクジの置かれた会議テーブルの前に立っていた。
「おう、どうしたんだい?」
さっきまで彼らの話をしていたのをおくびにも出さずに会長が言う。竜華ちゃんはその隣で、前科のある彼をじっとりとした目付きで監視している。
「そのぉ~、俺もガラガラやりたくて……あいつらと一緒だと、馬鹿にされるから、今のうちに」
あたりを見渡せば、確かに他の三人の姿は見えない。彼は三人を巻いてここに来たのだろうか。
「んだよ。そういうことなら、見つかる前に早く回しちまいな!」
会長がにっこりと笑い、釣られるように男の子もにっこりと笑ってガラガラポンに手を伸ばす。
なんだ。みんなに連れられて一緒にいるだけで、イタズラも付き合いでやるしかなくて、本当は良い子なのかもしれない。
……と、思っていたのもつかの間のことで。
ガラガラガラガラッ!!
男の子が、とんでもない勢いでガラガラポンを回し始めた。しかも逆方向、つまり、玉が出ない方向にだ。
「おい!んな勢いよく回すな!壊れちまうだろうが!」
「え~?だってこれ玉出ないよ?もともと壊れてるんじゃないの~?」
「逆だよ、逆!」
余りの勢いに、ガラガラポン自体も、それを乗せている会議テーブルもグラグラと揺れ、会長も竜華ちゃんも倒れないように机を支えた。
――その、瞬間だった。
「いまだ、いけーーーッ!!」
男の子の号令で、どこに隠れていたのか、陰から他の三人が現れた。
そして一直線に――俺に、駆け寄ってきた。
「え」
二人は俺の両足にしがみ付き、もう一人が俺のおばけのシーツを掴む。そして――
「うおらあああ~~~!!」
力任せに、一気に引っ張った。
「っ……!」
グラリとバランスが崩れる。踏ん張りたいのに足にしがみ付かれていて踏ん張れない。
去年彼らの帰り際のセリフ、「覚えてろよ」とういう言葉の意味を、今やっと理解した。
(あ――シーツ、が)
倒れるよりも、おばけの仮装が剥がされてしまうことが恐怖だった。
コミカルでひょうきんなおばけの下の俺を、みんなに見られるのが、怖い。
けど子供はそんなことはお構いなしだ。なぜなら彼らは、俺に仕返しをしに来ているのだから。
「い゛ッ――」
体が倒れ、腰骨が硬いレンガ模様のコンクリートに叩きつけられる。腹にひんやりとした外気が触れて、布がめくり上げられているのが分かる。緩く結んでいたシリコンヘアゴムが布と一緒に引っ張られ、髪がほどける。ピッ、と、耳に鋭い痛みがした。
(や、だ――やだ、やだ――)
この時、シーツを掴んで抵抗すればよかったのかもしれない。大人と子供の力で引っ張り合ったら、大人が勝つに決まっている。
けど俺は、中を見られるという恐怖に負けて、冷えた腕で顔を隠すことしかできなかった。
ガランッ!と、ハンドベルがコンクリートに落ちた音がやけに小さく聞こえる。
「――っ!」
顔を覆った腕から、強く瞑った瞼から、広場に設置されたライトの光が透けて眼球に届く。
賑やかで楽しい会場を照らしているはずの光は、まるで切れ味鋭いナイフのように俺へと降り注いでいる感覚がして――けど、その感覚は、一瞬で終わった。
「大丈夫」
一瞬で視界が暗くなる。
露出していた体が、何かしっかりと重量のある、厚い何かに包まれる感覚。
かけられた声、声は、あの優しくてかっこいい、吸血鬼さんの声で――
「や、ヤクザだーーー!!」
「うわあああ!」
優しい声の上から、つんざくような彼らの悲鳴が聞こえた。
その音はまっすぐに俺を貫き、咄嗟に俺は、自分を覆う何かを掴んだ。
厚い布地とコンクリートの間に隙間が生まれる。
そこから入る光が、ぼんやりと俺の肌を照らした。
――色の薄い肌に滲む、墨で描かれたタトゥー。
「――っ」
子供達はこれを見たんだ。シーツを剥ぎ取って、これを見て、ああ叫んだんだ。
広場には人が大勢いた。こんな騒ぎだ、きっとみんな、こっちを見てる。――俺を、見てる。
