1-5.最大ヤバい、大ピンチ
毎日を平穏に、程よい幸福に包まれて生きる日々。四人家族で仲良く過ごし、時にエマたち一家と食事や遊びをして過ごす。
一年経って五歳になった俺は魔法の腕も徐々に上がっていって、炎魔法は中規模くらいのものなら大抵扱えるようになった。
この世界の魔法の仕組みは、空気中に大量の魔力があることらしい。それを呪文で集めることで、具現化する。
けど稀に俺みたいに無詠唱の者がいて、そういった人は体そのものが魔力に満ちているんだとか。だから言葉という媒体を介さなくても、空気中と体の堺が薄いから魔力を具現化できる。
ま、実際のところどうなのかはわからない。もしかしたら異世界人ってところが重要なのかも。無詠唱って本当にレアらしいし。
と、今はそんなことはどうでもよくて。
「エマ」
去年よりちょっとだけ流暢に喋れるようになった口を開き、俺は前を歩くエマに問いかけた。
「まいごに、なったのか?」
聞かれてエマは両手を背中側で握ったまま、俺を向かずにぴくりと肩を震わせた。これは図星だな。
「迷子じゃ、ないわよ。迷子になってみたのよ、そう、冒険よ、冒険!」
強気な調子だけれど、いつものような覇気はない。
俺たちは今、エマのわがままによって森で迷子になっていた。
いやまあ、わがままではあるけれど、嫌なわがままではなく。この森にはある花が咲いていて、そのイラストをリーゼが見てきゃっきゃと笑ったのだ。そしてエマが本物を見せてあげたいと言った。
けどまあ、怒られるだろうから父さんと三人で行こうって言った俺の意見を断って一人先にでかけてしまったのは完全にエマの身勝手だが。
それを追いかけて森に入った俺は一緒に迷子になってしまった。手入れされた道に花はなく、洞窟だとかそういう深いところに咲くものだとエマが踏み込んだために、元来た道が分からない。
けど、俺も俺か。エマが森に入ったって、親に言えばよかった。そんなことしたらエマが怒られてしまうって思って自分一人で何とかしようとしたのがよくなかったなぁ。今の俺はエマより年下なのに。
「どこか、おんなじ方向にずっと進めば、家にはかえれなくても、森はぬけれるはず」
「そ、そうよ! まだ手はあるわよ!」
昼過ぎに家を出たから、今は午後三時過ぎかな。秋だから夕焼けは近い。夜になる前に森を抜けて、誰かしら大人を見つけないと。父さんはこの辺りの領主なんだから、名前を出せばあとは何とかなるはず。
「ほら、クリス、早くしましょ!」
五歳児を巻き込んだことに若干の申し訳なさを感じているのか、エマはこれ以上花を探そうとはせず、素直に歩き始めた。
そうだ、夜だけじゃない。この森には魔物がいる。そっちの方が恐怖の対象だ。
俺は魔法を使えるけれど、エマはまだ使えないし、何よりも俺たち二人とも魔物を見たことがない。絵本で知っただけ。だから相手の弱点も何も知らない。
炎魔法が嫌いな奴もいれば、水魔法が嫌いな奴もいるって聞いたけど、森に住んでるってことは土魔法は平気なのかな? それとも、そういう理屈は関係ない? 海に住んでいても水魔法が嫌いだったりするのか?
「ほおら、何突っ立っているの? 早く行きましょ、クリス」
前を歩いていたエマが走って来て、俺の手を取って、また走り出した。
けれど、それから体感三十分ほど歩いても森を抜けることができなかった。
「……ねえ、クリス。もしかしてあたしたち、森の中央に向かって歩いちゃった?」
否定はできない。
「……寒く、ない? もう四時くらいよね」
「だいじょうぶ。うわぎ、きてるから。エマこそ平気?」
「うん。平気」
エマは森に来たくて来たくせに、ワンピース姿だ。もっと動きやすい服装をすればよかっただろうに。
「はい、これ」
「え、なに、貸してくれるの?」
「うん」
「……ありがとう、クリス………ふふ、あったかい」
俺は見かねて上着を貸してあげた。ずっと俺が着ていたから、温かいのは当たり前だ。少なくともこれで風邪を引くことはないだろう。
「ねえ、クリス、どうする? もうちょっと歩く?」
少しだけ進んで、絶妙に吹く風を回避できる洞窟の入り口に座り込んだ時、エマが言った。
「うーん……」
「だいぶ歩いたし、ちょっとくらい休んでもいいかも。ほら、みんながあたしたちを探してくれているかもしれな、い、し……」
俺の疲れを気遣ってエマが喋るも、段々と語尾が弱くなってしぼんでいく。
