3-8.いざルーグリナ連邦国へ
「うぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおお!!」
六月初旬、六人の生徒たちと一緒に押し込まれた荷馬車に乗って、それを引くのんびりと走る馬がもたらす振動を感じながら隣国ルーグリナ連邦国へと向かっていた。山道を登り、川の傍を下り。グラッドランド王国の西へと進んでいく。
次第に舗装された道へと入り、商人たちの荷馬車や荷車と並走するようになっていった。そうして見えた初めての異国に、俺たちは歓声をあげていた。
「……はあ、馬鹿じゃないのか」
三年生の男子生徒が呟いた。名前は……ロドス・ケラン、だったかな。ウロボロス寮だ。フード付きローブで肌を覆い隠し、すぼめた瞳でうっとうしそうにこっちを見ている。
「先輩は三回目ですもんね」
「ふん。何回目であろうと、阿呆のようにはしゃぎはしないさ」
近づいてくる景色は、まさにド迫力。大きな石造りの門には金属製の重い扉が付いていて、兵士が立っていて入国審査を行っている。観光客は二つほど質問を答えればいいようだ。問題は商人の方。違法な製品を売りさばかれることのないよう、適切な審査を行わなければ。
とはいえ、だ。平和を掲げる中立国で問題を起こせばどうなるか。それを知らない者はいない。その商人の祖国である国は一時的に商売禁止になるかもしれない。ルーグリナ連邦国にはたくさんの商売相手がいるのだから、一つくらい減ったところで問題ない。
「私たちは招かれている側だから、他の門から、ですよね」
さわがしい商人たちの様子を窓から伺いながら、少しだけおどおどとして言ったのはセイレーン寮二年生、ハルル・リーレイ。貴族の次女で箱入り娘だと聞いた。
「ハルル先輩は、異国に来たことはあるんですか?」
どうせ、中へ入るにはまだ時間がかかる。ロドス先輩は相変わらず毒づいているし、空気は最悪だ。この狭い車内で換気は不可能。なら、俺が話を広げていくしかないな!! 新入生だし、多少は甘く見てもらえるだろ!!
***
目の前に広がる、でっかい屋敷。三階建て、他にも屋根裏部屋あり。執事がいて、メイドがいる。入ってすぐの玄関にはシャンデリアがあり、螺旋階段が二階、三階へ続いている。庭だってすごかった。薔薇が咲き乱れていて、生徒用、教師用の計三台の荷馬車を余裕で停められた。貴族の所有か??
あまりの豪華さに呆気に取られていると、コツコツと靴音が聞こえて来た。上からだ。見れば、螺旋階段を降りてくる男性がいる。紳士らしいスーツ姿。高そうなイヤリングを一つ。壁にかけられている肖像画は歴代当主だろうか。見たところ、全員が同じデザインのイヤリングをしている。家宝なのかな。
「ようこそいらっしゃいました。国境へお出迎えに行けたらよかったのですが、すみませんね。少々肺を悪くしていまして。医者に外で体を冷やしてはいけないと言われてしまったんです」
「お気になさらず、ディリス卿。今年も館をお貸しいただけるということで、わが国及び学院長が大変感謝しておりました」
挨拶を返したのは今回の実習でメインとなる教師、シャルク先生だ。見た目は細身だが力は強く、強化魔法をしていないというのが嘘みたい。
「ささ、こちらへ。長旅、お疲れでしょう? 今日はゆっくりして、明日から実戦を頑張りましょう」
事前に聞いた話では、このおじいさん、ディリス卿は国内随一の商人であり、今では貴族としての地位を確立しているらしい。そんな金を持て余すほど持っているディリス卿は、ここ十年ほど、活発に数を増やしつつある魔獣たちの件を心配し、政府に掛け合ってこの実習を計画したそうだ。自身の屋敷を生徒たちの寝泊りする場所として貸し出すほどなのだから、金持ちの道楽ではなく、本当に優しいご老人なのだろう。
案内されたのは二階。客間が無数に並ぶ廊下には、他にも使用人たちの部屋や物置なんかもあるらしい。一階はキッチンなどで、三階には主人用の大きな部屋が数個あるだけだそう。
「すっごい、きれいだ」
移動中は荷馬車が狭いため空を飛ぶように指示していた使い魔二名を連れて、俺はあてがわれた一室へと踏み入っていた。他の生徒も各々部屋の豪華さに驚いている声がする。