そう思うと、本当にそうなのか分からないのに、まだどうなっているかなんて分からないのに、ヒッと喉の奥が絞まって、息ができなくなる。ぶわっと汗が噴き出して、心臓が、耳元でなっていて――
「大丈夫ですからね、おばけさん」
ふわっと、体が宙に浮く感覚がした。
……違う。浮かんだんじゃない。持ち上げられたんだ。
「ッえ、ぁ……っ!」
「僕です、吸血鬼ですよ。これからテントに行きますからね。安心して下さいね」
俺はなかなかの大柄な成人男性だ。なのに吸血鬼さんは、簡単に俺を横に抱き上げて歩き出した。全身で感じる吸血鬼さんの体は、クオリティの高い仮装衣装の上からは想像もしなかった、しっかりとした筋肉と骨を感じられる。
(あ……もしかして、コレ……)
ここで、ようやく気が付いた。俺を包んでいたものの正体。
俺を包んでいた暖かなこれは、吸血鬼さんのマントだ。
(――だからこんなに温かいんだ)
汗が体を冷やしていく中、「誰がヤクザだコラァ!!」という会長の怒声を遠くに聞きながら、俺は少しだけ、ほんの少しだけ、体の力を抜いた。
* * *
俺はテントに一人、吸血鬼さんのマントを頭からかぶって端の方に座っていた。
「落ち着いた?」
馴染みの声にマントから顔をのぞかせれば、竜華ちゃんが心配そうな顔で立っていた。
「うん……落ち着いた」
「ウソつけ。そんな青い顔して端っこでまるまってるクセに。――はい、これ」
彼女の手には会場で配られているカボチャのポタージュが紙コップの中に入っていて、それを俺にくれる。
お礼を言いながら受け取ると、その温度に驚く。いや、ポタージュの温度じゃない。自分の手の冷たさを、紙コップ越しの少し温くなったポタージュでようやく自覚したのだ。
シーツを剥ぎ取られただけで、このザマだ。自分の弱さに嫌になる。
「商店街の奥様方が作ったポタージュ、おいしいよ」
「うん……あっ、イベント、大丈夫、かな……」
子供が絶叫し、ハンドベルが転がり、大の大人も転がった。
そして転がったシーツおばけの中からでてきたのは、とんでもなく陰気な男なのだ。
胸まである長い黒髪からのぞくギョロリとした目に、数えきれない数のピアスがあけられた耳。血色の悪い顔に、痩せっぽっちな体。そして極めつけは、半袖シャツからのぞく、墨で描かれた幾何学模様のタトゥー。
楽しく写真を一緒に撮っていたと思っていたおばけの中身がこれだ。
「みんなびっくり、したよね……ほかの子供達も、怖がってないと、いいんだけど……」
コミカルで気さくで可愛らしいおばけの中身が、こんな奴だったなんて。子供も大人も、きっと衝撃的だっただろう。
……と、思っていたのに。
「んー、たぶん大丈夫だと思うよ」
「えっ」
驚く俺に、竜華ちゃんはズズズとお行儀悪く音を立ててスープを啜って続けた。
「うまっ――じゃなくて。あのクソガキんちょどもが鳴海くんを倒してシーツを剥ぎ取る瞬間、『吸血鬼さん』がすぐにアンタにマントをかけたの。ほんと、一瞬のことだったよ。あたしの場所からも、アンタのほっそい下半身しか見えなかった。まっ、あのクソガキは見えてたかもしれないけどね」
「え……そ、そうなの?」
「うん。すごい早業だった。きっと、イベント中ずっと鳴海くんの事気に掛けてくれてたんだろうね。あんなにすぐに反応できちゃうなんてさ」
「で、でも、ヤクザって叫ばれたし……」
あの叫びで、直接見ていなくても俺にタトゥーがあったことは何となく察してしまうだろう。そう言えば、竜華ちゃんはおかしそうに眉を寄せて言った。
「いやそれがさ、そこは会長が上手く誤魔化してくれたんだよ!会長が着てた羽織、見た?」
「あの黒い羽織?」
「そ!あれ、裏地が柄になっててさ、その柄がなんと、鳴海くんのタトゥーが可愛く見えちゃうレベルの地獄絵図の柄だったんだよ!」
「じ、地獄絵図……?」
「『ハロウィン、イコール百鬼夜行。なら、地獄絵図もある意味、百鬼夜行なのでは?』って発想らしいよ」
