1-10.主従契約
とぼとぼと帰路につき、玄関扉の前。
「どうしよう…………」
俺は一人、先ほどのことを思い出して項垂れていた。
***
遡ること一時間ほど前。
森の奥、洞窟最奥の開けた空間。突如棺風の石から現れた謎の金髪男。
「じゃ、早速やるぞ」
使い魔になるかわりに居場所を提供するという提案をしてきた相手は、俺が何かを言う前にそう言った。
「や、やるって、なにを」
上手く状況を飲み込めないながらなんとかそう聞くと、
「ん? そりゃお前、主従契約だが? 何事も早い方がいいからなあ、はっはっは!!」
棺風の石の上に、ああもういい、棺だ棺! その上に相手は仁王立ちして、豪快に笑った。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 主従契約って……俺、お前が誰なのかも知らないのに」
「ん? ああ、そうだったな」
焦りに焦って言うと男は思い出したようにそう言って、何やら髪を触って整えると、腕を組んで仁王立ちして叫ぶように、威厳をもって述べた。……ちょっと馬鹿っぽいのはなぜだろうか。
「我は偉大なる【原初の悪夢】が一人、黒を司りしヴァルサルクなり!!」
えっへん、と何やら嬉しそうな顔の男。
悪魔、悪魔ねえ。まあ、そこはやっぱりって感じかな。
正直、俺は悪魔に詳しくはない。
本で読んだことがあるとはいえ、ここは田舎だから情報が回るのが遅いし、古い本しかないし、何よりも悪魔や天使といった種族は秘密が多く、人間からすれば未知の存在だ。国家機密のような内容も多いらしい。軽々しく本に書ける内容ではない。
だから俺が知っているのはこの世界には異世界らしく多くの種族がいて、主に……。
魔物は言葉が通じる相手。オークとかゴブリンとか、そういうやつかな。魔力を持っていて、魔法を使えたりもする。集団でいると魔族と言ったりもするらしい。
魔獣は言葉の通じない相手。モンスター的な。魔力はあるらしい。
獣は豚とか牛とか、言葉が通じないアーンド魔力を持たず魔法を使えず。前世にいたのと同じようなやつだ。まあ、狂暴には違いないけど。
鬼とか竜とか、異世界人である俺からすればロマン溢れる存在の彼らは魔物に属するんだとか。
ただ、例外として天使と悪魔がある。
この二種族は言葉が通じ、魔力を持ち、魔法を使う。一騎当千の強者たち。謎が多く、滅多に現れない。また、独自の文字を持つとか持たないとか。
……あれ、もしかして。
「あの、もしかしてだけど、後ろの石の文字とかって、悪魔文字……?」
「ん? ああ、あれか。そうだな、あれは悪魔文字であるな」
なら俺に読めないのも当然か。
「ちなみに、何て書いてあるかって……」
「いいぞ、特別に読んでやろう」
曰く。
『偉大なる我らが神の復活を信じ、ここに眠りの時を捧げる。そして我らがこれより邪悪なる白と戦い仇を取ることを誓う。いつか、大いなる者が現れたならば、棺に手を合わせ、魔力を注ぐことを命じよう。』
「だそうだ。なんか思い出したぞ。我、天使と戦って人数差で押し負けて、受肉していた身体を失ったのよな。我を慕っていたこの地の民が、恐らく我の魂を棺の中に封じたのだろう。それを二百年以上経ってお前が現れ、うっかり魔力を注いだのだろうなあ、はっはっは」
いやいやいや、待てよ。
天使と戦って? 人数差で押し負けて? 身体失って?
「この地に誰もおらぬのを見ると、恐らく敵討ちとやらは負けたのであろうなあ、まあ、天使相手に民が勝てるとは思えぬがな、はっはっは。しかし、その心意気は良し! 我を思い、天使に下らずに戦い続けた者を称えようではないか、はっはっはっはっは!!」
一人で盛り上がる悪魔、確かヴァルサルクとか言ったか。
というか、洞窟の入り口にあったのって、そのことを描いた絵だったのか。
順番も何もバラバラで、何しろ色のない絵だったから色々と誤解して見ちゃったんだな、俺。
あの絵の内容を上手く並べるとすれば……。
羽の生えた人間が同じような姿をした五名と戦っているのが、恐らく、悪魔ヴァルサルクと天使五名の戦いだったんだろう。そして悪魔ヴァルサルクが負け、人々がそれに縋り、けれど天使の高濃度の魔力攻撃を受けた肉体は四散し魂のみが残った。
人々は怒り、天使に牙を向いた。けれど結局負け、天使に頭を下げざるを得なくなったのだろう。現れた新たな天使に頭を下げ、その羽に抱かれた、と。
そこから先の絵はなかったから、分からないや。
「さて、やるぞ」
「え、いや、だからまだ契約すると決めたわけじゃ……」
「契約、するよな? 我、誰かが魔力を提供してくれねば受肉できぬし、そしたら一生ここから離れられずにまた誰かが魔力を魔法陣に流すまで異空間に囚われるし……」
ああもう! そんなやばい魔力の覇気を漂わせながら泣き顔しないでよ! 断れないじゃん! 威圧感的にも悲壮感的にも断れないじゃん!
