2.サマラス伯爵家王都邸
レイラは平民として生まれ育った。父親は不明。母親に聞いても
「このお店に来る男の人、皆があなたのお父様よ!」
と言うばかり。客達もその言に乗って娘の如く可愛がってくれているので父親不在の寂しさはない。平民としては恵まれている。辛い事悲しい事も当然あるが幸せだと言える。平民としては。
では貴族としてはどうか。
母親は未婚の母。本人は元娼館での平民育ち。貴族のマナーもなっていない、なんの教育も受けていない。基本学校も飛ばして突然上級学校に入学。
(……まぁ……事実か……)
程度の低い人間達にどうこう言われる未来が視える。煩わしい事この上ないが、集る蝿と同じ。すぐの実害はなくとも、対処しなければ衛生環境に問題が出る。
〝歌鳥の休息邸〟の従業員フロアにある食堂でカフェオレとサンドイッチを食べ終えて、デザート代わりに蜂蜜をちみちみ舐めていた。どうせこれから忙しくなる。今のうちくらいのんびりしよう。
「レイラ〜?お迎えきたぽいよ〜?」
「ありがと。行ってくるね」
馬車の到着を知らせてくれた姐さんにお礼を返して席を立つ。馬車留めに向かえば立派な馬車が停まっている。日中に停まることはほぼ無いので何だか新鮮だ。陽の光の下では、家紋の無い事がよく分かる。貸馬車だろう。
御者が乗り口横に立っていた。恐らく乗込み介助をしてくれるのだろう。貸馬車ではあるが、なかなかランクの高い物を手配してくれたようだ。ありがたい。
「今日はありがとう、宜しく頼みます」
「承りました」
二人の会話はこれが全てだった。話すことはない。行き先は既に共有されており、レイラを目的地に運ぶだけなのだから。御者の差し出た手を頼りに踏み台を登り馬車に乗り込んだ。
車内でも引き続きぼんやりした後に着いたのは、サマラス伯爵家の王都邸だ。〝歌鳥の休息邸〟より大きく古い。だがよく手入れがされており建物にも前庭にも精霊が多い。ローラが住んでいた頃は困窮していたと言うが、今その面影はなかった。当時は単純に収益に対して子供が多かったのだろう。貴族の養育にはお金がかかる。持参金の必要な女の子ともなれば言うまでもない。
御者の介助を得て馬車を降りた所で、内側から扉が開かれた。そこには使用人が居並び、中央に先日祝いをくれた大叔父が立っていた。出迎えらしい。
「サマラス伯爵家にようこそ、レイラ。と言っても私の家ではないがね」
「お招きありがとうぞんじます、おじさま。と私が申しますのもおかしな話ですわね」
彼は婿に出て他家を継いでいる子爵だ。レイラの訪問を知って心配して来てくれたのだろう。姉の嫁入り先とは言え、実家の本家の客人を出迎えるのは通常有り得ない事だ。しかし大叔父は堂々とレイラをエスコートして屋敷内を進んでいく。執事や侍女が何も言わないところを見れば、伯爵家の主人達も承知の事らしい。
「君の祖母は足腰を悪くしていて出迎えが難しく、君の伯母は入学準備で忙しい。そこで僕が君を出迎える栄誉を拝受したのさ」
「子爵に出迎えられるなんて身に余る光栄です。……伯母様とお祖母様にはご負担をおかけして申し訳ないことだわ」
合理による結果なのか、それとも含むところがあっての事なのか、レイラには判断がつかない。それでも母や大叔父から聞く祖母と伯母の人柄からは心配する事はなさそうに思える。まあここまで来ては出たとこ勝負しかない。
導かれて辿り着いた応接室は屋敷の全体感からはこぢんまりとしていた。調度は少ないが、そのため狭さを感じさせず品良くまとめられている。部屋中央の応接セット、その一人掛けソファに老婦人が座っていた。しゃんと背筋を伸ばした姿は一本筋の通った人柄を、柔和な笑みを浮かべた顔からは親愛が感じられた。
彼女がローラの母、レイラの祖母、前サマラス伯爵に違いない。
「姉上、レイラを連れてきましたよ」
