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(……これからどうなるんだろう)
貴族の罪人向けに用意された牢に押し込まれた紅華は一人、言いようのない不安感に苛まれていた。
申し訳程度につけられている小さな窓からは外の様子があまり窺えないところを見ると、ここは半分地下に位置するらしい。その牢に門番が一人。交代制なのか、二人ほど男が入れ替わり入っては出ていったのが牢の中から見えた。
当然ながら紅華も初めてこのような場所が宮殿の内部にあることを知った。……できれば一生知りたくはなかったけれど。
それにしても、そのまま連れてこられ、大した反論も許されずこの牢の中にいるわけだが、一緒にいた父親はどうなっただろうか。紅華が連れて来られてからだいぶ経つというのにここで会えないということは、別の場所に連れていかれたか、父親は放免となったのか。できれば後者の方がいいとは思うけれど、実際に決めるのは皇帝陛下であり、皇太子殿下だ。どう転んでも文句は言えないだろう。
家名の存続だけは許されるように願うのみだが、それすらも危うい。
これからのことを考え、紅華が憂鬱げな溜息を何度もこぼしていると、牢の外、入り口の辺りからコツコツと靴の音が響き聞こえてきた。
「ご機嫌よう」
姿を見せたのは、例の毒殺されかけた令嬢だった。
皇太子の背に隠れ、おどおどとしていた様子は今は微塵も感じられない。自信に満ち溢れ、口元には不適な笑みさえ浮かんでいる。
「貴女は……確か、従二品の柴家の……」
「あら。皇太子殿下の元婚約者様に覚えていただけていただなんて、実に光栄だわぁ」
令嬢は口元を持っていた孔雀羽根のついた扇で覆い隠してわざとらしく驚いてみせた。
しかしまぁ、こんなことを言われてはいるものの、実際には記憶の残りカス程度の小説からの知識。以前なら正直言って全く興味がなかったから知らなかっただろう。
あえて多くは語らないでおいたのも、ボロが出ないようにするためである。それが功を奏したのか、勝手に勘違いしてくれたのだから万々歳だ。
ただ、牢の鉄格子の向こう側で令嬢が顔をにやけさせているのをずっと見ているのもなんだか癪である。
不機嫌そうな顔を作り、そっぽを向いた。
「何の用なの?」
「別に? 貴女が今、どんな顔をしているか見たかっただけよ。どう? 今の気分は」
「見て分からない? 身に覚えのない罪でこんなところに入れられて最悪よ。貴女こそ、毒を盛られかけたってのに、やけに元気そうじゃない」
「うふふ。まぁね」
この令嬢は小説の中ではヒロインポジションだった。高位貴族であるにも関わらず心根が優しく、天真爛漫で誰からも愛されている。父親が皇帝陛下と懇意であるという最強のコネを使ってでも皇太子と婚約を結ばせた令嬢――つまり、紅華のことであるが――よりも断然人気があったのは確かだ。
ただ、それは小説の中では、という注釈をつけなければいけなくなりつつある。
紅華にとって婚約の件については完全に寝耳に水で、皇太子のことを想ってもいなければ、今日だって最終的には菓子に釣られたクチだ。そして、それは目の前に立つ令嬢にも言えることだろう。令嬢が浮かべている笑みは決して心優しき主人公が浮かべていいソレではない。
紅華がどうやってこの場をやり過ごすか考えていると、向こうから話を切り出してきた。
「ねぇ、ここから出してあげましょうか」
「え?」
まさかすぎる言葉に、紅華は耳を疑った。思わず令嬢の方を向いてしまい、令嬢はしてやったりという感じでにんまりと唇で弧を描いた。
どこの世界に自分を毒殺しようとした令嬢を牢から出そうとする令嬢がいるだろうか。それに、牢に送り込んだのは皇太子だ。一令嬢が勝手に決めていいことでは当然ない。もし、逃がしたことがバレれば即処断もあり得るくらいには重罪となる。
それとも、この件に関しては特別に皇帝陛下から許可をもらっているとでも言うのだろうか。そんな素振りは全く見せないけれども。
そして、紅華が最終的には頷くという自信があるのか、令嬢は言葉を続けた。
「私の言うことを聞いてくれるならね」
「……なに?」
「この国から出て行って。殿下の前に二度と姿を現さないで」
「そんなことでいいの?」
この国から出ていくということはつまり、この大陸から出ていくということと同義に他ならない。合法的にせよ、違法的にせよ、残していかなければいけない家族のことを考えると一存で決めることは難しかった。
紅華が答えを出しきれずに悶々と考えこんでいると、令嬢は扇をパシリと音を立てて閉じた。
「今夜、また来るわ。その時までに決めておいてくれる?」
「……えぇ、分かったわ」
「それじゃあ、いい返事を期待しているわ」
令嬢は踵を返し、急ぎ足で牢から去っていった。
日が入ってくる向きから考えて後数刻で夜になる。
それまでに答えがでるかは甚だ怪しいものだ。
(……ほんと、なんでこんなことになっちゃったんだろう?)
この世界に神様がいるとしたら、それは随分と意地悪なのかもしれない。
紅華は頭を抱え、前世を含めて今までで一番今後について考える時間を設けることになったのは言うまでもない。