「え、えぇ……」
「で、会長はわざと羽織を広げて裏地を見せながら悪ガキどもを追いかけたのさ。『誰がヤクザだーッ!』ってね。それで会場にいた人のヤクザって言葉のイメージを鳴海くんから自分に上書きさせたってわけさ。あははっ、まあ確かに、カタギが着る羽織ではないよね!」
か、会長……なんてものを着ているんだ。
俺の脳裏に、奥さんにしこたま怒られている会長の未来が浮かんだ。
「だからさ、『吸血鬼さん』と会長がうまく隠してくれたから、気にしなくていいよ」
「うん……あっ」
竜華ちゃんと話して、やっと落ち着いて冷静になったのか、俺はようやくあることを思い出した。
「きゅ、吸血鬼さんは?」
そうだ、吸血鬼さん。彼はどこにいるのだろうか。
彼は俺をここに運び込んでくれた。そして、確か「このマント、持っててもらっていいですか?」と言って、俺のおばけシーツを持ってどこかへ行ってしまったのだ。
彼にはたくさん迷惑をかけた。そのことを早く、謝らなくちゃいけないのに。
「あのシーツ、アイツらが引っ張った時に目のとこの縫い目が破けちゃったんだって。だから少しだけ応急処置してくるって言ってたよ」
「……」
「んな死にそうな顔しない!」
「だって……運んでくれて、マントも貸してくれて……それなのに、シーツまで……」
彼への申し訳なさでどんどんと体が小さくなる。
そんな俺の前で、竜華ちゃんが何かに気が付いたように後ろに目配せした。
「もし謝りたかったり、お礼言いたいって思うんならさ、直接言いなよ。ね?」
「え?」
目配せした先。テントの出入り口から、声がした。
「失礼します。今入ってもいいですか?」
――吸血鬼さんだ。
俺は咄嗟に声の主のマントをかぶる。そんな俺の代わりに、竜華ちゃんが「どうぞ~」と応えた。
「入りますね」
吸血鬼さんはそう言いながら、俺のシーツを持つ片手で目を隠し、空いたもう片方の手で周囲を探る、なんともおかしな様子で入って来た。
……俺を気遣ってのことだと、すぐに分かった。
「簡単ではありますがシーツを直してきました。確認していただいていいですか?」
「おー、ありがとうございます。ほら、おばけクン。ちょっとコレ見てみて」
「僕は後ろ向いてますので!」
竜華ちゃんに頭を小突かれ、俺はそろりとマントから顔を出した。
見れば彼は確かに俺に背中を向けていて、さらには両手で目を隠しているのが分かる。
(……良い人だなぁ)
自分は絶対に見ませんよ、というアピールをしてくれているのだ。
彼のそんな気遣いにじんわりと温かくなった手でシーツを受け取り、縫い目を確認した。
(あ……)
おばけの白いシーツと目の黒いメッシュ素材の境目。そこを、暗い赤がジグザグに走っていた。
雑だったり下手くそなジグザグではない。あえてそう縫ったのが分かる、上手いジグザグの縫い目がおばけの目元に生まれていた。
今まで無表情だったおばけに一気に血が通い、ワンポイントが加えられたことによって、よりキャラクター感が増している。とても、とっても、素晴らしい出来だ。
「あっ……すみません」
俺の感動の沈黙を、仕上げを不満に思う沈黙と受け取った彼が慌てて謝った。
「僕、自分の衣装の手直し用の赤い糸しか用意していなくて……目立たないように縫うこともできたんですが、赤ってどうしても目立ってしまうので、逆にワンポイントとして目立たせたんです」
「すみません、勝手なことして」と、もう一度謝った彼に、俺は咄嗟に――
「っ、そんなことないです……!」
と、声を出した。
隣では竜華ちゃんが驚いたように目を見開いていたが、そんなことは気にせずに続ける。
「っそ、の……、全然そんなことなくて、あの、すごく、か、可愛い。かわいい、です……!」
「本当ですか……!そ、それは、良かったです」
