3-15.悪魔と少女。使い魔と鳥。
「え、ええ……」
どっからどう見ても美しい銀髪の少女だよ、これ。身長は百四十くらい、俺ほどではないが幼いな。白いワンピースには綺麗なレースがたくさんついていて、安物には見えない。色白で、頬は少しピンク色。貧血じゃなく本当に日に焼けていないんだな。
膝の上の鳥はすやすやと眠っている。小さな小鳥だ。白い羽は閉じられていて、飛ぶ気配はない。嘴も普通で、化け物には見えない。
──でも、これから、魔力が出ているんだよなあ。
どう見ても、令嬢と小鳥の組み合わせ。魔獣や魔物には見えない。だが、俺の魔力探知が狂っているとも思えない。
「二人は、なんか、分かる?」
止まった思考をどうにかするべく、後ろに立つヴァルと、前に立つグレイに問いかける。グレイも困惑しているが、何とか返事をくれた。
「分かりません、が、あれから出ている……あれほどの魔力なら、魔獣ではなく、魔物か、あるいは……」
あるいは。言い淀んだグレイだが、その線はあり得ないと感じて発言を辞めた。しかし。
「天使か」
その先を、ヴァルが言ってしまった。
「天使って……ヴァル、お前……」
そんな簡単にいる存在じゃないだろう。あの少女には光の輪も白い羽もない。ただの少女にしか。
「クリスよ、こうして立っている我を、客観的に見てみるがよい。悪魔に、見えるか?」
黒い羽も、牙も、角も何もない。強いことを除けば、ただの人にしか。
「悪魔!? お前、ファイアードラゴンじゃ……」
グレイシャードラゴンであるグレイすら、ヴァルの嘘を見抜けないほどに、完璧な模倣。
「天使と悪魔は、他とは違う特別な存在である。故に、ああいう可憐な姿にだって、なれるのだ。……もっと早く気が付くべきであったな。魔力を集めるなど、天使の好む所業だろうに。天使の魔力の痕跡にしてもそうである。我としたことが、少し浮かれておったか」
そう言うヴァルの表情は苦し気だ。十数メートル先の岩に座る少女を赤い双眸で睨みつけて、金の髪をかき上げた。少しだけ、黒い魔力が漏れだしている。
「クリスよ、すまぬが、これは我の問題である。しばし、目をつむっておいてくれ」
それは物理的に、ではなく、おそらく悪魔として行動することへの黙認であろう。俺というマスターが、防衛隊の手前、というか日常的に目立たないことを望むから。
数歩、黒い革靴で足音を立てて歩き出したヴァルは、目を白黒させる俺とグレイを置いて、少女に語り掛けた。
「我は【原初の悪夢】ヴァルサルク。お前、名は何という」
鳥に注いでいた視線を上げ、瞼を開き、澄んだ森のような緑の双眸をヴァルへ注ぐ少女。その口から、ピアノの旋律のような、高く、けれど決して耳障りではない、空間に響き渡るような、聞く者を浄化させるような声が発せられた。
「私は、フリューゲル。【原初の楽園】フリューゲル」
凛とした声で、そう名乗った。
──原初。
その響きで、俺は目の前の少女の存在の高さを知覚した。ヴァルの【原初の悪夢】と対になる位なのだろう。それはつまり、ヴァルでも、戦力は五分になるかもしれないということ。
それがどうしてこの森に、洞窟にいるのか。そんな疑問を抱くことすら、俺の思考は忘れてしまっていた。グレイも同様、何とか俺の隣まで来て並ぶだけで、彼ら二人の最強クラスの対話を見つめることしかできない。
「フリューゲルよ。何故、魔力を集めていた」
「私が、天使故に」
言葉の意味がよく分からないが、ヴァルはそれで納得したような顔をしている。
「グレイ、どういうこと?」
学院の書物は、それなりに読んだ。無論、まだ入学して二か月だから全てとはいかないけれど、ヴァルが悪魔だからそれに関する物を中心に、積極的に手にとってみた。でも、滅多に人とは出くわさない存在だからか、古い伝承のようなものしかなく、結局何も分からずじまいだ。
「オレも、細かくは知りませんが、天使というのは魔力を求めるそうです。対して、悪魔は魂を求めるのだとか。人間でいう、食事のようなものですかね。魔物であるオレにはよく分かりません」
魂。
ヴァルは、知らない間に、魂を?