大叔父の紹介を受けて、レイラは両手を胸に当て腰を落として頭を下げた。上位者への礼だ。
「精霊とローラの子、レイラが前サマラス伯爵にご挨拶申し上げます」
血統を重んじる貴族は、親の名前を挙げて出自とする。レイラは父が解らないため仮に精霊を父と呼ぶ。
「アドナ・サマラス。貴方の祖母です。レイラ、貴方は私の孫なのだからアドナの孫としてサマラスを名乗りなさい」
「かしこまりました」
一人親である事を名乗るな、と言うことだろうか。この祖母に親愛は感じたが、まだ解らないとレイラは思う。
「さあ名乗ってみなさい」
「はい。サマラスがアドナの孫、ローラの子、レイラにございます」
「良いでしょう、こちらへ」
「はい」
促されるままソファ横に立てば、手を引かれたのでレイラは跪く。腰掛けている祖母を見上げる形になったが、立っているよりは目線が近い。アドナが何かを言いたそうにしているのを察して、レイラも黙して言葉を待つ。引かれた時のままの手は強く握られ、思いの強さを代弁していた。
「……力になれなくて、ごめんなさいね」
絞り出すようにして出た言葉は悔恨だった。感情が堰を切ったようで、一言を切っ掛けにアドナは目に涙をためた。が、溢さない。淑女は人前で泣かないものだ、というのを体現している。
レイラはそれを見て少し感動した。平民であればこの状況でまず涙を堪えない。流石生粋の貴婦人は違う。
「お祖母様、発言をお赦しいただけますか?」
「赦します」
「私の母はあの気性です。これは必然ですし、あの母あってこそ、私が産まれたのです。母も私も日々を楽しく幸せに過ごしております。お祖母様が気に病む事など何一つございません。むしろ謝るべきは私達です。母と私の事で、サマラスの皆様にご迷惑をお掛けしているのではございませんか?」
人の生まれや育ちをあげつらうような人間の品性が下劣なのであって、レイラは自分達に非はないと認識しているが、一応謝罪の体をとる。しおらしさを忘れずに。
するとアドナの眉間にシワが寄る。
感情を表に出すのは未熟者とされる貴族において怒りを明確に露わにするのは家としてのスタンスを表す為だ。
「今サマラスが有るのは間違いなくローラのお陰ですし、戦争回避の立役者である我が家を悪く扱う所など、先行きが知れています。貴方も学校で軽んじられるようであればそれはきちんと対処すべき事柄です。必ず報告するように。解りましたか?」
「ええ、何かあればそのように致します」
表情を和らげお茶目に笑う祖母は、レイラに自身の隣のソファを勧めた。空気に徹してレイラの後ろに立っていた大叔父は祖母の向かいに座る。
香茶とお菓子が供された所で、アドナが口を開いた。
「この際ですからその辺りの経緯とサマラスとしての立ち位置を話しておきましょう。貴方もローラから聞いているかも知れないけれど、知っているはずと思うのは怠慢で、認識の共有は私事でも必須と学んだばかりですからね」
王国に面した海の向こうにある公国と国交を開くため、外交官として出向していたアドナとその夫。
秘密裏に重要な判断を王に仰ぐため、表向きは四人目を妊娠しているアドナのお産に備えるためとして、夫婦は使節団の一部少人数を連れて王国に帰る事になった。船に乗っていると、潮流が複雑で操舵の難しい海峡にさしかかった時、半人半鳥のセイレーンと遭遇。
そのセイレーンは腹が大きく妊娠しているらしい。だが喉を傷めてもいるようで、かすれた声でしか歌えず、魅了の力が無かった。これでは獲物も得られないだろう。
腹の子を守るように威嚇してくるそのセイレーンに同情したアドナは、蜂蜜を与えた。セイレーンはアドナ達に通行の許しと、アドナの腹の子にセイレーンの祝福を与えた。
