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◇ ◆ ◇ ◆
「うらぎりもの」
「ぎゃああっ！」
耳のすぐ傍でそう囁かれ、真夜中にも関わらず大声を上げた少女の甲高い叫び声が、都の中央にある料理店兼住居の住居部分の方から聞こえてきた。
身体にかけていた毛布は払いのけられ、少女はソレが夢だったのを知ると、ハァッと大きく溜息を一つついた。先程の声を思い出すと、身体が勝手に震えてくる。それと共に荒くなっていた呼吸を整えるために何度も深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
隣で寝ていた幼い弟が姉の叫び声を聞いて起きてしまい、ぐりぐりと拳でまだ眠い眼をこすっている。
そこへバタバタと階段を駆け上がってくる音がしてきた。
「凛莉！ どうした！？」
少女――美琴が、紅華が生まれ変わった凛莉の両親が続け様に扉を開けて姿を見せた。自分達の子供達が二人共無事な様子を見てひとまずは安心したようだが、二人の表情はすぐには晴れない。
弟も一番近くで姉の異常を見ていたせいか、両親と姉の間を交互に見て心配そうに眉を下げてしまっている。
「だ、大丈夫。怖い夢見ただけだから」
「おいおい。びっくりしたぞ」
「ごめんごめん」
父親がわざとらしいほど大きくため息をついた後、苦笑しながら凛莉の頭を軽く小突いた。
「大丈夫？ 最近しっかり眠れてないんじゃない？」
「ううん。ちゃんと寝てるから、平気」
「ねぇね、だいじょぶ？」
「うん、大丈夫よ。みんな起こしちゃってごめんね。もう戻ってゆっくり休んで？ 朝も早いんだから」
「そうか。じゃあ、おやすみ」
「おやすみ。凛莉、仔空」
「おやすみー」
両親は二人に毛布をかけると、自分達も階下にある寝室に戻っていった。
凛莉の家は料理店を営んでおり、都では人気もそこそこある。明日の仕込みは寝る前に済ませたとはいえ、早朝からまた別の準備がある。こんな時間に起こすのはやはり気が引けるというのに。
両親には黙っているが、ここのところ、良くないことが凛莉には続いていた。
「ねぇね」
「ん？」
「ねぇねがこわいこわいしないように、しあがまもってあげるからね！」
「本当に？ ありがとう、仔空。とっても嬉しい！」
「えへへぇー」
弟の屈託のない笑顔が本当に眩しい。
(……尊い。尊いよ、弟)
ずっと見ていられる顔というのはこういうものを言うんだろうなと勝手に結論づけた。
背中をトントンと優しく叩いていると、元々眠たそうにしていたものだから、弟はすぐに眠りの世界に戻っていった。
「……人って生まれ変わっても記憶って残るんだなぁ」
転生につぐ転生。凛莉には美琴からの記憶がしっかりと残っていた。それはもう、一度目の時から二度目の死を迎える時まで。
特に二度目のなんて、とてもじゃないが思い出したくないというのに。今でもこうして夢に出てくる。
救いかどうかは分からないけれど救いだと思うことにしていることは、二度目の時の両親が死ぬ瞬間を直接見ずに済んだことかもしれない。実際に目の前でそれを見ていればきっと正気は保っていられなかっただろう。
(……まぁ、結局私も毒殺されたんだけどね)
幽閉してでも紅華のことを囲っていることを、皇太子が立場上娶った妃様達が後で知り、裏から手を回した。そんなところだろう。事実、妃達は皇太子が関知しないところで紅華の部屋を訪れては嫌がらせや罵倒を繰り返していた。そんな中、殺してやろうと意を決した者がいても何らおかしいことではない。
気づいたらそれから二百年後の世界で、奇しくも父親がなりたがっていた料理人の子供として生まれ変わっていたというわけだ。
ただ、今でも毒を盛られた時の皇太子の顔をついさっき見たかのように思い出せる。夢にまで出てくるほどに。
あの日、皇帝陛下と行っていた狩りから戻ってきて、部屋で倒れたまま息も絶え絶えな紅華を見た皇太子は……泣きながら笑っていた。
『君はどうして……最後まで僕の思い通りにならない……』
白百合に例えられるほどの容姿を持つ彼が流す涙は息を飲むほど美しい。けれど、その笑みはそんな綺麗なものではなかった。
むしろ、あれは……。
(関わった全員を処刑しかねない瞳だったなぁ)
「ねぇね」
いつまでも考え込んでいた凛莉に横で寝ていた仔空がギュッと腕にしがみついてきた。寝言で自分のことを呼んでいる可愛い弟に、凛莉も思わず過去を忘れ、口元に笑みを浮かべた。
「……よし。過去は過去。今が大事」
(そうと決まれば早く寝なくちゃ)
温かさを求めてすり寄ってきた弟の背中を引き寄せ、凛莉も深い眠りに落ちていった。
「……ねぇね。ふふっ」
凛莉が目を閉じて眠りについた後、その寝顔をしっかりと目を開けた仔空が長いこと見つめていた。
