06 開始
06 開始
大砲の一斉射撃から戦端は開かれたが、城塞はびくともせず、その夜に行われた夜間強襲も失敗に終わっている。
攻略する経路は固定されている。岸からつながる「新市街」に続く南北二つの橋を通過し、「新市街」から「旧市街」に架橋されている橋をを渡る。その上で、「旧市街」から「城塞」へとつながる橋を渡り攻略する以外ない。
市街に渡る場所は左右岸があり、湾のように入り組んだ濠が囲んでいる形で渡ることができるが、『城塞』は水上に浮かぶ島であり、架橋することは簡単ではない。
サラセンの皇帝の来着に、城塞は『緋色』の幕を掲げ歓迎する。文字通り、お前達の血でこの城の壁を「緋色」に染め上げてやるから掛かって来いという意思表示だ。
「なんだか、この古ぼけた城塞に相応しくない派手な色の布ね」
「はは、心意気を示すということなのでしょうね」
緋色というのは、高貴な色であり、布の値段も安くは無かろうに。この辺り、若い頃の派手で目立ちたがりであったニコロ・シュビッチの性格は歳を経てもあまり変わっていないという事なのだろう。故に、戦士が付き従っているということでもある。
「そろそろ新街区の手前までサラセン兵が到達しそうね」
「さて、しっかりと効果が出るかどうか……ですね」
ニコロの指示に従い二人が施した仕掛けがいよいよ発動する。
サラセン軍の歩兵八万のうち、親衛軍は凡そ二万弱。残りの兵士は、徴募された軽装歩兵である。元は、サラセン支配下の農村に住む農民が大半である。
彼らは、親衛軍のように銃で武装することはなく、槍と剣、そして強襲作戦を行う場合、通常の布の軍服の他、その上から鎖と板金を重ね合わせた簡易な鎧を装備することになる。
粛々と橋を渡り始める歩兵の戦列。荒い息遣い、鎧が擦れる音が聞こえるだけの空間。
準備砲撃で、橋の渡り口周辺の木柵は砲弾で破壊され折れ崩れている。とは言え、完全に遮蔽物がなくなったわけではなく、多くの兵士が隠れ潜んでいる事も攻め手は理解している。
寄せる兵士の中には、指揮官らしき装備の良い者がいる。恐らく元は騎士の装備であるだろう、チェインに板金で補強された重装鎧を身に着けている。重くて歩きにくそうに思えるが、恐らくは魔力による身体強化を併用し、瞬間的に素早く動くことが可能な類いだろうか。
もう少しで橋を渡り終わる……目の前に崩れた木柵と土塁に槍を構えたニコロ軍の戦士の顔が見分けられる程度の距離までサラセン兵が近寄って来たタイミングで、足元の石材が音を立てて崩れ落ちた。
「うぉぉぉ!!!」
「ひぃぃ!!」
音を立てて崩れ落ちた橋の上にいた数十人が湖面に音を立てて吸い込まれていく。その中には、指揮官であった『重装騎士』らしき男も含まれている。
「魔術だからな」
「魔術よ」
ニコロ・シュビッチが依頼し、オリヴィが仕掛けた罠は『堅牢』の逆である『軟弱』を用いて、石材の結合を緩め多くの人間が橋に押し寄せた際に、人間の重量で床材が落下するようにしたものであった。
先陣を務める歩兵は、守備側の攻撃から身を守るために比較的重装備をする事を逆手に取り、重さで床が落ち、さらに鎧の重さで水に浮かぶことのできないであろ装備ゆえに、落水は致命的な結果となる。
「遠路はるばるやって来て溺死ですか。少々可哀そうかもしれませんね」
両サイドの橋が渡り終える直前で中央部のほとんどが抜けてしまったため、飛び越えるか、なんらかの渡し板を用いなければ橋を渡り切る事はできなくなった。
「これで一旦、兵を戻さないといけないだろうな」
「そうね。大渋滞じゃ、資材の搬入も出来ないでしょうからね」
「架橋する際にも攻撃するのでしょう? 盾を掲げて矢玉を避けながらの作業になるでしょうから、損害も時間も発生しますね。良い提案でした」
「だろ? どうせこの橋を生きて渡る事はないんだから、壊れても問題ない」
ニコロはオリヴィ達に向かいニヤリと笑う。そして、背後からは引き上げるサラセン兵に向け大喊声が上がった。
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架橋には半日ほどかかった。作業中に、マスケット銃や弓銃で攻撃を加えつつ、失血を強いたものの橋の半ばからサラセン軍も射撃を開始したことで、こちらから一方的に損害を与える展開は難しくなった。
二つの橋の架橋が終わり、サラセン歩兵が渡り始める頃、ニコロ軍は新街区の半ばまで後退していった。両岸から渡り始めた二つの部隊が新街区で合流。一旦隊列を整えようと周りを確認すると、新街区の正面には直進を許さない土塁の類が複数折り重なるように築かれていた。
その土塁の影から、銃や弓銃で散発的な射撃が行われる。土塁の高さはさほど高くはないが、その上から攻撃を受けつつ一斉に前進できるようには思えない。中央の幅広い街路は塞がれてるのだ。
「戦列を整えろ!! 盾持ちは前へ!!」
槍と盾を構えた古帝国時代の歩兵のように戦列を組み、サラセン兵は正面の土塁に向け前進を始める。土塁のない場所は木造の建物が建っており、中から弓や銃で射撃を受ける事があるものの、数はさほど多くはない。
横列で二十人ほどの集団を数段重ね、最初の一波とする。
足並みをそろえる為に太鼓が打ち鳴らされ、そのリズムに合わせて戦列を崩さないように前進が開始される。何人かは盾を撃ち抜かれ、体に傷を負うが、出血は鎧にある程度勢いを殺されてさほどではないのか、戦列はさほど崩れてはいない。