無事一行は帰国し、この時持ち帰った情報で国王は公国と手を組む決断をし、公国を挟んで向こうの帝国との戦争を避けることが出来た。アドナも無事に四人目を出産した。
祝福をもらった四人目の子供はローラと名付けられ、セイレーンの影響か奔放な気質に育つ。貴族教育を受けた立派な淑女だが、その声に強い魅了の力を持っており、扱いが困難だった。
政治利用を本人も家族も望まず、嫁入りの金もないため、通学義務のある上級学校卒業後にローラは家を出た。
貴族籍を抜いてくれと依頼だけして、本人は手続きせずに。
そこからはローラが歌劇場のソリストとして売れたり引退したり娼館買ったりテコ入れしたりと紆余曲折あるが、この部分はレイラの方が詳しかった。店の姐さん達が尊敬や愛を込めて色々と教えてくれたからだ。
(貴族パートはほぼ聞いたことが無かったんだなあ……)
特に隠されてもいなかったが、ローラが積極的に語ることもなかったし、レイラは平民であったので、『聞いた所で』だったのだ。
実際に聞いてみればなかなか興味深かったので、今度本人に聞いてみても良いかも知れない。
なんて事を考えていると、アドナがレイラを見ている事に気がついた。しかし何故見ているのか解らない。愛しい孫を見る目ではない。悪感情があるでもない。強いて言えば、観察をしている。
レイラの認識ではアドナと会うのはこれが初めてだ。物心付く前は数に入れない。
(そりゃ見るか)
生い立ちの概要しか知らなければ、相手の仕草を見るのは為人を判断するのに有効だ。好きに御覧くださいの気持ちでレイラは気にせず菓子を口にする。マドレーヌが美味しい、初めて口にする味だ。王都の有名店は制覇しているレイラが食べた事がないのだから、恐らく伯爵家お抱え料理人の仕事だろう。羨ましい。
「こちらの焼き菓子は初めて口にしますが、とても美味しいですね。香辛料がふんだんに使われていて。甘い物に胡椒を合わせると、このようになるのですね」
「ええ、我が家ならではを追求した逸品よ。ローラも好きだったから、帰りに包ませるわ」
「ありがとうございます。母もこの味の再現をしたいのでしょう。料理人に色々要望を出して似た菓子を作らせているのですが、中々完成に至らないのです。試行錯誤の末出来た試作も私には美味しいのですが、これを味わった後では母の拘りも頷けます。また味わえるとなれば喜ぶと思います」
サマラス伯爵家は王国の外交を担うことの多い家系だ。砂糖も香辛料もたっぷり使った菓子は正しくサマラスならではと言える。
土産にもらえるとは聞いてももっと食べたいレイラは優雅に侍女へ視線を送り、無事皿に追加を貰っていると別の侍女がアドナに何かを報告していた。
「応接間に出入りの商会を呼んでいるのだけれど、準備が整ったわ。移動しましょうか。私は後から行きます。先に二人でおいでなさい」
アドナがにこやかに促す。レイラは大叔父のエスコートでスラリと立ち上がる。出来る淑女は先を予見して動くものだ。そしてレイラは出来る淑女だった。優雅を装い急いで食べても菓子は美味しかった。
二部屋ほど間に挟んで隣にその応接室はあった。こちらは建物の外観から推測される相応の大きさと費用をかけた造りになっている。先程の部屋は従者の控室や個人的な非公式の接遇に使われているのかも知れない。こちらはサマラス伯爵家の顔とも言うべき部屋だった。王国の様式でありながらそれぞれの家具がセットごとに異なる文化背景を思わせる。これを統一感を持って見せられるとは。差配した主のセンスが光っていた。
その主は、ティーテーブルで書類に目を通していた。二人が来たことに気付くと軽やかに立ち上がり、レイラ達に軽く腰を落として挨拶をする。
「良く来ましたね、レイラ。私は貴方の母の一番上の姉、アリアナ・サマラス。伯爵位を拝命しているわ」
「お目にかかれて光栄です。私はアドナの孫、ローラの子、レイラです。宜しくお願いいたします」
