後編 これが『双獄』
それは、『双獄』こと暁兄妹が裏仕事専門の斡旋屋の女性『彪仙』と契約を結んでからしばらくしてのこと。
『彪仙』は珀と二人っきりになったタイミングで、あることを聞いてみた。
「ねえ、珀くん。ちょっといいかしら?」
「なんですか?」
「あの噂って本当なのかしら? ……その、狛ちゃんが○○○○だっていうのは?」
珀は『彪仙』の顔を数秒見詰めてから、肩を竦めて答えた。
「『彪仙』さんならいつか真実に辿り着くだろうし、いいですよ。口止め料の意味も込めて、特別に教えます。………その通り、コマは○○○○です」
■ ■ ■
デパートの女子化粧室。
暁狛はそこで四十代半ばの女性と向き合っている。
そしてその女性が発した言葉に、狛は眉を顰めて訝しんだ。
「……あのさぁ。急になに? 母親? 珀が兄じゃない? ………ふざけたこと言ってると、殺すわよ?」
狛の表情がどんどん憤怒を帯びていく。
燃え滾る殺気を前にその女性はゴクリと喉を鳴らしながら、慎重な表情で、決定的な一言を述べた。
「貴女、13歳までの記憶がない……所謂、記憶喪失なのよね?」
「……っっっ」
………それは、限られた人間しか知らないことだった。
目を見開く狛に、その女性は続けて言った。
「四年前、北海道の田舎の病院で目覚めたのが貴女の一番古い記憶。その時傍にいた暁珀から家族のことや裏社会に身を置いていること、そして貴女は珀の妹である狛だと教えられた、そうでしょ?」
「……そうも何も、事実だし…。子供の頃の写真も見せてもらったし……な、何より顔も同じだし…」
表情から怒りは消えていないが、わかりやすく、狛の言葉に覇気がなくなっている。
狛が動揺しているのだ。
「写真なんて簡単に加工できるわ。……それに、顔だって、整形すればどうとでもなる!」
狛の心の揺れを見逃さず、その女性は言葉を放った。
「せ、整形…っ?」
「そう! 珀は貴女に双子だと思わせる為に、自分の顔を貴女そっくりに整形した異常者なのよ!」
凄まじい眼力で、狛の心底にまで響かせんとするように、その女性は声を張り上げた。
「……ふんっ、そんなはずないでしょ! 意味わからないこと言わないでよ!」
最愛の兄を侮辱されて、怒りが再燃する。
「これを見て」
するとその女性が数枚の写真を裏面にして差し出してきた。
狛は警戒しながら写真を受け取り、目を通す。
「ッッ! これは…ッ」
「…写真が加工できると言った後に見せても説得力は薄いでしょうけど………貴女が子供の頃、私と撮った写真よ」
そう。
そこには、5歳・8歳・10歳・13歳くらいの、様々な年齢の狛が目の前にいる女性と、もう一人知らない男性と楽しそうに遊んでいる姿が映っていた。一部の写真は背後に綺麗な雪景色が広がっている。
何も知らずに見れば、仲睦まじい親子の写真である。
「……あれは、大きな雪崩が起きた日だった。私と、夫と、貴女の三人で遠出していた時に雪崩に巻き込まれ、私は二週間意識を失ってた。起きた時には既に夫は亡くなっていて、貴女は行方不明。雪の中に埋もれて貴女も亡くなったと思ってたけど……後々、雪崩直後に掘り出した人の中には娘の姿があったっていう話を聞いて、私は藁にも縋る思いで調べて調べて調べまくったわ。……そして、北海道の裏社会の情報屋に大金を積んで、ようやく貴女が東京にいるって知ったの。……東京の情報屋にも調べさせて、貴女の生活状況を知って……記憶喪失だってことにはすぐ思い至ったわ」
「嘘よ! ウソウソウソッッ!! 出鱈目言わないで!!」
「目を背けないでっっ!」
憤怒に身を任せて思考を放棄しようとしていた狛に、その女性が叫ぶ。
「苦しいわよねッ、今まで信じてきたものを疑うのは辛いわよねッ! でもお願いッ! 考えて! 暁珀と生活していた中での違和感を思い出して! 彼、整形した顔に触られるの少し嫌がってなかった? 記憶を無くす前の話がやけに流暢だと思ったことはない? それは設定を作り込み過ぎたからよ! ……お願いだから、逃げないで! 考えて!」
「………ッッッ!」
思い当たる節があったのか、狛が強く口を閉じて溢れる感情を抑え込むように黙り込んだ。
その表情は、開けてはいけないパンドラの箱の前に立たされた人間以上に思い詰めている。
「………………もし」
長い沈黙を経て、狛が口を開いた。
「もし、もし仮によ? ……………………………本当に、万が一、貴女の言う通り……ハクが、兄じゃないとして……………………目的は、なに?」
………それは、狛が現状に疑いを持った証左だった。
