2-10.キマイラの印
宴は続く、長々と、夜が更けるまで、朝が訪れるまで。
先輩たちはもうすっかり出来上がったおっさんみたいに騒ぎ出す。しかし、昼間の失態も笑顔で歓迎された俺にはもう怖いものなどなく、話しかけられるがままに会話を繰り広げていた。
窓の奥では、鳥が寝静まり、花がつぼみを閉じている。誰もが静まるこの時間が人間の宴の時間だ。ここにポテトチップスとサラミでもあればよかったのだが、しかしこの世界特有の食文化を楽しむのもまた一興である。特に実家のあった田舎特有の長閑な、簡単で素朴だけれど温かみを感じる地元に根付いた料理というのは日本の自然を思い起こされるし、ここ王都ノクタリアの美しい、ヨーロッパを思わせる煌びやかだけれど派手過ぎないおしとやかさもある京と欧米の折衷みたいな文化も美しい。
まあ何が言いたいかといえば、俺は存分にこの場を楽しんでいるということだった。
「楽しいな、シグルス!」
「うん! 最高だね!」
昼間までの心配はどこへやら、先輩たちは確かにはっちゃけているし、中には自分の得物を嬉しそうに舌なめずりしている人もいるが、ヤバいだけで害悪ではないことがよく分かった。ようするに、ただ譲れないモノがあるだけの良い人なのだ、彼らは。
「いぇ~い」
何がいぇ~いなのかは分からんが、二人で何度目かも分からない乾杯をする。中身は夕焼けのように美しいオレンジジュース、だから大丈夫。
シグルスはイヴァン寮長のこと以外ならばそこまでお堅い人物ではなく、年上といえど同じ一年生同士仲良くできそうだ。全部で新入生は九名という少なさだから、一応、他の七名ともすでに話はしてみた。
一人、「うおおおおおおおおおおお!」と意気込む熱血漢グリム・レッドラン。
二人、「あ、あわわ、人混みぃ~!」と隅へ逃げた人見知り少女クレハ・リンカー。
三人、「都会ってすっげなあ」と親しみを覚える田舎少年ロット・マキレウス。
四人、「あ、君、さっきすんごい魔法やってたよねえ」と声かけてきた陽キャ君ケビン・サターレイ。
五人、「…………ふん」とそっけない態度のイケメン少女君ルーナ・クルアディン。
六人、「うぇ~い」と気の抜けた声でいった恐らく東洋の血が入った少年蒼・仔空。
最後に、「あたしくしってば最高に美しいわね」とグラスに映る己に酔う少女フレイ・ランロット。
以上、濃いメンバーで一年生組となる。通常であれば途中から寮を移籍することはないらしいから、俺たちは最後までこのメンバーなのだろう。誰が最初に卒業して、誰が最後に卒業するかは分からないが、可能性でいけば一番年下の俺が最後に卒業するかもしれない。そうなると、一人、最年長としてこの寮に残ってしまうのかも。
いかん、マイナス思考はやめてポジティブになると決めたじゃないか、俺よ。
「ぃやっほう! ねね、なんか面白い魔法知ってない?」
上機嫌の陽キャ君ケビン・サターレイが声をかけてくる。ケビンって名前で陽キャなことってあるんだな。こう、ゲームなんかだと大抵メガネの知能的キャラなイメージなんだけども。
「面白い魔法?」
「そそ。パーティにぴったりなやつ」
う~ん。パーティねえ。
その時、脳に直接呼びかけるような声が聞こえた。
『おい! 我も行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい』
うるさいな、ヴァル。全く、最近は用があるとすぐに念話を始めおって。とはいえ、だ。先輩たちは俺を歓迎してくれているし、ヴァルとグレイがいても問題ないのでは?
「あの、イヴァン寮長」
許可を取ってみよう。
「んあ? なんだァ?」
「俺の使い魔を呼んでもいいですか? パーティに参加したがっていて」
「おうよ! もちろんだゼ!」
「ありがとうございます」
良いってよ、と念話を返すと、どたどたどたと上階から音が聞こえ、五秒もしないうちに姿を現した。その後ろからは申し訳なさそうな顔をしつつも上品についてきたグレイの姿が。
俺の背後から、何名かのほうっとした息を漏らすような声が聞こえた。ああ、そっか、二人って見た目がすんごい高性能フィギュアレベルのイケメンだから見とれちゃってるんだ。悪魔には人を魅了する力がうんぬんかんぬんって前言ってたし。そのせいでリーゼたちがヴァルに見とれちゃって……ああ、リーゼ、兄ちゃん頑張ってるからな。
「遅いぞ! クリスよ!」
「いいじゃないか、結局参加できるんだから」
「むぅ。それもそうであるな! どれ、食事といこうではないか」
そう言って勝手に歩き出したヴァル。唐揚げやらチキンやらステーキやらを皿に取り始め……って肉多いな。もしかして本物のファイアードラゴンになってたりしやしないか?