大型ベッド一つ、それと二段ベッド一つ。後者は使い魔がいると知って急遽追加してくれたのだろう、ま、恐らく大型ベッドを使いたがるのはヴァルだろうなあ。現に今も、布団に飛び込みたくてうずうずしているようだし。
「グレイ、俺と二段ベッドでいいかな?」
怒るかなあ。グレイはヴァルと仲良くないみたいだし。ヴァルだけが大きくて豪華なベッドっていうのは面白くないはずだ。
「なんと! 主と同じベッドでいいのですか!? ありがたき幸福……!!」
「……うん、段は違うけどね?」
恐ろしく強い使い魔に好かれているのは良い事だけど、ちょっとストーカー味を感じて怖いぞ、近頃。
***
「それじゃ、今年も無事に実戦実習を行えることを祝って、そして明日からの戦闘の無事を祈って。使用人たちが腕によりをかけて作ってくれた御馳走を食べるとしましょうか」
朗らかに笑ったディリス卿が一番手となり、次々に挨拶をすると食事を進めて行った。大きなガラス窓の向こうはすっかり暗く、少しだけ風が吹いている。きっと町では家々に灯りを点けて、多くの家庭が仕事を終えた大人を迎えて食事を取っていることだろう。一人で食事を取る人、家族で食事を取る人。友達、恋人、ペット。形はそれぞれだろう。俺たちだって、不思議な形だ。なにせ、貴族と他国の生徒と教師だ。
「もぐもぐ、ごくん……あ、このお肉美味しい」
明日の朝には旅立って戦いへ向かうのだ。お腹をいっぱいにして健康的に眠らなければ。というわけで、遠慮なく食べようか。
「ふむ、非常に美味である。これで明日興味深い魔獣に出会えれば、この行事へ参加した意味があるというものだな、もぐもぐ」
昼間はうだうだ言っていたロドス先輩も、美味しい料理は素直に認めるらしい。ま、貴族の雇う料理人が腕によりをかけたというのだ。それだけで美味いに決まっていると分かる。うん、それにしても、いくら歓迎を兼ねたディナーとはいえだよ、肉、魚、パン、スープ、野菜、その他諸々。
豪華すぎるだろ、おい。
商業国家だからかな。いろんな国から輸入品が来るんだろう。つまり、いつでも新鮮な物を食べられる!?
「……米、ないな」
そういやこの世界に来てから米ってあんま見てない気がする。ああでも、学院の厨房にカレーが売っていたな。つまり米が存在しないわけではない、のかな。こんど絶対食べよ。
「ふふ、皆さん良い食べっぷりですねえ」
「毎年ですが、食事までご用意していただいて……」
「気にしないでください、シャルク先生。それより皆さん、明日のことについて少し話しましょうか。明日の朝九時に屋敷を出て、十時にはルーグリナ連邦国側の者と合流いたします。どういった方が来るかは、秘密にしておきましょうか。お楽しみですからね」
お茶目に笑うディリス卿。貴族とはいうが、元は平民上がりの大商人なだけあって、堅苦しさはあまりない。俺としては、嫌な上司を思い出すことがなくて大助かりだ。喉を通る食事が美味しい。
「今年は魔獣が増えています。どうにも、北の大森林に動きがあったようでして……弱い魔獣がこちらに流れてきているんです。とはいえ、一体一体は弱くとも、そういった個体は数が多くて大変でして。その退治を頼みます」
大森林。サンクチュリア大森林のことだな。ヴァルやグレイがいたっていう。
……待てよ、二人が居なくなったからパワーバランス崩れた、とかじゃあないよね?? ま、それじゃさすがに時間の経過がおかしいか。ヴァルと出会ったのは半年くらい前だし。影響が出るなら、もっと前だよね。
「大森林、ですか。でもあそこの森は不可侵領域ですよね。動きがあるだなんて……」
「理由は分からないのですがね。でもシャルク先生の言うように、あの森は不可侵領域。どこかの軍が踏み入ったわけではないでしょうね。何か強い魔物が現れて、弱い魔獣が追い出されたか……」
真面目な話に、つい全員の食事をする手が止まる。ディリス卿は即座にそれを感じ取って、また朗らかに笑った。なんだか、この人が商人として成功した理由が分かる気がする。人間性の温かみを感じるのだ。
「暗い話をしてしまいましたね。いや、申し訳ない。細かいことを考えるのは、政府の役目です。我々は、目の前の美味しい料理を食べるとしましょうか。冷めないうちにね」
そう言って率先して食事を再開したディリス卿を見て、俺たちもまた、料理に手を伸ばした。