レイラは両手を胸に当て腰を落として頭を下げた。程なくして顔を上げるとそこにアリアナが手のひらを下にして手を差し出していた。エスコートを待つようにも、手の甲に口づけを待つようにも見える。レイラは両手で捧げ持つようにアリアナの手を掬い、おしいただいた。
「……良いでしょう。レイラ、困る事があれば言いなさい。力になりましょう。先ずは通学に必要な物を揃えますよ、叔父様は予定通りにお願いします」
「仰せのままに、お姫様」
大叔父はウインクをして部屋を出た。あれっと思っている間にレイラは隣接する控室に押し込められ、控えていた服飾工房から来た職業婦人達に囲まれ、気づけば肌着姿で全身を採寸されていた。女の園で育ったため、同性間での恥じらいはない。
「お嬢様は体幹がしっかりしていらっしゃいますね。姿勢が良いですし、とても測りやすくて助かります」
「ありがとう。趣味で歌うものだから、自然と鍛えられたのね」
実はめちゃくちゃ鍛えているが、優雅に泳ぐ白鳥は、水面下の水掻きを誇らない。
「ねえ貴女、そう。リボンがとても素敵ね良く見せて?外さなくていいわよそのまま……ピンクって合わせる色でこんなにシックになるのね。甘くなりがちだから避けていたけれどこの配色なら私も挑戦してみたいわ。見せてくれてありがとう。貴女センス良いわね。……何を仰るの、それを良いと感じて取り入れた貴女の感性が優れているのよ、ふふ、そうよ気付いた?貴女を褒める私もセンスが良いの!」
指定された体勢を保持したまま、レイラは婦人達とお喋りに興じる。何せ暇なので。婦人達も気持ちよく応じてくれて、最後は店舗の場所を聞き代表の名刺を貰って採寸はすんなりと終わった。お喋りで盛り上がったにも関わらず、通常貴族令嬢にかかる時間の三分の二程度で控室を出た。
侍女に促されレイラは大きな応接セットに誘導された。ソファに腰掛けると、待機していた商品達が入れ代わり立ち代わりお勧めの品を並べては商品説明をしていく。レイラはそこから要望や所感を述べるのだ。
「ペンはメインで使いたい物があるから、今回は予備を数本欲しいの。装飾はあっても良いけれど、実用を重視したいから重かったり書きにくいのは外してちょうだい。貴方が使っているそのペンはこの中にある?あらこれ良いじゃない。同じものを。予備だから別に構わないわ。」
「メインはお祝いでいただいたとても良い物だから、ノート類もペン先が引っかからない物が良いわ。インクは予備用にいくつかいるかしらね……」
「ハンカチの刺繍は名前だけでお願い。目元にあてるときにゴワゴワするのが好きじゃないのよ。もし刺繍なしが家として望ましくないならそうね、染か織で華やかにしてくださる?いえ、異国の物は私が学校に慣れてからにするわ。例えば彼女のスカートの配色生地なんて良さそう。気を悪くしたらごめんなさいね。素敵な織だと思ったのよ」
レイラの判断は明確、そして迅速だった。伯爵家の御用商人達なので質の悪いものを持込はしないし価格をあげ連ねる事もしないが、選択肢の中で使い勝手の良い優れた品を即決していく。レイラの中である程度価格の推測が出来ているため、品質に対して妥当かつ最悪自分でも払えるかを基準にしていた。貴族って割り勘か奢りかも宣言しないから良く解んないな、くらいにレイラは思っている。恐らく伯爵家持ちだがはっきり聞くのも伯爵家の沽券に関わるし自身の評価が『金にうるさい卑しい人物』になりかねない。そんな訳でレイラはとにかく判断を下す。
買物は通常の貴族令嬢にかかる時間の三分の一で終了した。孫の買い物に付き合おうとアドナが訪れた時すでに商会は片付けに入っており、肝が冷えたとは商会員の談。
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