「一気に駆け上れ!!」
指揮官に声を掛けられ、戦列を乱しながら助走をつけた一団が正面のスロープの付いた土塁を駆け上る。そして……
「うわぁぁぁ!!」
「があぁ!!」
乗り越え姿を消した歩兵たちが叫び声をあげる。土塁の向こう側には何かあるのかもしれないと、指揮官が気が付く。本来、街の通りにあるはずの無いものが存在する。
これもオリヴィがニコロからの依頼で作り上げた『壕』である。その中には『土槍』が配置されており、傷つけ、容易によじ登ることができないように身動きのとりにくいように配置されている。これも、重装備の歩兵故に、スロープは登れても、深い急な穴から這いのぼることはできないということを生かしている。
「それそれ、罠に落ちた動物は槍で突き殺せ!!」
「「「おう!!」」」
落ちた拍子に傷つき、痛みで身動きも取れないサラセン兵を、長槍をもった戦士たちが突き殺していく。だが、黙って殺される者ばかりではない。
『ぎざまら!! ゆるさん!!』
恐らく騎士であろう、他の兵士より二回りは大きな体をした偉丈夫が壕から飛び上がって来たと思ったら、着地した付近にいたニコロ兵を次々と斬り倒し始める。おそらく、高レベルの身体強化を纏える、魔剣士の類いなのだろう。装備が良い所から、サラセンの騎士なのかもしれない。
引き連れてきた兵士が、壕から這い上がる前に突き殺されていく間、魔剣士は何人かを斬りつけ、斬り倒したものの、既に何発かの銃弾を受け、動きは徐々に鈍くなっていく。
馬上の重装騎士を撃ち抜く火縄銃の弾丸。魔力を纏っているとはいえ、体表の皮膚を強化してくれているわけではない故に、傷は次々と増え、出血も増えていく。
『ぜぇ ぜぇ……くっ……ころせぇ……』
近寄る者もおらず、壕の中のサラセン兵を粗方殺したニコロ兵は、魔剣士が力尽きるまで銃弾を撃ち込み続け決して近寄る事はしなかった。
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一度の突撃で、百人ほどのサラセン兵を倒していく。だが、死体で壕を埋めるほどの突撃が繰り返される事数十回、新街区は二日ほどで陥落する。やはり、橋を用いた防御戦闘が不十分であった事が問題だろう。
旧街区へと続く橋は新街区からの一つのみ。この橋を渡りきったところを五角形の形に成型した防御用の堡塁で囲み、橋と接する面以外の四方から攻撃を加える。正面を橋と垂直にしないのは、正面から砲撃を受ける可能性を考慮してのものだ。
「こっちはまだ元気だが、サラセンは次々に兵士を使い捨てにするから、あっちも元気なもんだ」
「そうだな。あいつらの中に、ほんとは俺達の仲間だったはずの奴らも大勢いそうだがな」
何度となくサラセン歩兵の突撃を受け止めるうちに、沼国人やスラヴァ人の顔だとわかる物が増えてくる。最初の数回は、重装備の強襲専門の兵士であったようだが、その後は、こちらを消耗させることを狙った如何にも訓練不十分の徴募兵を投入するようになってきている。
今のところ、ニコロ・シュビッチの指揮する側に大きな損害は出ていないものの、ゼロというわけにはいかない。まだ百人程度の損害だが、疲労は重なりつつあり、限界を越えれば一気に崩壊しかねないといえるだろうか。
僅かな距離を挟んで対峙した状態で夜間を過ごしてきた新市街での戦闘も、切り上げた理由は守りにくく、休息が獲りにくいという点もある。
様子を見ながら前進する旧市街を目指すサラセン兵。今回は、使い捨ての盾と、革鎧を装備している。これは、重量により湖面に落ちて溺死する事を回避するため、また、防御力より機動性を重視した為でもある。
橋は今回も渡口手前で倒壊。幾人かは巻き込まれ湖面に落ちたものの、最初の時ほどのダメージはなく、すぐさま架橋作業が始まる。
ところが……
「放て!!」
BONNN!!
BONNN!!
橋の正面に向け、土塁の上段から大砲が放たれる。発射するたびにスロープを下り落ちるのであるが。
距離はほど近く、人の拳ほどの鉄の弾が橋の上を人を弾けとばしながら跳んでいく。その通過したあとは、砕かれ弾き飛ばされた人が沢山蠢き声を上げてのたうち回るか、物言わぬ死体と化している。
目の前で次々に大砲を撃ち込まれ、作業は遅々として進まないのだが、後退することは出来ない。後退することを許す監督官はおらず、前に出る不確実な死か後退する確実な死かの二者択一であれば、不確実さに賭けるしかないからである。
新街区から旧街区への突入は、旧市街陣地からの制圧射撃と、幾度と無く繰り返されるサラセン軍の突撃を数度跳ね返したのち終了となった。
橋の中央から旧市街側、そして旧市街の入口には幾百ものサラセン兵の死体が積み重なり、夕暮れ迫る中、戦闘終了の合図がなされると、サラセン兵の死体を旧市街から取り除く作業がニコロ・シュビッチ軍の兵士に課せられる
作業となった。
その仕事はひどく陰鬱な気持ちにさせるものであるが、死体を放置する事により生み出される災禍と比べるなら、当然やらねばならない作業であるのだ。
その作業を確認するニコロ・シュビッチからオリヴィはまた新しい依頼を受ける事になる。
「お前しか頼めない依頼だ」
「……わかったわよ。でも、多分相当難しいでしょうけどね」
闇に乗じてオリヴィは風に乗り何処へと向かうのであった。