【夏っぽい短編シリーズ】其ノ四 ととさまのしっぽ
ユズの婆さまは、それはそれは立派な仙狐だ。もっさりと背中にそびえる尻尾は見事に九本だし、従える狐火の数も十を下らない。
だが当のユズは半分人間の血が入っているためか、どうにもうまくいかない。七歳になってようやく尻尾が生えたので、術の修行をはじめてはみたが、まだほんの小さな狐火さえも灯すことが出来ない。
婆さまは気にするなと言ってくれたが、小さくため息をついていたことに、ユズは気づいてしまった。『自分は歓迎されていないのかも知れない』。隠れ里に来た日に心に芽生えた棘が、少しずつ育ってゆくのをユズは止めることができずにいた。
ユズの父さまは、人間である母さまと恋をした。
それはおそらく褒められたことではないのだろう。だからこそ、父さまの尻尾は切られてしまったのだ。けれどユズはいつも穏やかに笑っていた父さまが、幸せではなかったとは少しも思ってはいない。
あわてんぼうで賑やかな母さまが、ユズは大好きだった。
「ごはん、もうすぐできるからね! あ、あああ! お魚焦げてる? ちょっ、アチチ!」
母さまはたくさん失敗しながらも、とにかくいつも全力で、一生懸命な人だった。父さまはそんな母さまを上手にフォローしていて、失敗してしょぼんとしぼんだ母さまも、父さまの腕の中ではすぐにふわりとほころんでしまう。
そしてそんな二人が揃って差し出す腕の真ん中に、勢いよく飛び込むような暮らしを、ユズは心から愛していた。
「天国にまで、一緒に行っちゃうんだもんなぁ……」
仲の良かった二人が、揃って流行り病で死んでしまってからまだたった半年。ユズの心の傷は癒えてはいない。けれど置いて行かれたと拗ねているわけではない。幼いながらも『二人の分まで生きてやる!』と決めているほどには、ユズは健やかで強い娘だった。
二人の葬式が済んだあと、ユズは人生の岐路に立たされた。どこに住むか、誰と暮らすかという選択肢には『人間』と『仙狐』という、自らの有りようさえも含まれていた。
ユズが婆さまの手を取ったのは、婆さまの尻尾が父さまが大切にしまい持っていたそれと、同じ匂いがしたからだ。
ユズは父さまの尻尾と母さまのかんざしを胸に抱え、婆さまに手を引かれて山に入った。
隠れ里の生活に不便はない。好奇心旺盛な里の妖魔たちは、意外なほどにあっけらかんとユズを受け入れてくれた。
ところがユズは肝心な婆さまと、なかなか歩み寄るきっかけをつかめない。ユズは自分が婆さまに、嫌われていると思っていた。
『父さまが尻尾を切る原因になった母さまとユズのことを、婆さまがこころよく思っているはずがない』
ユズはそう思っていた。
しかも父さまは、そのまま人間の里で死んでしまったのだ。ユズは、自分が婆さまから大切なものを奪ってしまった結果としてこの場にいるような、そんな居たたまれない気持ちでいた。
ユズは婆さまと二人のごはんのたびに、小さな身体をもっと縮こめるようにしてやり過ごした。
そしていつのまにか、顔をあげられないくらい、婆さまとの距離が開いてしまっていた。
そんな中ではじまった術の修行だ。萎縮したユズに、うまくやれるはずがない。ようやく灯ったユズの初めての狐火は、シュルシュル、シュボンと弾けて消えてしまった。
「あ……」
『また、がっかりされてしまう!』。ユズは首をすくめて、目をギュッと閉じた。
「プッ……クックック……プハハ!」
ところが婆さまは、こらえきれないといった笑い声を漏らし、楽しそうに笑いはじめた。
「まるでネズミ花火だな! ホズミの最初の狐火そっくりだ!」