俺は彼のマントを急いで、出来るだけ丁寧に畳んで膝の上に置き、シーツをかぶった。メッシュ素材を目の位置に合わせ、中で髪がぐしゃぐしゃにならないように整える。
「大丈夫そう?」
手伝ってくれた竜華ちゃんに頷いて応える。
「おっけ。じゃあ私はそろそろ行くね。プリンセス達を待たせちゃってるからさ」
「ぇ……」
「まあ休憩がてら、お二人共ゆっくりしていきなよ。――チャンスだぞ」
最後の一言だけ俺の耳元で囁いた絶望プリンセスは、紫色の髪を颯爽と靡かせながら出て行ってしまった。
テントの中に残るのは、俺と吸血鬼さんだけだ。少し離れたところでは、ハロウィンイベントを楽しむ人の賑やかな声が良く聞こえている。
「――あの」
しばらくは賑やかな沈黙が続いていたが、吸血鬼さんが意を決したように口を開いた。
「ふ、振り返ります、ね……」
彼は律儀にそう言うと、目から手を離し、ゆっくりと振り向いた。
吸血鬼さんのカラコンで色付いた大きな瞳が、俺の顔を、正確にはおばけの目を、じぃっと見つめる。
「縫い目、思っていたよりもずっとしっかり縫えていたみたいで安心しました」
「あ、ありがとうございました……」
「いえ、礼には及びません。本当はちゃんとした糸で縫いたかったんですが……あ!そうだ、怪我とかは大丈夫ですか?」
その言葉に、俺はようやく手のひらがジンジンと熱を持っていることに気が付いた。
さっきまであんなに冷たいと感じていたのに、今ではそこに心臓があるのかと思うくらい脈打っている。
シーツの中で手を確認すれば、少し皮はめくれてしまっているものの、血は出ていない。もしかしたら強く打ち付けた腰はアザになってしまったかもしれないが、今のところ痛みもない。
(あ、そういえば)
転ぶとき、耳に痛みが走った。きっと数あるピアスの中のどれかが引っ掛かってしまったのだろう。
俺は耳に手を当てて――それで、すぐに分かった。
(コウモリモチーフのピアスが、ない……)
今日の為に買った、コウモリモチーフのピアス。吸血鬼さんとお揃いだ、なんて浮かれて、朝、鏡の前でつけたピアス。
それを落としてしまった。
「どうされました?」
「あ――」
シーツの上からでも分かる、不思議な格好で固まった俺に吸血鬼さんが声をかける。
彼はいつの間にか座る俺の前にしゃがみ込んでいた。そのこちらに寄り添う姿勢に、もうこれ以上迷惑はかけたくないのに、俺はつい、答えてしまった。
「ピアス、を……落としてしまって」
「ピアス?どんな形のものですか?」
「黒いコ、コウモリモチーフのピアスで、プラプラ揺れるタイプの、ま、マットな感じの、ピアスです」
「大きさは?」
「こ、これくらい……」
指でサイズを説明すると、吸血鬼さんは綺麗な眉を少しだけ寄せて言った。
「そのサイズでマットな黒いピアスとなると、もう暗いので今見つけるのは難しいですね……。また明日の朝、僕のほうで探しておきます」
「えっ、いえ、俺が自分で探します!」
「明日の朝、ボランティアメンバーで商店街の清掃をするんですよ。僕はそれよりも早くに仕事があるので、丁度いいんです。通勤コースですし」
「――だ、だめです!」
思わず出た大きな声に、すぐそこにある吸血鬼さんの顔が驚いたものに変わる。それに気が付きながら、俺は俯いて、喉をなんとか動かして言った。
「だめ、です」
もうこれ以上、彼に迷惑をかけたくない。
あんなに喋らないようにしていたのに、あんなに、コミカルで可愛いおばけでいたのに。
俺は腹の中で、ずっとずっと、ぐるぐると渦巻いていたものを出るに任せて吐き出した。
「も、う……あなたに、迷惑をかけたくないんです。イベントの間、ずっと俺のことを気にかけてくれて、た、助けてくれて、シーツだって、直してくれて……」
全部、俺が中身を見られたくないという、ただの我儘のせいだ。
彼が俺を最初から……写真撮影の時も、クジ引きの時も気にかけて切れていたのは、俺が人と関わるのが苦手なせい。
