07 潜入
07 潜入
大砲の射撃の下、二箇所の橋から「新市街」に進撃を開始したサラセン軍は、橋の前面に展開したニコロ・シュビッチ軍に進撃を拘束され、相応に被害を受けながらも数を頼みに押し通る。大砲の射撃に支援される岸に最も近い新市街の橋をある程度損害を与えたところで兵を引き、「旧市街」と「新市街」を繋ぐ橋まで兵を引く。
この時点で既に包囲軍は三千の損害を出したものの、歩兵八万のうちの三千であるから、全く引く要素はない。
新市街の街区を巧みに利用し、新市街側の橋のたもと周辺でサラセン軍に出血を強いる戦いを継続するシュビッチ軍。徐々に兵を引き、再び、橋の防御施設を利用しての「旧市街」入口での防衛戦が継続していた。
常に新手を向かわせるサラセン軍に対し、多少のローテーションはあるものの、数の少ないニコロ側の兵士の疲労は日増しに増えており、それと連動して死傷者も増え続けていた。
「もう何度目の突撃だよ」
「そんなもの、十から先は数えてねぇな」
「そら、お前が十以上かぞえらんねぇからだろ?」
疲れを隠せなくなりつつある兵士。空気が弛緩し、感覚が麻痺摩耗し始める。砲撃は新街区から旧街区に継続して放たれており、その破壊音も神経を擦り減らさせる。
夜間に対岸から小舟で密かに潜入しようとするサラセンの隠密部隊もすくなからず毎晩襲撃を繰り返している。魔力持ちの兵士が哨戒し、見つけ次第排除しているものの、昼間の戦闘で疲れ果てた者にとって、夜間の剣戟の音は神経を逆なで、熟睡を妨げる。これも、サラセンの作戦であると言えるだろう。
夜間の密偵排除に関しては、夜間視のできるオリヴィとビルは当然依頼を受けており率先して討伐を行っている。
「こう、毎晩襲撃があると、流石に寝不足で眠いわ。ビルは良いわよね」
「そうですね。寝だめしている甲斐があるというものです」
炎の精霊イーフリートであるビルは、オリヴィと出会う前において百年単位で宝物庫の中で眠っていた事と、精霊に睡眠の概念がないということもあり、夜間の警戒を何年でも続ける事が可能である。
オリヴィも『ヴァンピール』の体質上、一日ニ三時間の睡眠でも問題なく一月程度は活動できる。そもそも、睡眠による体力の回復をさほど必要としない二人なので当然なのかもしれない。
ニコロ・シュビッチ軍の多くの兵士・戦士は疲労と睡眠不足で疲れ果てている。元気な二人と相反する状態だと言えるだろうか。
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疲労困憊した兵士が城塞へと下がるのに便乗し、オリヴィ達は一度ニコロからの呼び出しに応ずることにした。今日の夜の哨戒は城塞から派遣された比較的体力も魔力も維持できている魔剣士たちが担うことになるのだろう。
城塞の奥、城主の居室に当たる部屋に二人は招かれていた。
「まだ温かい食事が振舞えるのは僥倖だわ」
「それもあと数日。そこから先は、パンと干し肉と水で過ごす事になるだろう」
既に包囲から一週間が過ぎ、生もの関係は厳しくなってきている。燃料となる木材の備蓄もその程度しか残っていない。ビルが問う。
「ワインは最後まで持ちそうですか?」
「少しは出せるわよ。魔法袋に幾つか樽で残してあるから」
オリヴィの魔法袋は経時劣化が十分の一となる特殊な装備であり、本来、半年ほどで味が悪くなるワインが一年を通して良い状態を保てている。今年秋の収穫分は手に入っておらず、昨年のワインは夏前には饐えて不味くなっているのが本来だ。
「最後の戦いの前まで取っておいてもらおうか。その前に死んだ奴らは、運が無かったという事だな」
「それは随分とケチ臭い城主様ね」