グレイがこちらに目配せする。見張っておくのでごゆっくり、とのことだろう。
「愉快だなァ」
隣に立ったイヴァン寮長がそう言った。穏やかな目をしていた。
「すみません」
「謝るんじゃねェよ、お前は少し謝りすぎだ」
諭すように言われ、確かにと思う。社会人時代の癖だろうか。大人とは嫌な生き物だ。
「はい。すみませ……じゃなかった。もっと俺もはしゃぎます!」
にしても、案外この人は部下っていうか、仲間のことを見ているんだな。
「おゥ、俺様の小さい頃なんか、田舎の森を燃やして回ってたくらいだぞ。獣を追い払うつもりだったんだが、それどころか更地になったって怒られたっけなア、はっはっはア!」
撤回、感心撤回、ただのヤバい人だった。
「ま、そこまでとは言わねェが、この寮じゃおとなしいのは損だゼ」
「みたいですね」
「お前の使い魔くらいドでかくいろよ」
「あはは……騒ぎまくってるみたいで申し訳ないです」
「そういうとこだ、参加許可出してくれてアリガト、でいいんだよ、まったく、坊主はバカだな」
坊主じゃないんですけど、と言いたい気持ちを堪えつつ、感謝を口にする。
「二人を参加させてくれて、ありがとうございます」
「おゥ! にしても、ありゃ随分強エ奴を使い魔にしてんな。ほんとに魔物の域か?」
やっべ、ヴァルの奴楽しすぎて魔力制御適当にしてんな。正体ばれるじゃねえかよ。こればっかりはジャンさんにも伝えてない事実なのに。
「ええ、ファイアードラゴンとグレイシャードラゴンです」
「ふ~ん。ま、面白そうだから何でもいいワ! んなことより、お前にはこれを渡しに来たんだよ」
「はい?」
首を傾げていると、イヴァン寮長は何やら懐から指輪を取り出した。
「キマイラ寮の一員である証だ。寮印だな。ほら、つけてやる」
イヴァン寮長は俺に右手を出すように言った。俺は言われるがままに右手を差し出し、するとイヴァン寮長は人差し指に指輪をはめてくれる。キマイラ寮の色、紫の指輪だ。
「これはこの学院にしかねえ特殊な指輪だ。よっぽどのことがなけりゃ落とさないもんだが、なくさないようにしろよ? あと、これで正式に学生証にキマイラ寮と表示されたはずだ」
俺は己の右手人差し指を見つめた。身体がぽうっと熱くなる感覚がある。
「なんだ、恥ずかしくなったか? 俺様がかっこいいイケメンじゃなくて、女の子で、それが左手薬指だったらよかったなア?」
「ち、ちがいますよッ!」
「かっかっか、おもしれエ」
揶揄い甲斐があるとでもいうように笑われて余計はずかしくなる。
「そうじゃなくてですね、その、俺もこの寮の一員なんだ、仲間なんだって思ったら嬉しくって……」
「なんだそリャ。ま、せいぜい頑張ってくれよ? 俺様を追い越すの目標にな」
「はい。みなさんに負けないくらいになります。……それにしても、こういうの、普通は壇上とかでやりません?」
みんなに拍手されて歓迎されながら~、みたいなものを思い浮かべる。
「何言ってんだ。ここはキマイラ寮だぞ。パーティ中にお堅いのは無しだ。それに、お前だって、壇上でさっきみてえな恥ずかしいセリフ言えッか?? ン??」
「……言えないですね」
だろ?と何故か勝ち誇ったように返すと、彼は他の奴にも渡してくるとどこかへ行ってしまった。
残された俺は、嵌められた指輪を眺める。滑らかな、それでいてひんやりとした熱を帯びる紫に指を添わせる。
「ま、確かに、さりげないプレゼントの方が、思い出に残るのかもな」
堅苦しい歓迎ではなく、そうであることが当然だといわんばかりに日常のワンシーンのようにして渡される方が、胸に来るものがあるだろうと思ったのだった。
そうして夜は更けていく。白み始めた空、その場で寝てしまった生徒たち。
今日もまた、朝が来た。