そんな、死神みたいなことを?
──俺の知らない間に、人を、殺していたり……。
「クリスよ、それはないぞ。最上位である我のプライドにかけて、そのような下賤な真似はせぬ」
思考を読んだのか、知らないうちに伝わってしまっていたのか。
「でも、なら、どうやって」
「食事と、倒した魔物や魔獣から吸っておる。我は魔力の持ちがよいからな。そう毎日吸わずとも平気である」
こちらを向かぬまま、語気を強めてヴァルは言い切った。なら、主である俺が証拠もなくこれ以上疑うのは良くないというもの、だと、思う。
「フリューゲルよ。集めた魔力で、何をするつもりだ。まさか、人間の世を滅ぼそうなどと思うでないぞ?」
「悪魔がいる限り、人間の世は、支配できない。魔王議会も、あるし」
「ならば、どうするのだ」
相変わらず、少女、いいや、最上位天使【原初の楽園】が一人、フリューゲルは岩に腰掛けたまま。ただ、その両手を小鳥を愛でるためではなく、小鳥を覆うように手のひらを広げた。
一体、何をするつもりか。
「ヴァルサルク。貴方は今、その人間の、使い魔なのか」
「ああ、そうである。それがどうしたというのだ。これは、我とお前の戦いだろう」
んふふ、と。可憐に、それなのにどうしてか背筋が、いいや、背骨が震えるような不気味な笑みを漏らした天使は、銀の髪が頬に垂れていることも気にしないまま、両手に魔力を込め始めた。
それは、無数の色の魔力が混じり合ったものだった。
「森の魔獣たちから吸い上げた、魔力か」
ヴァルがそう言った次の瞬間には、魔力は少女の魔力の色へと染まり始めていた。つまりは、白に。
そうして染まり切った白き魔力がどこへ行くのか。それは、その手が包む、真白の小鳥だった。健やかに眠っていたはずの小鳥が、ぐおおおおお、と、呻く。痛いのか。苦しいのか。人間である俺には何て呻いているのか分からないけれど、目に見えている変化は分かる。
「あ……ああ……」
驚愕と恐怖で声が漏れる。
白い小鳥は、大きなバケモノに姿を変えた。真白の羽はそのままの色に、けれどサイズだけは桁違いに大きく、どこまでも大きく。広間のようなこの一室であっても天井ギリギリといった高さまで。嘴は鋭く、人の肉体をくし刺しに出来よう。寝ていて見えなかった瞳は、瞼が開いたことで、緑の目玉を露見させている。少女と同じ色だ。
「この子は、私の、守護獣なの」
「【原初の楽園】の特権か」
「そう。可愛いでしょう? 起きている時は、すごい強いのよ。貴方、あの人間を巻き込みたくないようだから、せっかくだし、使い魔と守護獣の戦いにしてあげようと思って。お互い、主人は出て来ないってことに、ね」
「ふん、悪魔と天使が対であるというのに、悪魔と守護獣では差があり過ぎるであろうよ」
「そんなこと、ない。私の子は強いもの。神様の恩恵を受けているから」
フリューゲルの前に立ちはだかる小鳥、いや、怪鳥が、耳が痛くなるような大音量で叫ぶ。
「──おはよう、フギムニ」
主人フリューゲルの声に呼応するように、守護獣フギムニは、その口内に魔力をため始めた。
置いてけぼり系主人公、ここに見参!!