「その代わり、エールはいくらでも飲んで構わんと言ってある。まあ、飲めば喉も乾くし出血も激しくなるから、酔うほど飲む奴はいないがな」
井戸水が限られる『城塞』内において、浄水代わりに用いられるのが麦などを用いて作るエールとなる。帝国は水はあっても飲料水にできる場所が少ないので、この辺りにおいても同様の対応をしている。もっぱら、カラス麦のような雑穀の類が原料となる。
「それで、改めてなにかしら」
呼ばれた理由をニコロへ問う。
「これは前々から聞こえていた噂だが、ソロモン美麗帝が死にかけている……という話だ」
御年七十余歳。年齢とともに『ロイマ』が悪化しているという。全身の痛みと体の変形を伴う難病であり、凡そ痛みを止める程度の対応しかできない。千年以上前からその病気は存在を確認されているが、体内の悪い血が滞留し病気となると言われているだけであり、治療方法は見つかっていない。
ポーションで怪我を直す事は可能だが、病気を根治することはできない。病気による出血や身体の破損をある程度回復させる効果があるのみだ。病気が続けば、ポーションによる回復の限界を超え、症状が一気に悪化する。
ニコロは美麗帝の『ロイマ』の症状を実際把握したいと考えていた。
「時間を稼げば、美麗帝が消耗して不帰の人となるかもしれない」
「多少の可能性はあるでしょうね。皇帝が遠征先で死去すれば、遠征はそこで中止となるから、あんたたちも助かる」
「そうだ。最上の結果は、シゲットが陥落せず粘っている間に美麗帝が死んで、攻囲軍がサラセンの帝都に退く事だ」
自分たちも死なず、帝国皇帝から与えられた義務を履行しサラセン軍が撤退することが可能であれば、士気を維持することも容易となる。粘れば生き残れると分かるからだ。
「美麗帝の病状を見て、死期を判断して欲しい。薬師の知識のあるお前なら可能だろう?」
オリヴィは魔術師・錬金術師である前に、野良医者である『薬師』の術も帝国屈指の冒険者である灰色エルフに教わっている。『ロイマ』は高齢の女性に多く見られる病気であり、ある程度故郷の村でも病気で苦しんでいる者を見た経験がオリヴィにはあった。
「承知したわ」
ビルとオリヴィは『城塞』を抜け出ると、旧市街へと足を向けた。
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オリヴィだけなら、『風』魔術の一つである『風纏』と『疾風』を組み合わせる事で、空中を数キロ程度であれば移動することができる。前者で体を包み浮遊し、後者で移動するというところだ。
「ヴィ、剣化しますよ」
ビルは装備を体から外し、『魔剣』イーフリートへと姿を変える。これであれば、帯剣することも、魔法袋へ収納することもできる。二人より一人の方が目立たないし、サラセンの本営へ侵入するのであればオリヴィ単身の方が都合が良い。
『あなたの腰に吊るされるのも久方ぶりです』
「さて、美麗帝はどこにいるのか……見当はついているかしら?」
本命の大天幕にはいないとオリヴィは予想している。
『本営は「影」でしょうか。恐らく、美麗帝は魔力の隠蔽も難しいほど弱っているやもしれません。ただ、守るべき近衛の騎士達が守りを固めている目立たない天幕に潜んでいる……というところでしょうか』
「さすが元皇帝の帯剣ね。私もそう思うわ」
ビルは幾人かの高貴な者の帯剣を務めたことがある。もっとも最近は、聖征時代に遠征に参加した帝国皇帝の赤髭帝である。今の姿は、その若かりし頃の姿を写し取ったものである。赤みがかった金髪碧眼の美丈夫だ。
目立たぬよう、湖面を滑るように移動したオリヴィは直接サラセンの本営に向かわず、一旦包囲網の外側を迂回し、背後から美麗帝の天幕を探すことにした。