狛は更に続けて。
「言っておくけど、私、変なことされてないわよ? むしろ私がしてるぐらいだし。……裏社会での仕事も捨て駒みたく扱われたことなんてない。逆に助けてもらったことが何度もあるくらいだし」
「……ごめんなさい。……わからないわ」
その女性は、不甲斐ないとばかりに目を瞑って正直に言った。
「暁珀については私も調べてるんだけど、何もわからないの…。……貴女が何もされていないってことは、〝家族〟に執着しているようにも見えるけど……詳しいところはわからない…」
「……っ」
「………もしかして、暁珀の〝家族〟のままでいることも悪くないって考えてる?」
「…………っ」
「確かに……暁珀は貴女に取っていい兄になれてるかもしれない………でも! そもそも貴女は珀に誘拐されたのよ!? それに…もし本当に〝家族〟に執着してる異常者だとしたら……貴女が彼の意に沿わない言動を起こしたら凶悪な本性を露わにするかもしれないわ! ……お願いだから目を覚まして…! 今すぐ私と逃げて……! やっと二人になれたチャンスなのよッッ!」
母を名乗る女性が目尻に涙を浮かべながら、決死の思いで訴えかけてくる。
娘の安全のため、なりふり構わってはられないようだ。
………しかし、それでも、狛はその女性と目を合わせようとせず、葛藤しているのか俯いたままである。
……そんな狛の姿を見て、その女性は深呼吸を一回して、落ち着いた声で告げた。
「……そうよね。突然こんなこと言われてもよね。……心苦しいけど、今日のところは退くわ」
「………いいの?」
狛が静かに聞くと、母を名乗る女性が朗らかな笑みを浮かべた。
「ええ。本当は無理矢理連れて行くつもりだったけど、どうやら暁珀はまだ貴女に危害を加えるつもりはないみたいだし……それに、」
その女性が狛と目を合わせ、安心の笑みを浮かべた。
「ちゃんと、暁珀を疑ってくれるようになったみたいだし、ね」
「……っっ」
狛が目を瞠る。
一体どれほどの感情が渦巻いているのか、それは彼女にしかわからない。
「貴女に会えて、よかった。………その写真の裏に連絡先書いてあるから、いつでも連絡してね」
そう言い残し、その女性が立ち去ろうとすると……、
「待って」
狛が止めた。
「な、なに?」
何かを期待したような表情を浮かべるその女性に、狛が言う。
「勘違いしないで、ただ最後に一つだけ聞きたかっただけ。………その、もし、本当に私が狛じゃないとして………私の本当の名前って、なんなの?」
その質問に、母を名乗る女性が歓喜の笑みを浮かべた。
「雪に咲く花と書いて『雪花』。それが貴女の名前よ。……ちなみに私の名前は 」
………その女性の言葉は、最後まで続かなかった。
パシュッ、という小さな破裂音がしたかと思うと、
「ごぼ……ッ ……え……?」
母を名乗る女性が、ばたりと倒れた。
その女性を中心に血溜が広がっていく。
「…………なに……こごぼっっ!」
「喋らない方がいいよ~? そうすれば数秒は長生きできるから」
「……ッ…!」
その女性が視線を上げると、そこには、サイレンサー付きの拳銃を持った狛が、にっこりと狂気に満ちた瞳で見下ろしていた。
■ ■ ■
「終わった?」
拳銃を持った狛と、倒れる女性の元へ更に新しい人影が現れた。
珀だ。
「あ、ここ女子トイレだよ! ハクのえっち!」
「そこの自称お母さんが清掃中の札ちゃんと立ててくれてたみたいだからセーフってことで」
珀と狛が死にゆく女性を前に楽し気に話している。
女性は体を走る激痛と薄れゆく意識と底知れない恐怖となぜこのようなことになったかという疑問で脳を埋め尽くされていた。
「あ、気になる? どうしてこんな目に遭ってるか?」
珀が女性の顔の傍らに屈む。
瞳孔が開きかけているが、その疑問一杯の顔に免じて、珀が端的に答えてあげた。
「コマが記憶喪失って話、あれ嘘なんだよね」
「ぁッッッッッッッッ!?」
その女性が声にならない声を上げて驚愕する。
「違う! ハク! 私やっぱり記憶喪失! だから私達結婚できるよ!」
「ちょっと黙ってろ」
「ぐへっ」
空気を読まない狛の額に珀が空手チョップを堕とす。
額を押さえて「いてて~」と笑う狛をよそに、珀が告げる。
「コマが記憶喪失っていう噂は俺達が流したトラップなわけ。俺達を嵌めようとする輩は大体これに引っかかる。……特に、自分は頭が良いって思ってる奴ほど、この〝記憶喪失〟っていう大きくて扱いにくい武器を使おうとしてくるんだよね」
(……ば、バレてた……ッッ!?)