普段の姿では――顔を隠さなきゃ人と関わるのが難しい、俺が招いたことだ。俺のせいなのに、彼に迷惑をかけた。
「……っ」
シーツの中の、俯いた俺の視界に、家を出る時にいれたタトゥーが見えた。
肩から手首までを覆う、幾何学模様のトライバルタトゥー。お守りと、決意を表すその模様を肌に刻み込んだことに後悔はない。
タトゥーをいれた時、長かった髪をバッサリと切った時と同じ、自分じゃない誰かになれた気がして強くなれると思った。人の目を見て話せたり、おはぎ屋の早苗さん達と楽しく冗談を交えながら話したり、映画館の瀧さんと映画トークで盛り上がったり――シーツを被らなくても、人を笑わせるような、そんな人になれると――だから、今だけは、このタトゥーがひどく滑稽なものに見えてしまって。
「……っだ、だめですね」
へらりと、笑って言う。顔に熱が集まって、それがジワジワと滲んでくる
「このタトゥーをいれた時、強くなれた気がしたんです。それからも、心が挫けてしまうことがある度にこれを見て、強くあるんだって、決意して……でも――」
ただの街のハロウィンのイベントなのに、こんなんじゃ……。いつまでたってもシーツをかぶらないと人とうまく接せられないなんて。
手の先が冷たい。けど、それ以外は信じられないくらい熱くなっていて、顔に集まって、抽出された熱の塊が目から落ちそうになって――
「あなたは、他人に誠実であろうとしているんですね」
「――え?」
吸血鬼さんの言葉に、思わず顔を上げる。
その拍子にポロっと零れてしまったが、意外な彼の言葉に、次から次へと流れ出てくることはなかった。
「僕が感じた印象ですが、あなたはきっと、自分の話し方や相手への態度が、相手に失礼だと思っているのかなって、感じます。まっすぐに目を見て、スラスラと止まることなく話せて、うまく雑談できることが大事だと」
吸血鬼さんが続ける。
「もちろん、それも大事です。ですが、一番大事なのは、相手にしっかりと向き合っているかだと思います。あなたは、それができている」
「……そんな、の」
そんなの、彼がただ俺を慰めようとして言うお世辞だ。泣いてしまった大の大人をなんとかするために言った、ただの言葉だ。
いつもならするりと入ってくる彼の言葉が、俺の心に生まれたささくれに突っかかって、うまく入って行かない。
「本当です。お世辞なんかじゃありません」
心を読んだように、彼が言った。
カラコンで色付いた大きな目が、まっすぐに俺を見ている。
「今夜のあなたを見ていて――いえ。いつも、あなたを見ていて、僕は、あなたはなんて誠実な人なんだろうって、思ったんです。シーツをかぶっていても、かぶっていなくても」
その、言葉に――俺は逸らしていた視線を吸血鬼さんへとやった。
「いつも」……それって、それって――
「それ、って、どういう――」
「それに」
俺の小さな言葉に気が付かなかったのか、吸血鬼さんがかぶせるように笑って言った。
あまり見たことのない、気恥ずかしそうな、悪戯っぽそうな、幼い笑顔だ。
「おばけさんのシーツをかぶらなきゃ人とうまく話せない、っていうの……実は俺も、少し分かるんです」
彼はしゃがんでいた体制を少し崩し、自分の革靴の踵をトントンと指で弾いた。
「……これ、実はシークレットシューズなんです」
「えっ」
「なんとなんと、十五センチも高く見せています」
「じゅ……!?」
「さらに、中には厚底ソールも忍ばせています。僕、おばけさんより本当は背が低いんです」
吸血鬼さんが立ち上がり、おもむろに革靴を脱いで立ち上がった。
……本当に、俺よりも背が低い。
当然、座っている俺よりかは高い位置に顔があるが、それでも立ち上がった俺よりも背が低いのはすぐに分かった。
「ね?」と、吸血鬼さんが恥ずかしそうに笑う。
「全然……気が付きませんでした……」
「ふふっ、シューズメーカーに感謝ですね」