というか、そもそも悪魔ってだけで十分上位存在じゃん? 齢八歳の人間なんかが頼みもとい命令を断れるわけないじゃん?
──待てよ、マジェスティ、これを狙ったな??
点と点が線で繋がるのを感じ、しかし時は待ってくれない。つーか悪魔が待ってくれない。
「では、いくぞ!」
何やら手を魔法陣に合わせた悪魔ヴァルサルク。あまりの出来事で忘れていたが、今だ俺の右手は魔法陣から離れていない。両者の魔力が流されたからか、魔力回路が繋がりかけている。これが契約というやつか。
「我、偉大なる【原初の悪夢】が一人、黒を司りしヴァルサルクは、クリストファー・ガルシアとの主従契約を結ぶ」
魔法陣から黒い炎のような魔力が上がる。魔力は通常透明だ。それが色を持つとなると、とんでもない魔力濃度。
「よいな、クリスよ」
じい、っと見つめられ、頷くしかないと悟る。右手、離れないし。断ったらどうなることか。
「はい…………」
「よっしゃあ! これで我は自由であるぞ!」
右手が無事に離れ、同時に身体が熱くなるのを感じた。膨大な魔力を持つ悪魔と契約したことで魔力回路が繋がり、その大きすぎる魔力が主人である俺に流れ込んでいるのだろう。
「いや、それは違うな」
「へ?」
大喜びして棺から下り舞い上がっていた悪魔が急に冷静な顔で言った。
「主人の魔力が使い魔側に流れ込むことはあっても、使い魔の魔力が主人に流れ込むことはないぞ?」
「へ!? じゃ、これは一体……」
「異世界人というのは誰でも圧倒的な魔力を持っているというものだ。転生者というのは器、つまり肉体が変わっているから幼いうちは目覚めるまでに時間がかかることもあろう。それが、我と契約したことで解き放たれたのだろうよ」
「俺、が……」
「そもそも、その年齢で魔法が使えているのだ。さらには悪魔の封印を解くほどの魔力を、無意識で魔法陣に流し込んだ。普段から魔力を抑えきれず身から漏れていたのだろうよ、はっはっは、そうでなくては、我は主人として認めて契約なぞせぬぞ。もう三百年ほど待つ方がよいわ、はっはっは」
「へ? 三百年?」
自分の天才的一面については思い当たる節があるが、悪魔の言っている意味は分からない。
「うむ。封印はそもそも、受肉した身体を失ったことと天使との戦争で魔力を大いに消費したことが原因だからな。五百年もあれば回復するわ。我は【原初の悪夢】ぞ、はっはっはっはっは!」
つまり、なに? 俺が契約しなくても、いつの日かこいつは自動で解放されていたと? あの哀れそうな顔はなんだったんだ?
「は………はあああああああああああああああああああああああああ!?」
聞いてないんですけどおおおおおおお!?
「ちなみに、契約解除っていうのはぁ……」
「どちらかが死なねば無理だな。もう一つ手はあるがな。よいか、契約というのは普通は行わぬ。その場限りのものはともかく、こういった完全な主従関係というのはな。つまりだ、信頼関係があってこその契約なのだから、解除には両者の同意が必要なのだ。普通、契約を交わすほどの信頼関係は壊れぬからな。はっはっは、信頼しておるぞ、クリスよ!」
てことは、現状俺はこの悪魔に勝てぬのだから、一生契約解除不可能、じゃね?
「では、お前の家へ向かおうではないか!」
二百数十年ぶりに解き放たれた悪魔ヴァルサルクはノリノリで入り口を目指し、そして何故だか森の霧はすっかり晴れていた。さらにはこの謎の洞窟は姿を消しており、俺たちが出たのはいつもと同じ、何でもない洞窟であった。
***
そうして今、玄関前に至るのである。
「マジェスティ、まじユルスマジィ」
以降、主人はマスターと読んでくださいな。ルビつけるか微妙なので。
主従契約の主従については、多分毎回マスターってルビつける。