その女性が目を見開く。
……その通り、その女性は狛の母親でもなんでもない。
フリーの仕事人だ。
(こんなガキ共に私が転がされたっていうの…!?)
「ああそれとさ」
狛が口を挟む。先程記憶喪失を指摘されて動揺していた狛はどこへやら、いつもと変わらぬ調子で言った。
「この女に依頼したの、『彪仙』さんらしいよ」
「うん、聞いてた。『雪花』ってことは、そうみたいだね」
(ッッ!? なぜ……それを……ッッ! 雪花……?)
そう。
この女性を雇ったのは裏仕事専門の斡旋屋『彪仙』。
暁兄妹とも懇意にしているはずの『彪仙』が彼らを嵌めようとしたのだ。
雪花という名前が何か関係しているのか、そう思ったが………、
「ごぼっ!」
その女性はさらに濃い吐血をして、
(………こん……な…………くそ……ガキ………ッ……………)
…………………………そして、狛の母を騙った名も知らぬ女性が、息絶えた。
「あ、死んだ」
「ばいばいっ、お母さん!」
■ ■ ■
清掃業者に扮して死体処理を終えた珀と狛は、『彪仙』のいる隠れ事務所を見下ろせる雑居ビルの屋上にいた。
「あ~あ、せっかくのハクとのデートだったのに! ……まあでもいっか。ハクに色目を使う『彪仙』をやっと殺せるし」
「……多分、『彪仙』さんの狙いはあの女で俺達の心を分断したところに個々人で専属契約を持ち掛けるつもりだったんだろうね…」
……かつて、珀は『彪仙』に狛の記憶喪失について問われ、〝口止め料の意味も込めて、特別に教えます〟などとしおらしい態度で話したことがある。
その話の中で珀は狛の本名が『雪花』であると述べたが、この本名(偽)は『彪仙』にしか話していない。
珀は〝記憶喪失〟と同時に狛の様々な本名(偽)を流布し、襲撃者がどの本名(偽)を使ってきたかによって、黒幕を見極めているのである。
他にも、記憶喪失の内容を微妙に変えており、今回狛の母を騙った人物が話していた身の上話は珀が直接『彪仙』に語った内容とほぼ同じだった。
『彪仙』が黒幕か、そうでなくとも主犯格の一人であることは決定的だ。
「残念だよ、本当に。『彪仙』さんとは持ちつ持たれつでやれてると思ったのに」
「とか言いつつ、万一の時の為に警備状況を把握したり小型爆薬を仕掛けてたんでしょ?」
珀は苦笑し、仕事モードに切り替える。
「よし、速く始末して日付が替わる前にこの辺から消えるよ」
「せっかく都心のマンション生活を手に入れたのに、これでおさらばか~」
「やっぱり残念?」
「残念だけど……、私はハクがいないと生きていけないから、しょうがないかな」
「それはよかった」
「ちょっと~、もう少しドキッとしてくれてもいいんじゃない?」
「無駄口はこの辺にして………始めるぞ」
「うん! 私達の仲を引き裂こうとしたクソ女、ただじゃ死なさない!」
……数日後、裏社会でそこそこ名を上げていた『彪仙』含める部下50人の死体が発見され、時を同じくして『双獄』の噂は聞かなくなった。
いかがだったでしょうか?
今回は『相棒とつむぐ物語』というコンテストのために書いた12000字以内の物語なので、以上で完結となります。
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