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介錯

作者: 板尾創路

古びたアパートの屋上に一人の女が駆け上がってきた。

「何してるんですか、こんなところで。」

妻の声だった。

「いや、うん、、。」

口籠ってうまく喋れない。私は両手で掴んだ鉄パイプの柵からそっと手を離した。靴を履いていない私の脚は冬の寒さでもうとっくに限界である。彼女はどうやらここに来た時にはすでに私の目的に気づいているようだった。

「どうしてこんなことをするんですか。貴方の苦しみは痛いほど理解できます。しかし、私達の気持ちも考えてくださいよ。」

妻はそう言ってくしゃくしゃになって泣く。私は何も言うことができない。

私達の二人の小さな子供はもうとっくに寝ている時間だ。

これで何回目だろう。ふかしていたタバコを右手に持ち替え鉄パイプに擦り付ける。

私と妻しかいないビルの屋上からもう一度下を眺めると、二、三台の車が走っているのが見える。私は何度も何度もここへ来てこの景色を見た。

妻にここで泣かれるのも初めてではない。私はとても惨めで情けない、何もしてやれていない。意気地のない私は妻の方を振り返る勇気がなかった。ただ耳には妻の嗚咽するような泣く声が聞こえるだけである。

こんなはずじゃなかったんだ、僕たちが結婚した時はもっと毎日が楽しげで、やりたいこともあった。こんなはずじゃなかったんだよ、僕たちの子供が生まれた時は。どうしてこうなってしまったのか。どうして今こんなにも辛いのか。こうなるはずじゃなかったのだ。

どうにもならない過去のことを考え悲観する。

私の目には自然と涙が込み上げてきた。

三十後半を迎える男として未熟すぎる。辛いのだ。

しかし、辛いのは妻も同じである。それなのに彼女はどうしようもない私を支え続け、懸命に生きている。

「すまない、辛い思いをさせてしまって。本当に僕は君に苦労をかけてばかりで、、。それなのに君を残して一人で死のうとして。」

面を保とうと格好をつける。

下を見ると若いカップルが歩いていた。

僕たちもあの時は、。そう思うと悲しくなってくる。

私にはどんな時にでも彼女を安心させられるだけの度胸が必要なのだ。

屋上には電灯が一つだけある。それは階段のすぐ横に立っている。恐らく振り返れば彼女はそこにいるだろう。

覚悟を決めてゆっくりと振り返る。

あれ?

そこには彼女の脱ぎ捨てられたであろう靴があるだけだった。

焦って妻を探そうと目を泳がせた。

すると何かが目の前に走ってくるのを横目で感じ取り、それが彼女であると目視するその瞬間、

私は彼女に胸ぐらをそっと掴まれ、強く押された。きっと彼女が靴を脱でいたのは走っている時に音を立てて私に気づかれないためである。

私は柵に寄りかかっていたためバランスを保てず柵を重心にして体が浮く。

そして彼女はそのまま胸ぐらを掴んだ状態で思いきり私を柵の外へと放ったのだ。

私は抵抗する間もなく空中へ放られた。屋上から突き落とされたのである。

思っていたよりも恐怖心はない。

私は今まさに死にゆく間際だというのに。

妻の取った行動は殺人という悪意に満ちたものではなかった。

死にかけの私を楽にしてくれたのだ。

私は落ちゆく間に彼女の表情を見た。悲しんでいるようにも哀れんでいるようにも見えた。

もしかしたらもう彼女には私より明るく金も持っている男がすでにいるのかも知れない。

もう次の男と再婚をして今より幸せになるという算段がついているのかも知れない。

そうだと良いな。










読んでいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 作品の中身より作者名にしか目が行かないんですが、ご本人ですか? ほんこんさんお元気?
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