吸血鬼さんはそのまま俺の前で膝をついて視線を合わせると、苦く笑いながら言った。
「身長だけじゃないんです。僕が隠しているの」
「え?」
「僕、今はこんな紳士な吸血鬼を演じていますけど、この仮装の下って、本当にもっさりとしたただの男なんです。テンパりやすくて、声なんかすぐに裏返っちゃうし……。それに、僕も人との距離感を計るのが苦手で、仲良くなりたい人にグイグイ行き過ぎて引かれてしまったりもするんです。……あなたが今まで見てきた優しい紳士で少しキザな余裕のある吸血鬼は、仮装をしているからできることなんです」
綺麗な眉がへにょりと下げられ、困ったように笑う彼の表情。緊張しているのか、すこし高くなった声に、自分を守るように握られた両手。
そんな吸血鬼さんを見て、俺はつい――
「そんなことっ、ないです!」
大きな声を出してしまったのだ。
「そんなこと、絶対にないです!仮装しているから優しいとか、そんなこと絶対にない。あ、あなたの優しさは、本物ですっ……!俺をずっと見守ってくれていたり、庇ってくれたり、た、助けてくれたり慰めてくれたのだって、全部――」
仮装しているから、ではない。
普段から優しくて――優しさがいつもこの人の中にあるから。
もし普段から誰かを助けようとしててそれが出来ないのは、普段の自分に自信がないってだけで、彼の中には、誰かを助ける優しさがいつもあって――
「――ぁ」
――吸血鬼さんが言いたかったこと、やっと今、気が付いた。
「そうですよ。僕もあなたも、きっと理想の自分に仮装しているんです」
彼の手が、おばけのシーツ越しに俺の手を握ってくれている。
冷たい手のひらに感じるのは、俺よりもほんの少しだけ温かい吸血鬼さんの手だ。
「でも、いいじゃないですか。なりたいものになる、憧れているものになる。これも全部、仮装ですよ」
「仮装……」
「はい、今夜にぴったりです。でもいつか、仮装しなくてもよくなったら、良いとは思いますけどね」
「それに、僕は」と、少し硬い声で吸血鬼さんが続けた。
「――僕は仮装をしているハロウィンのあなたも、本来のあなたも、どっちも好きです」
「えっ」
俺の手を握っていた手に、力が入る。痛みはない、優しい力だ。
そのまま上に引っ張られるようにして立ち上がると、少し高い場所にある彼の顔がくしゃっと笑顔になった。
「大きな声を出して、元気になりましたね」
「えっ、え、えぇと――は、はいっ」
「よろしい。じゃ、行きましょうか」
「い、行くって、どこに?」
エスコートするように俺の手を引き、ゆっくりと歩き出した彼が言う。
「今夜はハロウィンです。おばけと吸血鬼が行くところなんて、ひとつしかありませんよ」
パチン、と綺麗にウィンクした吸血鬼さんに、シーツの下で強張っていた口が綻ぶのを感じた。
* * *
昨晩の賑やかさが、嘘みたいな朝六時半の商店街。
ちらほら見える人影は開店準備をしている商店街の人だったり、予定があるのか小走りでアーケードの下を行く会社員っぽい人くらいだ。
(空気が冷たい……もう少し着込んで来ればよかった)
空気に触れる手と顔が冷たい。
昨日のイベントと同じ場所のはずなのに、やっぱり朝という時間は空気が冷える。短い秋の終わりが、すぐそこまで来ているのだ。
しかも空は曇り空。太陽の光の恩恵を与えられない俺は、アーケードの下で冷えた手を息で温めながら広場へと向かった。
(ゴミ拾いが始まる前に、見つけなきゃ)
昨日、広場で落としたコウモリモチーフのピアス。
商店街ボランティアによるゴミ拾いは、イベント翌日である今日の朝七時から始まる。
ピアスは小さいし、箒なんかでさっと掃かれたら一瞬でゴミと一緒になってしまうだろう。
(別に高価なものってわけでも、ないんだけど……)
よく行く雑貨屋で、たまたま目にしたコウモリモチーフのピアス。