「エマ? どうかしたの?」
「クリス……あれ…………」
普段は気丈なエマが、珍しく身体を震わせながら前方の森を指差す。俺は洞窟の奥に向けていた目を、彼女の人差し指に持って行って、そして驚愕した。
「ウソだろ……」
そこには熊のような魔物がいた。オスだろうか。すごくデカい。
「エマ、どうくつに逃げて────」
指示を出そうとした時、背後から吐息がかけられた。くちゃ、くちゃ、という音も。
背筋が凍る感覚がして、叫びそうになっているエマを手のひらで制し、俺は全身の冷静さをかき集めた。それからゆっくりと後ろを向いた。
「っ」
思わず小さな息が漏れる。同時に、目の前の熊が獰猛に吠えた。
前後を熊に抑えられていた。
森側の熊の方が大きくて、洞窟側の熊の方が小さい。年齢の差? いや、違う、これ多分夫婦だ。
そっか、この洞窟は熊の住処か! 人間が来たから、出て来たんだ。オスの方は狩りにでも出かけていたのだろう。匂いで気づいて、戻って来た。
「クリス、どうすれば」
エマが小声でそう言う。胸元で手を握りしめて、カタカタと震えている。
「俺に────俺に、任せて」
二度目の人生は、全て守って幸福にすると決めた。
だからここは魔法が使える俺が引き受けるんだ。
「魔法で隙をつくから、エマは走って。大人の助けをよぶんだ。だいじょうぶ、中級魔法まではつかえるから」
低級魔法、中級魔法。その二つが使えれば森に居る獣くらいは倒せるはず。俺はただ、時間を稼げればいいんだ。ある程度で自分も逃げたっていい。
「でも、それじゃあクリスが」
腕にしがみついて離れないエマ。熊二匹は鼻を鳴らし、吠え、襲うタイミングを伺っている。
「だいじょうぶ。じつは、俺はエマよりつよいんだよ」
「……もう、なにそれ」
エマが笑ったのを見て、俺は頷いた。エマがしゃがんでいた態勢からやや動き、前方の森へと向きを変える。
それを見て熊も動いた。爪をむき出しにして吠え、器用な二足歩行で二歩歩いた、その時。
──まずは炎魔法で様子見だ。
一番得意の魔法、炎爆発。初めて使った魔法だから、お気に入り過ぎて練習しまくったためもはや右に出る者はいないくらいの熟練度だ。
それを呪文も杖も、何の媒体も必要としないまま発動させる。
ボンッ!と音を立てて煙と共にオス熊の足元が爆発する。狙い通りだ。
ひるんでいる隙にエマが走り、そのまま振り返らずに涙目で森を駆けていく。
「頼んだよ、エマ。だれかつれてきてよね」
あとは俺だ。
爆発を受けた熊は怒るとともに、怒りで気が立っている様子。俺は五歳児だから走っても追いつかれそうだ。何より、現在地も分からないし、無駄に走れば他の魔物に出会うかも。
「ええっと、たおせる、のかな」
次は何の魔法を使おうか。飛行魔法は知らないから、攻撃だよな。魔物ってのは結局のところ獣と同類だから、水を嫌うかな。
いや、まずコイツ、魔物なのか? 獣ってことは……ないか?
この世界の魔物の定義とは、魔力を宿していることだったはず。たとえばドラゴンは火を吹くから、炎魔法を使っているのと同義だ。つまり魔力を持っている。魔力を宿しているからちょっとした攻撃じゃ効かないとか、回復が早いとか、ヒトの言葉を理解する知能があるとか、その他諸々。対して獣っていうのは前世の豚や牛みたいに、魔力を宿しておらず普通に倒せる奴ら。
見た目は熊だけど、爆発でケガはしていないっぽいから身体強化が効いている?
「いいや、とりあえず、次の魔法だ」
お得意の炎魔法を連発しよう。
炎属性炎魔法、中級魔法の点火火球!
オスの熊目掛けて炎の玉が飛び、そのままぶつかると着火するように身体を包んで燃え上がった。
申し訳ない気もするが、永遠に燃える万能魔法ではない。相手がこれより強い水魔法などを使ったり、あたりの魔力が切れたりすると消えてしまう。あとは普通に、時間経過だとか、俺が消すとか。
ぐわああああああああああああああああああああああああッ!と、火だるまになってしまったオス熊が叫ぶ。メスの熊が発狂して俺に襲い掛かり、間一髪でそれを避ける。が、マズイ。うっかり洞窟内部側に入っちまったじゃねえかああああ! これじゃあ森に出れないって! 森側に二匹の熊だって!
エマ、早く来てくれ!
洞窟内部でデカい魔法は出来ない! やりすぎると崩れちゃうから! 無詠唱魔法は早いけどまだ火力調整が出来ないの! 俺が崩落に巻き込まれちゃうから! お願いだ、早く!