『あれでしょうね』
「そうね。随分と小さな天幕に、腕っこきの魔剣士が集められているわね」
魔剣士・魔力持ちの騎士達は、その力を隠蔽する技術を持つ者は少ない。斥候職や魔術師であれば、自らの魔力を抑え込み隠す事で先制攻撃や、敵の捜索を受けず済む事がある。
護衛を務める騎士達にとっては、自らの魔力を誇示するように纏う事が護衛対象への危険を未然に防ぐ示威効果に繋がると考える故に、多くの魔力持ちの剣士・騎士達は魔力があふれる事に躊躇しない。おかげで、こうして明らかにおかしな天幕を見つけることができたのである。
「申し訳ないけれど……」
『護衛対象を守る事に失敗すれば、どの道死罪ですから』
気配を隠蔽したまま接近し、『静寂』を発動する。天幕周辺の物音は全く聞こえなくなる。これは、周辺が急に静かになることで掛けられた対象に気が付かれる可能性もあるのだが、今回は度外視する。
「!!!!」
大きく口を開き周囲に警鐘を鳴らす護衛の騎士達だが、その声が周囲に届くことはない。
『土牢』
『土壁』
騎士達の足元の地面が深く抉り取られ、その場所が再び土で満たされる。天幕の周囲を警戒する護衛の騎士達は、生きたまま埋められた。
天幕の中では幾人かの護衛騎士がいたものの、外と同様声が聞こえない状態に半ば混乱し恐慌状態となっている。その体を、剣化した『炎の精霊』が貫く。周囲に肉の焼ける臭いが漂い、体の中心に黒い焦げ跡を残した三人の騎士が音もなく倒れる。
『静寂』の範囲を天幕の外周に切り替え、オリヴィは寝台の中の住人に声を掛ける。
『こんばんは美麗帝陛下。私は、帝国の魔術師 オリヴィ=ラウスと言います』
サラセンの言葉ではなく、帝国の言葉でもなく、『古帝国語』で話しかける。
『名高き灰色乙女か。陛下はここにはおらぬ』
「……もしかして……待伏せされたのかしら?」
寝台の中から出てきたのは、壮年の偉丈夫。
『名乗らせてもらおうか。陛下の第一の従僕であり、宰相を拝命しているメフムだ』
実質的な今回の遠征の総司令官である宰相メフムが寝台から起き上がる。
『暗殺か』
『そんな訳ないじゃない。病気見舞いよ』
『……そうか。残念ながら既に陛下は亡くなっている』
宰相メフム曰く、美麗帝はここに至るまでに激しく衰弱し、意識もない状態でこの場所に到着したのだという。
『攻撃開始の直後だろうか、陛下が身罷られたことに護衛の者が気が付いた。とはいえ、偉大なる美麗帝の最後の戦いを勝利で飾らずにおめおめと軍を引くことは出来ぬ』
この戦は、美麗帝の四十年・三十余度に及ぶ親征の最後を飾るものであり、損害を度外視してでも勝利が必須なのだという。
『皇帝陛下の為? 戦後のあんたの権力基盤強化のための間違えでしょう?』
『どちらでも同じ事。降伏でも良し、皆殺しでも良しだ。皇太子殿下の元で再び宰相としてサラセンをまとめ上げる為にも、この戦の勝利は必定。ニコロには死んでもらわねばならない』
最初の段階で降伏しなかったことで、城主の首が必要ということに降伏の条件が繰り上がったということであろうか。
『皆やる気満々だから。精々、無駄に兵を死なせる事ね。大帝の黄泉路の供には一万二万の供回りが必要でしょう? 送り届けてあげるわ』
『左様か』
美麗帝が生きていれば、何らかの形で撤退させる交渉も可能であったかもしれない。だが、公表されていないとはいえ皇帝亡き軍を纏めるには、何らかの結果が必要であるということは、オリヴィにも理解できていた。
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