シンプルなそのコウモリモチーフを見た瞬間に、竜華ちゃんが言った「お揃い」という言葉が頭にちらついて、つい買ってしまったのだ。
彼と……吸血鬼さんと、お揃い。
だから、できるなら、見つけたかった。
(まあでも、別に見つからなくても……安物だし、量産品だろうし、ハロウィンが終わった今なら、きっともっと安く売ってるだろう、し……)
朝の、人の少ない商店街の、人どころか鳩すらいない商店街広場。
そこに、動く人影があった。
(え……あれ、は)
あの横顔は知っている。
あれは、商店街の端の映画館に勤めている、確か名前は――
「瀧、さん……?」
瀧さんは広場の中で、四つん這いになって地面をジッと見つめていた。
かけている分厚い眼鏡が落ちないように片手でツルを支え、膝が汚れるのも構わずに、まるで何かを探しているかのように――
「あっ!」
広場のレンガ柄を見つめていた彼が、突然声を上げた。
ずっと冷たいコンクリートについていて、真っ赤にかじかんだ手で何かを摘まみ上げる。
フラリと立ち上がる彼を、広場を、雲の切れ間からのぞいた太陽の光が舞台演出よろしく照らした。
「あったぁ……!」
彼の手の中で、マットな質感のコウモリが鈍く太陽の光を反射する。
噛みしめるようにして出た声が、昨日ずっと聞いていた声に似ている気がした。
彼は探し物を見つけた喜びを表すようにその場で小さく足踏みをして、昨日よりはいくらか高くなった声で「あった、あった」と楽しげにくるりと振り向いて――
「あ――」
「――おはようございます。た、瀧、さん……」
舞台の上に登った俺と、目が合った。
「――ッお、おおはよう、ございますっ!」
「テンパりやすくて、声なんかすぐに裏返っちゃう」と、吸血鬼さんは言った。「仲良くなりたい人にグイグイ行き過ぎて引かれてしまう」、とも……。
(仮装をしていても、していなくても……)
俺は直立のまま固まる瀧さんに、ゆっくりと近付いた。
……俺よりも低い背。分厚い眼鏡のせいで小さく見える、黒くて大きな、カラコンをつけていない目。セットされていない少し寝癖の残る黒髪に、彼が「もっさり」と表現した、シャツにセーターにスラックス。
確かに、昨晩とは大違いだ。
(――けど、なんにも変わらない……)
優しいところも、助けてくれるところも、親切で礼儀正しいところも、なにも。
「あ、の……」
「はっ、はい!」
寒さとは違う理由で震える声で言う俺に、彼が上擦った声で返す。
「……ハロウィン映画って、まだ上映してますか……?」
俺の言葉に、吸血鬼――瀧さんは、顔をクシャっと笑顔にすると、鋭い犬歯をのぞかせて笑った。
「はい!ポップコーンのバター、サービスしますね!」
* * *
「――で、どうだったんだ?鳴海は、例の瀧く――『吸血鬼さん』との進展は」
「それそれ、俺も聞きたかったんですよ!どうでした竜華さん?ちなみにこっちは大盛況でした!」
「まああの特殊メイクなら大盛況するでしょうよ。――ん~~……ちょっとだけ進んだ、かな?」
「ちょっとか~!」
「名前も聞けてなかったみたいだしね……はあ、鳴海ちゃん、いつ気が付くのやら」
「まー、あのおばけのメッシュ布地越しで見えづらい、プラス鳴海の人の顔見て話せないってのが相性悪いわな~」
「マジほんと、また来年までこっちがジリジリしなきゃいけないの……?ほんとなんなの?」
「鳴海さん、吸血鬼さんとしょっちゅう挨拶してるんですけどねぇ……」
サロンディグの面々が「はぁ~……」と肩を落とす中、サロンの窓際では綺麗に洗われて干されたおばけシーツが外を見ていた。
おばけの視線の先には、太陽が照らす明るい商店街の道を、穏やかに談笑しながら並んで歩くおばけと吸血鬼の二人。
頬を吸血鬼の刺繍によって赤くさせたおばけは、嘆くサロンの面々を背に、二人を優しく見つめていた。
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