『ホズミ』は父さまの名前だ。ユズがびっくりして顔を上げると、婆さまが長い眉毛を片方上げて、小さな目をイタズラっぽくゆるめてユズを見つめていた。
「父さまと同じ?」
ユズの問いに、婆さまは今度は口もとをゆるめてうなずいた。
父さまの話は、してはいけないと思っていた。思い出したら、悲しくなるだけだと思っていた。ユズだけではなく、婆さまも悲しくさせてしまうと思っていた。
「ホズミは呑気者の上に変わり者でな。普通の仙狐がおさめる修行なんぞ、ちいともせんかったぞ」
婆さまの言葉にユズが吹き出す。悲しくはならなかった。嬉しくて、じんわりと温かいものがこみ上げる。
「うんうん! 父さま、ちょっと変わってたよね! 真夏に蟻の観察してて倒れたりしてた! けん玉に夢中になって、夜中まで練習してたこともあったよ!」
婆さまも吹き出した。婆さまが笑ってくれることで、また嬉しくなった。
「なんじゃ、嫁をもろうても、子供が生まれても全然変わっとらんな! しょうもないな!」
「うんにゃ。わたしも母さまも、そんな父さまが大好きだったよ!」
「そうか……ホズミは幸せだったか」
婆さまと自分は同じだ。同じ『父さまを好きなもの同士』だ。ならば伝えたいと思った。伝えなければいけないと思った。
「うん。いつも笑ってたよ。わたしも父さまも母さまも、いつも笑ってたよ!」
婆さまはしばらく黙り込んだ。ユズは婆さまと父さまの間に何があったのか聞きたい気持ちになったけれど、それは婆さまが教えてくれるまで待とうと思った。きっと婆さまの傷は、ユズよりも深い。
「ユズ」
婆さまがユズの名を呼んだ。それはユズがこの隠れ里に来て、はじめてのことだった。
「ホズミの尻尾があるだろう? 持って来い」
「はい!」
ユズは張り切って良い返事をして、パタパタと走り、枕元に置いてあった箱ごと、父さまの尻尾を持って来た。婆さまが尻尾で何をするつもりなのか、ユズにはわかる気がした。
仙狐の術は尻尾に刻まれる。つまり、父さまの尻尾は、父さまの術を覚えているのだ。
「いいか? 狐火を灯すつもりで、ホズミの尻尾に妖力を通せ。婆も手伝ってやる」
ユズはふんすと鼻息を荒くしてうなずいた。父さまの術を婆さまと一緒に、どうしても見たかった。
こめかみに血管が浮くほどに強く目をつぶり、ヘソからギュンっと妖力を振り絞る。いつもはチョロチョロとしか感じられない妖力が、真っ直ぐに力強く父さまの尻尾へと集まった。
しばらくすると、シュッという音とともに、父さまの尻尾からなにかが飛び出した。ヒューっと天に向かって昇り、パッと大きな光の花を開いた。
「打ち上げ花火……」
「ああ。ホズミの術はこれだけだ。他の術には目もくれずに、飽きもせずこればっかりやっとったぞ」
仙狐の父さまと人間の母さまが、なぜ出逢ったのか。偶然でも運命でもない。
父さまは望んだ通りに花火職人になって、つぶれかけた花火屋で一人踏ん張っていた母さまと出逢い、そして恋をしたのだ。
「父さまの花火、きれいだね!」
婆さまとユズの妖力で、夜空にいくつもの花が咲く。父さまの打ち上げ花火が、夜空を彩り花開く。
「まあまあ、じゃなぁ。職人になってからの方が良い仕事をしておったな!」
婆さまは父さまの花火を、どこかで見ていてくれたのだ。そして『良い仕事だ』と言ってくれた。ユズは婆さまの手をギュッと握った。
今日こそ……。婆さまに一緒に寝てくれるよう、頼んでみよう。きっと今なら婆さまは『しゃーないな!』と言ってくれる気がする。
ユズはもう一度、婆さまの手をギュッと握って口を開いた。
「婆さま……あの……」
ユズと婆さまは、これから少しずつ……家族になる。
おしまい